敗北の海
グロニア帝国に存在する7振りの聖剣。それはかつて、グロニア人の世界は大小7つの国家に分かれていて、それぞれが信奉する7大精霊の加護を受けた剣である。過去のグロニアにおいて、この聖剣を有する実力者同士を闘わせ、最後まで勝ち残った聖剣の所持者の国が世界の覇権を握るという、代理戦争の一面があった。それが席次として残り、現在の七聖剣の前身となっている。
その内の一振り、フランベルジュは火の精霊イフリートの加護を受けた聖剣であり、火炎系魔法を得意とするアライジャの戦闘能力を大幅にアップさせるマジックアイテムでもある。
「ほんじゃあ、まずはこんがり焼いちゃいますか。よっこらしょ!」
アライジャの意思に反応するように、フランベルジュの刀身に炎が宿る。刀身に宿った炎は、それが存在するだけで周囲の木々が燃えた。
「う……熱い……何なの、これ!」
少女はあまりの熱さにアライジャへ接近することもできず、一定間隔を保つことしかできなかった。
「俺の鎧の硬度はエクスカリバーほどじゃねえ。が、この熱が本当の鎧だ。近づく奴はお熱でバイバイってわけさ。ってもなあ。部下はみんな暑苦しいからって、離れちゃうんだよねえ」
「ふざ、けるな!」
少女は熱気の中、アライジャに襲い掛かった。
「来いよレディー。抱きしめてやるぜ、あんたはそれだけであの世行きだ。イケてるメンズに抱かれてあの世に行けるんだ。幸せな最後だろ?」
「お前のような軽薄な男など、興味はない!」
少女のダガーの刀身。それが音もなく高速で射出される。弾道ナイフ、いわゆるスペツナズナイフの類だ。刀身はまっすぐ鎧の継ぎ目、アライジャの喉元めがけて飛んでいく。
「あ、そーいう使い方もあるのね。こりゃまいった。びっくりだわ」
至近距離で。かつ、予測不可能であろう攻撃手段。少女としては十二分に不意を突いたつもりだったのだろう。だが、現実は少女にとって残酷な結果を見せつける。
「君の目の前にいるのは七聖剣だぜ? これでも、グロニア皇帝とグロニア帝国を守護する最強の7人の1人だ」
刃はアライジャに届くことなく、フランベルジュで一閃される。それどころか、接近し過ぎたために少女は反撃に備える時間がない。
「チェックメイトだね。できれば君みたいな可愛い子を殺したくないんだけど、悲しいよね。ま、来世でまた会おうよ」
少女は憎しみの形相でアライジャを見上げた。殺される恐怖よりも、憎しみのほうが遥かに勝っているのだろう。
「グロニア人め……!!」
「嫌な時代だよな。世界がどうだらと、今の時代に生まれた俺らにそんなもん関係ないってのにさ。お互いこんな物騒なもん振り回さずに、能天気に勉強して恋愛する世界があったのかもな。でもまあ、これが現実だ。バイバイ」
アライジャはフランベルジュを振りかぶった。そして、ためらいなく振り下ろす。
ガキリ、と。肉ではなく、硬い何かにフランベルジュは遮られ、アライジャは一瞬動きを止めた。
「未熟だな、サリア。セカンドアース帰還後、お前は基礎教練からやり直しだ。覚悟しておけ」
「ディハルト隊長!? 申し訳、ありません……」
フランベルジュは少女の体に触れず、男の腕に阻まれていた。
「何だおっさん。どこから沸いて出た?」
男は30代後半といったところで、サングラスと黒い軍服に身を包み、左目には深い傷跡があった。
アライジャは少女と戦闘中、常に周囲に気配を張り巡らせていたのだが、音もなく突然現れた男にただならぬ空気を感じ、体勢を整えるため後退して距離を取った。
なにより、である。フランベルジュを生身で受け止めたのだ。鉄をバターのように断ち切る切れ味を持つフランベルジュを、である。
「お前は後退しろ。周囲のザコはあらかた片付けた。この地域一帯の制圧はじきに完了する」
男はアライジャのほうを向いたまま、後ろの少女に声をかけた。
「しかし、こいつは七聖剣です! 戦力は多いほうが!」
「だからこそだ。足手まといはいらん。お前の存在は邪魔なだけだ。理解しろ」
「……わかりました。隊長、お気をつけて。ご武運を」
少女は涙目で去っていく。彼女の背中が見えなくなると同時、目の前の男が口を開いた。
「ここからは私が相手をしよう」
「やなこった。可愛い女の子のほうがいいに決まってんだろ! さっきの子とチェンジ!」
アライジャがしっしと手を振ったが、男は肩をすくめると返事の変わりに右手をアライジャに向けた。
「そういわんでくれ。こちらも任務だ」
男の拳がアライジャの鎧を撃つ。疾風怒濤という四文字熟語を連想させるような激しい連撃は、アライジャの反応速度を遥かに超え、彼を鉄のサンドバッグに成り下げた。
「ちょ!?」
まるでハンマーで思い切りぶん殴られたように男の拳は重く、アーマー越しに衝撃がアライジャに響いてくる。だがそれよりも、熱の鎧を平然と殴りつける男にアライジャは戸惑いを隠せずにいた。
「さすがに硬いな。貴様の部下の鎧は一撃で破壊できたのだが、これが七聖剣の鎧というわけか」
「おいおいふざけんなよ、おっさん。生身で向かってくるどころか何涼しい顔して俺の近くにいんだよ? つか、んなことどうでもいい。俺の部下をザコとかいいやがったな? 俺の悪口は好きなだけ言っても構わないが、部下の悪口は絶対に許さねーぞ!!」
フランベルジュの刀身に蒼い炎が宿り、アライジャは構えを取った。
「来い。お前達グロニア人の時代が終わったことを。精霊の加護だの魔法だの、そんな物はくだらんまやかしであることを、理解させてやろう」
男は肩をすくんでみせると、防御の姿勢をとり挑発する。
「この野郎!!」
アライジャが間合いを詰める。彼の意思に反応して、切れ味と熱量を増したその刀身は、男の体を袈裟斬りにした。
「なん……だとぉ!?」
だがしかし、フランベルジュは男の体を斬ることはできなかった。
「オリハルコン製のこの体に、貴様らの時代遅れな骨董品では傷など付かん」
フランベルジュで男の体には傷が付かなかったものの、わずかに軍服が破れていた。破れた隙間からは白い金属質の体が垣間見え、アライジャは息を呑んだ。
「オリハルコン……だと。てめえ、その体……」
男はアライジャを正拳突きで吹き飛ばすと、軍服を脱ぎ捨て鋼鉄のボディーをさらす。
「20年前、私は全てを失った。上官も恋人も自分の体も……今ではこの通り、すっかりサイボーグだよ」
「生きたナイトアーマー。いや、こいつは……」
「私の体は最先端の医療サイバネティクスと、グロニア魔法学のリビングアーマーとやらの融合物らしい。貴様らの魔法を否定するために、私はあえて魔法が応用されたこの体を受け入れた。あの日の屈辱を晴らすために、地球を取り戻すために……人を捨ててでも、こうして生きながらえている!」
男は右手をアライジャに向けた。そして、一気に右手を引き抜いた。そこには6門のガドリングガンがあり、弾丸の嵐がアライジャに向けて一斉発射される。
「炎の壁よ!!」
アライジャの目の前に陽炎と共に火炎の盾が形成され、それがガドリングガンの銃弾を飲み込んだ。
アライジャにも地球人の武器に関する知識はある。彼らの使用する銃器に使用される弾丸は鉛。鉛の沸点は1750度とされているので、それを超える高温の壁を魔法で作り出す事は可能だ。
「ぬるいな」
炎の壁は弾丸を溶かすことができず、容易に突破されアライジャの鎧を貫いた。
「い、てぇええええ!」
「理解しろ。鉛の弾丸など時代遅れだ。ルナメタル製の弾丸は高価だが、貴様ら七聖剣を始末できるならば、費用対効果は悪くない」
アライジャは立ち上がろうとしたが、足に激痛が走り動けない。どうやら、銃弾が足の装甲を貫通したようだった。
「殺す前に聞きたいことがある。お前、グレイル・アランスという男を知っているか?」
「あん? 誰だよそりゃ」
「そうか。まあ、こちらはどうでもいい。ではその上官だった男、ゲイル・シャンブラーという男は?」
七聖剣第五席ゲイル・シャンブラー。卑劣にして愚劣。常に殺しを求める騎士の風上にも置けない男だ。気に入らなければ部下でも平然と手にかける。自らを歩く殺人ショーと名乗り、グロニア史上最大の犯罪者でもあった。
「知らねーな」
アライジャは知っていたが、ウソをつくことにした。この世で一番嫌いな男であるが、一応は同僚であるからだ。
「そうか。では、これでさようならだな」
男の右手がアライジャに向けられる。
「そうだな。あんたとはこれでさようなら、だ! リオネちゃん、精霊魔法! 俺ごと周囲10メートルを焼き払え!!」
「む?」
アライジャは掌サイズの小さな水晶を手に、そう叫んだ。
刹那、上空からドラゴンの形をした巨大な炎がアライジャたちに向かって落ちてくる。
「俺は七聖剣第七席アライジャ・グスパー。あんた、名前は?」
「ディハルト・ワグナー大尉だ」
「そっか。名前覚えたぜ、おっさん。あんたはいずれ俺が始末する。その時までキレイに体を磨いときな」
アライジャは鎧から炎の翼を顕現させると、全速力で離脱した。
背後で大爆発が起きる中、爆風を追い風にしてアライジャは駆けた。そして、リオネの待つ本陣に戻ると撤退を開始する。
不幸中の幸いか、なんとか時間を稼ぐことに成功し、一般市民の退去は完了。あとは残された騎士だけという状態だったが、残された騎士はアライジャとリオネを含め、数十名にまで減っていた。
「は~、生きてるって素晴らしいよね~、リオネちゃん」
船に乗り、後方に遠ざかっていくオーストラリア大陸を見ながらアライジャは呟いた。追撃の気配はない。彼らの第一目標は騎士の殲滅ではなく完全なるオーストラリア大陸の奪還であるからだろう。
「アライジャ様……」
「地球人ってすげえんだぜ。姿を消したり、鋼の体でフランベルジュが通用しねーの! 笑えるわー。ほんと、笑えるわ」
アライジャは海面を見下ろして吐き出すようにそう言った。
「すまねえ、リオネちゃん。俺今ちょっとダウナーな感じなんだわ。外してくんねーか?」
「はい。リオネは船内で待機しておりますので……」
背後でリオネが去っていくのを感じ取ると、アライジャは息を吐いた。
「ちくしょう……」
敗北である。グロニア帝国にとって力の象徴たる七振りの聖剣。それがエクスカリバーのみならず、フランベルジュまで敗れ去った。
いや、敗北だけならまだいい。自分の部下をザコ呼ばわりされ、こうしてただただ逃げるしかない自分に、どうしようもない怒りがふつふつと湧き上がってくる。
「ライオネット、ジャスティン、フリオ、エルク、カール。すまねえ。弱い俺を、許してくれ……。俺は……俺は!!」
この地球で生まれ育ったグロニア人である彼に、20年前のことはわからない。ただ、自分達の居場所を守る戦いだと思っていたが、相手はそうではないのだ。
すべてを失ったというディハルトの気迫と、そうまでして取り返したいという執念に、自分は返す言葉を持たなかった。
ただ、それでも剣を捨てるわけにはいかない。死んでいった部下のためにも、自分達の居場所を守るために戦わなければならない。
強くならなければならないのだ。
「あの、アライジャ様ぁ」
「ん? あ、ああ。何だよリオネちゃん」
「その、本国からさっき通信で、七聖剣一同は急ぎ帝都へ集結するように、と連絡がありました」
「そっか……。そうだよな。領土が、大陸がまんま奪われちまったんだ。月と地球の、いや。地球人とグロニア人の殺し合いが20年ぶりに始まるってわけか」
アライジャは海の向こうで米粒ほどに小さくなったオーストラリア大陸を一瞥すると、船内に入った。
この日、地球人はオーストラリア大陸を奪還し、グロニア人は領土を1つ失った。