143. 諸行無常
戦場に向かった男達の帰りを今か今かと待ち続けていたオリヴィアとジェシカ。
今、彼女達の前に眠った状態のカルラを肩に担ぐガウスがその姿が現した。
「ガウスッ!!!」
「ただいまオリヴィア。 それにジェシカも……」
「勝った、のね…… 聖剣を取り戻してこの世界を救ってみせたのね……」
「ああ、全てこの男のおかげだ。カルラ・セントラルクが俺に皆を救う力を与えてくれた。俺を、勇者に導いてくれたんだ。
……この男には、大きな借りが出来てしまったな」
これまでとは異なり、少しだけ緩んだ表情を見せるガウス。
そんな彼は、オリヴィア達の足元で横たわるビスタに目をやった。
「……申し訳ありません。 最善を尽くしましたが、やはり神聖魔法ではどうにも出来ず……」
「わかっていたことだ。だから今こうしてカルラ・セントラルクを眠らせている。
……きっと、こいつはこの力に頼ることを良しとしないだろうからな」
おもむろにカルラを床に寝かせ、ガウスはビスタのすぐ側でしゃがんでは何かの術を発動させようとした。
「……ダメだ。 やはり俺一人の魔力ではどうにもならないな」
「……〈死霊術〉ですのね。 ガウス、わたくしの魔力も使ってください」
「私のも使いなさい」
「いいのか? もしそんなことをすればお前達はもう……」
「それは貴方だって同じでしょう? なら尚更そうせざるをえないわ。
……そもそもこの子を死なせてしまったのは私達の責任。なら、全員でそれを償うのが筋ってものでしょう」
「同感、です。 なによりわたくし達は四人で一つのパーティーなのですから。どこへ行くのだって一緒ですよ」
「ハハッ…… さてはお前達とびきりの阿呆だな?」
「貴方にだけは言われたくありません」
「それもそうか。 ……さて、それじゃあそろそろ始めるぞ。二人の力を俺に貸してくれ」
「はい」
「了解」
そうして、ガウスの手によって死者を蘇らせる禁断の術、〈死霊術〉が行使される。
「ううっ…… お、お嬢様!」
そのとき、幸か不幸か隣で意識を失っていたリサが目を覚ました。
彼女はすぐにビスタが危険な状態であることを思い出して身を起こしビスタに近づくガウス達の姿を捉えた。
「貴様らッ! いったい何をするつもりだ! お嬢様から離れろ!」
まだ体の調子もままならない内に大声を発したゆえにリサの声は少し上擦ってしまったいた。
それでも必死に自分の主の身を案じようとする魔族を見て、ガウスはただ静かに溜息をついてはこう返す。
「……邪魔をせず黙って見ておけ、一度でもしくじればゲームオーバーだ」
「なんだと……? まさかそれはアベルと同じ〈死霊術〉か! ……そ、そうだ。 私はこの手でお嬢様を……」
「だから、黙っていろと言っている。 この女は俺達の命に代えてでも救い出す」
そんなことを言いながらも、過度な魔力の消耗により三人の体が少しづつ光となって散ってゆく。
その言葉と、目の前の光景からリサは全てを察した。察して、泣き叫びながら訴えかける。
「た、頼む…… 私の命を使ってくれ…… もう、私はお嬢様に会わせる顔がない。
せめてこの命を、お嬢様のために使わせてくれ……」
「そんなこと俺達の知ったことか」
「なっ……!」
「過ちを犯したというのなら、生きることでそれを償え。 死ぬことに意味なんてない、生きてさえいればいつか必ず償いの機会が訪れる。 ……と、きっとコイツらなら言うだろうな」
ガウスはカルラ達を一瞥してはそう言った。
冷たい態度ではあるが、その想いは間違いなく本物。相手を思ってのことだ。
「卑怯だ……! こんなの卑怯だぞ! 私達は敵同士で憎しみあっていたはずなのにっ!」
「卑怯で結構、わたくし達が魔族に気を遣う義理なんてございませんわ?」
彼らを蝕む光が強くなっていく。
その最中、ガウスはふとこんなことを言い出した。
「……不思議なものだな。 これまで散々他人の命を奪ってきた俺達が、他人の、ましてや魔族なんかのためにこの命を使うというのだから」
「……でも、悪い気分じゃない。こうやって心の底から信頼できる相手に希望を託して死んでいけるのだから」
「そうだな、俺はこいつらに出会えたことを誇りに思う。この者達がこれから世界を導いてゆくのなら、真の平和もそう遠いことではないだろう」
そんな話をしていると、いよいよ光は彼らの喉元まで迫っていた。
己の最期を理解して、ガウスはリサに向けて手を伸ばしては言う。
「……頼んだぞ、若き命よ。 これまでの歴史を糧にして、人間と魔族の共存を、俺達が叶えられなかった夢を───」
その言葉が終わりまで語られることはなかった。
その手が彼女の手に触れることはなかった。
しかしその想いは、願いは、間違いなくリサの心に届いていた。
光の残滓が彼女の腕をすれ違っていく。
そうしてリサは、その伸ばしかけた腕を胸元に置いて誓うのだった。
「……任せろ。おまえ達の想いも命も、決して無駄にはしない」
◆ ◆ ◆
暖かい……
この感情はなんだ。 どうして俺は今安らぎを覚えている。
この包むような暖かな光は、いったい……
「カルラ君っ……」
「ビスタ……?」
「カルラ君っ!」
「ビスタっ!!!」
気がつくと、俺は頭をビスタの膝に預けて横たわっていた。
俺の顔を覗く彼女は優しい笑顔を見せるが、
その頬には涙が滴っていてそれが俺の頬に落ちては温度が伝わってくる。
身を起こし、俺達は互いの名を呼びながら抱き締め合った。
肌で感じる彼女の温もり。その温もりで、彼女が今生きていることに喜びを覚える。
よかった…… 本当によかった……!
「あー…… えと……」
そのとき、俺の背後から気まずそうなリサの声が聞こえる。
俺は驚いて咄嗟にビスタから手を離そうとするも、相手が構わず抱きついてくるのでその意味も無くなってしまう。
「ちょ、ビスタ…… リサが見てますよ……」
「いや、いいんだ。 微笑ましいから是非ともそのまま続けてくれ」
「いや貴方まで何言ってるんですか……」
こんな平和なやり取りをするのはいったいいつ振りだろうか。
懐かしく思うのも束の間、だんだん冷静さが戻ってきて本来そこにいるはずの三人がいないことに気がつく。
「そういえば、ガウス達は……?」
俺がそう訪ねると、リサは静かに首を横に振ってこう答える。
「……私が目覚めたときにはもういなかったよ。 どうやらお嬢様を回復させたあと行方を眩ませたようだ」
「そう、ですか……」
「……」
そんなやり取りをしている間、俺に身を預けていたビスタの涙が少しだけ治まったような気がした。
何か思うことがあったのだろうか。わからないが、余計な詮索は野暮だと思ったので深く追求するようなことはしなかった。
なにより、俺達は早く地上に戻らなければならない。
戻って、戦いが終わったことを皆に知らせなければ。
◆ ◆ ◆
カルラ達が最初の〈門〉があった広間に戻ると、そこにはラビアンを含めた魔族の兵士達、今回の作戦に協力してくれたエミリア、リイン、ノエル、マガンタ、そして鎮圧された人間の兵士達がそれぞれの主の帰還を待っていた。
最初にその姿を見つけたのはエミリア。
彼女はあっと声を上げて指差すも、その者達に近づくようなことはしなかった。
最初にその男の胸に飛び込んだのは妖精のロロ。
彼女は涙を流しながらひたすらにこの現状を喜んでいた。
そうして、魔族達がビスタのもとに駆け寄っては祝福の声を上げた。
それと対照的に人間達は落胆の声を上げるわけだが……
「……行かなくていいのか?」
それらの様子をただ遠くから見ていたエミリアを気にしてリインが声を掛ける。
エミリアは幸せそうなカルラとビスタの様子を眺めながら生返事をして、どこか吹っ切れてしまったかのようにこんなことを言い出した。
「うん、なんか邪魔しちゃ悪いかなって。……あのさ、私さ、実はと言うとカルラのこと好きだったかもしんない」
「……好きだったかもしんないってなんだよ、変な言い方だな?」
「だってよくわかんないんだもん。 私はずっとカルラに憧れてた。だからずっとその背中を追いかけて、力になりたくて、弱いなりに頑張ってきた」
「……憧れ、ね」
「うん、そう。 憧れてたの。 私はカルラの強さと優しさに憧れていた。それはきっと、純粋な好きとはちょっと違う感情。
それに気がついたのはついこの間のこと。 あの二人結構わかりやすいじゃん?
はじめは納得出来なかった。私の方が昔からカルラを知っているのに、理解ってあげようとしてたのに、どうしてカルラに振り向いて貰えなかったんだろうって」
「そのわりにはずっと落ち着いていたように見えるが?」
「……そうだね。気づいた日の夜は一人で泣いてたけど、朝になったらもう割り切れちゃってたよ。自分でもびっくりするくらい諦めるの早かったと思う。
だってさ、カルラってビスタさんの前だとこれ以上無いくらい幸せそうな顔するんだもん。あんなの見せられたら諦めるしかないよ。……って、あれ、何の話だったっけ」
「おまえがカルラのこと好きだったかもしれないって話」
「ああ、そだったそだった。 ……結局ね、私ってカルラに対してすんごく失礼なことしてたと思うんだ」
「というと?」
「さっき理解ってあげようとしてたって言うけどさ。 そんなのカルラは頼んでいないし、自分がそうしようとしてただけなんだよ。
でもそういう、ちょっと上から目線? な感じが、きっとカルラには伝わっちゃってたんだと思う」
「……なるほどねぇ。 確かに、アイツはそういうの嫌がりそうだな」
「うん、そう。 それに何より、自分の気持ちもよくわかってないまま他人の気持ちを理解しようとすること自体おこがましかったのかなって……」
「……けどよ」
「うん?」
「けど、おまえは今回めちゃくちゃ頑張ったじゃねえか。 怪我人はいるけどよ、味方も敵も、誰も命を落とすことはなかった。
それは、おまえが終始カルラのために頑張ったからなんじゃないか? アイツが自分の女を助けに行くことが出来たのは、おまえならそうしてくれるって信じていたからだろう」
「そうかな…… えへへ、そうだといいなぁ……」
「にやけすぎだろ。 目茶苦茶好きなんじゃねえか」
「あれ、やっぱ好きなのかな?」
「知らねえよ」
「だよねぇ、知らないよねぇ。 ……まっ、カルラもビスタさんも無事に帰って来たんだし、私はそれが嬉しいって思えているし、今はそれでいいよね?」
「だから知らねえって」
「むー、リインはいじわるだなぁ」
二人がそんな話をしている間にも、カルラとビスタの二人は今回の事の顛末を魔族にも人間にもわかるようにこと細かく伝えていた。
ガウス達の消息が絶たれ人間にとってはその全てを受け入れることはまだ難しいだろう。
しかし、今後訪れるであろう未来は人間達にとっても明るいものになるはずだ。
そんな話を端から聞いていて、感慨深そうにエミリアは語り出した。
「はぁ~…… すごいね、カルラは。 世界を丸々一つ救っちゃったんだ。……あっ、じゃなくてこれで二回目か。 ……なんだか、どんどん遠い存在になっていくなぁ」
「……別に、比較するようなものじゃねえんじゃねえの?」
「え?」
「俺達は嫌でもこれからセントラルクを守り導いていく立場になる。守っていかなくちゃならねえんだ。
僻んでる場合じゃねえ、これからはアイツ抜きでも民を守っていけるように俺もおまえも強くならねえと」
「……そうだねっ。 リインが一緒だと心強いよ!」
「お、おおぅ……」
「ん? どしたの?」
「いや、不意打ちくらったもんだから……」
「不意打ち!? え、やだ、何かの襲撃かな!?」
エミリアは持ち前の天然を発揮して周囲をキョロキョロ見渡しはじめた。
そんな彼女に呆れてか、はたまた安心感を覚えたのか、何をするわけでもなくリインは深く溜息をついた。
「はあ…… なんでこんな奴好きになったんだろうか」
「えっ、なになに?」
「なんでもねえよ。 ……ま、これからよろしく頼むぜエミリア。二人でセントラルクを守っていこうな」
「うん! ……ん?」
「なんだよ」
「いやぁ、なんか今のプロポーズの言葉っぽいなあと思って」
「へぁ!?」
「アハハ! なーんてね! 冗談だよ、じょーだ、ん……?」
「……」
「え、え、え……?」
「……エミリア」
「あ、はい……?」
「今度、俺の話聞いてもらってもいいです、か……?」
「え、えとえとえと…… わ、わかりました……」
その日、とある一人の少年が密かに抱いていた片想いの物語に新たな進展が起きることとなった。
おおよそ十年、物心ついたときから始まったにもかかわらず二の足を踏み続けていた物語だ。
きっと、この物語の行方もそう暗いものにはならないだろう。
幸せの形は人それぞれ、その幸せが訪れるタイミングだってきっと人それぞれなのだ。
そんな二人の初々しい様子を、傍らで観察していた者達がいた。
ノエルは横にいたジゴロウとマガンタに問いかける。
「あー尊い。 この瞬間に立ち会えただけでも着いてきた甲斐があったよ。 なあ、君達もそう思うだろ?」
「ゲロッ!」
「尊すぎて前が見えナァァァァァァイ!」
つまりは、こういう幸せの形もある、ということなのだろう。
そしてそんな彼女らをよそに、突然部屋が光に満たされては一人の女神が姿を現す。
「アルルカ!」
「やあカルラ、ご苦労だったね。 君が〈界竜核〉を破壊してくれたおかげでボクもこの世界に入ることが出来るようになったよ」
「いえ、決して私一人の力でもたらした結果ではありませんので……」
「いいや、それでも君がいなかったらここまで上手くはいかなかったよ。 本当に、よく頑張った。
……それで、今後の話になるわけだけど、君はいったいこれからどうするんだい?」
「どうするって、そんなの決まっているじゃないですか。この世界、ドランジスタがより良い世界になるように尽力するだけですよ。 ビスタと一緒に、ね」
「……いいのか? 君はボクの求める役割を全て果たしてくれた。 これからは自分の意思で、何に縛られることなく自由に生きていいんだ」
「自分の意思ですよ。今までも、これからも。 私は自分の意思で彼女の隣にいることもこの世界に貢献していくことも選んだんです」
「……そうか。 本当に、本当に大きくなったよ君は。
まあ、ボクはあくまで見守ることが仕事だからね。 いったい君達がこの世界にどんな景色をもたらしてくれるのか、楽しみにしているよ」
それじゃ、と言ってアルルカは去っていった。
そう、ここから彼らは自分の足で立ち上がり進まなければならないのだ。
憎しみも悲しみも、怒りも何もかもを乗り越え糧として進まなければならない。
だが、きっと彼らは光を掴み取れる。
自分の仲間達にだけ向けていた優しさ。その優しさを、ほんの少しの勇気を出してかつての敵に向ける。
そうすればきっと解り合える。
そのことを、彼らはもう気づいていたのだ。
救世暦849年。
混迷を極めたこの数年間は文明が崩壊し暦の概念などまるで機能してはいなかった。
だが、この世界が誕生し、人間と魔族が最初に文明と社会を手に入れてからの実時間おおよそ200万年。
この日、この瞬間。
多くの犠牲と引き換えに、永きにわたる争乱の歴史に終止符が刻まれたのだった。
ご覧頂きありがとうございました。