105. 男と男
───ザシュリ、ザシュリ。
命を尋ねる。
───ザシュリ、ザシュリ。
久遠の果てに。
───ザシュリ、ザシュリ。
屍を踏み越えて。
───ザシュリ、ザシュリ……
愛を語ろう。
「ククク、クハハハハ……! ついに、ついに見つけたぞ……!
我が愛しきラウディアラ、こんな場所に君は閉じ込められていたのか……! 」
とある世界の、とある森の奥深く。
そこは特段語るべきものは何もない。強いて言うならば誰かが建てたのであろう簡素な木製の墓標があるだけの場所。
青い肌に青い髪をしたその男は、黒色の包帯に包まれたその何かを抱え高笑いを上げていた。
取り囲むは、狂喜乱舞する数十体の禁忌の悪魔ことドゥームレイダー。
彼らの得物である槍のように長細いシャベルの先には黒々とした土の汚れが付いていて、今までこの場所の地面をひたすらに掘っていたことがわかる。
「嗚呼、私としたことが、謎はこんなに簡単なことだったとはな……」
抱えている黒い何かに顔を埋めながら男は静かに深く息を吸った。
それはまるで、生の実感を覚えているようで、夢の誘いへと赴くようで。
彼の名はアベル。
死霊使いの職を授かり、悪逆大魔の二つ名でかつては神や精霊、世界そのものを恐れさせた男。
彼は今、たった一つの目的のためにこの地を訪れていた。
それは最愛の人を蘇らせるという、彼にとっては限りなく崇高な目的。
しかし、他者からしてみれば世界を混沌に陥れた邪神を復活させるという決して認めがたい行為。
彼は今、その願いの大いなる一歩を踏み出していた。
そう、彼の腕に抱えられているソレは、かの邪神の亡骸そのもの。蘇生に必要不可欠な素材の一つなのだ。
その亡骸は、今の今まで女神アルルカの手によって厳重に封印され隠されてきた。
それはもちろんアベルの手に渡らせないという意味でもある。
しかしそれ以上に、その亡骸は非常に厄介な事象を巻き起こしてしまうのだ。
それは、亡骸を取り巻く周囲を例外なく呪い殺してしまうというもの。
動物や植物などの生命はもちろん。土や水、空気とて例外ではない。
果ては時間や光、空間そのものすらも難なく侵す。
この世界を創造するほどの力を持っていたその邪神は、死してなおもそれほどの影響力と悪意をその身に宿しているのだ。
だから女神アルルカは、そうならないようにその亡骸に幾重もの封印をかけた。
その黒い包帯もそうだ。《神骸布》と呼ばれるそれは本来下界には存在しないアーティファクト。神のみが扱うことのできる神具。
その包帯は、元々遺灰を想わせるくすんだ灰色だった。しかし今漆黒に染まっているのは、亡骸から放たれる呪いを吸収し続けてきたからに他ない。無論、黒に染まってしまっているということは呪いを完全に抑えられているわけではない証拠である。
神具といえども、邪神の力の前ではせいぜいフィルター程度の役割しか持てていなかったのだ。
だが、この土地もこの世界も封印されて以降呪いに侵されたことは一度もない。
アルルカが施した封印には、〈神骸布〉がおまけと言えるくらいのとっておきが隠されていた。
いや、物理的には最も目に見える形で存在していた。 言い換えるならば、生きていた。
しかしそれは、数十年前にこの世界の勇者の手によって全て亡き者にされた。
されたが、ソレは土へ帰ってもその役割を失うことはなかった。本能的に、あるいは自動的に、呪いを完全に抑え続けてきたのだ。
しかし、長く続いていたその封印も、たった今この男の手によって終わりを迎えた。
「ああラウディアラ、今この感情を私はなんと表現したらいいのだろう。
会いたい、早く会いたいよラウディアラ」
他人には決して見せはしなかった、純朴な顔をアベルは覗かせる。
ドゥームレイダー達は狂ったように踊るだけでアベルのことなどお構い無しだ。
そうして、愛しき相手の顔を覗こうとアベルがその包帯に手を掛けようとしたそのとき……
背後から放たれた一閃。白刃の剣撃がアベルの胴を切り裂いた。
「うん?」
そんな軽い反応を見せながら、身体を霧散させ事なきを得たアベル。
彼が後ろを振り向くと、そこには力尽きた数体のドゥームレイダーの死体と剣を構える紅髪の青年の姿があった。
「……なにをしているアベル。妙な真似はするなと言ったはずだが?」
「おおっと、これはこれは、結構なご挨拶だなガウス」
アベルに剣を向けるその男は、マチューの宿敵であり現パージェス皇帝のガウスだった。
彼はアベルが抱える黒の物体を指差し問う。
「それはなんだ。貴様は何をしようとしている」
「答える義理があるのか? お互い余計な詮索はしない、そういう約束だったと思うのだがね」
アベルは飄々とした態度で返答を突っぱねる。そして次のように続ける。
「それよりだ。しばらく見ない内にこの世界もえらく荒れ果ててしまったじゃないか。
見たところ、たった一匹の魔物に人間達は手をこまねいているようだね」
彼が指摘するように、ドランジスタは現在魔族がいないにもかかわらず人間達は勝利とは程遠い状況に置かれていた。
土地を捨て、撤退し、生活圏を縮小せざるを得なくなっていた。
その原因は、たった一匹の魔物だった。
カルラと分離し、単独で行動をはじめたマチューは木刀の呪いの力を利用しながら人間達を攻撃していたのだ。
しかも、見境なく生物を喰らいながら。
「もしや、あのメタルスライムもどきの化物は貴様の差し金か?」
「おいおい、都合の悪いことが起きると何でも私を疑うのか?
アレに関しては私は全く関係していない。全ては君達が撒いた種。因果応報というものだ」
「一概には信じられんな」
「なら勝手に疑っておけ、もう私はこの世界になんの興味もないんだ。滅びようが、生き延びようが、私にはなんの影響もない」
「……チッ」
アベルが嘘を言っていないことを察して、ガウスは気分を害したまらず舌打ちした。
その様子をアベルは面白可笑しく見物して、さらに小馬鹿にしたような態度で迫っていく。
「ああ君は本当に面白いな。しかしさっきの一撃、どういうわけか全く何も感じなかったぞ?
可笑しいな、勇者である君ならば多少のダメージを与えてくれたって……」
言いかけて、相手の手に携えられた剣を見て何かに気がつく。そしてアベルは笑った。
「んんっ? ……フフッ、フハハハハハハ!!! そうか、そういうことかガウス!
てっきりそれは聖剣だと思っていたが、その実ガワだけ似せたハリボテか!!!」
「……」
「これは傑作だな! 常に正義だのなんだのほざいていた君が、いつの間にかその正義に見放されていたとは! いや、見栄と虚勢だけで生きてきた君にはその贋作がお似合いなのかな!?
……しかし、いったいこのことをどれだけの人間が知っている? もしも私が人間共に言いふらせばどうなってしまうのだろうな?」
「なに?」
「アッハハハハハ、何を本気で怒っているんだ、ほんのジョークじゃないか!
言っただろう? 私にとってはもうこの世界になんの興味がないと。
……ああでも、もう少しだけ君を観察するのも面白いかもな?
もともと退屈しのぎで君に不死身の身体を与えたわけだが。うんなるほど、まだまだ君は魅せてくれそうだ。ラウディアラもきっと喜ぶだろう」
「ラウディアラ、だと? いったい貴様はなんの話をしている」
「うぅん? ……おっと私としたことが、はしゃぎすぎて口を滑らせてしまったようだ。
……まあ、今の君には何もできないよ。聖剣が無いんじゃあ、私には到底敵いはしない」
「クソが……」
「ハハハ、その歯痒そうにする感じも非常に良い。
まあ大人しくしていろよ、いつか全てがわかるようになるさ」
───フハハハ、フハハハハハハ!!!
高笑いを上げながら、ドゥームレイダー達と共にアベルは消え去っていく。
その様子を、ガウスはただ見送ることしか出来ずにいた。
「……」
いったい彼らはどのような関係なのか、敵なのか、味方なのか、それはまだわからない。
わかっていることは、アベルという男はガウスですらも止めることは出来なかったということ。
彼の悲願が達成されるときは、刻一刻と迫っていた。
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