36. ラーメン
なんだかんだ用事をこなしていると、空はもう茜色。時間があるなら依頼を進めても良かったが、流石にこの時間から外に出るのは危険だ。
そう判断した俺達は、今日はもう食事だけとって宿に戻ることにした。
「なんというか、のんびりね」
「言ってもまだ一日も経ってませんよ。焦りは禁物です」
それに、お互い完全に体力を回復させたとも言い辛い、装備を揃えられただけでも御の字だ。
「そういえば、まだ貴方のステータスを計っていませんでしたね」
「ステータス?」
「能力値のことですよ。このプレートに手を触れて魔力を込めてみてください」
そう言って俺は移動するついでに自分のステータスプレートを取り出して彼女に渡した。彼女は不思議なものを見るようにプレートを眺め回して、怪しいものではないと判断したのか、手の上に置いて魔力を流した。
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ビスタ・サードゲート
レベル:14
種族:サードゲート
職業:
HP:358/422
MP:7155/7777
筋力:750
耐久:190
魔力:1414
敏捷:265
固有スキル:〈邪眼〉〈第三之門〉〈"魔力"ボーナス〉・・・
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ふーむ、鈍足低耐久万能アタッカーってところか。俺とは正反対だな。
目を引くのは7777というMP値だ。単純に高いというのもあるが、ゾロ目というのがなんとも意味ありげだ。
耐久力も気になるところだ。この低さでは誰かのサポートが必須だと容易に想像できる。いや、眷属契約はこのためか。
職業は…… 空白だな。まあ、当然と言えば当然だな。
あと、固有スキルが二つ記されている。〈邪眼〉と〈第三之門〉。聞いたこともないスキルだ。
「ちょっと、黙ってないで何か言ってよ」
集中してプレートを見ていると、いつの間にかビスタのことを置いてけぼりにしてしまっていたみたいで、彼女に注意されて見上げてみれば、頬を膨らませたビスタが少し怒ったようにこちらを見ていた。
「うわっ!?」
というか、顔と顔の距離が鼻の息がかかりそうなほど近い。驚いた俺は飛び退いて距離をとった。
「どうしたのよいきなり」
「ああ、いえ、なんでもありません……」
彼女の様子は相変わらずだ。わざとやっているようにも見えない。これが魔性というものか。
「それで? 私のステータスはどんな感じ?」
「あ、えっと、そうですね。やはり魔力量は目を見張るものがあります。意外だったのがレベルですね、てっきりもっと高いものかと思っていました」
「あー…… レベルはそうね、あまり上げようとはしてこなかったから仕方ないわ」
そう言う彼女の表情からは何か事情があるような雰囲気が漂っていた。
何か理由があるのかもしれないが、こちらとしても特に追求する気はないし、なんとなく聞いてはいけない気がしたから、俺は話題を変えた。
「この、〈邪眼〉と〈第三之門〉というスキルはどういったものですか?」
「邪眼は相手の能力を一時的に弱体化させるスキルね。ちょうどカルラ君の精霊術の真逆バージョンといったところかしら。
第三之門はサードゲート族が《門》を守る門番として必要な術が使えるようになるスキルね。貴方とした主従契約もその一つよ」
彼女はきっちり説明してくれたが、俺は一つ疑問が浮かんだ。ダンジョンでの戦いの際、そのようなスキルを使用しているようには見えなかったということだ。
俺はすぐさまそのことについて質問すると、彼女は次のように答えた。
「ああ…… それが、こっちに来てからどういうわけか使えなくなってるのよね。ここが異世界というのと関係しているのかしら?」
「ということは、一応ドレッドマミーやドゥームレイダーには使おうとしたんですね」
「うんまあ、今もカルラ君で試そうとしてみてるんだけどね」
「へっ!?」
じっとこちらの目を見つめてそんなことを言われて、思わず俺は目を手で覆う。数秒後に聞こえてきたのはクスクスという彼女のイタズラっぽい笑い声だった。
「フフ、冗談よ」
「……ひどいです」
「ごめんってば、カルラ君からかい甲斐があるから、つい」
彼女はチロッと舌をだして謝罪のポーズをとっている。なお、悪びれているようには全く見えない。
「よく小悪魔って言われません?」
「仮にも魔王の娘に? ないない。そんなこと言う無礼者がいたら即刻打ち首ね」
なんか上手いこと返されてしまった。俺が言いたかったのはそういうことじゃ無いんだが……
「意外とカルラって女の子に弱いよね~」
そして俺の頭上からからかってくる奴がもう一匹。否定はしないが、認めたくはないものだ。
「はあ、それじゃ晩御飯を食べにいきますよ。ビスタは何か食べたいものありますか?」
「この世界の食べ物のことはよくわからないし、おまかせするわ。まあ、今日はもう疲れたからあっさり食べられるものがいいわ」
「そうですね、なら……」
なんとも幅の広い要望を受け、判断に困った俺は以前読んだ雑誌で、リデリアには今の俺達にちょうどいいエリアがあった子とを思い出す。
そうして俺達は繁華街区の隅のほうにある、屋台が並ぶエリアにやってきた。ここなら食べ物を直接見てから選ぶことも出来る。きっと彼女の要望に叶うものがあるだろう。
「にしてもまあ、夜になるとこの街はさらに派手になるわね」
ビスタが言うとおり、夜になったというのに街は未だ明るいままだった。それはもちろん日の光によるものではない。街中のライトアップが、建物や、近くの海岸。そして人々を照らしてそうさせるのだ。
ビスタはそれらを前に特に目を輝かせたり見とれていたりしているわけではない。ただ前を見て歩きながら、表情の一つも変えることなくそんなことを言う。
「そうですね、この街の夜景は世界の絶景名所百選に選ばれたりもしています」
話かれられたのでそのように返すが、そんなこと彼女にとってはどうでもよさそうだった。
俺の中での女子のイメージはそういうのに興味があると思っていたが、どうやら彼女はその類いではないらしい。
というか、異世界の情報なんてどうでもいいのか。
「あ! なんか良い匂いがしてきた!」
と、そのとき、ロロは家畜の豚が如く鼻を鳴らし、食べ物の匂いを前に突然飛び出した。それを急いで追いかけたりするわけではないが、とりあえず後をついていく。
しかし後を追えば追うほど人気はなくなっていき、最終的にたどり着いたのは小さな屋台だった。
立ち上る湯気が示すとおり、店は営業しているようだが、他の店は繁盛しているというのに、この店だけやけにガランとしている。
「ここから良い匂いがするー!」
道中ロロが好きそうな肉が置いてある店もあったというのに、彼女はそれらに目をくれることもなくこの店を指した。
確かに何か食欲をそそるような魅惑的な香りが鼻をくすぐる。この匂いに覚えがあるような気もするが、いまいち思い出せない。
俺達はそのまま屋台に近づいた。すると少しずつのその様相がはっきりと見えるようになる。
その屋台は赤い暖簾が特徴的で、そこに白い文字でラーメンと書かれている。俺はそれを見て匂いの正体と記憶を思い出した。
そう、あれは俺が4歳くらいのとき、父と母と俺とリイン。それと同行した使用人で東方のカーナンという国に旅行に行った時に食べたのが、確かラーメンとかいう食べ物だった気がする。
間違いない、この匂いはあのときのものだ。
「ここにしようよー!」
ロロはおおはしゃぎで俺に催促してくる。俺も是非ともここにしたいところだが、もちろんビスタにも確認をとる必要がある。
「……ここでいいですか?」
「聞く必要はないわ。早く入りましょ」
どうやら彼女もラーメンの匂いに魅了されてしまっていたらしい。爛々と目を光らせる様子は、はじめて見る姿だ。
「へいらっしゃい」
暖簾をくぐり俺達を出迎えたのは初老の人間の男性だった。
白い制服に身を包み、頭にはねじり鉢巻きを巻いている。
俺達は横に並んだ木製の椅子に腰を掛け、ひとまず店の中を見回す。
火がかけられた大きな鍋が屋台の奥に設置され、ここら辺では見ない異国風の赤い紋様が刻まれたどんぶりが積み重なっているのが目につく。そして、どうやらメニュー表のようなものはないらしい。
「うちはラーメンだけだよ」
こちらの考えていたことを察したのか、店主は愛想のない声音で教えてくれた。優しいのか恐いのかいまいちよく分からない。
「それじゃあ、ラーメンを2つ」
「あいよ」
注文を受けると店主は調理に移って一切喋らなくなってしまった。ごごごと沸いた湯の音がやけに大きく聞こえる。
だが、歩き疲れた俺達にとってはその静かさがむしろ合っていた。
「……今日は悪かったわ」
だが、料理が出来上がるのを待っている間、柄にもなく思い詰めた表情で突然ビスタが謝ってきた。身に覚えのない謝罪に、俺は少し困惑する。
「どうしたんです? いきなり」
「……悪かったって言ってるの!……昼間は少しあたりすぎたわ」
どうやら、昼間の態度についてのことを言っているらしい。まあ確かに少し苛ついているようには見えたが、謝るほどのことか?
「いいんですよ、ビスタの立場になれば無理もありません。それに、私も武具屋では挑発するようなことしてすみませんでした」
「あ、あれやっぱりわざとだったの? どおりでおかしいと思った」
「バレてました?」
「バレバレよ、大方鞭が高すぎてとても買えないから誤魔化そうとしたんでしょ?」
彼女はクスリと笑った。なんともお恥ずかしい限り、やはり彼女には全てお見通しのようだ。
「はは、カッコ悪いとこ見せちゃいましたね」
「気にしちゃダメよ、人にはそれ相応のグレードというものがあるわ。それに……」
「それに?」
「結果的に素敵な鞭が手に入ったしね、ありがとう、大切にするわ」
彼女は再び笑みを見せ、改めてありがとうなんて言ってきた。
俺は脈絡無くそんなことを言われて、少し嬉しいような、歯痒いような。
不思議な感覚を覚えて、彼女のほうを上手く見れなかった。
ただ一つはっきり言えるのは、買ってあげて良かったなと思えたということ。案外、俺という人間は単純なのかもしれない。
「へいおまち」
そんな会話をしていたら、いつの間にかラーメンは出来上がっていた。店主がテーブルに置いたどんぶりには、なにやら色々トッピングが盛られている。
一つ一つ見てみよう。基本的には具はオーソドックスなものだ。薄くスライスされた豚肉は、本場ではチャーシューと呼ばれる食べ物だ。表面が軽く炙られていて、香ばしい香りが食欲をそそる。
他に注目したいのが煮卵。半熟に茹でられたものが半分に切られていて、艶やかなオレンジ色が、彩りのバランスを補っている。
他にも渦を巻いたデザインがかわいらしい、なるとという魚のすり身を練り合わせたものや、海苔という海草を集めて乾燥させたものが一つずつ盛られている。
これは俺が旅行先で食べたものとほぼ同じで、極めて王道なものだと言えるだろう。
「これどうやって食べるの?」
彼女は顔を近づけて顔を湯気にさらされながら、じっと観察していた。どうやら早く食べたくて仕方がないようだ。
「この箸という二本の棒を使って食べるんですよ。こう、指を上手く使って……」
俺はここぞとばかりにいいところを見せようとしたが、久し振りに使う箸は思っているよりも扱いが難しかった。見本になるどころか、まともにラーメンを食べられそうにもない。
「……フォーク使うかい」
見かねた店主からの助け船。いや、この場合は死刑宣告か。俺は気恥ずかしくなって小さな声でお願いしますと言った。
「へえ、スープパスタみたいな感じなのね」
フォークで麺をクルクルと巻きつけながら食べてみせて、ビスタはそんな感想を漏らした。
盛大に誤った情報を植えつけてしまったことに非常に申し訳なさを覚えるが、己のプライドのため俺は何も言わなかった。
「え、なにこれ美味しい」
どうやらラーメンは彼女の口に合ったようだ。昼間のミックスフライ定食のリアクションと比べると、その差は一目瞭然だ。
「スープも飲んでみてください。とても美味しいですよ」
彼女は俺が勧めるままに、れんげを使って黄金色に透き通ったスープを口に含んだ。
「……美味しい」
それは心の底から出た言葉のように聞こえた。温かいスープが、強ばった彼女の心をほぐしたといったところか。
俺も彼女に続いてスープを啜った。やはり海の近いリデリアに構える店というだけあって、豊潤な魚介の出汁が口の中を潤す。
「美味しい」
誰が口にしても、やはり出てくる言葉はその四文字だった。
こうしてラーメンを食べていると、家族と一緒にラーメンを食べたときのことを思い出す。
あの頃はまだリインのレベルが上がる前のことだったし、俺はひたすらにガキで、純粋無垢な奴だったと思う。
まさか、異世界の魔王の娘とラーメンを食べてるなんて、あの時の俺は思いもしてなかっただろうな。
……っと、いつの間にか箸が止まっていた。ビスタが不思議に思ってこちらを見ている。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないです。冷める前に食べちゃいましょう」
「ロロも食べるー!」
ときたまロロに分けたりしながら、俺達は数分かけて完食した。
ちなみにチャーシューはほとんどロロに取られた。相変わらず肉には目がない。
ご覧頂きありがとうございました。




