11. 妖精の森
自らの足で野を越え山を越え、時には河を下る行商船や、町と町を往復する馬車を乗り継いだりして南西に向かうこと二週間。俺はやっとバクハカの森の入り口に到着した。
「遠すぎんだろ……もうクタクタだ……」
正直この二週間の旅はかなり堪えた。基本的に野宿だし、野獣や魔物は当たり前のように出てくるし、さらには南に下るにつれて段々その土地の飯は不味くなっていくしで体が休まることがまるでなかった。しかし反面、自分がこれほどサバイバルの適性があるとは思わなかった。まあ我儘言っても仕方がなかっただけだから、堪えていただけなんだが。
風呂なんてもう何日も入ってないなぁ、基本的に水浴びだから、汗と汚れを落とすだけ。臭いなんかはちょっと気になる。
どうしよう潔癖症の仙人とかだったら、門前払い食らうかもしれないな。
……まあないか、仙人って風呂とか入らなさそうなイメージだし、てかそもそも家とかに住んで無さそうだし。
「そもそもほんとにこんな森に仙人なんて住んでんのかよ?」
そう言って木々の奥を覗きこむが、特に変わったところはない、なんの変哲もないただの森だ。
スピリチュアルパワーとか霊気とか、仙人が住んでるっていうならあってもいいと思うんだが、そういった類いのものは一才感じない。本当にただの森。
「まあとりあえず入るか……」
進まないことには始まらないので、一応警戒しながら森の中に入っていく。入った途端、木々が日光を遮るからか、急に温度が低くなった気がして肌寒さを覚える。しかしさすがにこれをスピリチュアルパワーと言うのは無理があるだろう。
「てか森の何処にいるんだろうなぁ、貰った地図じゃあ確かこの森馬鹿広いんだよなぁ」
歩いて地道に探すのはさすがに骨が折れそうなので、とりあえずダメもとで呼んでみた。
「おーい、誰かいないか!」
ちなみに家を離れてからは敬語で喋ることはほとんどない。もう知り合いに合うこともないし、なんというか、こっちのほうが落ち着くんだよなぁ。
そうして歩きながら叫んでみるが、帰ってくるのは風の音と木のざわめきばかり、鳥や獣すらいやしない。
「くっそ、このままじゃ日が暮れるな」
まだ昼ではあるが、この途方もない予感は、夜に森の中をさまよう自分の姿を想起させるには充分だった。
「いや、焦るな。そうだ、とりあえず昼飯にしよう」
いったん落ち着こうと、飯を食うことにした。倒れた樹木を見つけたのでそこに腰をかける。なかなかいい座り心地だ、天然のベンチといったところか。
「さー今日の飯はなににするかな~」
鞄の中を漁って携帯用の食糧を探すと、一番最初に出てきたのはサンドパンだった。具に薄切りされた塩漬け肉と一角ヤギのチーズが入っている。ちなみに保存のまじないがかけられていて、意外と日持ちする。その分少しお高いのだが。
「おっほぉ~肉肉~!」
久しぶりのご馳走を目にして柄にもなく思わずテンションがあがってしまう。
ちなみにこれは俺が大事に大事~にとっておいた最後の肉だ。口に合わないここら辺の豆料理に耐え続け、いざというときに食べようととっておいた大切な肉なのだ。
サンドパンを見つめていたらなんだか感慨深くなって、今まで食べた各地のご当地料理を思い返していた。
そういや三日前に食った豆と乾パンのごった煮スープは強烈だったなぁ。煮込みすぎててパンもスープもドロドロのモッチャモチャだし味付けは謎に酸っぱ辛いで食べるのがひたすら苦痛だった。
一週間前のドブ魚の姿焼きもキツかった、内蔵の処理もせずほんとに焼いただけだからとにかく臭い。
今思えば、母は料理が上手かったんだなぁ、ずっとあれを食べてて慣れてたから気がつかなかった。
それに比べてこのサンドパンは俺のお気に入りのひとつだ。歯応えのある固めのパンに程よい塩気の肉とチーズの旨みのマリアージュ。干し葡萄の酸味と甘味がいいアクセントになって、食べてて飽きることがない。
いかん、想像するだけで唾液がでてくる。
「いっただっきまぁーす!!!」
俺はうっきうきで紙の包みをはがし、大きく口を開けてかぶりついた。
そうそうこの味!パンがかたくて咀嚼数が増えるから、噛めば噛むほど具の味が広がるんだよなぁ~!
チーズと干し葡萄、そして塩漬け肉のあじが……?
「あれ……?」
肉の味がしてこない、それどころか口の中をどれだけ探っても肉がない。
異変に気がついて慌てて手に持つパンを見てみると、肉だけがすっぽり無くなっていた。
「なんだ!?さっきまであったはずなのに!」
おかしいおかしい、まさか神隠しか、肉の神隠しなんてあるのか???
もしかして落としまったのかと足下を探すも見つからない。
風に飛ばされたのかと遠くを見回すもそんなことがあるはずがない。
「いったいどこに……」
俺が歯軋りをたてて苛立っていたら、どこからか微かな声が聞こえてくる。
「わーいおにくおにく~!……んー!おいしー!」
声はそこまで遠くない、むしろすぐ近くだ。しかし右左後ろ前、全力で見回しても木ばかりで声の主らしき姿はない。
「あーおいしいなぁ、ロロ頬っぺたが落ちちゃいそー!」
また声が聞こえてきた。耳を澄ませていたから今度ははっきりと聞き取った。
「上だ!」
そう言ってすぐそばに生えていた木の上部を見上げると、枝の先にモゾモゾと動く俺の塩漬け肉を発見した。
いや、それだけじゃない、肉に隠れた影が一つ。蝶のようななにかが肉を捕らえていた。
「俺の肉返せやごるぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
俺がその影に向かって怒鳴りたてると、向こうも身をビクつかせてこちらに気がつく。
とっさに逃げ出そうとする影。だが俺はそれよりも早く猛スピードで木を登り上げていた。
影は飛んで逃げようとするも、体が木のトゲに引っ掛かって身動きがとれずにいる。
「ハッハッハッ、よーし動くなよ大人しくするんだ」
目をギラつかせて肉に手を伸ばす。だが少し遠く、幹に掴まったままでは腕が届かない。
くそ、しかたねえ、もう少しだけ近づくか……
危険と承知しながらも枝のほうに移動する。
あとすこし、あとすこし……
と、届いた!
しかし俺がやっと肉と影を捉え掴もうとしたそのとき、俺の体重を支えきれなくなった枝がメキメキと音をたてて根本から折れていく。
「えっちょっ、ま」
有無を言わさず枝は完全に折れ、俺はあと少しというところそのまま崩れるように落下した。
「うわぁぁぁぁ!」
勢いで叫んでみたが、そういや俺耐久力高いんだった。このくらいの高さから落ちたくらいじゃ全然痛くない。
しかし並みの人間ならば重傷か最悪即死は免れないだろう。影もそう考えたのか、油断してこちらに近づいてくる。
「あーびっくりしたぁ、まさか人間が私に気がつくなんて……おーい生きてる?ってさすがにあの高さじゃ厳しいかなぁ」
どうやらコイツの中では俺はもう死んでる扱いらしい。俺はこの状況をチャンスと捉え、死んだフリをしてやつがさらに近づいてくるのを待った。
そうして影が俺の手の届く範囲に来たところで俺は素早く手を伸ばした。
「おらぁ!捕まえたぞこのヤロォ!」
「きゃー!はなしてぇ!」
俺が掴んだ影の正体、それは蝶の羽を生やした親指くらいの大きさの小人だった。
「なんだこれ?新種の虫か?」
よく見れば羽は半透明で若干光っている。長い髪は薄いライトブルー。ほっそい腕は俺の手から逃れようと突き立ててはいるが、その力は恐ろしく弱い。
「はなせー!こんのぉ!はなせってばー!」
「喋る虫とは珍しい、町に持っていけば高く売れるかもな」
「ロロは虫じゃなーい!ようせいなの!」
小さい癖にきゃんきゃんと吠える声はよく耳に響く。しかし今コイツはようせいとか言ったか?気になるな。
「おいおまえ、ようせいとはなんだ?教えろ」
「離してくれなきゃやだ!」
「あ?なんだとこら」
生意気な態度をとるもんだから俺は肉の恨みも兼ねて握る手を少し締めてやった。
「い、いたい!ちょうろー!たすけてぇぇぇ!」
小人がそう叫んで、少しの静寂。なにも起きないと思っていたらひとりでに猛烈な突風が俺を襲った。
「なに!?」
風自体にダメージはないが、巻き上がる砂は俺が驚いて小人を逃がしてしまうには充分だった。
「ほっほっほっ、こんなところに人間とは珍しい、それに妖精であるロロを視認することが出来るとはな。しかし手荒な真似をしてはならんぞ、妖精を傷つければそなたに災いが起きかねん」
どこからともなく声が聞こえてきたと思えば、突然そんなことを言い出した。小人の時とは異なり今度は周りをどれだけ見てもそれらしき姿は見えない。なんか空間に直接声が響いてきてるという感じだ。魔法かなにかだろうか。
「あんた、まさかここに古くから住んでるという仙人か?」
「おや、儂のことを知っておるか、いかにも、儂こそがこの森に居を構える仙人じゃ」
「なら話が早い、俺はあんたに用があってここに来た。是非とも直接会いたいんだが」
「ほう?若き旅人の目当ては儂だったか、よかろう、儂の小屋まで来なさい、そこにいるロロに案内をさせよう」
「えー!なんでロロが!?」
「やかましい、言うことを聞かなければ晩飯抜きだ、その若者を案内しなさい、よいな?」
駄々をこねる妖精をなだめる仙人の声。どうやら彼はコイツの保護者のようなものなのかもしれない。
「わ、わかったよぅ……」
なんだか、話がトントン拍子で進んだようで、こちらとしては好都合だ。これなら肉一枚くらい安……くはない、後で保護者の仙人に責任はとってもらおう。
「じゃあ案内してもらおうか?」
「はいはい、こっちだよ」
妖精は俺の顔を見ることなく一人で勝手に進んでいく。光る羽が羽ばたき、煌めく鱗粉が舞い散る姿はそこそこ美しく、一瞬だけ目を奪われてしまう。
「早く来ないと置いてっちゃうよー?」
「ああ」
というか気になっているんだが、コイツからの謝罪は一切なしか?いったいどういう教育を受けてるんだ。
まぁこんなどんぐりよりも小さい頭じゃあ礼儀とかを覚える脳みそは入ってないんだろう。寛容な俺は仕方なくコイツの非礼を見過ごしてやることにした。
肉の埋め合わせはしてもらうが!!!!
妖精はどんどん森の奥へと進んでいく。アイツは飛んでるからいいかもしれないが、途中流れの激しい小川やろくに足場のない荒れた地帯を抜けるのには苦労した。着いていくだけでも一苦労だ。
そうしてどれだけ歩き続けただろう。激しく水面に打ちつけられる滝場の脇の崖を登って、ようやくそれらしき建物を見つけた。
「これが仙人の家か」
仙人は家には住まないという俺のイメージとは反して、それは苔がびっしり生えているが、質素ながらもしっかりした造りの木造小屋だった。木屋の大きさを見るに、仙人は一人で住んでいるのだろうか。まあ、そんなことは今はどうでもいい、さっそく顔を拝見するとしよう。
俺は扉に手をかけそのまま腕を引いた。〈精霊使い〉の仙人、いったいどんなやつなんだ。