4.夜町の会話
夕闇の中を白い影が駆ける。町と町を繋ぐ街道に沿って、白い獣は走っていた。その背中に跨がって、ニグルムは前方を見据える。
「その叔父はあんたを匿えるのか?」
振り向かずにニグルムは問いかける。彼の背中にしがみついていたシンシアは、小さく頷いた。
「はい、叔父は優しい人ですから。時々遊びに行ったときも、とても親切にしてくれました」
彼女の答えに、ニグルムはそうかと短く返しただけだった。それからは会話もなく、いたずらに時間が過ぎていく。前方にあった夕日も沈み、残った赤い光ですら闇色に飲み込まれる。
辺りは夜に支配されていた。月はなく、明かりと言えば弱々しい星の輝きだけ。規則正しく土を蹴る音と飛ばされた土の臭いとが、鮮明に伝わってくる。まるで直接肌に触れてくるようだと、シンシアは感じていた。
やがて、前方にわずかな光が見えた。おぼろげなかがり火がちろちろと揺れる。人々は夜の世界から逃げるように、休息の準備を始めている頃だった。
人が去りつつある道を、白い獣が歩いていく。ふさりと尻尾を揺らすその姿に、誰もがおののいて遠ざかる。上に乗るニグルムはその様子にどこか楽しそうな笑みを浮かべ、一軒の店の前にシゴロモを止めさせた。整備されていない土の上に降り立ち、辺りを見回す。シゴロモはシンシアを下ろすと、沿うように人間の姿に変化した。
「詳しい場所はわからないと言っていたな」
ニグルムは独り言のように呟き、確認するようにシンシアを振り返る。話を振られたシンシアはこくりと視線を下げた。
「はい。ですので、誰かに聞かないと……」
「なら早くしろ。皆寝てしまうぞ」
ニグルムは顎で指し示す。その先にいたのは店じまいを進めている人だった。それを見て、慌ててシンシアは駆け出した。まだ道を歩いている人に急ぎ足で近づいていく。その後を、ニグルムはゆっくりついて行った。
「お嬢ちゃん、そこのお嬢ちゃん」
何度か断られた後で、シンシアは男の声に呼び止められた。振り向くと、宿屋の前で一人の老人が手招きしている。シンシアは首を傾げ、その男性に歩み寄った。
「お嬢ちゃん、そこのエフィンジャーさんとこの子じゃろう?」
提示された名前に、シンシアはばっと顔を上げる。
「もしかして、叔父――ベネットさんをご存じなんですか!?」
「ええ。いつもよくしていただいておるからの」
シンシアの問いに、老人は朗らかに笑った。シンシアはぱあっと顔を輝かせる。
「私、道に迷ってしまって……ベネットさんの家に案内してくれませんか?」
シンシアは勢いよく頭を下げる。老人はやはり笑顔で答えた。
「おお、ええよ。けどもう遅いでな、明日の朝でええか?」
「はい! ありがとうございます!」
「ほれ、朝までうちの宿に泊まっていきなさい」
宿屋の老人につれられ、シンシアは宿の入り口へと進む。不意に立ち止まると、後ろで腕を組むニグルムを振り返った。
「それじゃあ私、これで――」
「依頼はお前の叔父の家までだ。無事に送り届けるまで見守ろう」
そう言って、ニグルムは自分も宿屋に入る。当然とばかりにシゴロモも付き添う。老人はそんな彼らの姿を見て、怪訝そうに眉をひそめていた。
「あの人達はお嬢ちゃんの付き人かい?」
「……ええ。ここに来るまでにいろいろ助けていただきました」
シンシアは笑顔で答え、小走りでニグルムの後を追う。宿屋の老人はその様子を不思議そうに眺めていた。そして誰も見ていない間に不機嫌な表情をする。どこか恨めしそうに剣を担いだ男を睨んだ。その視線が、闇色の瞳に吸い込まれた。鋭い眼差しに射すくめられ、老人は短い悲鳴を上げる。すごすごとカウンターに入っていく老人を認め、ニグルムはふんと鼻を鳴らす。
シンシアはそんな二人のやり取りに小首を傾げた。だが結局、その意味するところまでは汲みとれなかった。
静かな部屋に少女の寝息が聞こえてくる。部屋で休むニグルムは、自身の武器の手入れをしていた。そんな彼を、人間姿のシゴロモが見つめる。
「主、あのようなことをおっしゃって、よかったのですか」
抑揚のない声でシゴロモは問う。言葉は少なかったが、ニグルムは彼女の言いたいことがわかっていた。
「嫌な予感がする。おそらく、無事とはいかないだろう」
ニグルムは手入れの作業を止めずに答えた。シゴロモは彼の言葉に眉をひそめ、すっと身を乗り出す。
「ならば、なおさら万全で臨むべきでしょう!」
「奴らになんて説明するつもりだ?」
ニグルムは顔を上げ、シゴロモを見た。その顔には挑戦的な笑みが浮かんでいる。シゴロモは答えられず、口をつぐんだ。しかし納得できないとばかりに唇がわずかに震えている。悔しそうな彼女を見つめ、ニグルムはふっと笑う。
「安心しろ。雑兵相手に後れを取るつもりはない。だが万一の時は――頼むぞ、シゴロモ」
「御意」
ニグルムは目を細めて笑みを浮かべ、シゴロモは胸に手を当てて瞑目する。ニグルムはそれを満足そうに見つめてから、作業を再開した。