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「すみません、お先に失礼します」
「おう、こっちは任せとけ!」
「俺も頑張りますんで! 佐伯さん、行ってらっしゃーい」
関さんと山田に笑顔で挨拶し、先に上がらせてもらう。2人とも笑顔で送り出してくれた。
他の皆も、割と好意的な反応だったがただ1人、明らかに不服そうな顔をした人がいる。
「佐伯っち、マジで行くんかいな……ヘルプって涼さんやなくて夏月ちゃんとこってホンマ? 有給とか羨ましいなぁ……」
篠山さんだ。
悪い人では決してない。ただちょっとはっきりした物言いでお節介なだけ。
一緒に仕事をしていた時期が割と長いせいか、俺に対しては特に容赦ない。
「別に涼さんでも夏月ちゃんでもどっちでもいいじゃないですか?」
「良くないやろ!? っていうかその浮足立った様子は間違いなく夏月ちゃんの手伝いや! ……ほんまに平気なん?」
「平気に決まってるじゃないですか」
特に、夏月ちゃんに関わることについて彼女と話しているとお節介が過ぎるというか、少々腹立たしいと感じることが今までも度々あった。
今日もそうだ。
「あーりーえーへーんー」
「もうほっといてください。……お先です」
そろそろ迎えが来る時間と言うこともあり、少し冷たい気もしたが会話を切り上げて先に上がらせてもらう。
支度をして従業員用の出入り口から外へ出る。そこにはすでに2人が待っていた。
近くのパーキングへ移動し荷物をトランクに乗せ、俺は後部座席の運転席側に乗り込んだ。
紳士的な動作が身に付いているのは、英さんの職業柄という事だけでは無く、多分そういう環境で育ってきたからなのだろう。夏月ちゃんにしたってそうだ。彼のエスコートをごく自然に受け入れている。
左ハンドルの車の助手席に座る彼女。嫌でも目に入ってしまう左手の指輪。
緩く巻かれた長い髪は以前よりも少し長く、時々振り返って見せるその笑顔も、以前の彼女とはどこか違う。
「お手伝いしてくれるのが佐伯さんで本当に良かった!」
「夏月、やけに嬉しそうだね? 誠治君と仕事できるのがそんなに嬉しい?」
「そりゃ嬉しいですよ? 招待客の数が倍以上になったって聞いたとき、徹夜を覚悟しましたもん。でも助っ人が佐伯さんなら安心して任せられますから。自分の仕事に集中できますし、かなり余裕が出来ますよ?」
俺に対する彼女の評価が嬉しい。けれどそれは彼女が俺に対して恋愛感情が無いからこそ、俺の好意に気付いていないからこそなのだろう。
こんなに無邪気な笑顔で言われてしまうと少し複雑だ。
かといって、俺の好意に気付いていては、こうやって声をかけてもらうことも、笑顔で彼女と彼と話すこともないのだというのが分かっている。
英さんもそれを分かっているはずだ。彼女の答えを聞いて少し不服そうにしたものの、車内の空気は和やかなのだから。
「夏月ちゃん、人数が倍以上になったって言った? 英さん、どういうことですか?」
「まぁ色々あって……涼と桃子さんの披露宴を兼ねることにしたんだよ。それで、両家の家族や親戚、友人を呼んだら結果的に当初の倍以上になっちゃったわけ」
「私も今朝やっと教えてもらったんですよ? 酷いでしょ? しかも昨日が親会社の関係者向けの内覧会だったんですけど、明後日の分のプチガトーまで出しちゃったって……佐伯さんにお手伝いに来てもらえると本当に助かるんです」
思っていた以上に明日は忙しくなりそうだ。
明後日のお披露目のデザートはビュッフェスタイルでの提供。メインは涼さんの店のケーキではあるが、数も種類も当初の半分程度になってしまったそうだ。
桃子さんの手前、涼さんの方の明日の仕込みの大幅な予定変更も出来ないらしく、明後日分の補てんとして、俺と夏月ちゃんで色々準備するらしい。
それに加えてウェディングケーキもある。
明日の作業予定を夏月ちゃんに簡単に説明してもらい、大体の分担の相談もした。
どうやら彼女は悩んだ時、髪をかき上げる癖があるらしい。
そう言えば、悩んでいる時はおでこに手を当てていたっけ。仕事中はきっちり纏められていたので、髪をかき上げる事が出来なかったからなのだと納得する。
髪を下ろした彼女のそんな仕草を見るのはとても新鮮でドキリとしたが、その仕草をする度に彼女の左手の薬指に輝く大粒のダイヤモンドが視界に飛び込んできて、何とも言えぬ気持ちになってしまう。
とても俺がプレゼントできるような代物じゃない。
「すごいですね……それ」
思わず口にしてしまった。
「残念ながらプレゼントしたの、僕じゃないんだよね」
「意味が分からないんですけど……? 英さんじゃなかったら誰がそんなもの夏月ちゃんに贈るんです?」
「僕の祖母」
てっきり英さんが贈ったものだと思っていたら、どうやら違ったらしい。俺が不思議そうな声をあげたせいか、英さんがその経緯を話してくれた。なかなか粋な事をするお祖母様だ。
「悔しいんだけどさ……それが婚約指輪になっちゃったんだよ。夏月はこれ以上指輪いらないって言うし。初めは結婚指輪さえいらないって言ってたんだよ? 信じられないでしょ? だから先月、半ば強引に選びに連れて行ってさぁ……」
何とも不満そうに英さんは言った。夏月ちゃんが指輪をいらないと言う理由も分からなくはない。
仕事中心の生活を送ってきた彼女にとって、仕事の邪魔になる指輪にあまり魅力を感じられないのだろう。
しかし、男として好きな女性に指輪を贈りたい気持ちだって良く分かる。
「仕事中出来ないのは分かるけどさ、流石に結婚指輪いらないってのはナシだよ。 英さんが可哀想だと思う……英さんもいらないって言うなら、無しにするのもアリだとは思うけど……」
「ほら、やっぱり必要だろう?」
「もうその話はいいじゃないですか。結局作ってもらって、今こうやってつけている訳ですし……むしかえすのはやめましょうよ?」
2人の何気ないやり取り。彼の笑い声。彼女の笑顔。不思議とこの空間の居心地は悪くない。
彼女への思いは……思っていたよりも薄れてきているみたいだって、実際2人と会って実感した。
ボヌールで食事をした後、2人は英さんの実家へお祖母様へ指輪のお礼へ行ってきたらしい。
「指輪のお礼にお花を持って行ったの。お礼に行ったはずなのに、お土産沢山頂いて来ちゃったから、なんだか申し訳なくって……」
「良いんだって。祖父母も孫娘が出来たみたいって喜んでたし。僕は男2人兄弟だし、父も男3人の兄弟だから、女の子が新鮮で可愛くて仕方がないんだろうね。好きにさせてやってよ。多分母が本気出したらもっとすごいと思うから、覚悟しといて」
どうやら夏月ちゃんは英さんの家族にも大切にされているらしい。
「英さんってご兄弟いたんですね。てっきり一人っ子かと……」
「何それ? 僕がワガママだって言いたいの?……って冗談。少し年の離れた兄がいるよ」
率直な感想を言えば、笑いながら彼に家族について話してくれた英さん。
そんな話をしているうちに、車は高速を降り、あっという間に英さんの店 ”La lune d'été” へと到着した。
辺りはうっすら暗くなり始め、店の奥に広がるブドウ畑の上には白く輝く月。
「店の名前の由来はこの景色。初めは好きな子の名前をもとに冗談半分でつけた名前だったけど、この景色見ちゃったら他の名前なんてつけられなくなっちゃってさ」
夏の月——La lune d'été ――英さんがそう言う通り、その眺めは見事だった。半分近く欠けた月でさえこんなに美しい景色なのだから、満月であれば圧巻の美しさなのだろう。
いつか、この目でその景色を見てみたい。夏の夜、白く光り輝く満月をこの目で……。
明日の作業がスムーズになるようにと、英さんに店の鍵を開けてもらい、夏月ちゃんの案内で厨房を見学させてもらう。ボヌールよりも小ぢんまりとしているものの、充実した設備で非常に使い勝手が良さそうだ。どこに何があるのか大体の場所も把握できた。
続いて店内の見学。解放感があって広い店内、12席ほどのバーカウンター。サービス動線もなかなか良いし、テーブルとテーブルの間隔も広くゆったりしている。
良いなぁ…この店。
「そろそろ行こうか?」
英さんに声をかけられ、再び車に乗って連れてこられたのは近くのリゾートホテルだった。どうやら俺は今日ここへ泊まるらしい。
「佐伯くん、久しぶり! 元気そうね。みんなも元気?」
「わざわざ来てもらって悪いな。店見てきたんだろ? どうだった?」
そこには涼さんと桃子さんが待っていて、軽く挨拶を兼ねた会話を交わすと直ぐ、桃子さんは夏月ちゃんを連れてどこかへ行ってしまった。
男3人、メインバーで軽く食事をとりながら飲む。
桃子さんと夏月ちゃんはエステでマッサージだそうだ。
「明後日、実は夏月に内緒で式挙げようと思ってるんだよね」
「それでエステですか…。」
「佐伯まで巻き込んで悪い。桃子がヒデたちさえ挙げてないのに自分たちがあそこで1番に挙げるのは嫌だって言うから俺が頼んだんだよ」
「涼と桃子さんが11時から挙式。11時半頃ボヌールのみんなが到着予定。僕と夏月は10時から式挙げるんだけど、夏月の支度を9時から始めたいんだよね。と言うわけで、当日の仕上げはそれまでに終わらせてほしいわけ。…良かったら誠治君にも僕等の式に参列してもらいたいんだけど、良いかな?」
「喜んで。でも夏月ちゃんになんて言って仕事切り上げたら?」
内緒でって事は悟られないように切り上げろって事で、なかなか難しそうだ。
「それなら大丈夫。桃子さんの支度のついでに夏月のヘアメイクもお願いしたってこっちで言っておくよ」
「ちなみに、桃子は明後日は自分じゃなくてヒデと夏月の挙式披露宴だって信じてるから、桃子に何か言われたらその辺話を合わせておいてくれ」
なかなかややこしいが、まぁなんとかなるだろう。
翌朝、英さんが迎えに来てくれて彼の店へ向かった。到着早々、懐かしい顏に遭遇する。
「あれ? 佐伯じゃん? お前ココで何してんの?」
「マジか!? 三田じゃん! ……お前老けた?」
店の裏口でバッタリ会って声をかけられたのは、ボヌールで同期だった三田だ。彼とは1年間一緒にギャルソンをした。その後5年厨房、主にデセールで働いて、5年前に確かケーキ屋で働くとかでボヌールを辞めたんだっけ。
「老けたはねぇだろ? でも仕方ないって、年齢的にも実際おっさんだし。……佐伯は変わらねぇなぁ。で、何でココに?」
「今日はヘルプ。夏月ちゃんの手伝い」
「……夏月ちゃん? そんな呼び方してヒデさんに怒られないわけ?」
「は? ずっとこうだけど?」
三田によると、涼さん以外の男性スタッフが彼女を名前で呼ぶと英さんからクレームがつくとか。結構子供っぽいとこあるんだよな……英さんって。
三田と別れ、英さんにコックコートを借りて着替え、厨房を覗くと夏月ちゃんが計量をしていた。他にはまだ誰もいない。
「夏月ちゃん、おはよう。早いね?」
「私の家、この上だし。英治さんが出るときに一緒に家を出たから。今日はよろしくお願いします」
挨拶もそこそこに、早速作業に取り掛かる。
まずは、ウェディングケーキ用のジェノワーズ。ボヌールの配合と少し違う。
バターが多めで、涼さんのオリジナルらしい。
ふと目に入った彼女の右腕には、火傷の痕が幾つもあった。薄いもの、濃いもの、まだ傷が痛々しいもの、かさぶたになっているもの。
ボヌールを辞めるときには無かった筈なのに……。
「夏月ちゃん、腕……火傷してる」
「ああ、これね。ここだと1人だし、私そそっかしいから、ついうっかりが結構多くて。だけどそれだけ頑張ってる証拠って事だよ」
笑顔であっけらかんと答える夏月ちゃん。全く気にしていないようだ。
「英治さん、結構うるさいんだよね。長袖羽織れば隠れるし、私は気にしていないのに……過保護でしょ?」
「それは気にしようよ」
俺の努力は無駄だったのかもしれない。そう思うと少し悲しかった。
でも、俺がここにいる間だけでも、火傷を増やさないようにしたい。なので、オーブンの出し入れは請け負う事にする。
8時を回ると厨房のスタッフが出勤してきたので、自己紹介を兼ねて挨拶をする。スタッフの数は思っていたよりも少なかった。
「佐伯さん、マカロン仕込みましょう。せっかくだからハート形で」
挨拶を終え、夏月ちゃんの提案で、急遽マカロンも作ることになった。淡いピンク色のマカロンだ。
サンドは、涼さんの店から、拝借した桃とヴァニラのコンフィチュール。
もちろん桃子さんにちなんで桃のマカロン。
それから、小さなマドレーヌとフィナンシェも焼いた。
マカロンと一緒に並べるのだ。
久し振りとは思えないほど、彼女との仕事はやりやすかった。
ジェノワーズもマカロンもマドレーヌもフィナンシェもどんどん仕上がっていく。
「なんだか息ぴったりですね」
途中顔を出した岡崎さんという女性に声をかけられる。
「俺、夏月ちゃんの弟子なんで」
そう笑って答えると、少し驚いた顔をされた。
それからシュー生地を仕込み、一口サイズに絞り出してフリーザーへ。明日の朝、焼いて仕上げる。
パート・シュクレを一口サイズのタルトレット型にフォンサージュする。数が多い上、小さいので時間がかかる作業だ。2人で合わせて100個ほど。
そこにクレーム・ダマンドを少量絞って焼き上げる。
明日、クリームを絞り、カットしたフルーツを乗せればフルーツタルトになる。
ここで昼の休憩。
ホールのスタッフにも自己紹介兼挨拶をする。
英さんの右腕の小山田さん、フランスで一緒に働いていたという鈴木さん、ジャンさんにやたらと絡まれる。
小山田さんは英さんと一緒にボヌールに何度もいらっしゃっているので顔見知り、と言って良いだろう。彼も俺を覚えていたみたいだし。
「噂のパティシエの彼……まさかここで会えるとは思っていなかったヨ!」
「ヒデのライバルだもんなぁ……」
「彼はヒデのお気に入りのギャルソンだったんですよ、実は」
3人から聞いた話はなかなか面白かった。俺もボヌールで変態扱いされているが、英さんも変態扱いされている、いわば変態仲間だった。
きっと夏月ちゃんには惚れた男を変態にさせる何かを持っているに違いない。
そんなふざけた話だけではなく、真面目にサービスの話なんかもして、短い時間だったけど、すごく楽しかった。
午後からは、涼さんが仕込んだ彼の店のケーキのカットや仕上げの準備をする。
キャドルで仕込んだムースが4種類。
赤ワインとフリュイ・ルージュ、抹茶、シャンパーニュ、ショコラ・オランジュ。これらは指定されたサイズにカットする。商品として販売するサイズの4分の1のサイズらしい。
チーズケーキが2種類。
以前夏月ちゃんが考案して限定メニューになったフロマージュ・キュイと、ブリーを使ったフロマージュ・クリュ。
フロマージュ・キュイは通常ホールを6カットするところ、16カットにナイフを入れる。
ブリーの方はまだ柔らかく、カット出来ないので明日に回す。
シリコンの型で仕込んだムースが3種類。
夏月ちゃん考案のフランボワーズとショコラのムース、イボワールと赤ワインとルバーブのムース、3種のプラムのムース。
これらは型から抜き、明日の朝すぐにグラッサージュをかけて仕上げられるように並べて置く。
それから、シャンティショコラを作り、イチゴと一緒に残しておいたジェノワーズでサンドする。
クレーム・パティシエールを炊く。
明日、焼いたシューに詰めるのだ。
それから一口サイズのタルトレットにも使う。
その間に、夏月ちゃんはウェディングケーキの準備を進めていた。
2種類の大きさのハート形に抜いたスポンジ、サンド用のイチゴ、生クリームと格闘中。
今日はサンドするところまで。その後の仕上げは明日の仕事。
その後、夏月ちゃんは部屋の隅で黙々と作業をしていた。声をかけるのを躊躇ってしまう程、真剣な彼女。
なるべく邪魔にならない様に、俺は俺で頼まれた仕事を進める。
「出来たー!!」
夏月ちゃんの嬉しそうな声が聞こえたかと思えば、出来上がった作品を持って俺のすぐ側まで来ていた彼女。
マジパンで作られた2体の人形。どことなく、涼さんと桃子さんに似ている。
髪の毛の1本1本、まつ毛、ドレスのフリルなど細部まで丁寧に作られた新郎新婦姿の2人だ。
「すげぇ……器用だ……可愛いし……そっくり」
「本当? ちょっと英治さんに見せてくる!」
数分後、満足げな顔で戻ってきた夏月ちゃん。
「英さんとか皆の反応どうだった?」
「好評だったよ! 英治さんも似てるって言ってくれた。ところで、どう? 終わった?」
「うん、後は片付けだけ。」
「ありがとう! 本当に佐伯さんで良かった!」
彼女の満面の笑みで幸せな気持ちになる。
やっぱり笑顔の彼女は可愛いな……なんて思ったり。一緒に仕事をすると刺激になるし、楽しいし、何より勉強になる。
「佐伯さん、これで見落としないかな?」
片付けの途中、声をかけられる。彼女が差し出した紙には、明日する事がまとめられていた。
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【朝のうちにする事】
・グラッサージュ仕上げ→カット→盛り付け
・ショートケーキ仕上げ→カット→盛り付け
・カットした4種のムース→盛り付け
・フロマージュ・クリュカット→盛り付け
・フロマージュ・キュイ→ソースと盛り付け
・シュー焼く→クリーム詰める→盛り付け
・タルトレット仕上げ→盛り付け
・ウェディングケーキ仕上げ
・焼き菓子盛り付け
【三田さんにお願いすること】
・口直しソルベ盛り付け
・ビュッフェ用フルーツのカット
・入刀後のケーキのカット
・ビュッフェの準備・追加
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「これで良いんじゃない? うん、いいと思う」
「私、明日は9時から支度しなくちゃいけないの。それで、かなり佐伯さんあてにしちゃってるけど……良い?」
「勿論だよ。その為に来てるわけだし。そうしてもらわないと逆に来た意味無いし」
「ありがとう! 残りの片付けもお願いしてもいい? ハルさんとこお手伝い行ってくる。今日ハルさんたち、明日のお土産仕込んでるんだよね。引き菓子っていうかさ……。その包装の仕上げしてきます」
「いってらっしゃい」
相変わらず几帳面で真面目だな……と思う。
こんなに集中して楽しく仕事が出来たのは久しぶりだ。
ボヌールも良い店だと思うけれど、ここもきっと良い店になるだろう。
もし、ボヌール以外で働くならこんな店が良い。いや、この店が良い。
「佐伯さんって、蘇芳さんと昔付き合ってたりするんですか?」
作業台の拭き掃除をしていると不意に後ろから声をかけられた。
えーと、この人は……確か……山内さん?
って、なんかこの人、思いっきり勘違いしてないか!?
「それは無いです! あり得ません!」
「そこまで否定するなんて逆に怪しいですね?」
「そんな! 男に興味ないんで!」
「……!? 佐伯さん、なんか勘違いしてません? 蘇芳さんって、奥さんの方ですけど?」
「……へ? あ、そうか。夏月ちゃんも『蘇芳さん』なんですね。すみません。てっきり、英さんかと……」
俺がそう答えると思いっきり笑われてしまった。流石に会ってその日に同性と付き合ってたんですか?とか普通聞かないよな。
「ところで、実際どうなんすか? 奥さんの元彼だったりするんですか?」
「ナイですって。彼女の態度見たらわかるでしょう? 俺なんてとても相手にされてなかったというか……」
「って事は片思いしてたクチですか?」
「!?」
「分かりやすいですね。奥さん可愛いですもんね!」
俺ってそんなに分かりやすいのか……と軽く凹む。
なのに本人気付かないとか……初対面の人が気付くのに何で気付かないんだろう……。まぁ今更気付かれても困るけどな!
夜の賄いの時、夏月ちゃんも英さんも不在だったので、他の人達にまで先程と同じ質問をされた。
どうやら、俺が彼女を「夏月ちゃん」と呼んでいる事と、彼女との仲の良さが怪しまれる原因らしい。
「奥様は厨房だとヒデに冷たいからね……まぁ原因はヒデなんだけど。以前仕事中にちょっかい出しすぎて怒らせて……その原因が欲求不満とか奥様が気の毒過ぎる。」
「小山田さん……そういう情報いらないから……」
こっそり彼が教えてくれた情報にブルーになる俺。って未練がましいな、相変わらず。




