このまま
真っ黒な髪の少女は、二階の障子からヒョイっと顔を出した。
「ふふ、そんな所から顔を出すなんて、あなたってホント元気が有り余ってるのね」
息吹は返事もせず、ズカズカ近寄り微笑む女の前にグイっと果実を突き出した。雪姫は少し驚いた表情をして、これ私に?と小さく呟いた。
「もっと食べた方がいいよ。今のままだとなんだかお化けみたいだよ」
息吹は表情を変えず、淡々と答えた。
「……そう……そうね……そう言えばあまり食べていなかったわ、ふふふ」
ちょっと惚けた後、雪姫は最後は少しおかしくなって笑ってしまった。息吹はすぐ後ろを向いたが、部屋から出て行きはしなかった。息吹は後ろを向いたまま座り込み、自分用に持ってきた果実をモグモグと食べ始めた。雪姫は息吹の行動が嬉しくて、後ろから抱きしめたくなったが、息吹にまた警戒されてはいけないと思い、目を細めて息吹の背中を眺めた。
「……とっても身軽なのね。私と正反対だわ。……異国ではどのように生活していたの?」
雪姫はあまり質問してはいけないと思いつつも、なんとか息吹と会話したくて息吹に話しかけた。
「狩をしたり、阿修羅に乗ってよくコウテカの庭の上空だけ飛び回ってた。友達もいたよ」
息吹はこっちを見なかったが、雪姫は返事をしてくれただけでも幸せだった。
「友達って?どんな子なの?コウテカって誰かのお名前かしら?」
気持ちを抑えなきゃと思いつつも、雪姫は矢継ぎ早に質問した。息吹は少し沈黙したが、後ろを向いたまま、ゆっくり思い出すように口を開いた。
「コウテカはギルマで信じられてる神さま。友達は口うるさいかな。心配性で、同い年なのになんかお姉さんぶってる感じがする。……でも……もう友達じゃなかったかもね」
最後は寂しそうに呟くように聞こえたが、雪姫から息吹の表情は伺えず、息吹はそれ以上何も言わなかった。
気まずい空気が流れ、息吹はもう立ち去ってしまうかもと雪姫は思ったが、しばらく何も言わずそこでモグモグ食べ続けた。
(倭国に戻って来ることがあるなんて……何かあったに違い無いんだわ。それなのに私ったらはしゃいだりして……なんて恥ずかしい大人なの)
雪姫は息吹がどういう経緯で此処に来たのか聞くのが怖くなった。息吹は立ち上がったかと思うと、雪姫の方を真っ直ぐ見つめた。青く澄んだ瞳は、雪姫の憧れであり、懐かしいあの人を思い出させた。ああ、この子と一緒に暮らせたならどんなに幸せだろう、雪姫は叶わないと分かっていても願わずには居られなかった。
ザーザーッと遠くで雨の音が聞こえる。分厚い雲は部屋暗くし、息吹の白い顔を陰らせた。青い瞳だけが、闇の中で静かに光っている。
「……あのね……私、大切な人がいるんだ」
雪姫はそれ以上聞きたくなかったが、息吹は暗がりでしゃべり続けた。
「おばさん……協力して欲しい」
(ああ……この子をどこかに隠しておきたい……誰にも見つからない宝物のように)
雪姫は必死に願ったが、息吹の口から出た言葉は、雪姫が最も聞きたくない言葉だった。
「………私の封印をどうか解いてください」
雷鳴が聞こえる。強くなり始めた雨は二人の距離を益々遠ざけ、息吹の心は固く扉が閉まっていくようであった。