亀裂
平成23年9月21日
「退屈やけん。コンビニ行って本でも買うてくる」
と妙な言い訳を母にして実家を出たのは早朝の8時を回ってからだったと思う。
そのコンビニまでは歩いて五分ほどの距離。目と鼻の先の距離とは行かないにせよ。
かつては毎日のように少ないこずかいを持ってその先にあった駄菓子屋までの道を胸をおどらせ通った思い出多き道。
しかし、今もそうかと言うと、
その道のりは遙か遠く、
俺の足取りを、なぜか重くしていた。
「どないするん?」
夕べ。帰ってきたばかりの息子である俺をいつものように優しくそう問いただした母。
「向こうの方から言い出したことやけん。わいもどないもできん。向こうの出方みなしゃあないやろ」
本心もいえず、そう言って言い訳をするだけの俺。
それからしばらく、その事で母と口論。はっきりとみえない答えに俺も母も頭を抱える有り様。
「そうやな。どっちにしても一回帰ってちゃんと話しせな、しゃあないよな」
母はそう言ってその話しを締めくくった。
ほぼ一年ぶりの帰省ではあったが、
人生の一つの節目とも言える今年、
俺が抱えていたある一つの問題は、
親であるはずの母にまでその犠牲は飛び火し、
苦痛と苦悩を与えていた。
それを作ったそもそもの原因は........。
あれは、
平成23年9月17日のことだった....。
ハッキリした時間までは覚えていないが、
たぶん、4時過ぎだったと思う。
いつもより仕事を早く切り上げ、帰宅していた俺は八畳の寝室で座椅子に座り、
テレビを見ていた。
そこには、
心振るわすテレビ番組表もなく、イライラした気持ちを、番組を変えることで発散していた俺がいた。
その一方で、境を敷居で仕切られた
寝室とは綴りになっている居間では、
「こっち見るんじゃ」
「ナミはこっち見るんじゃ」
などと、小学校二年生の息子と3歳の娘がDVDを何を見るかで、口喧嘩をしていた。
兄妹喧嘩と言うのはどこの家庭でもあるものだろう。
しかし、
他の家庭がどうかは知らないが、
一日中、家にいて退屈を持て余している娘にしてみれば、学校からの兄の帰宅は何よりも待ち遠しい時間らしく、そのストレスを兄との時間で発散しているようにも思える。
だからこそ、俺も何も言わず、テレビを見ていた。
それはいつものこと。
その後すぐだった。
「翔太!はよう宿題しなさい!」
とおそらく、台所にいたはずの嫁の声がする。
背中から感じる妙な緊張感。
それを聞いた俺はと言うと、
『またかよ~』
と嫁と息子に呆れるだけ。
帰って来てからすぐに宿題をしようとしない息子と、
そんなだらしなくも不甲斐ない息子をしかる嫁。
そこには、当たり前の事を当たり前にこなせるようにと願う、親であれば、誰ででもそう思う願望から嫁はそうしているのだが....。
『親の心子知らず』とはよくいったもので
それでもまだ動く気配を見せない息子。
仕舞いには、
「晩御飯までにせなんだら、ご飯ぬきやからな」
と食欲旺盛な息子に嫁が最後の切り札を言い渡す。
なんて残酷な....。
そう思われるかもしれないが、
それは嫁が決めた我が家のルールであり、
鉄則。
それをしなければ、嫁の言葉どおり、
「ご飯抜き」
本当にそうなってしまう。
しかし、そこで終わらないのもまた、
我が家であった。
「まだ、何書くか決めてないもん」
と言い訳をする息子。
『出た!出た!』
と思う俺の脳裏に、
『これが出たと言うことは....。今日も長い夜になりそうだな』
と考える俺もいた。
今言った
「まだ何書くか決めてないもん」
という息子の言い訳。
最近、悪知恵のついてきた息子の言い訳ゼリフの一つであり、一種のマイブ-ムのようなもの。
息子が宿題をすることを拒むのには、
毎日出される宿題の内容にあった。
算数、国語の問題の書かれたプリントが二枚。国語の教科書を親に向かって読んで聞かせる音読。
これはどうにかこうにか無難に、こなす。
しかし、その後に問題があった。
『その日あったことで思い出に残るようなことや楽しかったことを日記に書きなさい』
という宿題が毎日必ず出てくる。
なんだ。日記かよ!
そう思われるかもしれないがそれをしなきゃならない息子にとってはかなりの難題のようで、叩かれるよりも殴られるよりも苦痛の様子。
俺に言わせれば、
小学校二年生の息子にちゃんとした文章力を求めようとするのは正しいことなのだろうか?と思う節もあるし、
「まだ何書くか決めてないもん」
と言う息子の言い訳からすると、
楽しいことがないのかな?
と親の目から子供心を心配してしまう。
俺が思うに息子は楽しいことを先にしてただ逃げてるだけのような気もする。
と言うのもだ。
日記と言っても一冊のノ-トに丸々1ページ書くわけではなく、連絡帳とでも言うのだろうか?次の日の授業内容を書きつけて帰るノ-ト。あれの1ページの下の欄にタイトルを付けて数行書くだけ。
なのだが、
それがなかなかの曲者で、よく出来ていると感心してしまう。
音読を読んでちゃんと呼んだかを三段階にわけてチェックして、親がサインしなくてはならない欄がある........。
つまりは子供が書いた日記を親が見るわけだ。
うちの嫁は親ばか............と言うよりは見栄っ張りなところがある。
まあ、普通の親なら誰でもそうなろうが、
家の嫁はそれが強すぎて尋常じゃない。
「この漢字習ってるやろ」
「汚すぎる。もっと綺麗に書きなさい」
などと言って、息子が嫌々ながらもやっとの思いで書き上げた日記を意図も簡単に消してしまう。
書き上げたと思っていた息子は渋々直す。
ひどいときは泣きながら書き直す時もある。
それだけならまだしも、
「そんな事書いてもわからへんやろ」
と叱りつける時もある。
子供の宿題なのに、思ったことを書いただけなのに、そこまでするかと思う。
誤字脱字があるのは子供らしくていいだろうし、それを直してやるのは親の役目かもしれない。
けど、それを何もなかったかのように簡単に消しゴムで消されたら、息子もたまったもんじゃないだろう。
それをいつも端から見てるだけの俺は、
「何もそこまでせんでもええやろ?」
そう思うだけ........。
「なんて冷たい奴....」
自分でもそう思う。
俺がそうするのにはちゃんと訳がある。
なぜなら、俺には学と言うものがないからだ。もう一方の嫁には学がある。
たとえ、小学校二年生レベルの勉強であっても、そんな俺がへたに教えるよりは学のある嫁に任したほうがましというもの。だから俺は子供達の勉学には口出しはしないようにしている。
先に言ったこととは関係ないかもしれないし、子供達には悪いが、
そう、要するに逃げてるだけだ。
親が親なら子も子。それと同じように、
息子は最近、さすがは我が子と思う部分がよくでてきた。
顔や姿だけじゃなく、臆病で気弱、運動するよりも外で遊ぶよりも家でのんびりと、しょうもない遊びで遊んでいるほうがいい。そう言った所はまさにそっくり。
「子供の頃のあんたにそっくりや」
母は孫である我が息子を見てそう言う。
部分的にならまだいいが、楽しいことを先回しにして苦しみから逃げてる所まで似てきている。
せめて、頭だけは....似ないでほしい。そう願っているからこそ、俺は何も口出ししないでいる。
帰って来て宿題をせずに逃げている息子と
それを叱る嫁。
何もわからず、無邪気に遊ぶ娘と
何も言わない俺。
それが夕方から夜にかけての我が家での光景。
それもまた、いつものこと。
しかし、
今日はそれで済まなかった........。
「わかった。ちゃんとせんかったら、ご飯ぬきやからな」
嫁が息子にそう言ってすぐだった。
背後から、
スッ~と近寄って来る人影を感じたとおもったら、
「どないなったん?」
俺の右斜め前に正座して座ってそう聞く嫁。その顔はいつもにもまして........不安に歪んでいるように俺には見えていた。
一息ついた後。
「まだ。もうちょっと待ってて」
嫁の問いかけに俺はまた、嘘をつく。
「なあ!どういうこと?朝、言うたよな?もうこれ以上待てんて。どういうことなんか、
ちゃんと説明して」
休む間もなく、そう言って責め立てて来る嫁に、
俺はそれ以上、何も言わなかった。
しばらくしてだった。
「なあ。説明してくれなわからへんやろ?」
嫁はそう言う。
「これ以上、お前に話す事はない!」
ただでさえ、イライラしていた俺はかなり大きな声でそう言ってしまう。
その瞬間、今まで騒いでいた子供の声が一瞬にして消えて........静けさを背中から感じる。
また、出てしまった。子供達の前ではしてはいけないとわかっていても、
気持ちが抑えられなくなるとついつい出てしまう。
嫁は抑えきれなくなった感情をさらけだし、泣き始めた。
どうしてやることもできない俺は、
ただ、テレビを見ていた。
この二ヶ月こんな事が毎日続いている。
すべての始まりは二年前、十六年勤めていた会社を辞めたことから始まった。
その会社は馬鹿な俺に将来を約束を交わし、それなりの地位を与えてくれた。なくてはならない存在とも言ってくれた。
俺もその気になって生涯尽くすつもりでいた。
なのにしょうもないトラブルに巻き込まれ、俺はあっさりと身を引く。
そのトラブルの責任を全部、自分で背負いこんで........。
男らしいとは思っていない。これはあくまでも俺と会社の代表である社長との問題ではあるが、俺がいなくなった後の会社の後々を考えた結果でもあった。
「俺のような古株がいつまでもいたんじゃ、会社ものびやしない。それに俺がいなくてもあいつらがいるから大丈夫だろ」
と後に残る後輩達のために自ら身を引いた。
十六年もずっと勤めた会社なのに不思議と寂しさもなかった。
「あんたには無理やけん、やめときな」
と言う嫁の反対を押し切り、
その後、俺は独立することを選んだ。
下手に会社に入ってまた、妙なトラブルに巻き込まれるのは嫌だ。そう考えての結果からその道を選ぶ。
最初の一年は調子も良かった。
前の会社にいたことで、地位も名誉も....名も知れていた俺に仕事が次々と舞い込んでくる。入ってくるお金も、手にする日こそ安定していなかったけど、会社勤めをしてた以前とは格段と差があってその時ばかりは反対していた嫁の鼻を明かしてやった。
「調子にさえ乗れば、こんなもんやろ」
と鼻高々で、その後も順調に仕事をこなしていくつもりだった。
3ヶ月前、知人から紹介され、初めて耳にした名前の会社から仕事を受けた事で、
その運も尽きる。
初めは怪しいとは思っていた。
「心配ないんやろか?お金は大丈夫なんやろか?」
と。
生きていくために仕事をしてお金を稼ぐ。
それだけじゃない。大事な家族を守るためでもある。
もし、もらえなかったら........。
脳裏に走ったのはそんな不安。
しかし。
「今ここでしといたら次の仕事も回してくれる」
「心配せんでも、もしもの時はわしが出て行く。な、頼む。やってくれ!」
知人のそんな押しと甘い言葉に負けて受けてしまった。
いざ、賃金を貰う時になって、フタを開けてみたら、
「もう少しまって」
「明日払う」
「来週の月曜日に」
などと言われ、それの繰り返しできづけば、はや2ヶ月。
仕方なく、知人に言えば、
「紹介したんはわしやけど、仕事を受けてるんはお前なんやから、わしがでしゃばって金のことに首突っ込めんやろ」
と言われる始末。たしかに契約を交わしたのは俺なわけだから、口約束だけでは何も成立しない。かと言って弁護士や法律に頼るほどの費用もない。
「やられた!」
この時ばかりはそう口にし、自分の力のなさと嫁に言われる、
「人が良すぎるけん、だまされるんや」
を痛感した。
おまけに今日は........。
「取りに来て」
と言う相手からの言葉を半信半疑でいざ行ってみれば、
留守と来た。
腹を立てて文句の一つでも言ってやろうと電話しても待機音が永遠に聞こえるだけでつながらない。
時間をおいて再び電話すれば、
「電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため.........」
聞こえてくるのはそんな女性の音声音。
その後もずっと同じ。
はっきり言ってもうお手上げ状態。
当たっていくとこもない。
肝心な相手がいなきゃ、取れるものも取れやしない。
「金のないやつから金はとれん」
誰かが言ったそんな言葉が身に染みる。
甘い言葉に騙され、あげくの果ては、
必死になってしてきた仕事も無駄。
おかげで、家庭は火の車どころか、家計まで飛び火して、火事だけですまず、全焼どころか家庭崩壊....寸前。
九年と言う年月をかけて築き上げてきた家庭を2人してコツコツ建ててきたその片割れである嫁とは、
どうしようもなく、ただ、毎日同じ答えを持って帰る俺に、
「あんたじゃ、話しにならん。私が話しする」
「電話するから番号教えて」
などと言われる。
なんで俺のことででていく?
でしゃばる?
そう言いたくなる。
要するに嫁は俺がしていることが気にいらないらしい。
だから、しつこい。
俺はそんな嫁が、
うっとうしくて、
うざかった。
口も聞くのも嫌になってる。
だから今日も何も言わなかった。
それが逆に裏目に出て、目に見えないくらい小さく入っていた亀裂はその日........。
長い沈黙が続いていた。
それを破ったのは、因縁のごとく、かすがいであるはずの娘が、何かを察したのか、嫁の膝にチョコンと座ってからだった。
「最後に聞かせて」
そう言って嫁の口が開いたのを横目で確認する俺。
また、同じ事を聞かれる。そう思ったから返事はしなかった。
なのにそれはいきなり、きた。
「私のことが嫌いなん?そんなに口聞くんが嫌なん?そやけん、何も言わんの?」
「そうや」
思わず、そんな言葉が出てしまう。
脳裏に走るある思いから、嫁の顔をチラ見してしまう。
いつになく、呆然として、
その後、嫁は決して口にしてはいけない一言を口にした。
「ほな、もう別れたらわ!」
いつもより口調を早め、言葉を強く強調してそう言う。
............。次に繋がる言葉が出ない。
人生最大の修羅場。
突然、細い糸の上に立たされ、歩かされてるような緊張感が走る。
また、しばらく沈黙が続いた。
それが破れたのは、
嫁の膝に座り、何も知らず、
キョトンとした顔で俺を見ていた娘の顔が視界に入ってからだった
「なんでそう言う話しになるんえ?」
考える余裕もなく、とっさに出た言葉。
それが俺に言える精一杯の言葉だった。
「ほなって。嫌ってハッキリ言われたもん」
と言う嫁に、
返す言葉がなかった。
それからしばらく、また長い沈黙が続いた。
嫁の膝に座る娘は何も知らず、俺をじっと見ている。いつもなら言葉の一つでもかけるのになぜか、それすらできないでいる。
今俺の頭の中にあったのは、
『なんでよりによって今日そんこと言われなあかんのやろ』
と言う後悔の念だけだった。
冷たく冷めきった夫婦関係。いつからこんな風になったのかすら、忘れてしまっている。
その場に居られなくなった俺は、
テレビを消し、立ち上がり、その場を去ろうとした。
「また、そうやって逃げるん!」
と後ろから聞こえる嫁の声はもう、おれにはとどかなかった。
居間の向こうにある自分の部屋の机の前の椅子に座り、考える。
もうここには居られない。松山に帰ろう。
俺の決意はもう決まっていた。
その日、俺は、家を出た。
2日ほど、土手の下に止めた車の中で眠り、仕事に切りをつけた昨日、田舎に帰ってきた。