怒り
暗い闇夜の道を、小さにな荷馬車がゴトゴト進んでいる。手綱を引いてるのは、黒子の姿をした一人の男であった。
馬車には、ほんの少しの隙間があり、そこから月光が薄く馬車の中を照らしている。
馬車の隅の方に、小さな子供が三角座りをして、月を眺めている。真っ黒な髪の隙間から青い瞳が月に照らされ、宝石のようだったが、表情は暗く、瞳の輝きさえ、今は虚しく見えた。
(この世界で私を大事に思ってくれてるのは先生だけだった……)
息吹はぼんやり月をみて思った。
(……先生がいない世界なんて死んでるのとおんなじだ)
なんだか今は悲しくも無かった。何もかもどうでもいい気分だったし、この世界に自分が本当に存在してるのかさえ不思議な感じだった。
これから起こるとへの不安も、今は無かった。
(サヨナラくらい言いたかったな)
息吹は、慶獄に懇願したが、慶獄はガンとして首を縦に振らなかった。だが、息吹にも慶獄が先生をどれだけ大事に思ってきたか伝わっていたので、責める気持ちにもならなかった。
(だあれもわるくない。私がいなければいいだけなんだ)
(なんだか眠い……)
山から下りた息吹は、荷馬車にすぐ乗せられ、どこに行くのか尋ねることも禁じられた。息吹は何処に行こうとどうでもよかったが、慶獄にしつこく探らないよう注意されたのが煩わしかった。
もう、どれくらい、乗ったのだろうか。お尻が痛くて、横になりたい気もしたが動くのもめんどくさい気分だった。
「おい」
ドスの効いた太く低い声が、息吹に話しかけた。馬車は止まっている。
「降りろ」
息吹はノロノロ立ち上がると、馬車はから降りた。
そこは見た事ない大きな建物であった。月明かりに照らされ、雲と月を背負ったその城は、紺色に瓦屋根と真っ白な壁を纏い、息吹が今まで見た事のない美しさがあった。
(シラサギみたい……)
コウテカの庭には、よく渡り鳥達が羽を休めにきていた。随分まえの記憶であったにもかかわらず、息吹はあの美しい真っ白な鳥を思い出していた。
「尊治様の御前に案内する。失礼な態度をとるなよ」
息吹はが黒子の後を歩いた。コウテカの庭では見たこともないような植物が、城を覆っている。小さな池には、橋が架かってあり、上を歩くと、魚達が口をパクパクさせて息吹のほうに近寄ってきた。息吹なんだか不思議な気分だった。
(音がない世界みたい……)
静寂さえも、景色の一部であるように城は美しく佇んでいる。
息吹は目を凝らした。月の光がスポットライトのように、たった一人を照らしている。
長い黒髪を結い上げた美しい人がこちらを見ている。白の胴着に、紺の袴は、その人をより際立たせた。面長の顔に、筋の通った鼻、陶器のような肌、切れ長の美しい目、どれも一つの芸術作品のようであった。
息吹は、ボンヤリこの人は、自分の死神かも知れないと思った。それほど美しく、現世のものとは思えない雰囲気があった。
「貴様が、倭国の面汚しか」
少し低い、よく通る声を耳にして、息吹はこの人が尊治だと気づいた。先ほどの空気が嘘のように、青年は舌打ちし、忌々しそうに息吹を見た。
「まるで生きた屍だな。あの男が育てたと聞いて、多少は使えるかと思ったが……期待外れだったな」
息吹は遠くで音がしている気がしたが、なんだかあまり頭が働か無かった。
「所詮、倭国を捨てた臆病者よ。多くの伝説も、昔の奴らが大げさに言ったに過ぎん」
息吹は、尊治が先生のことを言ってることに気づいた。
「堕ちたゲス野郎に、俺が直々に引導を渡してやればよかったな。その方があいつもまだ救われただろうよ」
息吹はなんだか腹の中が 、グツグツ煮えたぎってるような気がした。この人は先生をバカにしたのだ。
「……うるさい」
息吹は唸った。こんな気持ちは初めてだった。尊治は、息吹ににじり寄るやいなや、息吹の胸ぐらを掴み持ち上げた。美しい顔は、凄みを増し、息吹を威圧した。
「俺を誰だか知らないのか」
息吹はぺっっと唾を顔に吐きかけると、尊治を睨みつけ、お前こそ何も知らないバカだと言い返した。
辺りを佇む空気は一変した。尊治はしばらく黙ったかと思うと、息吹を池に投げ入れた。息吹はボチャンと勢いよく池におち、それでも負けじと尊治を睨みつけた。
尊治の顔は、さっきまでとは別人だった。つり上がった真っ黒な瞳は、殺気に満ち、いつ息吹を殺してもおかしくない雰囲気であった。
だが息吹は恐怖を感じなかった。怒りに支配された心は、危険を察知できず 我を失ってしまったのだ。
両者にらみ合い、張り詰めた空気の中先に動いたのは息吹だった。尊治の間合いに素早く滑り込んだ息吹は、尊治の喉元めがけて小石を突き付けようとした。だが、尊治が蹴りをくらわすほうが早かった。尊治はわざと、息吹を間合いに入り込ませたのだ。
吹っ飛んだ息吹はまた、池に落ちた。みぞおちがズキズキし、咳き込んだ。
(……早い)
息吹は、一瞬で青年と自分との力の差を理解したが、もう後には引けなかった。すぐ池から上がろうとしたが、目の前にはもう尊治が仁王立ちしている。
(えっ?なんで……)
首元に剣を突きつけられ、息吹は固まった。逃げ出す隙はなく、つり上がった尊治の目は、殺気を放っている。
「いいだろう。俺がお前を黄泉の国へと導いてやる。……死ね!!」
息吹は目を瞑った。キーンと金属がぶつかる音がした。
少しの静寂があり、乾いた風が吹いた。
「若様、まだ決断するのは、はようございますゆえ、どうか剣をおしまいくだされ」
息吹は目を開けた。……まだ死んでない。
黒子の男が息吹の前に立ちはだかり、尊治の剣を、小さなクナイで受け止めている。尊治の目はまだ殺気に満ち、剣をしまう様子はない。
「俺に指図するとは……貴様も切り捨てられたいか」
ギリギリと剣は黒子の男の顔まで刺し迫り、もう少しで黒子の顔は真っ二つにされそうだ。尊治はこの男を殺すことに関して全く躊躇しないようだった。
「このこわっぱは、法力をまだ知らないのです。……試してからでも遅くはないはず」
尊治は片眉を上げ、続けろと低く呟いた。
「……この者は魔法を使う者の血が半分混じっているのです。この様なものは倭国に一人としておりませぬ。だからこそ、若様も、慶獄の文を受け取った筈です」
尊治は眉間にシワをよせたまま、剣を腰に収めた。黒子の男は膝まづき、如何様にと頭をたれた。
「明朝、こいつに法力試す。……使えないようであれば、始末するまでだ」
尊治はクルリと背を向け、去って行った。
息吹はビショ濡れであった。心臓がバクバクしている。月はあいも変わらず明るく、城は先ほどのことは何も無かったように、美しかった。
(まだ死にたくなかったみたい……)
自分の気持ちに気がつき息吹は、安堵した。黒子の男がこちらを見つめてる。
「助けてくれありがとう」
「……助けたのではない。お前に利用価値があるかどうかは、今の段階では判断できぬからだ」
なんでもいいよと言うと、息吹はバシャンっと池に倒れ込んだ。風は冷たく、秋の気配を感じさせていたが、疲れた体には池の水は気持ちよかった。仰向けになって、池に浮かんでいると魚達が近寄って来て息吹を突いた。息吹はくすぐったくなり、くくっと笑った。
「さっきまで殺されかけた奴とは思えぬな」
黒子の男の声は呆れていたが、息吹はなんだか元気が出てきた。
「お腹すいたな……」
息吹がポツリと呟くと、黒子の男はため息をつき、早く上がれと言うと、背を向けスタスタ歩き出した。息吹は待ってと、急いで池から上がると黒子のお男の後を追いかけるのであった。




