選択
息吹は痛みを感じ、微かに眼を開けた。
(この匂い……)
「先生、……来るのが遅いよ」
懐かしい匂いがする背中に息吹は顔を埋めた。おんぶされるのは何年ぶりだろう。
「毒は抜いて処置してあるから安心しろ」
優しい声を聞いて、息吹は堪えていた涙が溢れでてきた。
「せんせ、い、……エマに会いに行って、、うっ……ごめんな、さい」
息吹はしゃくりあげながら、涙を背中にこすりつけた。
先生は少し振り向いたが、そのまま走り続けた。
「……俺も行くのが遅れた。
そろそろ、寂しさの限界だろうと思って、急いだが間に合わなかったな」
先生は申し訳無さそうに言った。
息吹は、テラスを思い出していた。あのドラゴンの瞳を思い出すと、傷が焼けるように痛みを感じた。エマやジョルジュの青ざめた顔が、眼に焼き付いて離れなかった。耳の横を風が突き刺ささるように過ぎていく。
「阿修羅は俺が封印した。当分心配はいらない。……だが、ギアは俺たちが見つかるまで捜し続けるだろうな」
息吹は心臓が激しく鼓動してるのを感じた。
(聞きたくない)
「……俺はお前を倭国に連れて行ってもいいかもしれないと思ってる。倭国でも俺たちは追放された身だ。苦しい事には変わりないが、ここでギアの眼を欺くのとそう変わらない。おまえはどうしたい?」
目をぎゅっとつぶり、息吹は先生の背中を強く掴んだ。
今は何を選んでも上手くいくようには思えなかった。
「お父さんお母さんは悪い人だったの?どうして、こんな事になったの?」
ずっと遠ざけてきたこの問いを、選ぶ事からにげだすようにぶつけた。
先生は、立ち止まり息吹を背中から下ろした。息吹をまっすぐ見つめ、優しく頭の上に手を置いた。息吹が怯えているのが分かっていたが、先生は息吹に選ばせる事にこだわった。
「おまえもうすうす気づいてたかもしれないが、おまえは倭国と此の国の血を継いでいる。」
息吹はさして驚かなかった。拳を強く握り、先生を見つめ返した。
「倭国でおまえは生まれたが、倭国は此の事を民に隠したかった。倭国は赤子を殺生する事は穢れとみなされてる。だから阿修羅におまえを委ねたんだ」
阿修羅の温かい羽思い出すと息吹は胸が痛かった。
(阿修羅がいたから私は生きてる。でも、私のせいで阿修羅が今狙われてるんだ)
息吹は、唇を強く噛み、自分のせいで阿修羅やエマ達、先生の運命を変えてしまったと理解した。
(全部私のせいだったんだ)
頭はクラクラし、手足はジーンと痺れて倒れそうだった。
「……先生、どうすればみんなに迷惑がかからないの?」
先生は息吹を抱っこし、空を見上げた。
「どうしたって迷惑はかかるさ。生きてる以上誰かに関わってるんだからな」
先生の表情は見えなかったが、息吹には悲しそうに笑ってるように思えた。
「大事なのは今、自分がどうしたいかだ。エマ達の側に居たいならそれもまた一つの道だ。自分の生まれた場所や理由を知りたいのもお前の自由なんだ」
息吹の背中を押すように先生は言った。
息吹も空を見上げた。空の星は無数に瞬きとても美しかったが、風が突き放すように冷たく感じた。
エマ達の側に居たかった。でも、あの場所に戻るのは死んでる事と一緒に思えた。
「先生が私の側に居てくれる事も、先生が選んだの?」
息吹は分かってても確認したかった。
先生はニッコリ笑った。
風が強く吹き、息吹は目をつぶった。
もう迷わなかった。
「倭国にいくよ。」
風が止む事はなかったが、息吹はもう冷たくは感じなかった。