恨み
寺に着いて、二人が布団で身体を休めた次の日の朝は快晴だった。昨晩の不気味さは嘘のように、寺は美しい新緑に囲まれ、冷たくひんやりとした空気を纏って荘厳な空気を感じさせた。
ハヤテは、布団に横になったまま雲ひとつない青空を眺めていた。見慣れていた寺の天井も、ハヤテが知ってた頃より随分古びていた。それでも、此の木の香りがする空気はどこか懐かしく感じた。
「体の方はあ、どうだあ?」
大きな鐘が鳴り響いたかのような低く、大きな声がハヤテの耳を震わした。
「だいぶ良いよ。面倒をかけたな」
ハヤテは大男を見上げた。黒々とした髭が口の周りを覆っているが、頭部はチリ一つ無く磨き上げられている。髭と同じ質感の眉は黒く太く、倭国の民らしい見た目であった。
「息吹はどうしてる?太陽があがると同時に目を覚ますような奴なんだが」
大男は、少し間を開けた後、口にするのも嫌そうにボソボソ喋った。
「あいつはあ、熱が出てえ、うなされてるわあい」
そうかとハヤテはつぶやき、大男から顔を背けた。
「……あいつの両親には確かに責任がある。だが、それが結果的に、悲しみを生みだしたとしても、信念を持ってやったことだ」
「だからあ、許せというのかあああ!!」
大男は豹変した。黒い瞳にはギラギラと怒りがみなぎった。
「あの女のしたことはあああ、悪戯にいい、夢を見させええ、俺たちが築いたああ、調和を壊しただけだあああ!!」
部屋中に、大きな低い鐘の音は鳴り響き、大男の怒りは溢れ出した。
「お前をおおお、息子の様に大事にしてきたあ、俺の気持ちをおお、お前はああ、思いやったことがあるのかあああ!!」
ハヤテは、少し目を見開き、ゆっくりと身体を起こした。まだ痛みと疲れが伴う身体には、上半身を起こすだけでも辛かったが、今はこの男に向き合う必要があった。
「慶獄、俺にとってもお前は、親父のような存在であることは間違いない。……お前の期待を裏切った事は、本当に済まないと思っている」
慶獄はやせ細ったハヤテをみて、バツの悪そうな顔をした。こんな事が言いたいのではない。再び会えた事をどんなに喜んだか伝えたいのに、ハヤテを目の前にすると、どうしても恨み辛みしか出て来ないのは歯がゆかった。
「……あやつの事は心配するなああ。病人をおお、いたぶる趣味はああ、ないい。」
ハヤテはすまないと小さく呟くと、身体を倒して目をつぶった。
慶獄は眉間にしわを寄せ、空を仰いだ。あいも変わらず澄み切った空は、ヒンヤリとした風を連れて来て、慶獄をなだめるのであった。