しくじり
「どうして……ここに」
エマは、やっとの事で声を絞り出した。それを聞くと、息吹は少し気まずそうな顔をし、ちょっとは我慢した。と不満そうに呟いた。それを聞いたエマは、自分達への気持ちが、息吹は何も変化していない事に気付いた。なんだか笑いたい気分だった。
「……みんな心配してたのよ」
エマが、いつものように息吹に話し掛けた瞬間、エマの頬を矢がかすめた。息吹は素早く避けたが、肩から血が垂れていた。
「……心臓を狙ったんだが、ふふん、簡単には射止められんか」
燃える様な赤い髪の大男が、ドラゴンの瞳をギラつかせこちらを見て笑っていた。エマは血の気が引くのを感じた。初対面だったにも関わらず、その男が誰かすぐに分かった。数多くの禁忌を侵し、それによりあらゆる力を手に入れながら、この国を治めてきた豪胆な王。ギア国王であった。
「殿下、殺してしまえば、大鷲の居場所は分かりませぬ。生きたまま捕らえられた方が」
同じく赤髪の、白髪混じりの武人がギアをたしなめた。エスペランサの父親である事はすぐ分かった。エマは混乱したまま、息吹の方を見た。顔色は真っ青になり、足は震え、瞳も焦点があっていない。
(このくらいの傷で……どうして)
明らかに様子がおかしかった。
「エマ!エマ!こちらへ来なさい‼︎」
アッカーテが必死の形相で、手招きしている。エマは、足が石のように固まり、泣きたい気持ちを堪えながら、助けを求めた。
「父さま……」
息吹を殺さないでと叫びたかったが、声にならなかった。
ギアは、息吹の胸倉をグイっとつかんで、小さな体を持ち上げた。
「毒がまわってきたようだな。忌まわしき一族の子供よ……死にたくなくば、大鷲の居所を 吐け」
息吹は朦朧とする意識の中で、知らないと呟いた。
「穢らわしき鴉の分際で、私に刃向かうのか‼︎」
ギアは絶叫し、息吹を壁に叩きつけた。息吹は息ができず、口の中は血の味がしていた。ずるりと壁にもたれかかり、血が吹き出すのを感じながら、顔を上げると、ジュルジュやエリザベートが、青ざめながら立っていた。
エスペランサの父親以外は、ギアに恐怖し立ちすくんでいた。
「……無駄足だったな」
「せめて安らかに眠れ……」
ギアは息吹に近寄り、大剣を振り落とした。
その瞬間、強い風が部屋の中を吹き荒れ、皆、眼を開けて居られず顔を覆った。
ギアが眼を開けると、大剣の先に息吹は居なかった。
「……ふ、逃したか。……まだ、遠くには行ってないはずだ。狩の続きだ。火をたけ」
ギアはアッカーテ一家に目もくれず、部屋から出て行った。
床に散らばった息吹の血を見ながら、エマは声を出して泣き始めた。
ジョルジュも唇を噛みしめ眼に涙を溜めた。
つい最近まで笑い声に溢れていたこの部屋は、血が滴り、涙にぬれていた。
大きな力が、息吹を運命の輪へ引き戻して行った。
(息吹……私達をどうか許して……)
エマは祈るような想いで、空を仰いだ。もうあの小さな無邪気な獣は何処にも居なかった。
微かに風が吹き、エマの涙を乾かすように過ぎ去っていった。