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131. メタルスライムと少女と③


 ああ、困った。

 

 困ってしまった。

 

 まさかあのフレイとかいう男が持ってきた石がここまで不味かったなんて。

 

 こんなもん繰り返し食べてたら体力が回復するどころか気がおかしくなりそうだ。

 

 かといって他に食べるもんもないし……

 

 

 今目の前でスピカが食べてるスープは毒の可能性があるし……

 

 あああ…… 困ったなぁ……

 

 

 そんなふうに空腹に苛まされていると、こちらの様子に気がついたスピカが皿を持って近づいてくる。

 

 「ね、ねぇマチュー? その、今日のスープはこの間のよりも美味しく出来たと思うんだけれど…… ちょっとだけ、一口だけでいいから味見してみない……?」

 

 また断れるのが怖くて、恐る恐るといった様子のスピカ。

 ちらっと皿の中を覗いてみると、湯気の向こうにたっぷりの肉と野菜が盛られたスープがよそわれていた。

 

 「いや、俺は石だけで……」

 

 

 ───ぐぎゅるる。

 

 

 断ろうとしたそのとき、俺の本心を代弁するかのように腹が鳴る。

 

 「ッ! 違っ、こ、これは……!」

 

 誤魔化そうともしたが、もう全てが手遅れ。

 

 

 「フフッ、はい! めしあがれ!」

 

 スピカはクスリと笑ってそのスープを差し出してきた。

 

 「……いただきます」

 

 理性が空腹に負けて俺は一口それをすする。

 

 

 「うまい」

 

 毒かないか吟味して、溢れ出た感想はそのようなもの。

 

 そんな俺の言葉を聞いて、横で見守っていたスピカが花のように笑う。

 

 「ほんとっ? おいしっ?」

 

 「ああ、旨いよ。 おまえやるじゃねえか」

 

 食事のスピードが加速していく。気がつけば犬のように貪り食っていて、おかわりまで要求していた。

 

 もちろん毒なんてなかった。

 

 本当にただ旨いスープ。

 

 ずっと疑っていたのが馬鹿らしくなった。

 

 

 そうしておかわりも平らげたところで、カス一つ残らなかった皿を見てスピカが言う。

 

 「なんかいいね! こういうの!」

 

 「なんかって?」

 

 「誰かのためにご飯作るってこと!」

 

 こちらが抱いていた考えなんてまるで知らないと言った様子で、スピカはひたすらにはしゃいでいた。

 

 

 

 それから数日間、俺は回復するまで彼女の世話になり続けた。

 

 その間、スピカはこれっぽちも俺に手を出すようなことをしなかった。

 どうやら、自分の父親の仇が俺であることには気がついていないようで、屈託のない笑顔を、最大級の慈愛と善意を俺に施してきた。

 

 

 俺は複雑な想いだった。

 

 最低なことをしている自覚があったのだ。

 

 告げるべきであろう真実を、俺は己が生き延びるために隠している。

 スピカの純粋な優しさを踏みにじる行為を今もなお行っている。

 

 こんな感情ははじめてだった。

 

 他人を、ましてや人間なんかに後ろめたさを感じるのは今までの俺ではあり得ないことだ。

 

 

 このままじゃあ、俺は自分を許せそうにない。死んでいった皆に会わせる顔がない。

 

 らしくもなくそんなことを考えてしまった俺は、とある日の夜に彼女に話があると声をかけた。

 

 

 「どうしたのマチュー?」

 

 「俺はずっとおまえに隠していたことがある。……二年前におまえの父親を殺したのは、俺、なんだ」

 

 「えっ……?」

 

 自責の念から俺はとうとう告白した。

 

 当然、スピカは驚くような顔を見せる。

 

 

 「あの日、俺は狩人に追われて身の危険を感じた。 だから、やむを得なく……」

 

 

 ああ、俺は今どうしてこんな弁明するかのような言い方をしているのだろう。

 最初に仕掛けてきたのは人間の方で、俺はそれに応じただけのはず。

 

 決して責められる覚えなんてない。 以前の俺ならば間違いなくそう吐き捨てていただろう。

 

 それが、どうして……

 


 

 「……んっ、そっか」

 

 

 一瞬空耳かと思った。

 

 返ってきたのは想像していたよりも数段静かで淡泊な反応。

 

 それがどうしても理解出来なくて俺は問う。

 

 「そっか、て…… 他に何かないのか……? 俺はおまえの父親の仇なんだぞ?」

 

 「わかってるよ。 けど、それ以上の感想はない、かな…… 強いて言えば、正直に言ってくれてよかった」

 

 こんな話をしているにもかかわらず、彼女は怒るでも悲しむでもなくただ事実を受け入れる。

 

 俺にはやはり理解出来なかった。

 

 家族が殺されて、その仇が今こうして目の前にいる。

 だというのに何も行動を起こさず、あまつさえ思考も感情も放棄する。

 

 俺だったらなんの躊躇いもなく殺しているのに……

 

 

 「なんでだっ! おまえは何とも思わないのか!」

 

 「変なこと言うんだね。 殺したのはマチューなのに」

 

 

 皮肉るようにスピカが笑う。

 

 彼女の本意は未だ掴めないが、俺は臆することなく続ける。


 「おまえは…… おまえは俺が憎くないのか!?」

 

 「うん、憎くなんてないよ」

 

 「!?」

 

 そこでやっと思い知る。

 

 彼女は堪えているわけでもなんでもなく、ただ純粋にそう思っているということを。

 

 考え方が俺とは根本的に異なっているんだということを。

 

 俺が何も言えずにいると、彼女はこんなことを言い出す。

 

 

 「私さ、お父さんのこと嫌いだったんだ。 お母さんが死んじゃって、お酒に逃げることが多くなって……

 私が12のときだったかな? 夜にね、酔ったお父さんが私のベッドに入ってきて…… その、ひどいことされたの」

 

 自分の腕を掴みながら話す彼女は少し震えていた。

 忘れたい過去だったのだろう。どうしようもなく辛い出来事だったのだろう。

 

 

 そして彼女は次のように続けた。

 

 

 「それでね、それが何年も続いたの。 私と死んだお母さんを重ねて、酔っていても、そうでなくても、何度も何度もひどいことされた」

 

 そんな話、俺はにわかには信じられなかった。

 

 なぜなら家族というものはかけがえのない存在で、親というものは自分の子供を守る存在でなければならないと考えていたからだ。

 

 それは俺が昔親父にそうしてもらったから、それが当たり前なのだと思っていた。

 

 それなのに、このスピカという少女の父親は自分の娘を自分の欲望のままに傷つけたのだという。

 

 俺はもう、その言葉の続きを聞きたくはなかった。

 それだけのことがわかっているなら、もう彼女が父親の死を悲しまない理由なんてわかりきっている。

 

 だけど、俺の意思に反して彼女は締めくくるように最後こう言った。

 

 

 「だからね、私お父さんが死んだのはよかったと思ってるんだ」

 

 

 それが彼女の過去。

 

 受け入れがたい事実ではあるが、それを踏まえると今まで抱いていた疑問が全て解決されてしまう。

 

 あれだけ世話になっているフレイの好意を拒むのも、素直になれないだとかそんなことではなくて、彼女にとって男という生物を信用しきることが出来なかったからだ。

 

 「はじめて貴方に出会った日、もしマチューが魔物じゃなくて人間の男の人だったら多分私ほうっておいたよ」

 

 なんてことを、聞いてもいないのにスピカは言う。俺がずっと気になっていた、しかし今は知りたくもない己の心の闇をまざまざと見せつけようとする。

 

 きっと、変に情がうつってしまっていたからだろう。俺は返す言葉に困っていた。

 

 自分から聞いておいて、予想外の返答にかける言葉が見つからない。

 

 そして俺は何を血迷ったのかこんなことを口にする。

 

 

 「……おまえ、そんな状態でよく今まで生きていられたな」

 

 

 俺は魔物だ。人ではない。

 

 ゆえに人の持つ感情を理解しきることは出来ないし、本来そうする必要もない。

 

 しかしこれはあんまりだ。

 

 これじゃあまるで死んだほうがいいと言っているようなもんだ。

 

 言ってすぐに後悔したが、それでもスピカは笑ってこう言う。

 

 「死のうとしたよ。何度も、何度も。 自分一人じゃ生きていられなくて、フレイに迷惑ばかりかけて、でも私は彼に何もお返し出来ないから、こんな奴は生きる価値がないってずっと思ってた。

 不思議に思わなかった? マチューを見つけた日、どうしてあんな森の中を私が出歩いていたか」

 

 「どうしてって、おまえまさか……」

 

 「そっ、実はあの日身投げするつもりだったんだ。 そのとき倒れているマチューを見つけて、どうしてかわからないけど気づけば必死になって手当してた。

 それで思ったんだ。 私まだ生きていてもいいのかなって」

 

 彼女はやはり少しはにかみながらそう答えて、一拍置いて最後にこう付け足した。

 

 

 「だからね、マチュー。 お父さんを殺したからって謝るようなことしなくてもいいし、自分を責める必要もないの。

 むしろ、貴方は私に生きる意味を与えてくれた恩人。 私は感謝の想いしかないんだよ」

 

 

 受け入れがたかった彼女の言葉が、時間が経つにつれてわかるようになってくる。

 

 そういう人間もいるのだと、割り切れてしまう自分がいる。

 

 だから俺はもうそれ以上追求するのはやめて、ただ一言大変だったなとだけ返事をした。

 

 そうしたら、彼女は突然こんなことを言い出してくる。

 

 

 「はい! それじゃあ次はマチューの番!」

 

 「……は?」

 

 「は? じゃないよ! 私にこれだけ自分の話させたんだからマチューも昔の話してくれなきゃ不公平でしょ!」

 

 「おまえ…… まさか最初からそれが目的で……」

 

 「今更気づいたってもう遅いもーん!」

 

 

 しばらく悩み、数秒の後に観念して俺は自身の生い立ちを語った。

 

 

 勇者達に仲間を皆殺しにされたこと。

 

 その一生を復讐に捧げたこと。

 

 けれどそれは叶わず、死んで皆に会えると思っていたら神に出会い転生するハメになったこと。

 

 それで前世とは異なり十分な力を手に入れ、これで本当に復讐できる、醜い人間共を滅ぼすことができると思っていたらもう少しのところで邪魔されたこと。

 

 その邪魔をしてきた奴が他でもない俺が目覚めるまでの中継ぎでしかなかったはずの転生体であるカルラだったこと。

 

 奴は仲間との繋がりを重視するどうしようもなく甘い奴で、根本的に反りが合わなかったから、だから俺は見切りをつけ離反したこと。

 

 それで今度こそ復讐出来ると思ったのに、どういうわけか体が言うことを聞かなくなって何度も死にかけたこと。

 

 俺がスピカの父親を殺したときのことも、全て隠さずこと細かく話した。

 

 

 「……どうだ。 これが俺の正体だ。 人間達にとってはまさしく化物、悪意の塊なのさ」

 

 

 スピカも相当に闇の深い人間だが、俺だって負けちゃあいない。

 これで彼女も俺のことが怖くなっただろう。 嫌いになっただろう。

 

 そんなことを思いながらスピカの言葉を待っていると、彼女はとんでもないことを言い出した。

 

 

 「マチューは優しいんだね」

 

 「はあ!?」

 

 「びっ、びっくりしたぁ~、そんな変なこと言ったかな……」

 

 「言っただろ……! この俺が優しい……? いったい何を聞いたらそういうことに…… おまえ俺の話ちゃんと聞いていたか!?」

 

 「ちゃ、ちゃんと聞いたよ? けど私は今の話を聞いて、マチューは優しい、他人想いな魔物なんだなって思ったよ」

 

 「意味がわからん! そう思う根拠を示せ!」

 

 「え、だってマチューは転生してまで勇者様を倒そうとしているんでしょ? 私だったらそんなの出来ないよ」

 

 「なんでだ。 倒せるだけの力と相手がぶっ殺してやりたいほど憎いって想いがあったら出来るだろうが」

 

 「んー…… 私はそうはならないかな。さっきも言ったけど、私はお父さんが魔物に殺されたって知っても何とも思わなかった。

 マチューがそれだけ復讐を頑張ろうとできるのも、相手が憎いって思えるのも、亡くなった皆のことが大好きだったからじゃないの?」

 

 「なんだよそれ…… それじゃあ俺がまるであいつ、カルラみてえじゃねえか」

 

 「うん、聞けば聞くほど二人はそっくりだと思った」

 

 俺の問いかけにスピカはそんなふうに答える。

 

 全力で否定したいのに、感情論抜きでそれが出来そうにもないことに歯痒さを覚える。

 

 「マチューはその、カルラ? って人格を復讐のために切り捨てたって言うけどさ、他人を想う心無しで復讐なんて出来ないと思うよ」

 

 「けど、俺はちゃんとギーグバーンを……」

 

 「うん、だからきっと切り捨てたつもりでまた芽生えちゃったんだろうね。 自分のためだけじゃない、誰かのために闘うって想いが。

 だってマチューは殺された皆だけじゃなくて他のメタルスライムの生き残りを守るために戦っているんでしょ?」

 

 「な、なにを……」

 

 「そうとしか思えないよ。 だってただ勇者様に復讐するだけだったら他の人間を相手に大暴れする必要ないもの。

 マチューは、自分が派手に暴れてみせてメタルスライムは怖い存在だって印象づけたかったんじゃないの? だってそうなったら人間はメタルスライムに手を出そうなんて思えなくなるもんね」

 

 「そんなことない。 俺は一人だ。俺は孤独だ! 俺は俺の復讐心のためだけに戦っているんだ! 誰かのためになんて感情で動いていたら復讐なんて出来ないから、だから俺はあいつを切り捨てて……」

 

 「……前世で復讐出来なかったのはそういう理由?」

 

 「違う! そんなわけがあるか! ……なんなんだよおまえ! ちょっと話しただけで何でもかんでもわかったつもりになりやがって! 少しでも心を許した俺がバカたった!」

 

 俺は思わず怒鳴り立てて、勢いのまま外へ出ようとする。

 

 「……っ! 待って、どこに行くの!」

 

 「……もう十分に回復した。 世話になったな」

 

 「だ、ダメだよ、あと二、三日は安静にしておかな……」

 

 相手の言葉を聞き届ける前に飛び出す。

 

 外は雨が降っていた。

 

 激しくはない、とても静かな雨だった。

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