懐かしい記憶
「こっちだよ……」
息吹は掠れた声で怪物を呼んだ。うねっていた胴体は、一瞬静止し、ゆっくり息吹の方へ身体を方向転換させた。心臓の鼓動が、息吹の耳元で激しく脈打ち、霧の向こうからあの異臭と共に大きな巨体がこっちへ向かって来る。
ーードコオ。ドコニイルノオ。
先程と口調が違うのはいくつもの魂がひしめき合ってる為であろうか。
息吹は自分からゆっくり怪物へ歩み寄った。異臭は鼻をつんざき、手足はジーンとなんだか痺れていたが、心は落ち着いていた。
「こっちだよ……もう大丈夫」
息吹は、そっと怪物の体に触れた。ヌルヌルした体は息吹の手を覆い、大きな口が息吹の方へと向かってくる。
「私は息吹……あなた達を知ってる……」
息吹はさらに近寄り頬を寄せた。異臭とヌルヌルで目までやられてよく見えない。
「七之助さんは今も生きてるよ。心配しないで」
息吹は目を瞑った。怪物の巨体の中に息吹の身体は沈み込んで行く。息吹はそのまま怪物に身を委ねた。
幼い七之助が、父親の肩に乗せられはしゃいでいる。あんなに前の出来事だったのに、あの時の記憶は息吹の心にしっかり刻まれていた。七之助の悲しみと悔しさと共に……。
(こんな事したらきっとまた叱られるんだろうな……)
息吹は薄れゆく意識の中でクスリと笑った。
ーーー遠くで声が聞こえる。
"七之助 "




