呪鎖
倉庫の扉をあけると、隙のなかった、あの細身の男が床に倒れていた。狼とトカゲは二人で抱き上げ、仰向きに寝かせた。顔は血の気がなく、氷の様に冷たかった。だらんと垂れた腕を見て、二人は息を止めた。
「兄貴い、こりゃあ…………」
「……………俺達じゃあどうにもできん。イヌルイを呼んで来い。」
トカゲは部屋を出て行き、狼は息吹を見つめた。
涙で顔はぐしゃぐしゃになり、目は真っ赤だった。ランプをそっと床に置き、狼は息吹を怖がらせない様に話しかけた。
「この刺青の者を俺達は何度か見た事がある。…………お前は倭国の子供だな?」
息吹は狼の凄みのある大きな口も、ゴワゴワした声も、怖くは感じなかった。ランプの光がキラキラと金色の瞳の中で瞬くのを見ながら、息吹はゆっくりと答えた。
「でも、今までずっとコウテカの庭で暮らしてた。倭国のこと何にも知らないの」
狼はコウテカと聞くと、フッと笑った。
「コウテカのご加護を信じろ」
扉が開き、トカゲが分厚いメガネで出っ歯の小太りの男を連れてきた。息吹は一瞬モグラかと思ったが、よくよく見ると頭のてっぺんに髪がない中年の人間であった。男の背丈は息吹より少し高いくらいであったが、声は大層大きかった。
「コウテカあ、まあた、厄介ごと持って来よって。全く、巻き込まれるわしの身にもなれってんだ!」
息吹は耳を疑った。聞き間違いで無ければ、この男は狼をコウテカと呼んでいる。
「愚痴は後で聞いてやる。それよりこいつの腕を見てくれ」
モグラ男は刺青の腕を見て呪鎖だなと、呟いた。
「呪鎖ってなに?」
息吹は黙ってられず、聞き返した。モグラ男は、息吹にいることに気づくと混乱しながら尋ねた。
「こいつ、倭人の子供か?……なんで眼が青い?」
息吹は答えなかった。
「呪鎖ってなんなの?お願い教えて‼︎」
息吹の迫力に負けて、モグラ男は不満そうに答えた。
「あの国じゃあ、約束事を違えるもんがおらんように、契約の際は刺青彫らせんじゃ。仕組みの方はわしもよおく知らないがあ、発動すりゃあ、ジワジワそいつの命を削っていく」
息吹は頭をトンカチかなんかでがーんと殴られた様な気分だった。吐き気は強くなり、手足は益々痺れた。
「…助からないってこと?」
息吹は掠れた声で、朦朧とした視界の中尋ねた。
「刺青の部分を切り落として助かったもんを見た事があるが、こいつの刺青は俺も見た事が無いくれえ、広範囲じゃあ。…保証はできん」
息吹は先生を見つめた。腕を切り落とす以外助かる術は無かった。
息吹の脳裏にはいつも優しく微笑む先生の顔が浮かんだ。力強い温かい腕は、今は死の匂いを感じさせた。
息吹はモグラ男の方に振り向き、まっすぐ見つめた。青い目はランプの光に照らされ、燃えてるようにモグラ男には見えた。
「どんな事でもします。お願いです。先生を助けて下さい」
一瞬の静寂であったが、息吹にはとても長く感じた。ややあと、モグラは、息吹を試すように呟いた。
「わしは腕を切り落として、処置はするが、その後はお前が寝ずに看病せにゃあならん。子供のお前にそれができるんか?」
息吹は迷わずコクリと頷いた。
「分かった。すぐに取り掛かった方がいい。お前ら、こいつを下に運べ。処置が終わればお前も呼んでやる」
男達は目を合わせると、先生を抱え倉庫から出て行った。
息吹はランプに照らされた自分の影を睨みつけた後、ゆっくり目を瞑った。パチパチとランプの音だけが、寂しげに部屋に響いていた。