144. おまえら全員俺の経験値だ!
ああ、懐かしいな……
あの日のことがつい昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来る。
青白く光るドランジスタの月。
あの頃は常に曇っていたから見ることが出来なかったこの世界の夜空。
それがこんなに美しいものだったなんて、あのときの俺は知らなかったな。
俺は今、城のバルコニーからその月夜を眺めていた。
ここから見える月が好きで、俺はもう何度も足を運んでいる。 言うならば秘密の特等席だ。
そんなことをしながら昔の思い出に浸っていると、少しだけ厳しい口調の女性の声。
俺が生涯愛し続けたただ一人の女性の声だ。
「もうカルラ君。こんなところにいたのね? 医者から夜風は体に障るから控えるように言われているのに」
「……すみません。 どうしても月が見たくなって。 でも、今日は名月ですよ。 空が澄んでいてよく見えます」
「あら、ほんとね」
ビスタは最初こそ咎めようとしたものの、その美しさに惹かれていつの間にか隣の椅子に腰掛けていた。
それで別に何か言うわけでもない。
最愛の女性とこんな静かな時間を共有できるという事実にただただ幸福を感じるだけだ。
「……こうして二人で月を見ていると、あの頃のことを思い出すわね」
「ああ、そうですね。 あのときはビスタから告白してくれたんですよね」
「え? 違うわよ、カルラ君からよ」
「……いやいやいや、ビスタからですって。いきなりキスされて驚いたのをよく覚えてます」
「もう、自分の誕生日は忘れるくせにそういうことだけは覚えているんだから」
「それだけ大事な思い出だということです」
「そんなの、私だって…… ねえ、カルラ君」
「はい、なんですか?」
「カルラ君は、今でも私のこと好き?」
「当たり前じゃないですか、何を今更……」
「ちゃんと、ちゃんと言葉にしてほしいの。 なんだか、今日は胸騒ぎがしちゃって、もしかしたらカルラ君に好きって言ってもらえるのが今日で最後のような、そんな気がしちゃったの……」
「ビスタ……」
「……ごめんなさい。 縁起でもなかったわよね。今のは忘れて?」
「いえ、いいんです。……ビスタ、愛しています。ずっとずっと、いつまでも。貴方に出会えて、本当によかった 」
「……私もよ、カルラ君。大好き、愛してる」
互いに瞳を見つめながら、俺達は愛の言葉を重ね合った。
ビスタがそっと近づいて俺に口づけを迫る。
俺はそれをただ受け止めて、彼女の熱を感じ取った。
「……こういうとき、男の自分からすぐ動ければいいんですけどね」
「仕方ないわよ、重い病気なんだもの。 ……まさか、カルラ君が自分の寿命を削って戦っていたなんて、はじめて聞かされたときは本当に驚いたわ」
「ハハッ…… あのときは確か一週間口を聞いてくれなかったんでしたっけ」
「そっ、でもリサが言ってくれたの。 共に過ごせる時間が残り少ないのがわかっているなら、一秒たりとも無駄にしちゃいけないって」
「リサには頭が上がらないですね。いつだって彼女が私達の仲を取り持ってくれた」
「……そうね、リサは本当によくしてくれてる。 ……ああ、まさかあの子が誰よりも率先して人間と魔族の間を取り持とうと動いてくれるなんて思ってもいなかったわ」
「私達のことといい、きっとそういう性分なんでしょうね」
「あはっ、そうかもしれないわね」
少しだけ風が吹いて、ほんの僅かの間訪れる静寂。
その静寂の中、俺はまた昔のことを思い出していた。
ラウディアラを倒したあの日から三十年の年月が経過していた。
やはりと言うべきか、ガウス達が再び姿を見せることはなかった。
一応人を使って探してみたりもしたがまるで成果はナシ。
仮にあのとき生き延びていたとしても、三十年も経った今ではもうこの世にはいないだろう。
そうして俺達は、人類の代表者が不在の中で魔族と人間が手を取り合える共存の世界、心優しい者が幸せになることが出来る世界を目指して今日まで歩み続けてきた。
全てをやり切れたわけじゃないが、三十年という時間の中ではよくやった方だと思う。
確か一ヶ月後に八回目になる和平記念のセレモニーが開かれる予定だったはずだ。
魔族の代表者と人間の代表者それぞれ一名が聖剣のレプリカを引き抜くというのが主な催し。
魔族側からは、俺とビスタの息子が出ることになっている。
努力家で、心優しくて、顔つきが俺に似てしまったのがタマにキズだが将来この世界を導いていくだけの素養と器を持った自慢の息子だ。
ちなみに、もうあれから勇者が誕生することも魔王が誕生することも、ましてや本物の聖剣が姿を見せることも無くなった。
争うことがなくなったのだから、それも当然か。
「長いような短いような、不思議な三十年だったわね」
同じ事を思い返していたのか、ふとビスタがそんなことを口にする。
俺は考えていることが同じだったことに少しだけ気分を良くしてそれに言葉を返す。
「……まだ始まったばかりですよ。 やるべき課題は山積みです」
「……そうね、だからカルラ君。こんなところでいなくなっちゃダメよ?」
「尽力しま……」
「ああもう、寝るなら部屋に戻らないと。 立てる?」
「……いえ、もう少しだけここに居させて下さい。もう少しだけ、この月を見ておきたい……」
「……わかった。 こうなったらとことん付き合うわよっ」
いつの間にかうたた寝をしてしまった俺を、ビスタはそっと優しく起こしてくれた。
そして、これ以上は彼女に悪いと思いながらも俺はまだそこに居たいと我儘を言ってしまう。
不思議な感覚。
何か本能的な意思が働いて、そうしたいと思ってしまったのだ。
俺はその想いのままに夜空を眺め続けるわけだが、決して眠りに落ちないようにするためか、ビスタは絶えず話を振ってくる。
「……ねえカルラ君?」
「はい、なんですか?」
「担当医が言うにはね、少しずつだけど回復傾向にあるらしいの。 だから、もう少し暖かくなってカルラ君が動けるようになったらフォルガーナに帰ってみない?」
「……ああ、そうですね。 師匠のところにも久しく伺っていませんし、たまにはリイン達の顔も見たいですしね」
「そ、それであの日一緒に見た満月を見に行きましょ? カルラ君が大好きなきな粉をたっぷり掛けたきな粉餅を食べながら。
お月見っていうの? 昔の人達はよくやってたらしいの。 こっちの人も、向こうの人も皆集めて盛大に。きっと楽しくなるわよ。それで……」
「……」
「カルラ君?」
「……」
「……おやすみなさい」
◆ ◆ ◆
───ハハハハハ!!!!!
───どうだ!やってやった!やってみせたぞ!
最愛の人に看取られながら、一人の男の生涯に幕が閉ざされた。
己自身に向き合い続け、あらゆる困難の果てに最高の幸福を手にした生涯だ。
「立ち向かい続けた結果こんなところまで来てしまったが、かまわないさ、俺は誰かの糧になって死んでいく。鋼の意志は、きっと後生に受け継がれていく。ああ、これほど誇らしい最後があるか?」
疑問形で話してはいるが、誰もそれに答えはしない。当たり前だ、そこには彼以外は誰もいないのだから。これは全てやたら声の大きい独り言である。
彼の名はカルラ・セントラルク。ここではない異世界フォルガーナでエルフとして生を受けた。
彼は始めからその幸福を手にしていたのか、それは違う。
彼は運命の悪戯に翻弄されてしまい、エルフながらに魔法が使えないという出来損ないの烙印を押され辛い幼少期を過ごしていた。
数え切れない挫折があった。
どうしようもない苦難があった。
己の無力さに涙を流し、何度も何度も立ち止まることはあれど、男は退くことだけはしなかった。
そうして、その涙すらも糧とし、経験値とし、再び歩み出す度に強くなった。
だからこそ、男はその前世とは比べ物にならないほどの最期を迎えることが出来た。
それは何より彼自身に勇気があったからだ。
立ち上がる勇気。
強く踏み出す勇気。
過ちを認める勇気。
どんな相手にも手を差し伸べようという勇気。
自分自身に、向き合う勇気。
その勇気が、彼の強い生き様が、他者にも伝わり、それが自分に返ってきて幸福を手繰り寄せたのだ。
そして、彼は志半ばでその天寿を全うした。
しかし悔やみはしない。
彼は人々を信じているから。自分自身の手でが守り、救った人々の心の中に、己の意志は生き続けると信じているからだ。
「やあ、カルラ。久し振りだね」
「アルルカ……」
「一先ずお疲れさま。それでいきなりで悪いのだけれど、君には今二つの選択肢が用意されている」
「二つの選択肢?」
「そ、勇気の精霊としてボクら管理者側の存在に回るか、また転生して新しい人生を歩むか。 ボクとしては、ぜひとも前者を選んでほしいのだけれど……」
「はっ、そんなの、決まっているじゃないですか」
「ほう」
「転生、でお願いします」
「……君ならそう言うと思ったよ」
「ハハハ」
「それじゃ、 いってきな!」
「……はい!」
男の意識が閉じていく。
次に目覚めたときにはもうカルラの名はなくなっていることだろう。
───さあ! 進もう!
───次はいったいどんな世界が、どんな人生が俺を待っている!?
─完─
ご覧頂きありがとうございました。完結です。
活動報告であとがきを書きますので良ければご覧下さい。