120. 一人と二人
「まだだ、まだ終わっていない……」
真夜中のドランジスタをさまよう一つの影。
底知れぬ執念、尽きることの無い悪意。
間も違いなくカルラに葬られたはずのアベルは、肉体を失っても尚魂だけの状態で生きながらえていた。
「こんなときのために依り代を用意していんだ…… どこだ、どこにいる……!」
さらに時が過ぎ荒廃の一途を辿るドランジスタ。
かつてパージェスと呼ばれていた大国はマチューの進撃が原因で既に人一人いない廃墟の街と化していた。
故に本来ならその国にいるはずの、アベルが探し求めていた人物はもう他のどこかに移っていると思われた。
だがどういうわけかその男は一人、城のバルコニーで佇んでいた。
「見つけた……!」
もうアベルに肉体はない。故に表情も何もあるわけがないが、目当ての人物を見つけた彼は間違いなく邪悪な笑みを浮かべていた。
アベルは真っ直ぐその男のもとへ近づいていく。
気づかれないように、背後に周りゆっくり慎重に……
「そろそろ頃合いだと思っていたぞ」
「!?」
だが、まるで最初から全てを見透かしていたかのように、紅髪の男は振り向きながらその冷たい声を発した。
「なぜだガウス……!」
「なぜ? 貴様程度の企みに俺が気づかないとでも思ったか?」
「なんだと……!」
「にしても見たところこっぴどくやられてしまったようだな? いったい誰にやられた?」
「知ったところでどうなる……? おまえの体は今から私の物になるというのに……」
「……フッ」
「何が可笑しいッ!」
「いいや? まるで状況を理解出来ていない貴様が哀れになってな」
「ふざけるな! 私に利用されていた分際で……」
ガウスの肉体を乗っ取ろうとアベルが飛び出す。
しかしそのとき迎え撃つ一振りの白刃が彼を斬り裂いた。
「ば、ばかなぁ……」
そしてアベルは呆気なく消滅した。
もう二度と、彼が蘇ることはない。
散りゆく残滓をつまらなさそうに見つめながらガウスが呟く。
「利用されていた? 知ったことか。 最後に笑うのは俺だ」
抑揚の無い声で発せられたその言葉の裏には何か決意めいたものを感じさせる。
例え国を滅ぼされようが、勇者の資格を失っていようが。
彼はまだ諦めてはいなかった。
その目的を、その野望を、その悲願を。
カルラやアベルだけでなく不屈の精神を持つ者はまだここにいたのだ。
紅蓮の眼が曇天を睨む。
◆ ◆ ◆
「……」
夜空の星が色濃く光るハクバカの森。
俺は一人、何をするでもなくただただ黄昏ていた。
「こんなところにいた」
そのとき、後ろから聞こえる透き通った少女の声。
振り返ると、あまり元気の無さそうに見えるビスタの姿。
「どうしたんですか? こんな夜更けに」
「カルラ君がいつまで経っても戻って来ないから。もしかしてと思ってポロンロに聞いてみたの」
「……なるほど」
「……となり、いいかしら?」
「……どうぞ」
俺が許可して、ビスタはゆっくり静かに腰をかけた。
「……お師匠さんのこと、残念だったわね」
「……はい」
俺の心情を察してか、ビスタが切り出した話題はそんなことだった。
だけど、どうやら俺の心はまだけじめがつけていられなくて、彼女の言葉に上手い返しをすることは出来なかった。
そんなとき、彼女は星空を見上げながらこんなことを言い出す。
「私ね、ずっと気になっていたの」
「気になっていた?」
「うん。 カルラ君はどうしてそれだけの覚悟を持つことが出来るんだろう。 どうして、そこまで人として強いんだろうって」
「それは……」
「それは、あのお師匠さんがいたからなのね。 精霊術だけじゃない。生きていく上で大切なことをあの人がたくさん教えてくれたから。だから、カルラ君はカルラ君になれた」
「そう言ってくれると、師匠も浮かばれますよ。
でも、あの人本当に気難しいんですよ。はじめて会ったときだって、騙すようにイヤリングをつけるよう言ってきて……」
まるで恨むような俺の言葉。けれど、俺はそのときロロから聞いた話を思い出した。
あのとき師匠が俺にイヤリングをつけさせたのは、俺をマチューから守るためだったってことを。
そんなことを思い出してしまうと、冗談でも師匠のことを悪く言う気にはなれなくなってしまった。
「……そういえば、もうそのイヤリングは力を失ってカルラ君は自由に話すことが出来るのよね? 今までどおりでいいの?」
「……ええ、もともと乱暴な言葉を使いたがっていたのはマチューですから。それに……」
「それに?」
「それに、こんなまどろっこしい話し方ですけど、師匠と私を繋げてくれる証なのかなって思ってしまって、やめるにやめられないんですよね」
「そう? 私はいいと思うけどな」
「え?」
「私は好きよ、その話し方。カルラ君の優しい人柄に合ってて」
「……ありがとうございます」
なあ師匠。
今隣にいる女の子、言いそびれたけど俺はこの子のことが好きなんだ。
昔話したことあるっけ、俺の将来の夢。
素敵な女性を見つけて、その人と半生を共にするなんていう、夢って言うにはちょっとどうなのよって感じのあれ。
あのとき師匠は笑わずに立派な夢だって言ってくれたよな。正直嬉しかったよ。
それでさ師匠。俺この間この子から告白されたんだ。
びっくりだよな。こんなかわいい子が俺のこと好きだって言ってくれたんだぜ?
今はまだ、色々あるから返事出来てないけど……
だけど、俺はそう遠くない内に返事をする。
よろしくお願いしますって言うと思う。
結婚とか、そういうのはまだわからないけど、だけど今は本気でこの子と一緒にいたいと思っている。
こうなったのもさ、全部師匠のおかげだよ。
師匠が励ましてくれたから、悩む俺に道を指し示してくれたから、だから俺は少しづつだけど幸せに近づいていってるよ。
出来れば師匠には俺のこれからも見届けて欲しかったけど……
おめでとうって言って欲しかったけど……
けどあんた死んじゃったもんな。俺が焼いちゃったもんな。
「……」
……なあ師匠。 どうしよう、俺今泣きそうだよ。
女の子の前でさ、カッコ悪いところ見せそうになっているよ。
やっぱ俺ダメだわ、師匠みたいに強くなりきれねえ。
今もずっと心がぐらついているんだ。自分が自分じゃないみたいなんだ。
だから師匠、こんな俺を叱ってくれよ。
バカもん! って、いつものように俺のことを怒ってくれよ……
「ビスタ、ごめんなさい…… 私は今まで何もわかっていなかった……」
「え?」
堪えきれない想いを解き放つように俺は言葉を紡いだ。
すると少しだけ困ったような、あるいは驚いたような顔をするビスタ。
「貴方の言ったとおりです。 大切な人が亡くなったときの気持ちがこんなに辛かったなんて知りもしなかった……!」
嗚咽を漏らしながら答えると、ビスタは静かに首を横に振った。
「……けれど、あのとき私はカルラ君がいてくれたから立ち上がることが出来たわ。 それはやっぱり、無駄なことなんて無いってことじゃないかしら」
「そんなこと……」
「そんなこと、あるのよ。 カルラ君はそう思えなくても、私は貴方に感謝している。
……だから、今度は私がカルラ君に寄り添う番。 教えて、カルラ君の今の気持ちを」
「私の気持ち…… けど、そんなの……」
「何を聞かされたって構わない。 私は貴方の全てを受け入れるわ」
そう言うビスタの表情はとても真剣なものだった。
普段の悪戯な笑みで人を惑わす彼女とは似ても似つかない真剣な表情。
彼女は今、本気で俺の話を聞こうとしてくれている。
だから俺は、勇気を振り絞り声を出した。
今回の戦いを、師匠の死を通して得たことを、包み隠さず伝えようとする。
「……マチューの気持ちが、今ならよくわかるんです」
「……」
ビスタは口を挟むことなく黙って聞いてくれる。
「大切な人を、長い時間を共に過ごした人が他人に殺されて、その相手が殺してやりたいくらいに憎くて憎くて……
そういうマチューの感情が、一つだったあの頃は理解することが出来なかった。けど、師匠を失い、アベルと戦っているときに気づかされたんです」
そのとき、俺はあの戦いのときのことを思い出していた。
アベルが儀式に用いるために集めていた人々の負の感情。
奴の話では怒りや悲しみ絶望や恐怖、そして憎しみなどが視覚化されるようになってあの黒い障気になるらしい。
俺はそのとき気づいてしまったんだ。
アベルと戦っているとき、あのとき間違いなく俺から障気が生み出されていた。 俺は間違いなく憎しみの心で戦っていた。
そして、奴を倒したとき、俺の心の内がすっとする感覚があった。
もし、今も奴がのうのうと生きていたら。俺の心の中はぐちゃぐちゃに掻き乱されていたことだろう。
「復讐する意味が今ならわかる。 マチューが人間達をあれほどに憎んでいる理由が痛いほどわかってしまう。
あれほど強く言い切った信念が、彼を否定し続けた感情が、今になって揺らごうとしているんです……!」
俺は噛み殺すような声で想いを告げた。
こんなことを彼女にいったところで困らせてしまうだけだとわかっていながらも声に出してしまった。
返ってくる反応が怖い。
けど、俺の予想に反してビスタは空を見上げながら優しい声音で返してきた。
「それは、必ずしもダメなことなの?」
「……!」
「お師匠さんが言ってくれたのでしょう? この世に無駄な時間なんてないって、大切なのは己の声から逃げないことだって。
それなら、カルラ君が色んな物事を吸収して考えが変わることは決して忌避するようなことじゃないんじゃないかしら」
「けれど、それは今まで自分を否定することになるんじゃないですか?」
「それは違うわ。 例え間違いだったのだとしても、その間違いがあって今がある。 きっとそれすらも私達には必要なもの。
正しくあり続けるなんて誰にも不可能だわ。 ときには己の間違いを認める勇気だって必要よ」
「……」
ああ師匠。
俺本当に今まで頑張ってきてよかったよ。
こんなふうに本気で自分に向き合ってくれる。自分の気持ちを理解してくれる。悲しいこと幸せなこと何でも共有出来る。
一生涯でそんな人に出会える人間は世界中にどれだけいるんだろうな。
「ビスタ…… ずっと私の側にいてください……」
「もちろんよ」
そっとビスタが俺に身を預ける。
彼女の体は暖くて、俺の心が解きほぐされるような感覚があった。
だから俺も、その温もりに心を預けた。
立ち上がって、前を向いて、明日を強く踏み出すために。
ご覧頂きありがとうございました。