優しさの裏側
少しずつ、ほんの少しずつ、その関係性は変わりつつあった。
それが、良い変化であるのかどうか、今はまだ分からない。
桜の季節、まだクラスメートの名前も覚えきらないうちに、彼らの攻撃は始まった。「いじめ」という社会的で大袈裟な表現は似合わず、だからもちろん誰にも助けを求めることはしなかった。
彼らの口癖は、いつもこうだ。
「かわいそう、大丈夫?」
「大変そうだから、助けてあげるね。」
「人間として当たり前のことをしてあげているだけだから、気にしないでね。」
私は本当に可哀相で不幸な人間なのだろうか…。少なくとも、彼らよりは日々の生活に満足しているし、ささやかながら未来への夢や希望も持っている。もしも、そんな私の人生が不幸だと言うならば、いったい彼らの人生はどれほど輝かしいものなのだろうか。しかし、そばで見ている限り、彼らのそれは決して喜びに満ちあふれているような気配はなく、むしろどんよりと曇った表情から想像するに値した暗く重たいものにしか思えなかった。
ある日、彼らの中の一人から提案があった。
「みんなで、この世界から逃げ出そうか」
あと数年でいわゆる成人を迎える私たちには、その言葉の意味することがすぐに理解できた。
「そうだね…、いいかもね…。」
誰とはなしにそんな言葉が口からこぼれて、意外と早く皆の気持ちは固まったようだった。
ただ一人、私を除いて…。
それからは、ほぼ毎日のように作戦会議が開かれ、みるみるうちに日時と手段が決まっていった。
私はというと、何一つ意見することなく、肯定もせず、否定もせず、ただただその輪の中心に置かれて過ごす毎日だった。
とうとう決行の日がやってきた。
私はいつものように皆に連れられて家を出た。だが、今日の行く先は教室ではない。
屋上。
皆、鞄の中から、それぞれの思いを綴った手紙や日記、あるいは写真等々の自分達の「生」を惜しんでもらうための品物を取り出す。
私には、そのようなものは何一つ用意できておらず、皆の同情を集めた。
トップバッターは、なんと私だという。
驚いたが、同時に納得はできた。
しかし何とか交渉した上で、私の順番は後回しにしてもらった。
彼らは順に、自分の使命を果たしていく。
ある者は、次の段階へのステップを踏むかのように潔く。
ある者は、全てをあきらめたように仕方なく。
遂に私の番が回ってきた。私は、宙に投げ出されたその体を見事にくねらせ、着地した。
乗り越えるべき柵とは反対の方向に…。
私の行動に驚いた2人と、私だけがこの世に魂と肉体を残す結果となった。
少なからず犠牲者を出した今回のイベントに、世間は様々なかたちでの関心を寄せた。
強く共感する人、
激しく非難する人、
興味本位に面白がる人、
哀れみの涙をこぼす人。
安堵の気持ちでいっぱいの私は、やはり不思議に思えてならなかった。
彼らは、何故そんなにつらかったのだろう…。
何がそんなに、彼らを苦しめていたのだろう…。
現場検証が片付いた後、私は彼らの思いが綴られた遺品を見せてもらった。
『思いが伝わらない! 誰も、本当の気持ちを分かってくれない!』
『自由になりたい! 自分で決めた人生を歩んでいきたい!』
…全く理解できない。
彼らには、思いを伝える「言葉」があるのに。
彼らには、自分で動かせる「手足」があるのに。
私には、生まれつきのハードルがある。それは、かなり高いハードルだと周りは言うが…。
例えば、私には言葉を発する方法がない。
例えば、私には自分で移動する手段がない。
だが、それは、生まれたばかりの赤ん坊が数年かけて獲得していくことを、私がその何倍もの時間や労力を費やして取り組んでいけば良いことだと思っている。
その時間や労力を想像したからといって、彼らが自分たちの未来に抱いていたような「不安」や「絶望」とは結びつかないのだ。
伝える方法があるのに、伝わらない。
動ける手段があるのに、動けない。
これらが彼らの「不安」であり「絶望」であるならば、その能力を生まれつき持ち合わせなかった私は、やはり「しあわせ」なのだろう。
数年の時が過ぎ、はたして私は社会人になった。
思いを伝えるにも、目的地に到着するにも、相変わらずかなりの困難さが残っている。
しかし、彼らに両脇を抱えられるようにして屋上に立ったあの日から、生まれつきのハードルを持たない「しあわせであるはずの人間」に対する私の思いは確実に変わった。あの時、「私を助けてくれる有り難い存在」は、その優しさで私をこの世から連れ去ろうとした。夢や希望にあふれていた未来を、「絶望」という言葉に変換し、世間の憐憫の眼差しに晒したのだ。
今の職場の「しあわせであるはずの人間」は、私という存在と真正面から向き合ってくれる。
だから、私には「裏側」が見えない。
彼らの後ろや隣で「裏側」ばかりを見ていたあの頃と比べて、少しずつその関係性は変わりつつある。
それが良い変化であるのかどうか、その決定権さえ、
私は自分の手中にあると確信している。
-終わり-