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「なっちゃん。これあげる。だからなかないで。」

「……これなあに、はるくん?」

「あまいおかし。げんきになれるまほうのおかしなの。すごくいいかおりがするよ?ちょっぴりすっぱくって、おいしいよ。」

「とってもきれい…かわいいピンクね。」

「ピンクのあじがいちばんすきだけど、なっちゃんにピンクあげる。」

「はるくんがいちばんすきなのにいいの?」

「うん、にばんめにすきなチョコたべるから。」

「ありがとう。……!?…あまくって、ちょっぴりすっぱくって…ほんとうにとってもいいかおりね。」






 ***


 それまで両親と外国で暮らしていた僕と兄は、僕の小学校、兄の中学校入学を機に帰国し、祖父母と暮らすことになった。

 入学式を1週間後に控えたある日、僕は祖母に連れられて、八ヶ岳に住む祖母の友人の家に3日ほど滞在していた。

 兄は英一(ひでかず)、僕は英治(ひではる)と言う名前だった為、僕は『はるくん』と呼ばれていた。


 その家には、祖母の友人と、僕よりも少し年下の女の子、「なっちゃん」が暮らしていた。


 なっちゃんの長い髪は2つに分けられ、綺麗に編み込まれていた。

 それがよく似合う、とても可愛い子なのに、いつも泣いていて、僕はそれが心配でたまらなかった。


「なぜなっちゃんはずっとないているの?」


 僕は祖母に尋ねた。


「なっちゃんはね、お父様とお母様と離れて暮らすことになってしまったの」

「じゃあぼくといっしょだね」

「それが違うのよ。はるくんはお父様とお母様と会えるけれどね、なっちゃんは会えないのよ」

「しんじゃったの?」

「そうでは無いのよ……大人たちのワガママで、なっちゃんはさみしくて辛い思いをしているの」

「じゃあ、げんきになれるまほうのおかし、ぼくあげてくる」


 帰国の際、両親は僕に、僕が好きだったマカロンを持たせてくれた。

 そして、それを『げんきになれるまほうのおかし』だと言って、これを1度食べたら、さみしいことがあっても、辛いことがあっても、乗り越えられるんだよ、そう教えてくれた。


 なっちゃんに笑って欲しくて、ピンク色のフランボワーズのマカロンを差し出した。

 するとなっちゃんは、遠慮がちに受け取り、マカロンを食べた。

 それを口にした瞬間、彼女の表情は一変した。泣き顔が眩しいほどの笑顔に変わったのだ。


 笑ったなっちゃんは、僕が想像していた以上に可愛いかった。

 それから、2人でたくさん遊んだ。



 翌日、またなっちゃんは泣いていた。

 なんで泣いているのか尋ねると、近所の男の子に名前をからかわれたのだという。


「わたしのなまえ、『はなみず』っていわれたの。」


 僕の名字は蘇芳(すおう)。蘇芳とは色の名前なのだそうだ。

 そして、なっちゃんの苗字も色の名前なのだと祖母は教えてくれた。

 ちょっと難しくてうまく言えずちゃんと覚えられなかった、なっちゃんの名字。淡い空の色。それがなっちゃんの名字の持つ色。


「なっちゃんのなまえはきれいないろなんだよ。ほら、あんないろ。だから泣かないで」


 空を指差し、にっこり笑う。

 すると、なっちゃんは泣くのを辞めて空を見上げた。僕は、なっちゃんの頬を伝う涙を拭いた。



 幼い日の初恋の記憶。

 成長するにつれて、その記憶はどんどんぼやけて消えていく。







 ***


 高校3年生の頃だった。

 4月のある日、普段乗らない電車にたまたま乗って通学した。

 僕は1人の少女に目を奪われた。

 彼女の長い髪は2つに分けられ、綺麗に編み込まれている。

 少しうつむいて、本を読む姿が、幼い日の思い出を蘇らせた。


 僕が差し出すフランボワーズのマカロンと、泣いている女の子。

 彼女が受け取り、一口齧ると途端にとても可愛い笑顔になる。


 そんな記憶が脳裏に蘇った。

 特に横顔がそっくりだった。でも、彼女は八ヶ岳に住んでいるはず。きっと他人の空似と言うやつだろう。あるいは、忘れてしまっていた、美化された思い出が、たまたま同じ髪型の彼女を見て思い出され、あの女の子と似ていると錯覚させたのだろう。

 それでも、僕は彼女から目が離せなかった。


 彼女は毎日同じ時間に、同じ電車の、同じ車両に乗っていた。

 そして、いつも少しうつむいて本を読んでいた。

 僕も、毎日同じ時間に、同じ電車の、同じ車両に乗るようになった。


 彼女は制服が良く似合っていた。


 何度も電車で声をかけたいと思ったが、とても声をかけられなかった。

 彼女はとても美しく清らかだった。

 だからこそ僕は自分が恥ずかしくて声をかけることが出来ずにいた。

 今までまともな恋愛なんてした事無かったのだから。

 5つ年上の兄目当てだった女性たちと適当に遊んでいた。取っ替え引っ替えだった。彼女たちも、僕を僕という人間ではなく、兄の『代用品』として見ていたし、僕の家や、金目当てだったのだから、適当に遊ぶには最適だった。利害関係の一致というやつだ。


 そんな不誠実な僕が、彼女に声をかけて良いものだろうか?

 そんなの良い訳無い。せめて、もう少しまともになってから……。


 そして僕は、女性たちとの関係を全て断ち切った。

 社会勉強の為、祖父のホテルでもアルバイトを始めた。働くことがこんなに大変だったとは知らなかった。彼女に近づきたくて必死だった。


 そんな時、アルバイト先で出会ったソムリエの影響で僕は、僕自身もソムリエを目指した。

 流石に未成年だったので堂々とは飲むことは出来なかったが、彼は僕にほんの少量のワインを舐めさせてくれ、たくさんの話をしてくれた。

 僕は彼を慕い、彼もまた僕を可愛がってくれた。


 高校を卒業後は、両親の暮らすフランスへ2年間留学することとなった。

 一応、大学に通い経営学を学びながら、僕が慕っていたソムリエの紹介でレストランでギャルソンやソムリエ見習いとしてアルバイトもしていた。

 毎日必死だった。彼女に堂々と声をかけられるような自分になりたかった。

 勉強することがたくさんあり、言い寄ってくる女性を一切相手にしていなかったら、そちらの方面の方に勘違いされ、同性に口説かれたのは苦い思い出だ。

 それほど必死だった。


 2年が経ち、帰国をした僕は、彼女を探した。

 僕の友人の妹が彼女と同じ高校だったため、留学直前には彼女の顔立ち、髪形や持ち物などから学年と名前を知ることは出来ていた。


 しかし、見つけることは出来なかった。簡単に考えて過ぎていたのだ。

 その高校に通う生徒の半数がそのままエスカレーター式に進学するので、そこを探せば簡単に見つかると思っていたが、彼女は進学していなかったのだ。

 彼女と仲の良い友人も見つからなかった。

 彼女の同級生も何人かあたったが、進学先や家のことを知らなかった。



 帰国後、二十歳になっていた僕は、本格的にワインの勉強を始めた。

 もちろん、大学にも通った。

 そして、大学卒業後は祖父の会社ホテルに入社し、レストラン部門、マーケティング部門、経営部門などを経て、26の時、新規にオープンしたレストランの責任者に任された。

 若いので、バカにされることも多かった。

 それでも、誠意をもって仕事をしていた結果なのだろうか、レストランをどうにか軌道に乗せることが出来た。顔なじみのお客様も増え、充実した毎日を過ごしていた。


 そんな時、顔なじみになった1人の女性に、1件のパティスリーを教えていただいた。


「とても美味しいのよ。シンプルだけれど、素材の良さが際立つ味なの。生クリーム系は間違いないわね。それとね、接客もなかなかよ。特にね、時々コックコートを着て接客している女の子がいるんだけど、その子の接客がおすすめね。あの子にお願いするとお誕生日のプレートなんかをとても素敵に仕上げてくれるの。なかなかの美人よ。ここでもああいったデセールが食べたいわ。だから、是非行ってみて」


 確かに、デセールにはそこまでこだわらず、料理の印象を消し去らない程度に美味しければ良い、そんな認識だった。


 僕はその女性に教えられた店を訪れた。その店は、駅から近くも遠くもなく、大きな通りから1本入った住宅地の中にあった。

 車数台が止められるであろう小さな駐車場が店の前に設けられ、そこに入れ替わり立ち代わりに車が入っていく。

 店は温かみのある雰囲気で、入口を入ってすぐに大きなショーケースがあり、左手奥には焼き菓子が並べられ、右手奥には10席程度のカフェスペースがあった。

 カフェスペースは満席だったので、諦め、テイクアウトすることにする。

 せっかくなので、スタッフ全員で食べ、新たにメニューを考えるのもいいかもしれない。

 ショーケースの中のケーキを眺め、味を想像しながら分析していく。

 レストランのデセールとしてヒントになりそうなもの。大体6種ほど目星をつける。目星をつけたところで、僕は観察をすることにする。

 此処を教えてくださった方は接客もなかなかだと言っていた。

 店内には3人の販売員バンドゥーズが接客をしている。悪くはなさそうだ。

 しかし、お勧めされたコックコートの女性はいなかった。

 参考程度に、焼き菓子を数個籐かごに入れ、プチガトーケーキを注文しようと並んで待っていると、厨房とつながる扉が開き、コックコートを着た女性が出てきた。そして、彼女は僕に声をかけた。


「大変お待たせいたしました。お決まりでしたらお申し付けくださいませ。よろしければそちらもお預かりいたします」


 その柔らかな微笑みに、僕の胸は高鳴った。


 それは、いつも電車で眺めていた彼女だった。

 どうにか、気持ちを落ち着かせて、注文をする。


「以上の6種類を3点ずつ。それから、こちらのアントルメホールのケーキに、メッセージをお願いしたい」


 誰の誕生日でもないのに、彼女の書く『素敵なプレート』が気になった僕はアントルメまで注文していた。


「畏まりました。お誕生日のお祝いでしょうか? お名前はいかがいたしましょう?」

「名前はなくていい。誕生日なんだが、フランス語でお願いしたい」

「フランス語ですね?畏まりました。少々お待ちくださいませ」


 聞かれたら、お誕生日おめでとうのフランス語表記を教えるつもりだった。

 寧ろ、それがしたくて、彼女と少しでも話していたくてあえてフランス語と言ったのに、彼女はあっさりといなくなってしまった。

 暫くして、戻ってきて彼女が持ってきたアントルメには、美しい字で丁寧に書かれたプレートが乗っていた。文字だけではない。余白には、ピンクや白や黄色の花があしらわれている。


「君の名前を伺ってもいいかい?」

水縹(みずはなだ )夏月(なつき)と申します」

「水縹さん、素敵なプレートをありがとう。次も君にお願いするよ」

「ありがとうございます。ご予約も承っておりますので、ぜひよろしくお願いいたします」


 やはり彼女だった。

 彼女に会えたのが嬉しくて随分買い込んでしまったが、スタッフ全員で食べればあっという間になくなるので心配無いだろう。

 心地よい接客だった。丁寧だが仕事も早い。その早さがいつもの僕にはありがたいのだが、今日の僕にはとても残念だった。

 どうすれば、もっと彼女に迷惑をかけることなく話して、彼女を眺めていられるのだろうか。




 それからも差し入れだったり、贈り物を用意する際には彼女に会いに店を訪れた。

 彼女はいつも店に出ているわけではなかったが、僕は彼女が出てくるまで粘り、彼女に接客をしてもらうように仕向けた。

 他の販売員に声をかけられれば、まだ決まっていないからと後に並んだ客に譲り、彼女が店に出てきたらすかさず声をかけた。

 何度か、ほかの客がおらず仕方なく販売員の接客を受けたことがあったが、そのうちの一人はやたら色目を使ってくる感じがたまらなく不快だった。


「悪いけど、プレートたのみたいから水縹さん呼んでもらえる?」


 その販売員に声をかけられる度、そう言って、毎回彼女を指名するようになっていた。

 それが面白くなかったのだろう。

 色目を使った販売員は彼女が来るとあからさまに嫌そうな顔をしていた。


 ある時、僕は彼女と堂々と、ゆっくり話す方法に気付いた。

 たまたま、子連れの客がお誕生日にキャラクターのケーキを注文していたのだ。

 彼女は希望を詳しく聞き、客はそれにこたえる。


「では、責任を持ってお作りしますね。当日、お待ちしております」


 本当に彼女がアントルメを作るのだろうか?


 そして、その後やってきたやはり子連れの客とのやり取りでそれを確認する。


「わぁ! 可愛い!! これ、お姉さんが全部作ったの?」

「ありがとう。そうよ、気に入ってもらえたかな?」

「うん! ねぇ、苺も種から作ったの?」

「ごめんね、いちごを育てたのは農家さん。私はハートに切って飾ったの。」


 子どもの『苺を種から』、というくだりには思わず笑ってしまった。


「水縹さん、ちょっと聞いてもいい?」

「もちろんでございます」


 にっこり笑って答えてくれる。


「さっきの見たんだけど、さっきみたいなアントルメってどうやって頼むの? キャラクターじゃなくても出来る?」


 そう質問すると、彼女は丁寧に答えてくれた。さらに質問すると、事細かに教えてくれた。

 いつも以上に彼女と話すことが出来て満足だった。

 そして、もっと話していたかった僕は、アントルメをオーダーした。

 そして、その日も使い物用と、自分用にプチガトーを買って帰った。




 待ちわびた日がやってきた。


「お待たせしました。このようにご用意いたしましたがいかがでしょうか?」


 僕のオーダーしたものは美しい仕上がりだった。


「想像以上だよ。ありがとう。来週もお願いしたいんだけどいいかな?」


 そして、再びアントルメの予約をする。

 今日もアントルメのほかに使い物と自分用にプチガトーを買って帰る。


「蘇芳様はこちらがお好きなんですね」

「ああ、ショコラとフランボワーズのマリア―ジュが好きなんだよ」

「私も好きなんです。フランボワーズのオー・ド・ヴィがいい仕事するんですよね」


 彼女と好みが合うのが嬉しかった。

 手土産用にお任せで箱にプチガトーを詰めてもらうこともしばしばあったが、彩りよく綺麗に詰めてくれるので彼女に任せると安心だった。

 安心だったのは好みが似ているせいだったのかもしれない。


 そうやって彼女との距離を縮めているつもりでいた。

 いつの間にか、僕は『夏月ちゃん』と呼ぶようになっていた。

 彼女を見つけて1年半。そろそろ、彼女への告白を考えていた。


 僕は今年28になる。そろそろ結婚が視野に入って来る年齢だ。僕の場合、結婚に対して、乗り越えなくてはいけない障害があった。

 祖父母である。


 僕と兄を育ててくれた2人は、結婚に対してとてもシビアだった。何でも、現在祖父の事業がうまくいっているのには何とも複雑な事情があるのだという。

 元々、祖父が経営するホテルグループは祖父の友人が経営していた。

 その友人には御嬢さんお1人しかおらず、いずれは娘婿に継がせるつもりだったらしい。しかし、機が熟す前に祖父の友人は若くして事故で亡くなってしまう。

 その時点での後継者は彼の妻、つまり友人の奥さんとなっていた。

 数年後、御嬢さんは離婚した。お互いに望んだ相手ではなかった上、娘婿が自分が継げなくなりそうだとなった途端、余所に女を作っていたらしいとの噂があったそうだ。

 そんな時、御嬢さん自身もかつての恋人と再会してしまったらしい。

 2人の間には子どもがいたそうだが、その子は父親からも母親からも引き取ることを拒まれ、祖父の友人の奥さんが『自分の娘』として育てることにしたそうだ。

 それを機に、彼女はホテル経営から手を引き、信頼できるからという理由で、祖父に経営権を譲ったそうだ。そのため、彼女の経営理念が今でも引き継がれており、忠実に守ったからこそ、今があるのだという。


 5年前、兄は3年ほど付き合っていた恋人との結婚を考えていた。

 詳しい経緯は知らない。兄から見切りをつけたのか、相手に捨てられたのか、はたまた祖父母に別れさせられたのかは僕の知らぬ話だが、兄がその恋人と結婚することはなかった。


 そして、一時的ではあるが兄の私生活が荒れていた。

 衝撃だった。

 完璧主義の兄の変わりっぷりに引いた。

 しかし、もともと生真面目な兄だったので、とあるきっかけであっという間に立ち直ったが、いまだに兄は独身だ。

 それ以降、僕は兄に言われていた。

「失敗したくなければ、付き合う前に祖父母と会わせ品定めをしてもらえ」と。

 品定め――その言葉には嫌悪感を抱いたが、スムーズに事を進めるためにはそれが一番確実だった。




 告白しようと決意した矢先、僕が彼女と再会する前に出していた希望が通ってしまった。

 5年間のソムリエ修行とワインの買い付け。

 そして、僕が1年前に企画書を出していたワインレストランの帰国後の開業。


 1ケ月半後にはフランスへ発つことになった。


 急な話だったので、仕事の引き継ぎや、荷造りなどの準備も忙しく、なかなか彼女に会いに行けなかった。

 どうにか早めに片づけて、彼女を祖父母に会わせなくてはいけない。

 どうやって声をかけようか? ——僕は焦っていた。


 出発を2週間後に控えていた日、予約していたウェディングケーキ――と言っても二次会用のものだが――を取りに店へ行った。

 友人の結婚式の二次会を僕の任されていたレストランで開くことになっており、そこで使うケーキを彼女にお願いして作ってもらったのだ。

 同じ店の同じアントルメでも、彼女が作ったものとそうでないものは味が違う。

 彼女の作るものの方がずっと美味しかった。フレッシュで、口当たりも口どけも良い。

 そして、何より美しかった。

 だから、新郎新婦には、すごく美味いケーキを用意するから期待していろ、そう言った。


 今日のウェディングケーキも最高の仕上がりだった。


 彼女と話をするつもりでいたのだが、残念なことに店が混み合って彼女と話す事が出来なかった。


 仕方なく店へ戻り、パーティーの準備を進めた。個人的な話なので無理に話して迷惑をかけるより、日を改めた方が良い。

 準備はある程度スタッフに任せていたが、僕は一応ソムリエなのでワインはすべて自分で用意するつもりでいた。

 ほぼ準備が終わったのは受付開始時刻直前。着々と招待客が集まり始め、定刻通り二次会がスタートした。


 僕は乾杯用のシャンパーニュのサーブを始める。


 立食だったので、乾杯後はバーコーナーをスタッフに任せながらも気になって、バーコーナーと友人達の元を行ったり来たりしていた。


 乾杯から少し遅れて、ある招待客がやってきた。


「ごめんね、遅くなって。仕事抜けられなくて……鞠子、おめでとう。すっごく綺麗だよ」


 新婦は学生時代の友人に囲まれていた。

 その中から、聞き覚えのある声が聞こえる。


「あれ? なんでここにあるの?」


 ウェディングケーキが運ばれてきたと同時にそんな声が上がる。


「夏月ちゃん?」

「……!? 蘇芳様? じゃあこれって……」

「そうそう、君の作ったウェディングケーキ。でも君がなぜ?」

「彼女、鞠子は学生時代の友人なので……」


 すごい偶然だった。


『それでは、お2人にケーキ入刀をしていただきましょう!! なんと、本日用意されているのは偶然にも、新婦の友人の水縹夏月さんの作ったケーキだそうです!!』


 そんなアナウンスと共に、新郎新婦はケーキに入刀した。


「夏月、とってもおいしいわ」

「すごくセンスのいいケーキだなって、流石ヒデだなって話していたんだけど、まさか鞠子の友達が作ったものだとはね。美味いからケーキは期待しろってヒデが言ってた通り、いや期待以上だよ」

「世間は狭いね。2人は知り合いだったの?」


 彼女を囲んでそんな会話が繰り広げられている。

 皆に喜ばれて幸せそうな彼女を見ていると、僕も幸せだった。


 その後、僕は彼女をつかまえ、こっそり会場を抜けて2人で飲んだ。


 彼女とは色々な話をした。


「''TOM&MARY Happy wedded life.''って、てっきり外国の方かと思っていました。まさか鞠子だったなんて……」


 そう言って、クスクス笑う彼女はとても魅力的だった。


 少しして、彼女が切り出した。


「今まで、来店されるたびに、私を指名してアントルメを注文してくださってありがとうございます。蘇芳様からの注文を作るのを楽しみにしていました。すごく喜んでくださるから、前よりも頑張らなくちゃって、すごく作り甲斐があったんです。仕事で嫌な事とか辛いことがあっても、蘇芳様がいらしてくださるから頑張れました。実は、1週間後に仕事をやめることにしたんです。今日、こうやってお会いしてゆっくりお話しできて良かったです。今日店でお会いした際にお伝えしたかったのですが、ほとんどお話しできなくて……だからこうしてお話しできたのが、すごく嬉しいです」


 にっこり笑ったはずの笑顔は少し寂しそうに見えた。

 言わなくては、でもなんて言おうか。

 結婚を前提に付き合って欲しい、では話が飛び過ぎだ。

 第一、祖父母にNOと言われたらおしまいだ。


「僕からも、夏月ちゃんにお礼を言わせてくれ。僕は、君の作るアントルメが大好きだった。すごく美味しかったし、美しかったし、そして、仕事で使うとすごく上手くいくんだよ。僕にとって、幸運を運ぶケーキだった。ありがとう。実は、僕も君に、挨拶しなくちゃいけないって思っていた。2週間後、仕事……修業で海外に行くんだ。暫く帰ってこれない」


 僕は焦っていた。そして、嘘をついてしまった。


「厚かましいけれどお願いがある。こんなお願いをするのは失礼だってわかっているんだけれど……1日だけ、恋人の振りをして家族に会ってくれないか? お見合いを断ったんだ。恋人がいるからと嘘をついて……そうしたらその恋人を連れて来い、そう言われた。でも僕には恋人はいない。好きな人がいるんだ……」


 その好きな人は夏月ちゃん、君なんだ……喉元まで出てきた言葉を飲み込む。


「お安いご用です。今までのお礼もしたかったので、お役にたてるのであれば喜んでお引き受けします」


 このときは、彼女をあんなに傷つけることになるだなんて思ってもいなかった。


「じゃあ来週の月曜日に。そのうち連絡するから……」


 すっかり舞い上がっていた僕は、彼女の番号も家も知らないということをすっかり忘れてしまっていた。

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