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グラングロニアの夜

 帝都グラングロニアの城下街は、人の活気で満ちあふれていた。グロニア帝国の首都であり、世界経済の中心でもあるこの街には、人や物が方々から集まってくる。帝都のメインストリートともなれば、グロニア人の上流階級の若者であふれ返っており、音楽や大道芸を披露する者も多数いる。毎日が祭りのようである。しかし彼らは理解していない。今の生活が地球人を奴隷として扱い、その犠牲の上に成り立っているということに。つまりは、地球人という労働力がなくなれば、彼らはたちまちに生活基盤を破壊されてしまうのだ。


 ましてや戦争になったといっても、グラングロニアに住む若者たちに危機感はない。ここが強固な防御結界で覆われた魔導城塞都市であるのもそうだが、なによりも新皇帝誕生を機に、七聖剣全員が一か所に勢ぞろいしているからだ。『我々魔法文明が負けるわけがない』、とグロニア人は高をくくっていた。それがなによりの傲慢であるとは知らずに。


「アライジャ様、おっそいですよ~!」


 メインストリートのさらに中心部。7大精霊の1つ、風の精霊シルフィーゼ像の前でリオネは可愛らしく口をとがらせた。遅れてきた上官は急いでやってきた様子ではなく、悪びれもせずウインクをする。


「おう悪い悪い。そんな怒るなよリオネちゃん。男子もたまにはデートに遅れるもんさ」


 アライジャはリオネの肩を抱くと、彼女の胸に触れようとする。


「あ~、これはあれですねえ。パワハラとセクハラのダブルパンチですね~。遅刻した挙句、いたいけで可憐で美しい部下の体をまさぐり、性的行為を強要するあれですね~。みなさ~ん。ここに飢えた獣がいますよ~」


「ちょ、ちょっと待って!? 遅れたのはほんと謝るから、俺の株を下げるようなこと帝都のど真ん中で言わないでよ、リオネちゃんてば! いや、確かにこのままおっぱいもんでやろうかと一瞬考えた俺がいたけどさ!」


「リオネの胸もんだら死にますよ? 物理的にも社会的にも」


 リオネの鋭い視線に押され、アライジャは即座に彼女から離れた。


「うん。ほんっとごめんね。俺は帝都一の大バカ野郎だからさ」


「で。これからどうするんです? 傷心の上官を気遣って、優しい部下が貴重なプライベートタイムを割いてこの場にいるわけですが」


 リオネは腕を組んでアライジャをジトっと見る。


「ああ、うん。ちょっと飯に付き合ってもらおうかな~と、思ってさ。もちろん俺のおごりだよ。何でもいいんだぜ」


「ふうん? リオネ、この辺のレストランはだいたい回りましたよ~。どこも値段だけ高くて、素材がイマイチの3流ばっかですよー、このへん。魔法で調理してるグロニア料理以外がいいですね~。やっぱり、職人の技が光ってなきゃ。あと、今ダイエット中なので~さっぱり系を所望します」


「注文の多いお姫様だなぁ。んじゃあ、地球料理の店でもいくか」


 アライジャとリオネはメインストリートを歩き出した。通りの端にはグロニア人の浮浪者や、働けなくなって捨てられた地球人の奴隷が道に倒れている。


「今更だけど俺たちの生活は、地球人の犠牲の上に成り立っているんだよな」


 アライジャは地球人の奴隷を見て、そう言った。


「どうしたんです、急に?」


「いや……何でもねえさ。俺たちは地球人からしたら、ただの泥棒なのかなってさ。っと、この店だ」


「いらっしゃいませ、アライジャ様」


 店に入ってすぐ店員の女がアライジャに頭を下げてきた。短い耳と黒い髪。地球人の奴隷だ。


「おう女将。相変わらず静かでいい店だな。奥の席、空いてるかい?」


「ありがとうございます。アライジャ様がいつおいでになられても大丈夫なように、特別に空けております。ささ、どうぞこちらへ」


「ああ」


 アライジャとリオネは店の奥へと案内される。店内には2人以外にも客がおり、家族連れや夫婦。比較的裕福な上流階級のグロニア人であふれていた。


「それではまた後程伺いますので、失礼いたします」


「ああ、今日の料理も楽しみにしてるぜ」


 アライジャがテーブルに着くと、女将は静かな動作で厨房のほうへ消えていった。


「この店、オーナー以外は全員地球人なんだよ。奴隷でも、一芸さえあればグロニアでも生きていける。グロニア人の主に気に入られれば、不自由なく暮らせる地球人だっているんだ」


「まあ、そうですね~。リオネの家の使用人も地球人ですけど、仲いいですしぃ」


「でも、何も持たない地球人は、ミミナシと蔑まれ収容所で重労働だ。ほとんどの地球人は収容所で死んでいく。いや、グロニア人に気に入られたところで奴隷は奴隷だ」


「さっきから、急にどうしたんです? そういうの、キャラじゃないですよー」


 アライジャは周りに誰もいないことを確認すると、リオネの目を見た。


「新皇帝は、地球人に和平を持ち掛けたらしい」


「はい? ワヘイ?」


 一瞬間があった後、リオネは言葉の意味を理解し大声をあげそうになった。


「な、なんですそれ! ていうかそれ! 重要機密じゃないですか! そんなのここでしゃべらないでくださいよ!」


「大丈夫、さっき一応防音の魔法を使った。それにさ、ここで話がしたかったんだ。俺たちは誰のために戦ってんのかなってさ」


「そんなの、皇帝陛下とグロニア帝国のために決まってるじゃないですかぁ」


 アライジャはテーブルの上に用意されていたお茶を一口含むと、天井に向かって息を吐いた。


「オーストラリアでボロ負けしたとき、俺思ったんだ。大勢の部下を殺したあいつらが許せねえって。けど、日を追うごとに別の思いも大きくなった。俺たちに正義ってのがあるのかなって」


「あの~、アライジャ様……?」


「もともとこの地球はあいつらのもんなんだ。それを俺たちの親世代が殺して奪い取った。弱肉強食は世界の真理。弱い奴はすべてを奪われる。地球人は弱かった。だから奪われた。それは仕方がねえだろ。でも、俺たちはオーストラリアで負けたんだ。そして、オーストラリア大陸を奪われた。これも仕方がねえさ。けどよ、もしこのまま戦いが長引いてもっと多くのグロニア人が死んで……負けた時。それは、仕方がないのか? 俺は、違うと思う。だから、和平は大いにアリだと思う。地球人の女の子とデートしたいしな」


「え。もしかしてそれが一番の本音……とかじゃないですよね?」


「茶化すなよリオネちゃん。俺は真剣にこの国の行く末を案じてるんだ。新皇帝の改革……腐った大臣や大貴族を軒並み排除したのは評価するさ。だが……レーニッジの野郎は信用できねえ」


「アライジャ様。レーニッジ様はすでに皇帝になられたお方。不敬ですよぉ?」


「かまわねえさ。前皇帝陛下バイロン様は俺を拾ってくださったお方だ。あの方の奔放なところが俺は好きだった。あの方が帝位を譲られた男だ。文句もねえ。けれど……どうも合点がいかねえ。なんで俺がオーストラリアにいる間に!」


「お前の言うことはもっともだよ、アライジャ」


 アライジャたちの席に音もなく現れた男は、スキンヘッドと黒いヒゲに白いジャケットに白のズボンを身にまとい、モノクル越しにアライジャを見ていた。


「あんたは……シャデルの旦那。どうしてここに」


 グロニア七聖剣第三席シャデル・バウアーは、アライジャの向かいの席に座るとお茶を床に捨て、空いた湯飲みに毒々しい黒色の薬酒を注いで一気飲みする。


「ふう。やはり食前酒はこれに限る。アライジャ、お前もどうだ?」


「相変わらずひでえ臭いだなおい。何の罰ゲームだよ、そりゃ」


「ふん。これの良さがわからんか。お子様め。そちらのお嬢さんはどうかな?」


「あ、あはは。リオネ、お酒ダメなんで~遠慮しておきます~」


 リオネはシャデルに委縮して、首をぶんぶんと振った。


「それは残念だ」


「旦那。一体何の用だ。世間話なんてあんたのキャラじゃねーだろ」


「まあそう急くな。私はな、お前を高く評価しているんだよ。剣技には粗さがあるが、魔法の腕も判断能力も大したものだ。女の趣味もイイ」


「きゃ!?」


 一瞬でシャデルはリオネの隣に移動すると、彼女の豊満な胸を左手でわしづかみにしていた。


「てめえ。何うらやましいことやってんだよ! パワハラとセクハラのダブルパンチだぞそりゃ。リオネちゃんのおっぱいが許しても俺が許さねえ」


 さすがにリオネも、七聖剣第三席に軽口も言えず顔を真っ赤にしてじっと耐えていた。


「ふん。そういきりたつな。女が欲しければいくらでもくれてやる。私の白魔法さえあれば、女に困ることはないぞ?」


 シャデルがリオネから手を放すと、指をパチンと鳴らす。同時に店内の若い女性客が席を立ち、アライジャの周りに集まってきた。


「あんた……魔法で精神制御したのか」


「そうだ。人の精神とは壊れやすく美しい。少し手を加えてやるだけで、どうにでもなる。こうして女の精神を操り、恋愛感情と性欲を最大にしてやれば……」


 若い女性客たちはおのおのが着ていた服を脱ぎ棄て下着姿になると、アライジャを取り囲んだ。


 白魔法による精神制御。一応、グロニア帝国の魔法憲法では公共の場での大規模な白魔法の使用は禁止されている。


「好きな女を好きなだけ抱くといい。これはお近づきの印というやつだよ」


「おいおい、レディーにこの扱いはないんじゃねえのかい? 旦那。俺はそこまで男が腐ってねえぜ。俺はバカだが、女に下劣な真似だけは絶対にしたくねえ。今すぐ魔法を解きやがれ!」


「なんだ、つまらんな。おい、行っていいぞ」


 シャデルがもう一度指をパチンと鳴らすと、女性たちは服を着て元の席へ戻っていった。


「まさかあんた。俺にインスタントハーレム見せつけるために、ここへ来たんじゃねーだろな?」


「まさか。私がここへ来たのは、お前の疑問に答えてやろうと思ったからだよ」


 シャデルは大げさに肩をすくめると、モノクルを外してレンズを拭き始める。


「疑問だあ?」


「お前はオーストラリアで負けた。七聖剣第七席ともあろうお前がだ。ミミナシどもの兵器に……確か、EX兵器だったか」


「EX兵器だと?」


「我々グロニア帝国の魔法学と、奴らの科学技術の複合兵器だ。連中はどうやらグロニアから亡命した我が帝国民から魔法の知識を得て開発したらしいが……」


「そんなものが……」


「ミスリルの上をいくオリハルコン。魔法を無力化する毒。死なない鋼鉄の体。そして、最強のナイトアーマーを退けた黒いナイトアーマー。奴らはこれを20年の間に開発した。が、これはおかしい」


「おかしいって?」


「これだけの魔法学を応用した兵器。亡命した一般のグロニア帝国民の知識量をはるかに凌駕している。魔法学院の博士レベルの人間が関わっているとしか思えん。だが、それだけの地位の人間がミミナシどもに手を貸すと思うか? 博士レベルで魔法学に精通した者といえば、他に誰がいる?」


 アライジャの頭に浮かんだのは、フェリアの顔であった。


「……七聖剣……か」


「そうだ。そしてなぜ奴らはオーストラリアを最初の攻撃目標にしたのか。なぜ、レーニッジ・アーモルドは早々にオーストラリアを放棄したのか。なぜ、七聖剣でお前だけがいない間に陛下は退位をお決めになられたのか。私の中で結論はすでに出ている。レーニッジ・アーモルドだ。あの男はグロニアを売るつもりだ」


「待てよ。偶然かもしれないだろ!? 確かにあいつはうさんくせー。女の子にモテまくるのがさらにムカつくとこだが……」


「昨日の夜のことだ。私は皇城周辺で急激なマナの消費を確認している。この消費量と、あの感覚……おそらく憑依術が発動したんだよ。そんなことができるのは、私と私の部下以外では第四席フェリアくらいのもの。そして、城にはバイロン様もおられた。バイロン様は憑依術発動以降、部屋に閉じこもったきり姿を見せていない。おそらく、魂を入れ替えられたのではないか? レーニッジが傀儡とするために」


「皇族に憑依術だと? それがもし真実だとして……あんたはどうするつもりだ?」


「レーニッジ・アーモルドを討つ。そして、アリーシア様を私がもらい受け、皇位を奴から奪い取る」


「は! アリーシア様が旦那に振り向くとは思えねーな。10年後には絶世の美女だぜあの方は」


「それでもいいさ。私が欲しいのは、アリーシア・レダ・グロニアという記号だからな。操りやすいように、魂は部下とすげ替えさせてもらうつもりだ」


 シャデルはモノクルを拭くのをやめると、ニヤリと笑った。


「アリーシア様に憑依術だと!? ふざけんな!」


「アライジャよ。大局的に物事をとらえろ。今回の和平会談でレーニッジが何を企んでいるのかわからん。ミミナシと手を組み、よからぬことを考えているのかもしれん。奴は危険だ。私の下に付け。最初言った通り、私はお前を評価している。新皇帝となった暁には、お前に世界を半分やろう。どうだ? 乗ってみな――」


 シャデルが言い終わらないうちに、彼の首筋ぎりぎりにアライジャの剣が振り下ろされた。


「旦那……俺の返答はこれだ」


「そうか。剣技に粗さがあると思っていたが、認識を改めねばならんな。美しい剣筋だ。実に惜しいが、お前は諦めるとしよう」


 シャデルは静かに席を立つと、その場を去ろうとした。


「待てよ! このまま黙って俺が帰すとでも思っているのか!? あんたは国家反逆罪だ。死ぬまでブタの体だぜ?」


 シャデルは振り返ると、邪悪な笑みを浮かべ両手を広げる。


「バカめ。私が何の用意もなしに、お前にこんな話をするとでも思っているのか?」


「あん?」


「お前の美しい姉と可愛い妹。2人がどうなってもよいというのなら、私を斬ってみろ。私が指定の時間まで戻らなければ、部下に憑依術で鶏の魂と入れ替えるように言ってある。美しい娘達の肉体に家畜の魂など入れたくはないのだがな。ふ、はははは!!」


「て、めえ!!」


「だめです、アライジャ様。リオネでも、憑依術の解除はできないです。それにたぶん、この人……めっちゃ本気ですよ」


 剣を振り上げたアライジャにリオネは抱き着き、静かにそう諭した。


「私が事を終えるまで、お前は黙っていることだ。世界は私が変える。レーニッジの思い通りにはさせんよ。そのためにも、和平会談などつぶしてくれるわ」


 シャデルはあごひげをなでると、店から出て行った。


「あの野郎……和平会談を邪魔する気だ。レーニッジのやつが何を考えているのかは俺にもわからねえが……これ以上地球人を刺激するのはダメだ。俺は……あいつを止める」

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