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「ちょっと用事があるから、マッサージでもしてもらって待っていて。仕事で疲れているでしょ? 終わる頃にちゃんと迎えに来るから」


 そう言って何処かへ出かけて行った英治さん。

 好きなアロマオイルが選べるということで、グレープフルーツを選んでマッサージしてもらうと、あまりの気持ち良さについつい眠ってしまった私。

 でも、昨日の夜とか今朝の方が気持ちよかっただなんて恥ずかし過ぎて口が裂けても言えない。


 ボディとフェイシャルをフルコースでマッサージされ、さらに顔やデコルテをパックされて……。

 一通り終わると自分の肌だとは思えないくらいつるつるになっていた。


 なぜか下着の上からバスローブを着るように言われ、通されたのは大きな鏡の前。

 そして、髪をカーラーで巻かれて……メイクも……? 下地からすごく丁寧に……って、濃くないですか?

 そう言えばさっきからまな板の上の鯉状態?

 仕事の疲れをいやすためのマッサージじゃないよね? これ。そんなことを考えているうちにメイクもヘアもきれいに仕上がって……。

 頭に花まで飾ってる?

 立ち上がるよう言われたかと思うと、鏡張りの個室へ連れて行かれ…え?バスローブ脱ぐんですか?

 採寸?なぜ?

 下着を脱げと言われなかったのが幸いですが、一度退室して戻っていらした女性の手には下着が…え?これを着けるんですか?手伝うから脱げ?どういうことでしょう?

 寝起きで頭が回りません。

 もう開き直って脱ぎました。

 あはは……もうどうにでもなれ……。

 そういえばエステでは脱いでましたね……。でも、タオルが有ると無いとじゃ大違いです。


 すごい下着(コルセット付き)を着け、再びバスローブを着て待っていると、此処がなんなのかやっと分かった気がした。

 偵察に行った結婚式場で……ドレスを試着した部屋と造りが似ている。

 此処の方がずっと高級感がある、実際そうなんだろうけど……さすがラグジュアリーなシティホテル。


 すぐに大きな布の塊を持った女性が部屋に入ってきたと思ったら、彼女が抱えていたのはウェディングドレスで。


 でもなぜ? 何も聞いてない……。

 真っ白というより、ほんのり色がついている。

 シャンパンゴールドというのだろうか?

 デコルテの大きく開いた……ビスチェタイプでビーズ刺繍やら、レースやらパールやらがやたらついていて、ものすごくゴージャスなもの。トレーンもすごく長い。

 この間試着したドレスに形が似ている。この前よりもずっとトレーンが長いし、装飾も多くてとても煌びやかだ。

 着替えて部屋を出ると、タキシードを着た英治さんが待っていた。

 いつもはきりりとした顔なのに、若干鼻の下が伸びているのは気のせいだろうか?

 それにしても、英治さん……何を着ても素敵なんですね。

 基本的にスーツ姿しか見たことないんですが、タキシードをこんなに着こなしている人初めて見ました。

 ついつい見惚れてしまった私。


 でもこの状況……どういうこと?

 あ、英治さんの顔が通常営業に戻りました。

 きりりとした美男子? 美青年? 美中年じゃ失礼か?

 ともかく、とても恰好良いのだ。

 先ほどまで私のお世話をしてくださった女性は私たちを見てニコニコしている。


「さぁ、行こうか」

「あの、状況が飲み込めないんですけど……」

「夏月のドレス姿を見てみたかっただけ。僕のわがまま。せっかくだから写真撮ろう?」


 そして私は手を引かれて……ついたのはチャペル?って、前撮りですか!?

 式の予定も無いのに!?

 昨日プロポーズされたとはいえ、お付き合いを始めたのも昨日ですよ!?


 やたらと機嫌の良い英治さん。

 頭の中ぐちゃぐちゃの私。


 深く考えるのをやめたらずいぶん落ち着きました。


 緊張もほぐれてくると、すごく幸せな気分になった。

 大好きな人の隣で笑っている自分。

 少し前には考えられなかったこの状況がくすぐったくて、でも嬉しくて……一生独身を覚悟したあの日が嘘みたい……。


 撮影が終わり、ドレスを脱ぐと、へアメイクを手直しされて、今度はなぜか着付けをしてもらっていた。

 綺麗な青系の訪問着だった。

 裾に向かうほどブルーが濃くなっていく。


「夏月、和装も良く似合うよ」


 朝別れた時と同じスーツに着替えた英治さんが待っていた。


「この色、何色か知ってる?」

 肩のあたりを指さして英治さんが尋ねる。

 淡い水色。とても綺麗な色。


「水色?」

「まぁ、そうとも言うけれど…水縹(みずはなだ)だよ。夏月の苗字と一緒。もうすぐ変わっちゃうけどね」




 そうだ。幼いころ嫌いだった自分の苗字。


『なっちゃんの名前の色ってきれいな色なんだよ。ほら、あんな色』


 空を指さし、あのマカロンをくれた少年が教えてくれた。その彼が目の前にいる。

 嫌いだった苗字を好きになれたきっかけがずっと思い出せなかった。

 でも、今思い出したんだ。




「忘れていたの?って、僕もさっき思い出したんだけど。この着物見てさ」


 ハッとして英治さんを見つめていた私に彼は優しく教えてくれた。


「兄との約束は7時半からだよ。和食だし、せっかくだから和服をね。それに、夏月の事見せびらかす為に写真撮っておこうと思って。フランス人には和服の方がウケそうだろう?」


 そう言って、タブレットを取り出して私を撮ってくれた。

 見せびらかすって…。

 それから着付けをしてくれた女性にお願いして、2人でも一緒に撮ってもらった後、移動する。


 お兄さんとの約束の前にも人に会う約束があると言う。半年ぶりの帰国で忙しいだろうに私の相手ばかりしてもらって申し訳ないと思う。

 高層階にあるラウンジへ行くと、もう会う予定の人はお待ちだそうで、半個室になった席へ案内される。

 顔を合わせた途端、私も相手もお互い驚いてしまった。


「桃子さんと……ハルさん……?」

「……夏月ちゃん?」

「な……夏月?……その恰好……なんでヒデが連れてきた!?」


 突然の出来事に、桃子さんもハルさんも驚きを隠せないようだ。

 そうだ、昨日桃子さんは有給取って休みだったんだ。


「2人にも紹介するよ。僕の妻の夏月です」

「あの、まだ妻になったわけでは……」


 一応突っ込む。


「良いの、僕がそう紹介したいんだから」


 上機嫌な英治さんの紹介で余計混乱してしまったらしい2人が固まっている。

 少しの間の後、状況を整理した桃子さんが口を開く。


「もしかして、夏月ちゃんの忘れられない彼が、蘇芳さんだったって事?」


 コクコク頷くと桃子さんの目が潤み、私はハグされた。


「夏月ちゃん、おめでとう~!良かったね。着物似合うわ……とっても綺麗よ」


 桃子さん、泣いてる?


「涼君?なんで君が連れてくるのが夏月だって教えてくれなかったんだい? 僕と夏月が一緒に写った写真だって何度も見せたはずだろう?」

「いや……ヒデのその話、嫌というほど聞いていたから……自然と……記憶から……消し去っていて……」

「しかも、いろいろ余計な事してくれたらしいじゃないか? 彼、随分その気になっちゃって……」


 ハルさんの顔が青ざめている。

 英治さんはすごく悪そうな顔をしている。背後に何か黒いものが見えるのは気のせい?

 桃子さんまで苦笑い。私も、ハルさんしどろもどろな姿が珍しくて可笑しくて笑ってしまった。


 それから、昨日の出来事をざっくりと説明して、少しだけ飲んでお兄様との約束の時間が近くなったので2人と別れてラウンジを出た。

 ハルさんが英治さんに絡まれて終始困っている姿が笑える。

 2人、親友だって言ってたけど、本当に仲が良さそうだ。







 ***


 約束の時間に館内の高級料亭へ行くと、もうお兄様がお待ちだった。

 初めましてのご挨拶をして、自己紹介と昨日のお礼を伝える。


「初めまして、じゃ無いんだけど覚えていないかな?」


 お兄様の挨拶に私も英治さんも唖然としてしまう。

 記憶力は特別良い訳では無いけれど、人の顔を覚えるのは割と得意だ。思い出すまでに少し時間かかってしまう事もあるんだけど……。

 でも、どう思い出そうと頑張っても思い出せないと言うか覚えていないというか。


「そうだよね。10年以上前の話だし。何度か、旅館でお会いして話しているんだよ。」


 10年以上前、旅館がオープンした年、私は祖母を手伝っていた。

 その時、接客したのだろうか?


「申し訳ありません……」

「いやぁ、覚えているいられても困る様な話の内容だし、気にしないで。実はね、夏月ちゃんのことナンパしたんだよね。少なくとも2〜3回は声かけてると思うよ。全然相手にしてもらえなかったんけど……祖父母にバレてもの凄く怒られたし、あの頃から夏月ちゃんは可愛いかったから、すごく印象深くて」


 お兄様、英一ひでかずさんは声をあげて笑っていたが、英治さんは不機嫌さを少しも隠そうとせず、英一さんを睨んでいた。


「英治、そんなに怒るなよ。もう時効だろう?」


 私も全く覚えていなかったことを伝えて宥めると、英治さんはやっと機嫌を治してくれた。うん、結構面倒臭い。この人、独占欲強いのかしら? それはそれで嬉しい私もいるんだけど。

 英治さんがとても可愛く見えた。


 英一さんと英治さん、顔は結構似ていると思う。目元が少し違うかな?

 目尻が少しだけ下がっている英一さんと、きりりとした英治さん。

 雰囲気は全然違う。

 上手く言い表せないけれど……英一さんは一見和やかな雰囲気なのに隙が無い感じ。

 英治さんは、凄くクールで冷たい印象を受けがちだけれど、笑った顔とか、ふとした時に見せる表情がとても可愛いらしい。

 俗に言う『ギャップ萌え』ってやつでしょうか?


 食事は高級料亭なだけあって上品でとても美味しかった。


「お口に合うと良いんだけどどうかな?夏月ちゃんのお祖母様のところの料理と比べたらどうしても劣ってしまうんだよね」


 確かに、祖母のとこの食事の方が美味しいが、微妙にジャンルが違うし、好みの問題だと思う。


 英一さんは、私さえ知らない私の事や祖父母の事をたくさん知っていた。


「お祖母様は勿論、夏月ちゃん自身もうちの大口株主なんだけど? 知らなかったの? だってもともと、ここもそうだし、うちの所有するホテルのほとんどは夏月ちゃんのお祖父様が経営されていたんだよ? ……聞いてない?」


 祖父が生きていた頃はホテルを幾つか経営していた話は聞いていたけれど、祖母の旅館程度の規模だと思っていたし、信用できる人に譲った様なことを聞いていた気もしないが、まさかそれが英臣さんで、ホテルの規模も数も想像の斜め上過ぎて……確かに小中高一貫のお嬢様女子校行かせてもらっていたけれど、それはきっと父と母からの養育費で賄っていて……普段は慎ましやかな暮らしだったし、てっきり祖母がお茶やお華を教えている収入で暮らしていると思っていた。

 実際そうだったのかもしれないけれど、英一さんの話はとても信じられる様な内容じゃ無くて混乱してしまう。

 昨日から混乱する事が多くて思考回路がキャパオーバーでどうにかなっちゃいそうなんですが……。


「ごめんね。混乱させちゃって。てっきり知っているものだとばかり……。あれ?英治も聞いていなかったのか?自分の親会社の話なんだからきちんと勉強しておけよ」


 もう、お料理の味なんて良く分からなかった。

 お兄様、ちょっと苦手かもしれない。

 悪い人では無いんだけど……彼のペースには慣れるまで時間がかかりそうだ。






 ***


 着物を返して、部屋へ戻る。


「あー、疲れた。全く……」

 英治さんは何かブツブツ文句らしきことを口にしている。

 お兄様との会食中、時々不機嫌そうな顔をしていたので、その時の事だろう。

 お兄様が私を『夏月ちゃん』と呼んでいたのもどうやら不満だったらしい。


「夏月、ごめんね。混乱させてしまって。僕にとって、夏月は夏月だからね? 今まで通りで良いんだよ。大好きな事とか理由に変わりは無いからね。さっきの話を知っている第三者から見たら、政略結婚みたいだけど……はぁ……。僕としては純愛なんだけどなぁ……」


 この人、純愛だなんてそんな恥ずかしい事を普通に言っちゃってる! 聞いてる私の方が恥ずかしくなる。

 私の顔、きっと真っ赤だと思う。言っている本人は顔色ひとつ変わっていないというのに……。


「あれ?これ何かしら?」


 テーブルの上に封筒が置いてあるのに気付き、英治さんに渡した。

 どうやら、昼間撮影してもらった写真のデータらしい。

 彼が荷物からノートPCを出して見せてくれた。

 念入りにエステ&メイクされたせいか私の筈なのに、私じゃ無いみたい。

 凄く綺麗に撮ってもらっている。

 さすがプロは違うよな……と思った時、何か忘れていることを思い出した……。


 ウェディングドレスの写真!

 偵察した時の……佐伯さんと写っている写真。

 あの写真撮ってもらった時……私は結婚しない人生を送るつもりだったのに……わずか2週間で覆るなんて人生何が起こるか分からないものだ。

 いいや、今考えるのはそうじゃ無い。

 あの写真、英治さんに見られたく無い……。佐伯さんと何かあったとか誤解されるのも嫌だし……きっと佐伯さんにも迷惑をかけてしまうだろう。

 佐伯さんだって好きな人がいるんだし……。

 あの写真は、消去してもらうよう明日お願いしよう。私にはもう必要ないということも。

 英治さんには……心苦しいけれど……無かったことにして言わなくても良いよね?


 私がそんな思考を巡らせている間にも、英治さんは上機嫌で写真を眺めていた。

 SNSにUPしていた気がしないでもないが、良く分からないしまぁいいか。

 そもそもSNSが面倒でやっていない私には関係無い話だ。


 英治さんは写真を見ながらうっとりして、私に対して可愛いとか綺麗とか連呼して……もう可愛いと言われる歳じゃ無いので、恥ずかしくてくすぐったいけれど、大好きな人に言われるのは嫌じゃ無い……いえ、寧ろ嬉しいかも……。

 化粧っ気のない地味な私には勿体無い褒め言葉だ。


 今更だけど、そんな地味な私なんかが英治さんの様な素敵な人と結婚なんかして良いのだろうか……。

 釣り合わないのでは? と不安になる。

 英治さんに想いを寄せる女性に刺されたりしないことを密かに願っている私がいた。


 でも、彼の腕に抱かれ、彼に見つめられ、優しくキスされたりするだけでそんな不安さえも何処かへ消え去ってしまう。

 彼は私を求めてくれている。

 それだけで幸せ。






 翌朝、私がホテルで別れるつもりでいたら、英治さんは少し拗ねてしまった。

 店まで送ってくれるという。

 どうやら、パトロンとなぜか関さんにご挨拶に伺う約束をしているらしい。私の事もあるが、ハルさんとの事もあるからだ。


 店に着くと、佐伯さんが待っていた。


「佐伯さん、おはよう。」

「誠治君、おはよう。」

「夏月ちゃん、おはよう。英さんも、おはようございます。」


 あれ? 誠治君? 英さん?

 2人はいつの間に仲良くなったのだろう?

 元々仲良かったのかな?

 英治さん、佐伯さんのこと指名していたくらいだもの、不思議じゃ無い。

 一昨日は仕事中だったし……。


「夏月、僕は用事があるからここでごめんね。1ヶ月淋しい思いをさせるけれど、電話するからね」


 英治さんはそう言うと、ぎゅっと抱きしめてくれた。


「夏月ちゃん、先に行ってて。少し遅れるかも……」


 佐伯さん、目を合わせてくれない……そうだよね……目のやり場に困るよね……反省。

 2人は関さんに話があるからと仲良くパティスリーへ向かって行った。


 英治さんと離れてしまうのは淋しいけれど、部屋を出る前に1ヶ月分、イチャイチャしてきたのでそれで良しとしよう。


 私は気持ちを切り替えて仕事場へと向かった。

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