101. 惹かれ、遇い
───最低だ。
「ハァ、ハァ……」
───最低だ最低だ最低だ。
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
私は、最低だ……
わかっている。カルラ君が言いたかったこと、頭ではわかっている。
私だってそう思う。そう思いたい。
民の皆の安全な生活があるのは、私とカルラ君で賊を追い払ったからだって、そのことを思えば亡くなったお母様もきっと浮かばれるって、言われなくてもわかっている。
そして、時間は多く残されていないってことも、立ち止まっていたら取り返しのつかないことになるかもしれないことも。
全部全部、わかっている。
「はぁ、はぁ……」
なのにどうして、私は動けない……
リサは自分のコンプレックスを克服した。あのラビアンを、あの子にとって天敵と言ってもいい相手に互角の戦いをしてみせた。
カルラ君は自ら責任を負う立場になった。自分の意思を貫き通すために、魔族と深い関係になることを受け入れた。
そして、一度ならず二度も戦う力を失ってしまったというのに、もう自分の進む道を見つけてしまっている。
それはやっぱり、彼に魔族を守る責任と覚悟、その自覚があるからだ。
あんなふうに八つ当たりして誤魔化して、結局なにも出来ていない私にはきっとそれがないのだろう。
私だけ何も変わっていない、私だけ何も成長出来ていない。
だって、私は何も成せていないんだ。
一緒に盗賊達を倒したって、それはほとんどカルラ君が頑張ったからで、魔族の皆が立ち直ったのもカルラ君の言葉に刺激されたからだ。
私は何もやっていない。何も選択していない。
それなのに、母の死を受け入れる理由に出来るわけがない。
私の中で割り切れないのはきっとそういうこと。
そんなことを頭の中で繰り返しながら、私は駆けて高台から坂を下っていた。
下って下って、自分をおとしめて、カルラ君からも自分からも逃げて、気づいたときには知らない場所。
まずい、道に迷ってしまった。
そもそもここは慣れない土地だというのに後先考えず動いてしまって、私は何をやっているんだ……
ああいや、そういうふうに何も考えていないのが自分だったか……
「ははは……」
そんなことを思うと、つい乾いた笑い声が溢れてしまう。
とりあえず近くに人はいないだろうか。
そうして周囲を見渡そうとしたそのとき、森の方から聞こえてくる女の子の悲鳴。
ただごとじゃない。そう思って声のした方へ急いで向かう。
するとそこにいたのは肩を負傷した魔族の男とエルフの少女の二人組と、巨大な蛾のような魔物の姿だった。
「ハァッ!」
二人に魔物の気が取られている隙を突いて、私は後ろから鞭で攻撃した。
一撃受けたあと、魔物はあっけなく空の彼方へと逃げ去っていく。
大丈夫? と、駆け寄りながら二人に声をかける。
私はその二人に覚えがあった。
男の方は鷹頭のロイド、もう一人は名前がわからないが、かつて盗賊に父親を殺されカルラ君に救われた女の子だ。
なんというか、めずらしい組み合わせだ。
「あぁビスタ様! 危ないところを助けていただきありがとうございます!……イテテっ」
肩を押さえながらロイドが立ち上がり礼を述べる。
少女はそんなロイドを横から支えていた。
「無事でなによりよ。それで、貴方達はどうしてこんなところに?」
「いやぁ、ちょっと村の備蓄の薬草がなくなりそうだってことで採りに来たんですがね、運悪く魔物と出くわしてしまったみたいで……」
「だから戦える人を連れていこうって言ったのに!」
「そうだなぁ、俺もやるときはやるってとこ見せたかったんだがなぁ」
「んもー!」
困ったように愛想笑いを浮かべるロイドを少女がたしなめる。
事情はわかったが、二人の様子を見て新たな疑問がわいてくる。
距離、近くない……?
ジィィィっと、二人の様子をさらに観察する。
すると二人も見られていることに気がついて、
「あ、ヤバ……」
なんてことを声を揃えて言う。
「貴方達、いったいどういう関係?」
「えっ!? えっと~…… そのぉ…… そう! 親友です親友!」
「嘘ね」
なんともまぁ分かりやすい、匂いを探るまでもない。
「うう、くっそ~ビスタ様の目は誤魔化せないかぁ~」
少し悔しそうにロイドがぼやく。
「……私達、付き合っているんです」
そして、観念した少女がそんなことを言った。
いや、うん。まさかのまさか、衝撃の展開だ。
「よかったら、詳しい話を聞かせてくれるかしら?」
あまり他人のプライベートに首を突っ込むのは好ましいことではないが、魔族とエルフ、異世界人と関係を持つというのは魔族の長として見逃すわけにはいかない。とりあえず話を聞かなければ。
私が質問すると二人は少し目を合わせて、少女が真剣な面持ちで語り出した。
「知り合ったのは二週間前のことです。最初は魔族の人達がちょっと怖くて、話したりすることもなかったんだすけど、カルラ様達が一度街に戻られたとき、この人が誰よりもカルラ様のこと大きな声で呼んでいて……」
「ああ、こっちからでも目立っていたわよ。どれだけカルラ君のこと好きなんだって感じよね。 それで?」
「はい、それで私も元々カルラ様にご恩があって大好きだったので、どうして魔族の人はこんなにカルラ様のことを慕っているんだろうって興味が湧いて、思いきってこの人に話しかけてみたんです」
そこまで少女が言って、ロイドが代わって続きを話す。
「そしたらお互いカルラ様に救われたってことで話が盛り上がって、いつの間にか意気投合していたんスよ。それで、お互い家族がいなくて一人だってことも知って……
多分、シンパシー的なものを感じたんでしょうね、気がついたら惹かれあっていました」
「です」
さっきまで焦っていた様子はどこへ行ったのやら、二人は目を逸らすことも恥じることもなくそう言った。
こんなところでもカルラ君。本人がいないときでも慕われていて、彼の人徳を改めて痛感する。
それを誇らしいと思うと同時に、ほんのわずか滲む嫉妬心。
そして何を思ったか、自分でもそう思えるくらいには妙な質問を私は二人に投げた。
「……貴方達から見て、カルラ君ってどんな人?」
「えっ、いきなりですね……」
少女がたじろぐ。
「ごめんなさい。答え辛かったらいいのよ?」
「い、いえ、大丈夫です。少し驚いただけですので……
そうですね、難しいですけど…… 簡潔に言えばカルラ様はとても心優しい人だなって思います!」
「同感ッス。俺、この間こいつのお父さんのお墓に行ったんス。そしたら花が供えられていて……
こいつに聞いてみたら、カルラ様が村を立ち寄ったときにはいつも供えに来てくれているらしいんッスよ」
「え?」
初耳だ。彼の口からはそんなことただの一言も聞いたことがない。
そりゃ彼がこの少女のことを気にかけていたのは知っていたけど。
たかが他人のためにそこまで出来るだろうか?
……いや違う。私はカルラ君のそういう一面を知っていた。
彼が、他人の死をまるで自分の家族のことのように悲しむことが出来る人だということを私は知っていたはずだ。
そんなちょっと優しすぎる彼の一面を知っていたから、一度彼を置いて行ったんだ。
なのに、なのに私は彼になんてことを言ってしまったんだ。
大切な人が死ぬ悲しみを知らないだなんて、酷いことを言ってしまった……
「それでね、俺の話になって申し訳ないんスけど、俺そのこと聞いたとき思ったんスよ。
あーカルラ様には敵わねーなって、俺なんかじゃなくて、カルラ様がこいつの隣にいたほうがいいんじゃねーかなって」
「ちょっとロイド、まだそんなこと!」
ロイドが静かにそう言って、横で聞いていた少女が咎めようとした。
カルラ君に嫉妬する人が私以外にもいたんだ。なんてことを私はそのとき思う。
けど、ロイドは少女の口を手で遮って続けた。
「でも、そのことを前にこいつに言ったらめっちゃ怒られたんッスよ。
ふざけたことを言うな、私はあなたと一緒にいたいんだ、って。
そんなこと言われて、気づかされましたよ。他の男を妬む暇があるなら、カルラ様に負けないくらい強い男にならなくちゃいけないなって……」
「……どうして、そんなふうに思えたの?」
「だって、こいつにとっては俺は唯一無二の存在なんス。
カルラ様にはお立場があるから、エルフや魔族、守るべきものがたくさんあるから。
だから、いざというときにこいつを守ってやれるのは俺だけなんスよ」
唯一無二の存在。
そんな言葉が、どういうわけか私の心に深く突き刺さった。
その理由もわからないまま、私は質問を重ねる。
「……貴方達は、今幸せ?」
するとまた、二人を顔を見合わせる。見合わせた後にこちらを向きなおして、彼らは静かに頷いた。
ロイドが言う。
「幸せです。そりゃ家族や故郷を失ってしまったのは今でも悲しいッスけど、この間までは死ぬことだけを考えていましたけど……
けど、今は生きていてよかったなって思います。生きてなきゃ、俺は彼女に出会えませんでした。彼女を一人にしたままでした」
続いて少女が言う。
「私も、村の皆は優しくしてくれるけどずっと不安で一人はやっぱり寂しくて……
でもロイドと出会えたから、今は泣いたりしません。笑顔でいることが亡くなったお父さんへの手向けになると思うから」
「……そう。二人ともいい顔をしているわ。あの頃からじゃ想像出来ないくらいにね」
私は二人にそう言ったが、二人の表情は少し暗く重いものだった。
どうしたのかと不審に思っていたら、ロイドが意を決したように口を開いた。
「あ、あの! こんな大変なときに言うことじゃないかもしれないんスけど! お、俺本気なんです!
こいつのこと、本気で幸せにしてやりたいって思ってます! それでいつか子供作って、家族を持ったりできたらなって思ってて……
もし、もし叶うのなら、ずっとこっちにいたいなって……」
「わ、私も! この人と一緒にいたいです! なんだったら私が彼の世界に行ってもかまいません! どうにかなりませんか!?」
そんなことを突然聞かされて私は思う。
なんともまぁ気の早いこと、と。
……いや、それだけ二人が将来を見据えているということか。
ロイドが言ったとおり、二人は過去に家族を亡くした。大切な人を悪党に奪われ、一度は深い悲しみにとらわれた。
でも、そんな二人はカルラ君に救われ立ち直ることが出来て、無関係だった二人がカルラ君を共通点にして出会った。
そして一度は全てを失った二人が、今は互いに惹かれあって愛を育んでいる。
それはどれだけ素晴らしいことなのだろう。どれだけ喜ばしいことなのだろう。
きっとカルラ君がこの話を聞いたら感動して泣いちゃうんだろうな。彼はああ見えて涙もろいところがあるから……
でも、私はとてもそんな気にはなれない。
今の私に、二人の姿はちょっと眩しすぎる。
気が早いと思ってしまうのはきっと私だけ。私だけが立ち止まったままでいるから、きっとそう思ってしまうのだ。
「……そうね、断言は出来ないけど絶対駄目ってことも無いわ」
「ほ、本当ですか!?」
ここでは言えないけど、どうやらもう遠い過去に私達の世界の魔族はこっちの住人になっているようだし、今更って感じではある。
懸念があるとすれば、他の魔族達も同じ事を言い出さないかってこと。
あと、そもそも私ですら決める権限があるのか怪しいってところ。
ゆえにはっきりしない答えを言ったつもりなのに、二人はまるで完全な了承をもらったかのように大はしゃぎしている。
注意したいところだが、喜ぶ二人の姿を見ているとあまり強くは言えないな。
すると、勢い余ってロイドがこんなことを言い出してきた。
「あ、あの! 俺もう子供につける名前考えていて! カルラ様の名前と同じものをつけたいんですけど!」
「い、いいんじゃないかしら?」
「っスよね! いいっスよね!? んで、カルラって言葉にはどんな意味があるのかな~って疑問に思ってて!」
「私もわからないんですよ! ビスタ様はご存知ありませんか!?」
なんてことを二人は訊ねてくる。
訊ねられて、この子達どれだけカルラ君LOVEなのよなんてことを内心思いつつ私は答えた。
「え、えーっと、そういえば前にカルラ君に教えてもらったような…… 確か、古い言葉で『羽撃く者』だったかしら……?」
私がそう言うと、もともと輝かせていた二人の目がさらに強く輝きだす。
「か、かっけぇぇぇぇ!」
「と、というか、ロイドの子供で『羽撃く』なんてピッタリじゃん! もうこれしかない! これしかないよ!」
「俺羽ねーけどなっ! ヌハハハハ!!!」
喜んでいるようで何よりだ。
この二人が幸せな家庭が持てるようになることを心から願う。
そして私も二人のように立ち直りたいところだけど、やっぱりそう簡単にはいかなくて、むしろお母様やお父様との思い出が蘇って辛くなってしまって……
「……それじゃあ私はここら辺で失礼するわ」
私は涙が溢れる前にそこから離れようとした。
「あ、ちょ、もう行っちゃうんですか!?」
「二人の邪魔するのも悪いから……
魔物ももう近くにはいないみたいだし……」
慌てる二人に私がそう言うと、少しだけしょんぼりしているのがわかる。
そっけない態度で少し申し訳ないと思いつつも、構わず踵を返し立ち去ろうとしたそのときだった。
「私達の話聞いてくれてありがとうございました! あ、あの! 最後に一つだけいいですか!?」
「……なにかしら?」
立ち止まって、二人に背を向けたまま私は耳を傾ける。
「お、男の子が産まれたらカルラにしようと思うんですけど! もし女の子が産まれたらビスタ様の名前をお借りしてもいいですか!?」
「えっ……?」
不意を突かれて、数秒言われたことを理解するのに時間を要した。
なぜ? どうして? カルラ君ならいざ知らず、私なんかの名前を自分達の子供につけたがる?
こんなクズの、意気地無しの名前をどうして?
ご覧頂きありがとうございました。