最初の贄
明るい表情だったクロミが、不意に無表情になった。
やはり見間違えではなかった。クロミの眼は真っ黒な穴の様になり、口は耳の方まで裂けている。
息吹はジワリと身体中から汗が噴き出すのを感じながら、はっと気づいた。辺りは真っ暗で、クロミと自分は暗闇の中宙に浮き、向き合っている。
( 怖い……)
息吹はクロミから視線を外したかったが、体は金縛りにあったように動かず、逃げ出す事など出来なかった。
「お姉ちゃん、私らに手ェ伸ばしてくれたやろ?忘れてしもたん?ふふふ」
裂けた口から喋るのでなく、耳の奥で響く様な声が聞こえる。
「むかあし昔、法力がまだ知られてへんかった頃、私は人の心を読めてしまう不思議な力が自分にある事が分かった。元々その地方を長を務めていた私の父親は、この力を利用して民の心を自分の手中に集めようとしたんや。まだ、法力も発見されとらんかったしな」
クロミの瞳のなかえはグルグルと動き真っ黒な穴が途方もなく掘られていく様だった。
「私はな、かか様を知らん。お姉ちゃんと一緒や。だからとと様は私のたった一人の大切な人やったんや。とと様がそうじゃないのは、分かってたけどそんなん関係あらへん」
息吹は口を開いた。ちゃんと声はでた。
「私にも居るよ。……そういうひとたち」
息吹の脳裏には、もう会うことの出来ない先生や、エマやジョルジュ、ゲリーさんや、船で出会った人達が浮かんだ。
クロミの顔は元の少女の顔に戻っている。
「お姉ちゃんの心をずっと見てた。今までお姉ちゃんが出会った人達のこともみんな私は知ってるで。……裏切られて可哀想やったな」
息吹は胸がぎゅうっとなるのを感じた。苦い薬を飲み込む様に、息吹は呟いた。
「……裏切られてなんかない。皆んな一生懸命生きてるだけだよ」
最後はクロミに聞こえなかったかもしれないと息吹は思った。クロミの小さな瞳は、まだ穴ではない。
「勝手に心を覗いたお詫びに、私の心を見せたるな」
クロミは息吹に何も反論しなかった。ただ優しい表情を浮かべた。この子は本当に子供なのかなと息吹はふと思った。
「お姉ちゃん、倭国はな、ずっと争いが絶えへんねん。それは今に始まった事と違う。この国から法力が生まれる前から、贄の儀式は伝統的にあってん」
クロミは、息吹に顔を近づけて息のかかる位置で息吹の耳元に囁いた。
「その倭国で最初の贄が……私や」
息吹はクロミの顔見た。近くで見るとクロミ折れそうに細く、着物は薄汚れてる。
「お姉ちゃんなら私の気持ち分かってくれるよな」
息吹は何も言えなかった。
眼下には、1人の少女を取り囲んで人々が熱狂している。
(……熱い)
息吹は知りたくないと目を瞑ったが、人々の熱狂の中クロミに誘われるのであった。