112. 狂人者
狂人とは、常人の理解を超えた者のことをそう呼ぶ。
物心がついたとき、そのときにはもう私はすべてを持っていた。
とある大国の第三王子として生まれ、剣や魔法の才に恵まれ、その将来は間も違いなく明るいものだと誰もが信じていた。
だから、自身の『聖儀』において名も知らぬ〈精霊使い〉の職を授かったときも、自信に満ち溢れた栄光が失われたことはなく……
周りの期待を一身に背負ったまま、私は精霊使いとしての一歩を踏み出すためにヨルンという精霊使いの仙人のもとに弟子入りした。
ただ、このとき既に私の中で蠢くソレは確立されてしまっていた。
例えば赤ん坊、例えば小動物。
そういう何かにすがらないと生きていけない矮小な存在を目の前にしたとき、どうしようもない衝動に駆られてしまうのだ。
時折顔を覗かせるその衝動に気がついたのは6歳の頃。そのときにはもう、この衝動は自分の一部なのだと受け入れてしまっていた。
だが、どれほど己に忠実でいてもどこか心は虚しさを覚えていて、荒野をさまよう獣が如く常に渇き飢えていた。
精霊使いとは、精霊と呼ばれる存在からその強大な力を借り受けて戦う職である。
そのためには精霊との契約が必須であり、精霊に認められる必要がある。
なんとも愚かな話だ。なぜ誰よりも優れた私が精霊などという得体の知れない連中に媚びへつらわなければいけないのか。
そして、精霊達は優秀な私のどこが気に入らなかったというのだろう。およそ八年、どれだけ対話を求めても応じることはなかった。
そのとき私の中にあった感情は苛立ちと焦り。
やはり他人にすがるという行為が気に入らなかったのだ。そんなことをすれば私はこれまで虐殺してきた者達と同じ矮小な存在になってしまう。
どうして自分が精霊使いなのか、私は自分の運命を、いや、世界を呪った。
だからこそ、私の中の"衝動"は動き出したのだろう。
人の目を盗んで夜な夜な森を徘徊しては、とろくさい妖精共を捕らえて玩具にして遊んでいた。
「いたっ、いたいっ! やめて! どうしてそんな酷いことをするの!?」
「わめくな虫もどき風情が、手元が狂うだろう」
泣き叫ぶ妖精の羽を引きちぎる瞬間。
あの瞬間の感触は筆舌に尽くしがたい快感をもたらしてくれる。
まあ、妖精本体は痛みのあまり絶命してしまうのだがな。そんなこと、私には関係のないことだ。
だが、そんな私の道楽はヨルンの耳に入ることになって、アイツが私に告げた言葉は……
「出ていけ、ヌシに教えることはもうない」
それは事実上の勘当を意味するものだった。
そのとき私は悟ったのだ。ここは私のいるべき場所ではないと。
きっとそれは、故郷の国でもないのだと。
私は己の内に渦巻く悪意の衝動を昇華させることが出来る、そんな居場所を求めてヨルンのもとを去った。
そうして行き着いたのは命のやり取りが連続する戦場という戦場。
特にダンジョンと呼ばれる閉鎖空間で私は満たされていた。
殺して、殺して、殺して、弄んで嘲笑う。
そうして殺戮と快楽だけをひたすらに求めて行き着いた場所は世界最大のダンジョン〈オベリスク〉その頂上だった。
そこに現れた一人の女。
青い髪に青い肌、黒い眼に青い瞳を宿す禍々しい姿をしたその女は、ふざけたことに自らをこの世界の神だと自称したのだ。
「さあ強き者よ、願いを言いなさい。貴方にはその資格があるわ」
オベリスクは、ダンジョンを制覇したその褒美として神から一つ願いを叶えさせることが出来る。
しかし私はここに来るまで願いなど持ち合わせてはいなかった。
ただひたすらに殺戮を。
その際限無き欲が、とうとう神の命を求めてここまで来たからだ。
だが、いつのまにか私の考えは変わってしまっていて、女神が促すままに願いを口にしていた。
「女神よ、私のものになれ」
客観的に見ても、それは突拍子もない申し出。
青い肌をした目の前の女は、目を丸くして驚いた様子で聞き返してきた。
「……いったいなんのつもりなのかしら?」
「愚問だな。答える必要があるか?」
私がそう答えると、女は堪え切れずに吹き出した。
「プッ…… アハッ、アハハハハッ!!! 面白いわね貴方!
そんな願いを言ったのは貴方がはじめて! きっと気が狂ってしまっているのね!!!」
なんてことを、女ははっきり言ってきた。
「狂っている…… ああそうだ狂っている。しかしそれはおまえも同じことだろう?」
手を差し出して私は囁く。それは、私にとって愛の言葉のつもりだった。
そんなこと、きっと常人には理解されはしない。
けれど、この女を見たときから私の中で直感的なものが働いていたのだ。
この女はおかしい、私と同じ狂気を感じさせる。
きっとそのときにはもう互いに惹かれ合っていた。
だからこそ彼女も、狂った愛の言葉を受けて狂ったように笑いながら……
狂ったように、その手を取ったのだろう。
「……貴方、名はなんと言うのかしら?」
「アルベール・ドライツ」
「ドライツ…… ああ、あの国の王族ね。無駄に長ったらしい、呼ぶときに邪魔だわ。それに精霊使いなんてのも貴方には似合わない」
そう言って、女は私に触れて私の中の何かを弄った。
「……なにをした?」
「うん? 言うならば私好みにさせってもらったわ。精霊使いのアルベールはもう死んだ。今日から貴方は死霊使いのアベルよ」
女はどこからともなく巨大な鏡を出現させた。
「……ほう」
私はそこに写る己の姿を目の当たりにして、唸った。
青い肌、青い髪、黒い眼に青い瞳。
彼女と同じ、人外に成り果てた姿がそこにはあって、私は歓喜し雄叫びを上げるかのように大きく笑った。
それが私と彼女の出会い。
それからというものの、私達は片時も離れることなく愛し合った。
しかし、私はまだ知らなかったのだ。
このラウディアラという邪神が、己の想像を越えるほどに狂っていたということを。
「ねえ、アベル。これを見てちょうだい」
「球体が2つ…… なんだいこれは?」
「知り合いの神の世界の住民がね、クラッカーボールっていう玩具を作ったらしいのよ」
「ほう」
「糸で繋げた球をぶつけて遊ぶものらしいのだけれど、私もそれで遊んでみたくなっちゃって」
「で、作ったと?」
「ええ。でもね、ただの玉じゃ物足りないじゃない? それで私思いついたの。二つの世界を、クラッカーボールの要領でぶつけたら最高に面白いんじゃないかって」
邪悪な笑みを、屈託のない笑みを、本気で面白いと思いながら彼女は向けてくる。
「ハッ…… ハハッ……」
そのとき私の口から漏れたのはどこか乾いた笑い。
恐怖も多少はあっただろう。
しかし私は悦びを覚えていたのだ。
この女性と一緒にいれば、まるで退屈することがない。
独りよがりでどこか空虚だった人生に、まるで花が添えられたかのような気になっていたのだ。
何度も何度も打ち付けられて、下界の者共が泣き喚く光景は私を感動させる程だった。
究極の破壊。
それを見せてくれる彼女こそ、長年私が追い求めていた存在だったのだ。
しかし、絶対だと思っていたその幸せだった日々は、私が忌み嫌い続けた矮小な存在によって崩されたのだ。
はじめは小さな抵抗でしかなかった。しかし、世界を混乱に陥れん神を憎む者は少なくはなく。
少しづつ、ゆっくりと、反逆の波紋は広がっていった。
それでも私達が負けるはずもなかった。
そう、負けるはずはなかったのだ。
しかし運命を変えたのはあのアルルカの登場。
アイツと、そしてヨルンさえいなければ私達は離れ離れになることはなかった。
共に愛を語り合い、破壊と殺戮に身を委ねる永遠の時を過ごせていたのに……
お前達が、愛しき我がラウディアラを……
たった一人の理解者を私から奪ったんだ……!
◆ ◆ ◆
「……結局、お前達常人は私達とは相容れないのだよ」
オベリスク最上階、〈神の間〉。
ここにいるのは悲願の達成を目前にしたアベルと、そうはさせまいと相対するヨルン。
さらに、アベルの呪縛に捕らわれ身動きがとれず苦しみもがく大精霊達。
そして、空中に幾重にも描かれた円陣の中央に座し蘇生の儀式が進められているラウディアラの亡骸。
そんな中で、アベルの言葉に反論することなく。
ヨルンは携えていた杖を一回転させた。
すると杖は一瞬で槍へと姿を変える。
「〈銀の救済〉、ではないな。まあ、当然か」
「構えよアルベール。今一度ヌシの腐った根性を叩き直してやる」
「ほう? あのときは見限って今になって更正させると?」
「500年も生きれば考えも変わる」
ヨルンがそう返すと、アベルは僅かに苛立ちを見せる。
「勝手に言っていろ。勝手に変わっていろ。 私は500年間ラウディアラのことを忘れたことはなかった。憎しみの心が絶えることもなかった。
……だからヨルン、約束の刻だ。お前はここで死ねッ!!!」
意気込むと同時にアベルは迫った。
ヨルンも対向するように床を蹴り駆け出す。
長きに渡る因縁を終わらせる戦いが今はじまったのだ。
ご覧頂きありがとうございました。