118. 悪逆の果て
甲高い金属音を奏でながら両者の剣が交わる。
先制したのはアベル。
彼の剣は一直線に俺へと迫り、避けきれなかった翼へと命中する。
「ぐぅ……!」
「どうした勇気の精霊、もう終わりか!」
「そんな…… わけ!」
己の力を誇示するように、俺は翼を激しく燃やす。
すると傷はたちまち消え失せ、もとに戻ってしまう。もっともそれは見た目だけの話、ダメージまで回復したわけではない。
「ゼアッ!」
だが、俺は奴が油断している隙を突いて腹を狙う。
それは微かに、しかし確実に奴の脇腹を切り裂いた。
「こしゃくな……ッ!」
霊体化による回避で見た目に変化は見られない。だが、その霊体化もノーコストで出来るわけがないはずだ。
その証拠に、アベルは多少なりとも魔力を消費しているようだった。
「これで終わると思うな!」
「!!」
その勢いを取り逃さんと、俺は突撃してアベルに掴みかかる。
そのまま飛行状態に入り、空中から足場に叩きつけようとする。
「うぉぉぉぉぉ!!!」
しかしそこは俺がやって来たときに空いた穴があるだけ、故に俺達は猛スピードで下層へと落下していく。
俺が空けた穴を何度も通過し、やがてまだ無傷な床も見えるが構わず突き破っていく。
「ぐはっ……」
頂上からの急降下。
その衝撃は凄まじく、流石のアベルも悲鳴を上げた。
それから俺は、アベルの上に跨がったまま何度も顔面を殴りつける。
拳に炎を付加させて、心に怒りを、まごうことなき殺意を巡らせて奴の顔面を何度も何度も殴りつけた。
「どうしてだアベル! おまえは大切な人を失う悲しみを知ったはずだ! なのにどうしてそこにいる! どうして、憎しみだけを糧にしてしまったんだ!」
俺はアベルに問いかける。
「それが私にとっての誓いだったからだよ! ラウディアラの亡骸を抱えたとき、私は誓ったのだ! 必ず彼女を蘇らせる、その目的を忘れないためにこの怒りの感情を失ってはならないと!」
「それはあまりに残酷じゃないのか! なぜそこまでして自分を追い込む! 私には、理解出来ない!」
「わからんだろう……!ああ! わからんだろうなおまえには!
この闇は私だけの者だ、おまえのような青二才に理解されてたまるものか!」
「ああそうですね、私だってわかりたくもない!」
吐き捨てるように、拳を組み合わせて振り降ろす。
「!?」
しかしその一撃は奴を捉えない。
アベルは霊体化して俺の拘束から脱出し背後に回っていた。
「カルラ・セントラルク! おまえの言動は一々勘に障るよ!」
奴は異空間の穴を出現させ、そこに手を突っ込む。
すると不思議なことに奴の腕が俺の間近に出現した。
それは1本だけではない。
肩、脚、咽、頭、俺のあらゆる部位を何本もの腕が掴みかかってきた。
「さっきは軽々と払い除けていたが、流石に直なら苦しいんじゃないか!?」
そう言って、幾つもの手から呪詛が流れ込んでくる。
「こんな、ものっ……!」
俺はそれを必死に堪えようと全身に力を込めた。
そんな俺を、アベルは愉快に笑って見物しながら語りはじめる。
「なあカルラ。私はね、ただ彼女が側にいてくれるだけでよかったんだよ。 笑ってくれるだけでよかったんだよ。
それを、たった一つのささやかな幸せすらもあいつらは私から奪ったんだ」
「だから、なんだと言うんだッ……」
「つまりこの世に善悪なんてものは存在しないということだよ。
皆、何かを奪いながら生きている。空気、資源、居場所。それこそ命だって、人は奪わないと生きていけない」
「だからこそ、人は日々感謝しながら生きるのだろう。私は師匠からそう教わった、おまえは違うというのか!」
「ああ、大昔にそんなことを言われた気もするが、じつにくだらない論理だ。
感謝なんて必要ない、善悪の価値観も必要ない。なぜなら、強者が何かを奪うのは当然の権利だからだ!」
「だとするなら、敢えてその理屈に従うなら、500年前師匠達に敗れた時点でおまえ達はもう終わっているはずではないのかッ!?」
「何をバカなことをッ、私が奪われる側の人間だとでも言いたいのか?
思い出せよ、私はさっきヨルンを倒したんだ。その無様な最期を嘲笑ってやったんだよ!
どこをどう見たって、私こそが勝者だろう!」
アベルが高笑いを上げる。
醜い醜い笑顔で空を仰ぐ。
やはりそこには人としての心は感じられなくて、奴の言うことを認めてはダメだと自分の声が聞こえてくる。
「ふざける、な……!」
震える怒りを力に変えて解放する。
それに応じて全身から炎を発現する。
するとアベルの手はその熱に、あるいは俺の持つ特異な力に耐えきれなくなって離すことを余儀なくされる。
「ちっ! ……なら、こうするまでだ!」
体内に直接侵入してきた呪詛を焼き払うのに、結構な力を消費した。
おかげで術に掛かる心配は無くなったものの、思うように動くことが出来ない。
アベルはその隙を狙い突撃してきて、俺を押し込むと同時に次元の穴を出現させた。
「なにっ……」
「おまえの考えなんてお見通しなのだよ!」
俺達はその勢いのまま穴へと吸い込まれていく。
次に見えた光景は、先程まで戦っていたオベリスクの頂上だった。
「カルラ君っ!」
どうやらビスタや大精霊達も俺の予想通りそこにいて、あの巨人との戦いはまだ続いている。
と言っても流石は大精霊。かなり優位に立ち回っているようだ。
しかし他人心配している場合ではないな。
さっき力を使ったので消耗が激しい。
しかも先程のアベルの言動。俺の目論見がバレてしまったのだろうか。
「はぁ、はぁっ……!」
「小細工はやめておけカルラ・セントラルク。
仲間の声が届く場所の方がおまえも本気で戦えるだろう? さあ続きといこう。おまえと私、どちらが勝者かを決めようじゃないか!」
アベルは笑う。愉快に笑う。それはまるで平静を装っているようで、自ら道化を演じているかのようで、やはり俺の目に映る奴の姿はひどく痛々しかった。
だから俺は、相手が笑っていても同じように笑う気にはなれなかった。
「わかってない、何もわかってないよおまえは……!」
「なにッ?」
「人が死んでいるんだよ……! 今、世界中で何人も! 私の、誰かの!大切な人の命が失われている!
命が消え行く戦いに、勝者も敗者もあるか! こんな戦いが起きた時点で、俺達は皆敗けているんだよ!
強者なら! 本当に強いのならこんな戦いを起こしはしない!」
俺は翼から無数の羽を飛ばして攻撃した。圧倒的な手数を前に、アベルは防御がままならずモロに受けてしまう。
そんなアベルは、体中から血を流しながら必死に反論しようとする。
「その思想が"弱い"と言っているのだよ!!!」
その一声と共にアベルが黒い波動を放った。
波動は螺旋を描きながらこちらに迫って来る。空間を呪いながら襲いかかってくる。
「ならこの一撃でいやでもわからせてやる! 心現せよ〈不動剣・倶利伽羅〉!!!」
瞬間、俺の手の内に炎が集まる。それは揺めきながらも形状を変化させ、俺の意思に応じて灼熱の炎刀へと化した。
「ハァァァァァ!!!」
腰に構え、振り抜き一閃。
凝縮された聖なる火炎が、迷うことなく黒を切り裂きながらアベルに直撃する。
「ぐぁぁぁぁぁぁ!!!」
それはアベルの身を横真っ二つに切り裂き、切り裂いた箇所から金色の炎が燃え広がっていった。
「おのれぇぇぇぇ!!! よくも、よくも!!!
だが、重要なのはラウディアラの復活だ! 予定ではもう少しで……」
身を裂かれ、上半身だけになったアベル。
彼は足を失っても宙に浮いて俺と同じ目線で言葉を発していた。
「残念ながら、そうはならないですよ」
そんな奴に、言いつける。
「なにをっ…… な、なんだこれは!? いったい何がどうなって!?」
状況を理解したアベルが驚きの声を上げた。
先程まで空間を漂っていた黒い障気が薄れてきてしまったのだ。
「そんなバカな! 確かに人間達から吸い上げていたはず……! ドゥームレイダーはいったい何をやっているんだ!?」
「彼らはもういません」
「なに!?」
「気づきませんか? 先程までいた者が一人、ここにいないことに」
「さ、晒葉渧位……!」
アベルが口にしたとおり、巨大アンデッドとの戦いを終わらせた大精霊の中で一人、清伐の力を有する晒葉渧位だけ姿が見えない。
俺達がオベリスクの下層で戦っている間、彼女は世界を周りドゥームレイダー達を浄化しに回っていたのだ。
もう、邪神の復活を促進させるような要素は何一つ残っていなかったのだ。
一見、勝負は決したかのように見える。だが奴はまだ諦めずにいるよう。
「いいやまだだッ!」
そう言ってアベルは動き出した。
その先には、大精霊達を相手に敗れ崩れ落ちようとしていた超巨大アンデッド。
「!!」
次の瞬間、アベルは口を大きく開いて息を吸った。
するとどういうわけか、アンデッドの周囲を渦巻いていた障気、いや、アンデッドそのものが吸収されてしまったのだ。
「死霊術に不可能ナシ……! 彼女がくれたこの力は、決してお前達などに敗けはしないのだァァァァァァ!!!!」
そのときのアベルの姿はもはや人と形容出来るようなものではなかった。
漆黒色の障気が集結した、男性の顔面を象っただけのナニか。
絶命寸前な者同士の融合。それはあまりに不完全で、あまりに不確かで曖昧な結果をもたらしていた。
だが、有する力はとてつもなく凄まじい。
奴の叫びはもはや咆哮と化していて、〈緋血布の巨人〉を遥かに凌駕する呪力を持っていたのだ。
「皆! 心をしっかりもってください!」
仲間達にバリアを張りながら、俺はそう声を掛けた。
だが、その余波だけでも人一人を呪い侵すには充分。
急がなければ彼女達に危険が及んでしまうのは必至だ。
「ならば一撃で決めるまでだッ!!!」
アベルに向かって飛翔し、その勢いのまま二振りの炎刀を生み出す。
「拔印照剋!」
そして斬り放たれる渾身の一撃。
「ククク……」
だが、それでも奴を仕留めきるには至らない。
想像以上のパワーアップを遂げたアベルに、俺はほんの少しだけ焦りを覚える。
「どうすることも出来ないか? ならばそこで大人しく見ておけッ!」
「!?」
突如、アベルが姿を眩ませる。
どうやら瞬間移動を行ったらしい。
ならばと俺は奴の邪悪な気配を探り後を追って移動した。
するとそこはオベリスクのすぐ側。
アベルはそこから、あのおどろおどろしい咆哮を轟かせていた。
つまり、駆逐されたドゥームレイダーに変わって自分が世界を恐怖に染め上げてやろうと企んでいるのだ。
もうリデリアの方からは障気が天に上りはじめている。きっと街の者は呪い侵されてしまったに違いない。
「くっ……!」
闇雲に攻撃しても仕方がない。
次の一手を考えながら様子を見るが、やはり時間はあまりに残されていないようだ。
世界中のあちらこちらから障気は溢れだして来ていて、それは空に溜まり文字通りの闇雲と化していた。
まるでドランジスタのように退廃的な空気感。
「アッハハハハハハ! 素晴らしい光景だ! この破滅的光景こそ、ラウディアラを出迎える舞台に相応しい!」
「そうはさせるかぁぁぁぁぁ!!!!」
相も変わらず狂ったように笑う人外と化したアベル。
もう四の五の言ってはいられないと、俺はアベルに向かって激しく火を吹いた。
だが、まるで効果がない。
「ハハハハ!!! どうしたその程度か!? 最初に比べてえらく力が落ちてきているじゃないか!!!」
「く、そ……!」
アベルが指摘したとおり、長引いた戦闘時間によって俺の力は半分にまで落ちてしまっていた。
「だが私は諦めないッ! 師匠が守った世界を、今度は私が守るんだ!!!」
───そうよカルラ君! 貴方なら出来る!
「!?」
そのとき、脳内に直接響くビスタの声。
それだけじゃなくてオベリスクの頂上にいるはずの皆の声も聞こえてきて、とてつもないほどの力が湧いてくる。
「これは……!」
俺の身に突如宿った力。それは紛れもなく大精霊達が貸し与えてくれたものだった。
「カルラよ、おまえは一人ではない。我らが、いや、仲間達がついているということを忘れるな」
繰主奈の声が聞こえてくる。
そんなやり取りは、どうやらアベルの耳にも入っていたようで。
「何が仲間だ! たった一人を愛せばそれでいいだろう!
気色が悪いんだよ! おまえ達の馴れ合う姿はッ!」
叫んでそんなことを言ってくる。
そんなアベルの心の叫びを聞いて、あるいは化物と化してしまったその姿を見て、俺の口は自ずと動いていた。
「……哀れだ」
「なに!?」
「たった一人に全てを求める。それは愛じゃない、ただの依存だよ。
人は死ぬ、いつかは死ぬ。そして、己が死ぬその最期までは独りでいたくないから……
だからこそ繋がりを持つ。一瞬でも独りになりたくはないから何度も何度も繋がりを作るんだ。
それがわからず一人に固執し死者を蘇らせるなんて馬鹿げたことを考えるおまえは、生まれたときから人じゃなかった。獣だったんだよ」
「私が獣!? 人ではない……!? そんな馬鹿な! ラウディアラが愛してくれた私だ! 私は人間だ! 人間なんだよ!」
「だったらその醜い姿はなんだ? おまえがこれから迎える死に様は人のソレなのか?」
スゥ───
静かに息を吸い込み、次に指で輪を作り口元に置く。
そこに向かって一息、輪を通して息は炎に姿を変える。
「ふざけるな! 私はこんなところでは死ねん! まだラウディアラに会っていない! 永遠の時を共に過ごそう、そう約束したんだ!!!」
その炎に命の危機を感じたのだろう。アベルの余裕の態度はもう完全に消え失せていた。
俺はそんな奴の言葉に耳を貸すこともなく。ただただ力を込め続けた。
「 ……終わりにしよう悪逆大魔。 塵一つ残さずこの世から消え去れ !〈命天災禍・迦楼羅焔〉!!!」
「くそが! くそがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
金焔がアベルの全てを包む。
そして次の瞬間壮大に弾けて彼は消滅していった。
そのとき、金色の粒子が舞散っては風にのって広がっていく。
それはきっと世界中の人々のもとへ飛んでいき、彼らの絶望を取り払うのだろう。
「……」
そうして、残された俺は虚しさを押し殺して高く翔ぶ。
まだ、世界中の人々の涙は乾いていない。
戦いは終わったことを、目に見える形で示さなければならないんだ。
見ておけよアベル。
これがおまえの捨てた力。精霊使いの力だ。
師匠がくれた、俺の力を、俺は世界に還元する。
「〈九竺浄烙・迦楼羅焔〉……」
俺は暗黒の雲を吹き飛ばすために天を仰いで火を吹いた。
さあ炎よ、金色の光よ。涙を乾かせ、大地を照らせ……
世界を脅かす悪魔は消えた。
もう、何に怯えることもない、何に絶望することもない。
今日の涙は、きっと明日の強さに繋がるから……
この金焔は、明日を照らす勇気の光だ……
ご覧頂きありがとうございました。