誓い
あの日から1ヶ月が経とうとしていた。トカゲは真っ黒な海を見ながら、悶々としていた。この海を見るたび、あの少女を思い出していた。
(俺たちもしかしてとんでもねえ事に首を突っ込んじまったんじゃあ……)
海は水面をキラキラさせながら、優しく波の音たてている。訳ありの者が多い海の連中の中でも、あの少女は格別に思えた。ハアとトカゲはため息をつくと、持ち場に戻る事にした。
(1ヶ月、一人ろくに食事も睡眠もとんねえで………なんて我慢強いやつだ。今夜あたり様子を見に行ってやろう)
トカゲは首を突っ込んでしまった以上はしょうがないと、しっぽをゆらゆらさせた。
今夜は特別綺麗な夜空であった。星はチカチカ瞬き、空中が星の絨毯で覆われている。みんなが寝静まった船内は静けさが増し、波の音は音楽のように周りを包んでいた。トカゲは少しドキドキしながらドアを開けた。二人共死んじゃいねえだろうなと呟いてランプで部屋を照らすと、顔色の悪い、目の下にクマを作った少女がこちらを振り返った。食事は今日の分はもう貰ったよと小さい声で呟いた。トカゲは胸の辺りが締め付けられる思いがした。
「おめえは少し休憩した方がいいぜえ。俺がみといてやるから、寝ときなあ」
息吹はトカゲの顔をじっと見たかと思うとフラフラ歩いて毛布の上にうずくまると寝息をたて始めた。トカゲはホッと一息つくと、あの細身の男の側に立った。顔色は幾分か戻っていたが、腕が痛むのか、しかめっ面をしたかと思うと寝息をたてるという感じであった。こりゃあヤマ場は超えてそうだなあと安心し、スヤスヤ眠る息吹の寝顔を眺めた。
息吹は部屋から出て行こうとするトカゲの足音で目を覚ました。息吹は飛び起きトカゲを呼び止めた。声は思いの外掠れていた。
「ありがとう」
トカゲは驚いたように振り向くと、照れ臭そうに説明した。
「さっきイヌルイ先生が診てくれてよお、もうつきっきりじゃなくていいんだってよ。おめえは随分寝てて腹減ったろ。早く食って元気出せや 」
トカゲはそう言うと、逃げるように部屋から出て行った。先生はスースーと寝息をたてている。パンとチーズが置いてあるのを見るとお腹が盛大にギュルルと鳴った。急いで口に頬張ると息吹はトカゲの跡を追った。
甲板は今日は星が瞬き大層明るかった。息吹は警戒しながら、トカゲを探した。トカゲはすぐ見つかった。船首で 、タバコを吹かしながら、上機嫌で鼻歌を歌っていた。息吹は音もなくトカゲの後ろに立つと緊張しながら声をかけた。
「あの」
トカゲはビクっとして息吹の方を振り返った。
「おめえ、前も思ったが、突然現れるやつだなぁ。もう身体の方はいいのかい?」
息吹はコクリと頷くと、トカゲの横に立った。
「助けてくれて本当にありがとう」
トカゲは困ったな という顔したが、口は笑っていた。
「そんな何度も御礼なんか言わなくてもいいぜえ。俺はあたりめえの事をしたまでよ」
息吹は、月を見つめながら本音を漏らした。
「先生の事ほんとに大事に思ってるのに………看病してる時何回も挫けそうだった。あの時、代わって貰えて凄く助かったんだ。自分が思ってるより、私ずっと弱くてへなちょこだった」
息吹の声はとても落ち込んでいるようにトカゲには聞こえた。
「そんな事ないと思うぜえ。 おめえはよくやってるよ」
トカゲは話を変えようと、気になっていた事を聞いた。
「……おめえ、これから倭国に戻って仲間はいるのかい?こう言っちゃなんだが、おめえは倭国と他の国のもんの血が混じってるように見えるし、倭国のもんは頭が硬いから、おめえは煙たがられそうだがね」
トカゲは息吹が顔が硬直してるのに気がつくと、しまったと思った。
けれど、息吹はトカゲの視線に気がつくと、少し笑った。
「でも、あの国にいても追われる事には変わりないから」
俯いていた顔は幾分寂しそうだったが、しょうがないよと、小さい声で呟いた。微かに風が頬をかすめると息吹は、顔を上げて月を見つめた。
「ここに来るまで本当に最悪な事が続いてた。……幸せだった時間もめちゃくちゃになって……でも、今……見ず知らずの人に助けて貰ってなんとかやってるんだもん。凄く不思議だな」
トカゲは、今度は落ち込ませちゃならんぞと思いながら、一生懸命考えて喋った。
「おめえはまだ小せえんだし、これから幸せを探す事だっていくらでもできると思うぜえ。……俺も今迄色々あったが、今はまあ、楽しくやってるしよ。みんな、口にしないだけで 色々あるもんだ」
息吹はトカゲが自分を励ましてくれてるのが嬉しかった。 なんだか 力が湧いてくるように感じた。
風は強くなり、耳元でびゅうびゅうと鳴った。
「今度は私が先生を守る。……ずっと先生がしてきてくれたみたいに。コウテカ様に誓うよ」
トカゲはコウテカと聞くと、そりゃあ破れねえなとクククと笑った。
暗く大きな海は、今は優しく二人を包んでいた。波の音も今は心を落ち着かせてくれた。
「倭国まであと少しだ。おめえはきっと上手くやれるさ」
トカゲは風を気持ちよさそうに感じながら、目をつぶってはっきりと言ったのだった。