狼
港は多くの人で賑わい、活気に満ちていた。息吹は、見た事もない人々の群れに興奮していた。何より驚いたのは、獣が二足歩行衣類を纏って歩いており、ここでは多数を占めていた。
「先生、こんなに色んな人が居るのに、倭人は珍しいの?」
息吹は人混みで先生を失わないように、先生の服をシッカリ掴んでいた。異形の旅人が集うこの港で、フードとマスクをして歩いていたとしてもさほど目立たなかった。先生は足取りを緩めず、息吹の問に答えた。
「倭国は他国と交流のない国でな。此の国でも、未だ知られてない事の多い国なんだ」
息吹は、胸が高鳴るのを感じていた。自分の知らない世界は怖くもあったが、好奇心旺盛の息吹にとってここの光景は知りたい事で溢れていた。森で獣を沢山の見ていたのに、ここでは人のように暮らしている。信じられなかった。
「ここの人々は 、ほとんど他国からの来訪者なんだ。俺も初めて見たときは驚いたよ。」
二人は大きな船の前で立ち止まった。船は大層古く見えたが、真っ黒に黒塗りされ、此の港 のどの船よりも大きかった為、とても頑丈そうに見えた。
「かっこいい!」
息吹は目を輝かせ、飛び跳ねたい気持ちを必死で抑えた。先生はクスリと笑い、お前ならそう言うと思ったよと呟いた。先生は、船舶の前で仁王立ちしている、狼に何やら渡していた。息吹は狼を見た事がなかった。此の為狼に釘付けの状態であった。口は耳の近くまで裂け、ギラギラした牙が光っており、金色の瞳は鋭く周りを捉えていた。
狼は息吹に気づくとギロリと一瞥し、先生に警告した。
「倭国行きは、此の港から出る船で最も長い旅になる。子供を乗せるのは賛成できん」
獣の鳴き声のようなごわごわした声は凄みがあったが、小さい子供を案じる思いやりのようなものも感じさせた。
「俺達は追われてる身だ。そこをなんとか頼む」
狼は、短い説明であったが、先生の表情から一刻を争う事態だと理解した。
少し間を置き、
「此の船に乗るもんは、倭国相手に新しく商売を始めようとしてる奴らが大半だ。大体商人ばかりでお前らの様な親子連れは目立つ。……倉庫で過ごしたほうがいいだろう」
狼は、トカゲの男に声をかけ、案内するよう指示した。息吹はもっと狼を見て居たかったが、小走りで先生の跡を追った。
「先生見た?あんなに口が大きくて 目が綺麗な生き物見たことがないや!」
息吹ははしゃぎながら先生の腕に飛びついた。先生の腕はだらんと垂れたまま人形のようだった。息吹は、ギョっとした。恐る恐る、先生に尋ねた。
「先生腕どうかしたの?」
カモメ達が気持ちよさそうに空を飛び回っている。先生は、息吹をもう片方の腕で引き剥がすと、
「少し怪我してな。 そんな事より、ほら息吹、海だぞ」
息吹は目の前に広がる海に、度肝を抜かれた。目の前には 、蒼く澄んだ海面が静かに揺れている。それでも、心に浮んだ不安を消すことはできなかった。
「腕痛いの?」
海のように澄んだ瞳は先生を見つめ、息吹はもう一度見尋ねた。
「心配するな。少し休めばすぐ元に戻るさ。俺もお前も今は休息が必要だ」
先ほどまでの興奮は海の風と一緒に吹き飛ばされ、今ようやく此の大海原に自分達は挑んでいくのだと感じた。先生が無理をして笑ってくれていた事に気づき、息吹は気を引き締めた。
(いつかここに戻る時は、誰にも負けないくらい強くなりたい)
強い潮風を感じながら、息吹は一歩一歩踏みしめ進むのであった。