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 腑に落ちない。

 腑に落ちない……。

 腑に落ちない…………。


 一昨日からずっとモヤモヤしている。仕事中も、帰宅してからも、そして今も。


 あの人は、容姿にも、環境にも、おそらく才能にも恵まれて育ったお坊ちゃん。

 平々凡々と育った私に、あの人の感覚が理解出来ないのは仕方ないというか当たり前なのかもしれへんけど。


 だけどやっぱり腑に落ちない。


 なんでわざわざ彼にヘルプを頼む?

 彼は今でもあの子が好きやのに……。

 あの人は、彼とあの子が一緒に過ごす事に抵抗がないんやろうか? 嫉妬しないんやろうか?

 それだけ自分に自信があって、余裕もあるって事なんやろか?


 あの子は決して悪い子ではない。私だって、好きか嫌いかの二択ならあの子の事は好き。素直で、真面目で、努力家。周りにも割と気を使えるし……外見は勿論、内面もなかなか可愛らしい。


 だけどなぁ……あの鈍さは罪や。

 ほんまもんの天然は、天然を装うあざとい女よりもよっぽど厄介なんやって改めて実感させられた。


 彼の気持ちをガッチリ掴んで離さないくせに、彼のキモチにはちっとも気付かない。それどころか、笑顔で彼を傷付ける。


 しまいには、ずっと好きだったあの人にプロポーズされて、それを彼の目の前で受け入れた。

 ……彼女は勿論、誰が悪いわけでもない。そんな事、わかってるんやけど。


 あの子がいなくなってからの彼を見てるのは辛かった。

 物憂げに溜息をついたり、淋しそうに笑う姿はまだマシ。間違えてあの子の名前を呼んでしまう姿だったり、その直後に苦しそうに必死で笑おうとする彼を見るたび、私の胸は苦しくて、でも何も出来なくて居た堪れなかった。


 あの子が彼にしてきた事は残酷過ぎる……彼の気持ちも考えて欲しい。

 なんて事を思いながらも、あの子があの人の所に行ってくれて良かったとも私は思う。

 彼の気持ちに気付いて、それをあの子が受け入れてしまったら……そんな事を想像して何度泣いたか分からない。彼の気持ちを応援したいけれど、応援できなかった私が言える事じゃないし、なんて自分勝手なんやろうって自覚もある。


 この感情は、どう考えても「やっかみ」とか「嫉妬」でしかない事くらい、自分でも分かってる。


 あの子が彼をその気にさせた訳でも、(たぶら)かした訳でもない。

 彼が、一方的にあの子に惹かれて好きにしまっただけ。

 私の方が、ずっと長い時間彼と一緒に過ごしてきたのに。彼に気付いて欲しくて、こんなにアピールしてんのになぁ…。




 彼はこの2日間、どんな気持ちで過ごしているんやろうか。

 幸せそうな2人を間近で見て、辛くないんやろうか。

 あの子と過ごせるからって、そんなに嬉しそうな顔して行かなくても良いやん……。



 ほんまに理解出来ひん。

 彼を連れて行ったあの人も、笑顔で彼を傷付けるあの子も、喜んでヘルプに行った彼も、みんなどうにかしてる。


 だけど、1番どうにかしちゃってるのは私自身。

 いつの間に、こんな事しか考えられない嫉妬深い女になってしまったんやろうか。私は、彼にとってはただの同僚で、彼女でもなんでもないのに。






 ***


「9時出発って事は、8時半集合にするべきやと思う」


 前日の私の一言で、8時半には内覧会に招待されたほぼ全員が、集合場所である店の裏口に集まっていた。

 厨房の8割と、サービスでも古株と言われる人たち、それから桃子さんと仲の良かったパティスリーのスタッフが何人か。それぞれ数人で集まって、それぞれ楽しそうに話している。

 ここに居ないのは、前日入りしたパトロンと、それから問題児の北上くんだけ。まぁ、問題()って歳でもないんやけど、北上くんにはその表現がしっくりくる。


「案の定というか何と言うか……1番下っ端が遅刻してどないすんねん!」

「まぁ、北上らしいっちゃ北上らしいですけど」

「それより、彼の服装が心配ですね……」

「宇部ちゃん、それやねん」

「俺もそれが心配です……」

「流石にそれは大丈夫じゃない? あの子だって3年ギャルソンやってたんだし。お客様がどんな格好で店に来てるかくらい把握してるでしょ?」

「それはそうなんやけど……。だけど、加奈子は逆に気合い入りすぎやで、昼なんやから」

「それ篠山が言う? あんたが一番気合入ってるじゃない?」


 皆がそうしているように、私、山田くん、宇部ちゃん、加奈子の4人も迎えのバスを待ちながら話している。話題がまだ姿を見せない北上くんと彼の服装の事なんやけど。


 今回の内覧会は一応ドレスコードが設けられているらしい。

 自分らの働く店『Je porte bonheur』、つまり敷居の高いフレンチレストランでディナーをする時の服装で来れば問題ないと言われているので、皆それなりに気合の入った格好だ。

 シェフ・ド・キュイジーヌの羽田さん、デセールの関さん、立花さんのお偉いさん方はタイはしていないものの、洒落たスーツで決めているし、スーシェフ小林さんやソムリエ笹木さんなんかはオーソドックスなスーツに律儀にネクタイを締めている。山田くんだってセットアップのスーツではないけど、きちんとネクタイも締めてジャケットも羽織っている。

 加奈子は彼女のキャラによく似合った、背中が大胆に開いたボルドーの膝丈のドレス。他の女の子たちは、大体ワンピースにカーディガンやストールを合わせている。

 勿論私だって気合が入っている。新調したスモーキーピンクのワンピースを着て、いつも通っている美容院に無理を言って早朝から髪のセットや、普段しないようなつけまつげまで着けてもらって、メイクもバッチリ。


 確かに、加奈子の言う通り、1番気合い入ってるのは私かもしれへん…。




 結局、北上くんがやってきたのは、お迎えのバスが来た直後、集合時間の15分後だった。

 そして、加奈子の予想は外れ、私と宇部ちゃん、山田くんの懸念が現実となってしまう。


「すみません! 寝坊しました……」

「篠山さんの言う通り、集合時刻を8時半にして正解でしたね」

「……北上、昨日服装に気をつけろって言ったよな?」

「おう!山田に言われた通り、キレイめの服装で来たぜ!」

「……その格好、夜は確実に浮くで?」

「デニムとTシャツときたかぁ……北上くんはある意味みんなの期待を裏切らないわね」


 北上くんは自分の働いている店がどういう店なのか理解しているんやろうか……。


 いつものダメージ加工されたデニムでは無いものの、ノンウォッシュのデニムとTシャツといった出で立ちで現れた北上くんに、ほぼ全員が突っ込んだのは言うまでも無い。


「最悪入店断られたら、コックコート借りて裏方手伝っとけばいいんじゃねぇ?」


 スーシェフの小林さんが笑いながらそう言うと、本日のドレスコードの意味にようやく気付いたのか、北上くんの顔が一気に青ざめた。


「ボヌールに来る時の服装って……つまり、食事に来る時の服装って事ですか?」

「しかも夜やで? デニムはナシ。ジャケットも着とくべきやろうなぁ」

「マジっすか!? 今から着替えに……」

「もう時間だから出発するぞー! これ以上お前を待つのはゴメンだからな!」

「小林さん……俺も料理食べたいっす」

「まぁ何とかなるだろ、さぁ乗った乗った!」


 テンションダダ下がりの北上くんはご機嫌な小林さんの隣に、私は加奈子と、宇部ちゃんは山田くんとそれぞれバスに乗り込んだ。


 予定よりも10分早く出発したバスは渋滞にハマる事なく、順調に目的地に向かい進んで行く。

 皆が思い思いに過ごすその車内で、私はネガティブな思考に取り憑かれ、自己嫌悪に陥っていた。






「篠山、今機嫌悪いでしょ?」

「そんなことない……」

「佐伯っちに言っちゃえばいいのに。好きだ! って、私の事見てー! って。」

「か、加奈子!」


 バスが高速から降りると、先程まで私の隣の席で寝ていたはずの加奈子が目を覚ましたらしい。今日はまだ酒が入っていないというのに、反省会のノリでニヤけながら話しかけてくる。


「夏月ちゃんも贅沢だよね? あんなに素敵な旦那様がいるのに、佐伯っちにも思われてさぁ。佐伯っちも酷いよねぇ……すぐ近くにずっと思っている人がいるのに、ね?」


 加奈子の言葉に私はフリーズしてしまった。


「そんなに心配しなくても、大丈夫だって。夏月ちゃんは旦那様に夢中だし、佐伯っちなんて眼中に無いもの」


 フフフ、と笑いながら私の肩を叩く加奈子に私は苛立っていた。

 もう嫌やぁー!! そんな事、私だってわかってるんやから言わんといて欲しい。


「今日はあんたの事、『篠山』じゃなくて『茜ちゃん』って呼んであげるわ。服装もメイクも気合入ってるし、髪だってサロン行ったんでしょ? そこまで気合入れてる理由なんて、佐伯っちに女の子として見られたいって事以外あり得ないよね? 王子様のモノになった夏月ちゃんじゃなくて、すぐ近くでずっと見てきた自分を見てほしいって事でしょ?」


 図星だった。

 あの子よりも可愛くなれるわけなどない、綺麗になれるわけでもない。だけど、出来る限り自分をよく見せたい私の願望が反映された結果が今日の私だ。

 私だって彼から、名前で呼ばれたい。

 私のフルネームは『篠山 茜』。昔から、私は名字や『姐さん』なんてあだ名で呼ばれることが多い私は、下の名前で呼ばれることが極端に少なかった。

『茜ちゃん』なんてキャラじゃないし、そう呼ばれていたのは幼少時のみだ。

 だけど、彼に『茜』とか、『茜ちゃん』と呼んでもらいたい……。


「加奈子、今日だけじゃなくてこれからはずっと『茜』って呼んでも良いで?」

「仕方ないなぁ……じゃあそう呼んであげるわ。」

「私も茜さんって呼びますよ?」

「じゃあ俺も茜さんで。」


 加奈子だけに言ったつもりが、宇部ちゃんと山田くんまで便乗して呼んでくれることになった。


「……ってさっきの話きいてたんかいな!?」

「そりゃあ同じ空間にいるわけですから……そのボリュームじゃあ嫌でも聞こえますよ?」

「篠山さ……じゃなくて茜さんが佐伯さんの事好きなのは本人以外みんな気付いてるから今更ですしね」


 佐伯っち以外全員気付いてるって……私はそんなに分かりやすいんやろうか?

 顔を見あわせて笑う宇部ちゃんと山田くんに指摘された私は少し落ち込んだ。


 この2人はくっつきそうでなかなかくっつかない。

 周りが「早くくっつけばいいやん……」と思っているのに対し、本人たちは今の関係が一番居心地がいいのだと言う。


 まぁ、色々な恋愛の形があるって事やな。


 蘇芳さんと夏月ちゃんみたいに、強く思いあっていても、上手く噛み合わなくてなかなか結ばれないこともある。


 佐伯っちや私みたいに、脈が無いって分かっていても、どうにか相手を振り向かせたくて思い続けたり。


 加奈子みたいに一人に縛られるのを嫌い、色々つまみ食いして楽しむのも、相手と周りに迷惑をかけないならアリやと思う。


 宇部ちゃんと山田くんみたいに、友達以上恋人未満な関係もなんか気楽そうで羨ましい。


 涼さんと桃子さんみたいに、国境をまたぐような遠距離恋愛を乗り越えて育んだ愛には憧れる。


 昔の私がしていた恋愛は、そのどれとも違う、独りよがりの最低な恋愛だった。

 自分にも非があるのに、それを必死で正当化しようとしていた。周りが全く見えていなかった。

 そんな恋愛から抜け出すきっかけを与えてくれた佐伯っちには凄く感謝をしている。


『もっと自分を大事にした方が良いんじゃないですか?』


 きっと彼は覚えていないんやろうけど、彼のその言葉に私は救われ……それがきっかけで彼に恋をしたんやっけ。






 ***


 気付けばバスは目的地に到着していた。

 降車すると、なんとなく見覚えのある男の人が私達を迎えてくれた。関さんと立花さんは面識があるらしかった。


「王子の家来……って言うか秘書さんね。王子と一緒にウチにもよく来てたあの人、支配人なんだって。ちょっと意外じゃない?」


 いつの間にやらそんな情報を仕入れてきた加奈子のフットワークの軽さは、いつものことながらすごいと思う。


 一面がガラス張りの開放感のある白い建物。可愛らしいパティスリー。そしてその先広がる、緑色の広大な葡萄畑。その奥には、悠然とそびえ立つ南アルプスの山々。


 思わずあちらこちらから上がる歓声。

 更にどんどん進んで、メインの建物の奥にある真っ白なチャペルが姿を現すと、私達を迎え、ここまで案内してくれた支配人の小山田さんが立ち止まった。


「ちょっとしたトラブルというか、ミラクルが起こりまして、披露宴の開始が30分ほど遅れる事になりました。実は、それだけでなく、本来ならもう始まっていたはずの挙式がもう間も無く執り行われます。是非皆様にもご参列頂きたいとの事ですので、チャペルへご案内いたします」

「ちょっと待って下さい、挙式とか披露宴とか、聞いてないんですけど……」

「実は『内覧会』と言う名の結婚披露宴だったんだよ。新婦の桃子も今朝まで知らなかったっていうサプライズの、な?」


 ざわつく私達の前にやってきたパトロン。パトロンが同意を求めると、お偉いトリオが3人同時に頷く。

 って言うか、結婚式なら来る前に言ってもらわな困る!!

 涼さんにも桃子さんにも散々お世話になったのに、お祝いも何も持たず手ぶらで来てしまったやないかー!

 そう思ったのは私だけでは無いらしい。

「そんなもん後日郵送でも何でもすりゃいいだろう?」というパトロンの一言でとりあえずは解決した。


「とりあえずご祝儀問題は良いとして、北上くんはコックコート決定やな…。」

「北上、急いで佐伯探せー!あいつ、ジャケット余分に持ってるはずだぞ?」

「関さん、俺、此処にいますけど?」

「佐伯、アホの北上にジャケットとあればデニムじゃ無いパンツ貸してやってくれ。なけりゃコックコート着せて三田の手伝いでも良いぞ?」

「残念ながら、ジャケットもパンツも有りますけど、コックコートとどっちが良いでしょうね?」

「佐伯さんが神に見える!! 俺にジャケットとパンツ貸して下さいー!!」

「北上……流石にその格好はナシだな」


 ひょっこり顔を出した佐伯っちは、呆れながらも北山くんにジャケットとパンツを貸してあげたらしい。

 インナーはTシャツのままやけど、ジャケットを羽織ってボトムを変えると北上くんもどうにかそれらしくなった。


 それよりも私には気になることがあった。

 佐伯っちの目が赤い……泣いたんやろうけど……理由が気になり過ぎる。


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