113. ヨルンvsアベル
「はぁぁぁぁぁ!!!」
唸る一息と共にヨルンが連続して突きを放つ。
本職にもひけをとらない程の熟練した技巧。なおかつ老体とは思えないほどに勢いが乗っていて、それを捌くのは中々に厳しいように思われる。
「フッ……」
しかしアベルは細身の剣で華麗にいなし続けた。
本来彼はそんなことをする必要はない。
彼は自身の肉体に攻撃を受けた箇所を自動的に霊体化させ無効にする死霊術をかけているのだ。
しかし今アベルが剣を握っているのは、そんなものに頼らずともヨルンを倒せる、倒さなければないと考えているためだ。
相手が精霊術を使えないならば、こちらもイーブンな状態でなければならないと考えているのだ。
それは間違っても彼に正義感だとか公平を求める健全な心があるだとかそういうわけではない。
かつて自分を見放したこの男に圧倒的な力を見せつけたかった。
精霊術も、死霊術も、そんなまどろっこしいものを全て取っ払ったシンプルな状況で圧倒し、屈服させたかったのだ。
そんな彼の心情を、ヨルンは聞かずとも理解していた。
けれどそれについて言及しようとはしない。
言うならばかつて弟子だった男に手加減されているこの状況。
そのことに怒りを覚えていられるほど彼は自惚れてはいなかった。
故にヨルンはこれを好機と見てひたすらに攻め続ける。
突き、薙ぎ、相手が交わしたところに上段降ろしを決めていく。
しかしアベルも負けじと剣で防御する。
「ふん、老いぼれのわりには動けるな」
「いつかヌシと戦うとわかっていて鍛練を怠るわけがないじゃろう。
どうした? 死霊術を使わなくてよいのか?」
このときヨルンは敢えて使うように挑発した。
彼は他人の言葉に対してNOと言いたがるアベルの性格を知っていた。
だからアベルはヨルンの読み通り挑発されてもなお死霊術に手を出さなかった。
むしろ剣へのこだわりを一層際立たせて反撃に出ようとする。
「ほっほほほほ、当たらん当たらん。ヌシこそこの500年で剣の腕が衰えてしまったか?」
「ちょこざいな!」
アベルは渾身の一撃を繰り出すが、その小柄な体躯を捉えることはない。
そうして勢いづいたヨルンはまたもや攻めに転じながらアベルに問いかける。
「……なぜあのときカルラに手を出さなかった?」
「うん? おまえの目は節穴か? 私の術によってあの男はもう二度と立ち上がることが出来なくなった。実質的な退場だ。
まあ、もともと蚊ほども驚異には思ってなかったがな」
「やはりカルラは大精霊様と同じ呪いに捕らわれておるのか……」
「ああそうだとも、〈第六波〉は対象の精神に恐怖と絶望のビジョンを直接見せつけ動きを封じる。
そこに転がっているゴミ共を見てみろ、まるで凍てついたように動かないだろう。
大精霊でもどうにもならないんだ。無力と化したあの男が立ち上がれるはずもない」
「……なるほどな」
「わかったなら死ね。彼女を蘇らせるための贄となるのだ!」
などということを口にしながらアベルは剣を突きだした。
「!?」
それはこれまでのモノとは比べ物にならないほどに強烈。
予想外の攻撃を受けたヨルンは左脇腹を負傷する。
「これは…… 呪いが解けておるのか……」
己の体から流れ出た血を手で拭い、それに目をやって呟くヨルン。
「当たり前だろう。 今から殺す相手が不老不死では話にならないからな。
ここに来た時点でおまえはただの老いぼれだ」
「……」
「ハッハッ、どうした黙り込んでしまって。久しく抱いていなかった死の恐怖を前に挫けてしまったか?」
「……かもしれんな?」
「ほう?」
「しかしまあ、ワシがここで果てようともまだカルラがおるからのう。なにも心配はないわい」
「なぜそこで奴の名前が出てくる」
「特に理由はないわい。なんじゃ? 出されると困るのか?」
「たわけたことをッ!!」
ヨルンの言葉に、アベルは露骨な反応を見せていた。
以前アルルカも似たような状況でとあることを指摘していた。
実のところ、アベルは多少なりともカルラを恐れていたのだ。
アルルカの言うとおり、自身と相対して正気でいれたものなど彼以外には存在しなかった。
彼と共に行動していたビスタでさえ心を砕かれかけていたのだ。
なのにカルラだけは屈することはなかった。
いや、厳密には屈っしかけても瞬く間に奮い立ってしまうのだ。
そして挙げ句の果てには横にいた人間にまで影響を与え立ち直らせてしまう。
その事実に、アベルは今まで感じたことのない恐怖を密かに抱いていたのだ。
そしてアルルカは、そんなカルラに全てを賭けている。
目の前にいるヨルンもことあるごとにカルラの名を口にする。
それはまるで確信してアベルの不安を煽るためにやっているかのよう。
「一応聞いておこうか? あの〈第六波〉とかいう術はどうやったら解くことが出来る?」
「はっ、これまた直球だな。……しかし教えてやらないことはない。
言うならば、〈第六波〉は幻術だ。幻術である限りは、より強烈な幻術に上書きされてしまえば外部からでも解くことができる」
「……なるほどなるほど」
わざとらしくヨルンがリアクションをとる。そんなヨルンを睨んで、しかし得意気にアベルは続けた。
「しかし聞いたところでどうなる? お前はもう奴のところへ戻ることは出来ない。なぜならここで私に殺されるのだから。
いったい、こんな確認をしてなにを……」
そんなアベルの言葉を最後まで聞くことなく、ヨルンは不意打ち気味に自身の槍を投げつけた。
それは真っ直ぐアベルの正中に向かっていく。
「くっ!? ……なんちゃって」
アベルはまるで焦るかのような様子を見せる。
しかしそれは本気でやっているわけではない。
誰もが知っていたとおり、彼の体は槍に接触した瞬間に霧散し無傷だった。
「……いいや、狙いどおりじゃよ」
だがヨルンはアベルではなく彼の向こうを見てそんなことを口にした。
「なに? ……まさかっ!」
瞬間、アベルはたまらず後ろを振り返り、槍が飛んでいった方向を確認した。
そこで起きていた光景。
それは、自身を通過し彼方へと飛んでいったはずの槍が、遥か後方でうずくまっていた晒葉渧位に激突し目映い光と猛烈な衝撃を放つというものだった。
「チッ…… 考えたな!」
まさかあの槍には〈第六波〉をも越える幻術が備わっているのか。
そのために解呪方法を聞き出したのか。
そんな推測を巡らせながら、アベルは血相を変えて晒葉渧位の方へ駆け出した。
他の大精霊ならいざ知らず、この晒葉渧位が持つ清拔の力は少しだけアベルの死霊術と相性が悪かったのだ。
清拔の力は呪いや邪気といった類いに有効な効果を示す。
だからもし彼が復活してしまえば、多少なりともアベルは不利になってしまうのだ。
そうはさせまいと、アベルは呪縛を解こうとする槍に手をかける。
「……?」
しかし何かがおかしい。
どういうわけか槍はアベルの接触になんの抵抗も見せない。
それどころか晒葉渧位にかかった呪いに対して何かの力が働いているようにも見えなくて……
「クソッ! 謀ったなヨルン!」
時既に遅し。
アベルが全てに気がついたときにはもう、ヨルンは二十六節に及ぶ精霊術の大詠唱を完了させていた。
「ほっほっほっ、年の功、じゃな」
ヨルンは得意気に笑みを浮かべる。
そんな彼の身体は、まるで精霊のように強烈な光を放っていた。
そう、アベルに一撃を与えるでもなく、大精霊達を助けるでもなく。
彼ははじめからたった一つを狙っていた。
そのために、何重にもフェイクを仕掛けていたのだ。
「安納垂元上代之翁、光明霊地仁覚於齎……」
その掛け声と共に、ヨルンが放つ光がさらに強くなり辺りを照らす。
「くっ……」
アベルはそれを前にしてたちまち腕を上げて立ち止まるしかなかった。
次に彼が視認したヨルンの姿は、人ならざる存在へと変貌を遂げたものだった。
雷雲に跨がり、自らの肌を遺灰のような色に落とし込み、額には第三の眼をそなえ、稲妻を想わせる羽衣を見に纏う。
そして、黄金の色をした三股の槍を携えている。
ヨルンはまるで伝説に語られる破壊の神を想起させるような姿になっていた。
「精霊化……ッ!」
アベルはかつてないほどの苛立ちを滲ませてその奥義の名を、あるいはヨルンに起きた変化の正体を口にした。
「ご名答、先程までのように行くと思うなよこわっぱ」
奇怪な音を奏でながら、ヨルンの周りで雷がうねる。それはまるで彼の闘志を表現しているかのよう。
「ゆくぞ!」
「くっ!?」
手始めにヨルンは雷雲を滑空させてアベルに迫った。
相当に離れていた彼らの距離が一瞬で縮まる。
ヨルンはその一瞬雷速を誇った。いや、雷そのものと化していた。
アベルはその速度に反応することが出来ず、たちまち彼の接近を許してしまう。
「……焦がれよ」
瞬間、ヨルンの手の平から紫電が放出される。
「ぐぁぁぁぁぁ!!!!」
アベルはそれをもろに受けてしまう。
霊体化による回避は無意味。
死霊術と言えども限度はある。その圧倒的な威力を前にしては完全な対処など不可能であった。
「調子に乗るなよ!」
しかしなんとか隙を見てアベルは雷の檻から脱出をはかる。
そうして距離を取って地面に幾つかの円陣を展開させた。
「キキキキキキキ!!!!」
そこから出現するドゥームレイダー達。
「いけ!」
彼の一声によって悪魔達は一斉に襲いかかった。
「滅せよ……」
しかしヨルンは怯むこともなければ微動だにすることもなかった。
彼はただ一つ印を切って、それに応じて上空から雷が無差別に降り注がれる。
「ギィァアァアアアアアア!?!?!??」
禁忌の悪魔達はあっという間にその雷の餌食となってしまった。
「ならばこれならどうだ!」
次にアベルはドゥームレイダーの時よりもさらに巨大な円陣を展開させた。
「ウ゛ォ゛ォ゛ォォォォォォォォォォ゛ォ゛ン゛」
幾重にも巻き付けられた包帯状の呪符、その隙間から垣間見える赤黒い体表。
聞くもの全ての精神を呪い侵す轟音が如き叫び声。
そして、山を想わせる巨大な体躯。
それはかつてカルラが倒したことのある緋血布の巨人の登場だった。
「くだらんな」
しかしヨルンはこれを一蹴。驚異と思うこともなく三叉槍を投げつけた。
そして槍と呪符が接触したその瞬間。音もなく白い光が巨人を包み、悲鳴もなく巨人は消えた。
「なん、だと……!」
「アルベールよ、ヌシの敗因は傲りじゃ。大精霊の力が無いからと精霊使いを甘く見た。
余計なことにこだわらず、ワシが精霊化する前にもっと早く決着をつけておくべきじゃった」
ひとりでに戻ってくる槍を回収し、狼狽えるアベルの目の前まで近づきヨルンが告げる。
「傲っている……? 傲っているのはお前達精霊共だろう!?
強大な力を手にしておきながら、それを矮小な存在に分け与えようとする!
傲慢だ! それは人を見下す行為だ! お前達のそういうところが私は気に入らなかったんだッ!!!」
アベルは力の限りに叫び訴えかける。
そんな彼の様子を見て、ヨルンは叫び返すでもなくただ虚しそうに言葉を返した。
「……それは間違いじゃよ。まあ、今のお前さんには何を言っても無駄じゃ。今はただ眠るがよい」
そんなアベルの訴えかけにヨルンは答えることはなかった。
彼は静かに槍を掲げ、その先から雷撃を放とうとする。
しかしそのとき、ヨルンの身に異変が起きる。
「かはっ……!」
吐血、目眩、痙攣。
それらの急変と共に彼の姿は精霊化が解け元に戻ってしまっていた。
「なんだ、何がおきている……?」
それはアベルの仕業ではない。彼は今もなおヨルンの急変に目を見開いて驚いているだけだ。
しかし、本人よりも先に事態を理解してアベルは噛み殺すかのように笑いだす。
「クク、アハハハハ……! そうか、そういうことか。元々不死の呪いでかろうじて生きながらえていた身、そんな状態で寿命を削る精霊化の術を使ったのだ。限界が来ないはずもないか!」
「……」
「やはり傲っているのはお前の方だよ老師ヨルン!
説得など試みずに、さっさと私を殺しておけばこんなことにはならなかったのになァ!?」
「ふむ……」
絶望的な状況だというのに、ヨルンはまるで焦りを見せなかった。
アベルはもうその理由を追求しようとはしなかった。ヨルンが今現在想う一人の男。
その男に希望を託しているがゆえに、ヨルンには何も心残りがないことを知っていたからだ。
「最後に言いたいことはあるか?」
「いいやなにも? どうせおまえさんもすぐに後を追うことになる」
「……そうか」
相手の胸部を一突き。
アベルはそれを何度も繰り返した。
そのとき彼は完全なる無表情であった。
因縁の宿敵を倒したというのにまるで喜ぼうとしない。
彼の脳裏にちらつく一人の男の影。
アルルカも、ヨルンも、最後の希望をその男に託していた。
あの無力で矮小な存在に絶対的な自信を持っていた。
アベルはそれが気に入らなかった。
それはもちろん男の存在そのものに対してではあるが、なによりその男のことを少しだけ恐れてしまっている自分自身に怒りを覚えていたのだ。
「……そんなわけはない。神も大精霊も私の敵ではなかったのだ。もう誰も、私達の再会を止めることなんて出来やしないんだ。そうだろ?ラウディアラ」
己に言い聞かせるようにアベルは呟き儀式中の邪神の遺体へと歩み寄る。
「……さて、そろそろ仕上げといこうか。ここばかりは自動化出来ないのが残念だ」
遺体に手を当てアベルが集中する。
そのとき、どこからともなく放たれる一迅の矢。
アベルはそれを見やることなく素手で捕らえる。
「貴様ら……」
「アベルッ! 貴方の思い通りにはさせないっ!」
アベルが視線を向けたその先。
そこには到着するなり戦闘体勢に入ったエミリア達がいた。
ご覧頂きありがとうございました。