睨み合い
「そこまでや!」
大きな声を張り上げて、瀬尾が息吹を羽交い締めにした。息吹は一瞬のことで何が起こったか理解できなかった。瀬尾の顔がすぐ近くにある。
「まさか先に交渉するとはな……だが甘い……俺の気配を読み取れないようじゃ、いくら力を解放しても一緒や」
「やってみなきゃ分からないでしょ」
息吹は、瀬尾に命を握られながらも負けじと言い返した。瀬尾は眉間シワを寄せ、舌打ちをしてから息吹を反対側の障子へ向かせた。
「……忌々しいクソガキやで。これでも旦那は庇うつもりかい?」
息吹は心臓がぎゅっと締め付けられるのを感じた。哀しそうな顔で神谷がこちらを見つめてる。苦しくてなんだか息もしづらい。
「……瀬尾……息吹を離すんだ」
もう息吹は顔をあげられ無かった。涙が目尻に溜まって、顔が熱くなるのを感じる。命の恩人の神谷を手にかけようだなんて、どんな事よりも恥知らずに思えた。
「……何言うてんねん……いい加減にせえや……」
背後の瀬尾から怒りを感じる。こんな事になってまで、神谷が自分を庇ってくれるのが、今の息吹には苦しかった。息吹のせいで瀬尾と神谷の関係が、尊治と七之助のように壊れようとしているのに、神谷は息吹を責め無かったからだ。
「俺を信じてくれ瀬尾。……それと同じようにこの子も信じてほしい」
息吹は一瞬畳が目の前になったかと思ったや否や、頬を畳に押し付けられていた。
「……こいつは未知数なんや。ウラギリを厭わん子供の行く末は、昔から墓場と相場が決まってんねん」
「瀬尾!!!」
「やめて!!」
神谷が叫ぶと同時に、雪姫が悲鳴をあげた。
「この子を殺すなら、私はここで命をたちます!!そうなればあなたは皇族を手にかけた逆賊よ!!」
雪姫の眼は充血し、表情は真っ青だ。ガチガチと歯を鳴らせて、短剣を自分の首に押し付けている。瀬尾は、大きな黒く光る目玉を、ギョロリと動かし、蔑んだ眼差しで雪姫を眺めた。
「……あんたなんか、俺にとっては皇族の端くれでもないねん。姫さんよお、あんたはとっくに帝に見限られとんねん。……もう姫って歳でも無いやろが。あんたは生き霊となんも変わらん」
「瀬尾いい加減にしろ!!……俺は、お前を……失いたく無い……お願いだ」
神谷は苦しげに呟いた。瀬尾の言ってる事は宮中の皆が思ってる事であった。雪姫自身そんな事はとっくに理解して居た。だが今まで生き延びてきたのは自分のためなんかじゃ無い。娘を守るためなのだ。今更瀬尾の言う事など、雪姫にはどうでも良かった。
「あなたは何にもわかって無いわ。宮中の者がそう思っていたとしても、民はまだ皇族の神話を信じているの……兄上が私に手をかけないのもその為よ。この狭い国で神話こそが、民の心の拠り所なのよ」
息吹は母の顔見上げた。痩せこけた顔に充血した目は、常軌を逸してるようにみえたが、不思議と瞳は力づよく光が輝き、彼女がかつて皇族であったのを思わせた。
そんな雪姫を神谷は少し見つめた後、ゆっくり瀬尾に話しかけた。
「瀬尾……俺は新しい時代を築きたい……息吹のような子供を増やさない為に、俺たちは示さなきゃいけないんだよ……お前は息吹に子供の頃の自分を重ねて怒っているだけだ」
瀬尾の大きな黒い瞳が、怒りに震えて居るように神谷には見えたが、恐怖は無かった。自分はこの男の本質を誰よりも理解している。……この男自身よりも。
瀬尾の腕に力が込められるのを一瞬感じた。息吹は今度こそダメだと思って目を瞑った。
だが、何も起こらなかった。
ゆっくり目を開けると、瀬尾は自分から離れ背を向けている。雪姫はヘタリと座り込み、神谷は息吹の側に近づきそっと背中に手を当てた。
「……尋問はさせてもらうで。……おい、餓鬼、命拾いしたな。……少しでも旦那に感謝してんねんやったら、黙って俺の後について来い」
外の雨は収まり、少し冷たい風が息吹の頬を撫でた。息吹は畳にうつ伏せたまま、エッエッとしゃくり上げて泣くのであった。