132. メタルスライムと少女と④
俺がカルラと似ている?
そんなわけがないだろう。
何処をどう見たって俺とあいつは正反対、なぜ仮初めでも俺の転生体があんな奴だったのか今でも不思議なくらいだ。
それがスピカの奴、そもそも他人を想う心が無かったら復讐なんて出来ないだと……?
笑わせるな、俺は復讐心だけを原動力にしている。 あんな奴と一緒にされてたまるか。
彼女の言葉を前に俺の頭は間違いなくぐちゃぐちゃに掻き乱されてしまっていた。 いったい自分が何者なのか、己を見失ってしまうような不安があった。
次第に雨が強くなっていく。
外は暗く、地面はぬかるんでいて、この急勾配の山道を降るのは少し危ないような気もした。
しかし彼女を一人にしてよかったのだろうか。
スピカは心が弱く、一人だと自殺を考えてしまうような奴だ。
誰かが側に寄り添わなければ……
いや、もう俺には関係の無いことだ。
しょせんメタルスライムの俺が人間のスピカにしてやれることなど何もない。
スピカのことはフレイあたりに任せて、俺はもうここ数日のことは全部忘れてまた復讐の日々に戻ればいい。
そう思いながら雨でぬかるんだ地面を這って移動していると、どういうわけかスピカの小屋の方へ向かうフレイと、奴の同僚らしき数人の男達の姿を見つける。
何か用事でもあるのだろうか。
この雨だ、空の様子を見る限り嵐が来ても可笑しくない。
ノコギリやらなんやら大工道具を携えているあたり、きっと本格的に降りだす前に屋根の補強をしに来たとかそんなところなのだろう。
相も変わらず、親切な奴だ。
◆ ◆ ◆
なんだこの胸騒ぎは、どうしてまだあいつのことが気になっている。
あれからもう一時間は経った。
それなのに、この漠然とした不穏な感覚はなんなんだ。
この激しい雨がそうさせるのか、それとも……
気がつけば俺は来た道を引き返していた。
そうしてまた一時間かけてあの小屋の前まで来たが、俺の予想に反して屋根の補修をしている様子も形跡もなかった。
不信感が深まっていく。
奴らはいったいどこに消えた?
そもそも、屋根の補修でなければ何の用でここを訪れたんだ。
俺は窓からこっそりの中を覗こうとした。
するとそのとき、雨音に紛れ部屋の中から聞こえてくるスピカの悲鳴。
嫌な予感が確信に変わった。
俺はすぐさま窓を突き破って部屋の中へ入る。
すると、フレイを含めた先程の男達が縄に手を縛われ拘束されたスピカを取り囲んでいた。
そして俺が入ったときには、そのときにはもう手遅れだった。
服を引き裂かれ、顔を腫らし、気力を失い、男達の慰めものにされてしまっていたのだ。
「おまえら、何やってんだ……!」
「メ、メタルスライム!? どうしてこんな……」
「何してるって、聞いてんだよッ!!!!」
そこからはもう無我夢中だった。
有無を言わせないまま男達の首をはねていき、フレイも例外なく殺そうとした。
「殺す……!殺す……!」
「ヒッ……! な、なんだ化物、こっちくんな!!!」
フレイが後退しながら近くにあった椅子やら花瓶やらを投げつけてくる。
俺は怯まずゆっくりと近づいていく。
近づいて、追いつめて、刃を形成してそれを振り上げる。
「待って!」
けれどそのとき、他でもないスピカ自身がそれを止めようとする。震える手で涙ながらに訴えてくる。
「お願いマチュー、 彼を許してあげて……」
なんてことを、すがるように言ってくる。
「なんでだよ! こいつはおまえを裏切った最低なヤローだろうが! 父親と同じように今すぐ俺が殺して……」
「違う、これは仕方がないことなの…… 私がずっと自分の都合で彼を利用して苦しめたから…… だからこれは報いなの…… 彼は何も悪くない……」
「そんな、こと…… おかしいだろうがッ……!」
振り上げた刃を落とす。
これは優しさというにはあまりに胸糞が悪い。
けれどもうスピカの心はとうの昔に壊れてしまっていて、その思考はどこか狂ってしまっていて、けれどそれが今の彼女の本当の意思だから……
だから俺は、その願いに従うしかなかった。怒りもやるせなさも、胸の内にしまうしかなかった。
しかし、そのとき……
「ざっけんじゃ、 ねえ!!!!」
俺がやるせなさを覚えていた隙を突いて、フレイが金槌を取り出して力強く降り下ろしてきた。
「マチュー!?」
俺はそれを防御するでもなく直接受けてしまう。
それで俺が動かなくなったのを確認して、フレイはこんなことを口にしながらスピカに迫っていった。
「なんだよ…… ビビらせんじゃねえよ…… ビビらせんじゃねえぞゴルァァァァァ!!?!?!?」
「……っ」
「そうだろ、スピカ、おまえが全部悪いんだろうが……
二年、二年だ。 目が視えないおまえのためにあれこれしてやったのに…… おまえは表面上だけでこれっぽっちも心を開いてくれなかった。
おやっさんから、テメエの話さんざん聞かされてたからちょっと優しくすればすぐに股開いてくれるって思って近づいてたのによォ!!!! まったくとんだ甲斐性なしだぜ!!!」
「やめ、やめて……!」
「るっせえ! 一人じゃ襲う度胸もなくて仕方なく仲間呼んで来たけど…… こいつが殺ってくれて逆に助かったわ! おかげでこっからは独り占め出来るぜ! ヒャハハハハ!!!!!」
ふざけんなよ……
おまえはスピカの気持ちを踏みにじるのか……
スピカは、おまえが本当に自分のことを好いてくれていると思っていたのに……
だから迷惑をかけてばかりなのが申し訳ないって、自殺を考えるほど自分を追い込んで苦しんでいたんだぞ……
それがなんだよ、おまえはただ欲望を満たしたかっただけだったのか。 欲望が満たせれば誰だってよかったのか。
今だって、自分が悪いって、許してやってくれって、彼女はおまえに慈悲を与えようとしてくれたんだ。
それでなんで、なんでまだそんなことが出来る。
「……」
人間は、本当にどうしようもない種族だ。
なんでもないその表情の裏に、魔物なんかよりもさらに化物じみた醜い欲望と悪意を潜ませている。
そして人間に限らず被害を被るのはいつも心優しい奴で、正義はいつだって暴力を振るう側にある。
「やめて! 離して! 早く手当しないとマチューが!!」
「黙れ! まあどれだけ騒いだってこの雨じゃ助けなんてこねえよ。そういう日をわざわざ選んだんだからなァ!?」
なあスピカ、俺は今腹が煮えくり返りそうになるほどの怒りと憎しみを覚えている。
おまえはこれを、他人を想う心が強いからって言うのか?
……ああ、そうかもしれない。
なんだかんだ、俺はおまえのことが嫌いじゃなかった。
人間にも、マシな奴はいるんだなって思えた。
おまえは優しいし、おまえの作るメシは旨いし、明るくて、健気で、俺よりも俺を理解しようとしてくれた。
だから俺は、今から人間のために人間を殺す。おまえが正しかった。全部、全部、認めてやるよ。
「……死ね」
無防備に向けられたフレイの背中から心臓を突き刺す。奴は短く声を発して、そのまま項垂れては死んだ。
俺はそのままフレイを隅に放り投げ、体を変形させスピカを抱き抱えた
「マチュー……」
「わりぃ、我慢出来なかった」
「……そっか。 フレイ、死んじゃったんだね。 ……マチューは怪我はない?」
「あれくらいなんてことねえよ、俺はメタルスライムだ、……ぐっ!?」
そのとき、久方振りに感じる脱力感。十分に回復していないうちから戦闘を行ったのがまずかったのかもしれない。
これではまた俺は力を失い死の危険に晒されてしまうことは明白だ。
そしてそれを、スピカはすぐに察した。
察して、こんなことを言ってくる。
「……ねえマチュー、私を食べて?」
「は……? おまえ何を言って……」
「私、疲れちゃった。 もうこのまま眠りたいの。
それで、どうせ死ぬならマチューの役に立ちたい。
マチューの手で死んで、マチューの中で眠って、マチューの中で、同じ景色を視ていたいの……」
「……! だ、だめだ。 そんなのだめだ。 おまえはまだ生きている。 生きている限りは強く生き抜かなきゃいけないんだ」
「……でも、私が生きていたら周りに迷惑かけちゃうよ。 あの人達だって、フレイだって、私なんかいなかったら死ぬことなかった、のにっ……!」
おまえはいったい何を言ってるんだ。
どうしておまえはあんなクソ野郎のことなんか気にするんだ。
あんな奴ら、死んで当然だっただろうが。
そんな苛立ちを覚えながら、俺は説得を続ける。
「そんなことない、おまえは生きていい。 他の人間なんかよりおまえは優しい。
おまえみたいな奴こそこの世界で生きていかなくちゃならないんだ!」
「あは、嬉しいなぁ。 そんなふうに言ってくれるのはマチューだけだよ。
……でもね、やっぱりこのまま生きていてもいいことないよ」
「……」
言葉が出なかった。
そんなことない、生きていたらきっといいことがあると言いたかった。
けど、彼女の穢された姿を、男の醜い欲望に翻弄され続けたその生涯を前にして、どうやってそんなことが口にできるだろうか。
……いや、もしかしたらアイツなら。 魔族達に生きる選択を選ばせたカルラなら、こんな彼女にも希望を見出ださせることが出来るのかもしれない。
けど、俺はそういうものを一度捨てた。
希望や幸福なんてくだらないと吐き捨てた。
そんな俺がどれだけ励まそうとも、その言葉のどれもが彼女の心には届かない虚なものだとわかってしまう。
こんな俺には希望を口にする資格なんてないことがわかってしまう。
なんでだ。
なんで俺はこうも無力なんだ。
復讐だけに囚われてしまったが故に、こんなときに何も出来なくなってしまうのか。
今更になって後悔する。自らが降した決断が、ただの自己満足で逃避でしかなかったということを思い知る。
俺が、俺自身の心に向き合っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれないのに……
「なんで、なんで……」
「マチュー、泣いてるの?」
「バカヤロウ、メタルスライムはおまえらと違って泣いたりしねえよ……」
「んー、どうかなぁ。 目が見えたら確かめられるのになぁ」
こんなときでも彼女は明るく振る舞おうとしていた。
敢えてそうしているのか、もはや癖と化してしまっているのか。それはわからないが、次第に彼女は大人しくなって、いつでもどうぞと合図を送ってきたような気がした。
だから俺も、意を決して彼女の願いに応えようとする。
「……じゃあな、スピカ」
「うん、ありがとマチュ───」
なるべく楽に逝けるようにしたつもりだ。
俺の中がスピカによって満たされていく。
経験値となって俺の中に入ってくる。
それでなんとか体が動かせるようになって、活動できる時間が増えた。
この残された時間を、スピカがくれた時間を使って成さねばならないことがある。
勇者達との決着。
いや、それ以前にケリをつけねばならなかった因縁の宿敵。
俺はそいつに会いに行く。
もう目を逸らしたりなどしない。 こんな想いをすることも、こんな失敗をすることも、二度とあってはならないんだ。
ご覧頂きありがとうございました。