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7 秋の月



朝の通勤時間帯の駅は、人の流れに乗るのがたいへん。

もう2年半も同じ駅で降りているのに、未だに人とぶつかったり、前の人の踵を踏んでしまったりする。

自分がそういう人間だって分かっているから気を付けてはいるんだけど、それが却ってよくないのかな?

それとも、そういう運を持って生まれて来ているんだろうか?




改札を通るために、バッグからパスケースを取り出したところで、前を横切った男の人の腕が勢いよく手にぶつかった。

その勢いで、パスケースが手から離れて飛んでいく。


「あ。」


急いで振り向いて地面を見たら・・・ない?

落としてもすぐに目に付くように、鮮やかな水色を選んだのに?

どうしよう?! 改札から出られない?!


混雑する改札口の前で邪魔になっていることが分かっているから、頭の中が軽いパニックを起こしかける。


そのとき。


「はい、どうぞ。」


声とともに、差し出された水色のパスケース。


「よかった! ありがとうございます!」


差し出されたパスケースを握りしめ、心からお礼を言って顔を上げると・・・金木犀さんが微笑んでいた。


あれ?

あれから何日か経ってるのに、あたし、しっかり覚えてる・・・。


「おはようございます、紫苑さん。」


金木犀さんの声は、きりきりと引き絞った弓のようなイメージ。ちょっと軋んだように硬い、それでいて軽やかな明るい声。

くすくす笑って、改札口を並んで抜けながら、金木犀さんが続ける。


「ぽーんと飛んで来たんです。ちょうど僕のところへ。ナイスキャッチ、でしたよ。名前が見えて、紫苑さんがきょろきょろしているのが見えたので。」


あらら・・・。

けっこうな勢いで当たって行ったもんね、あの人。

それにしても、なんていう偶然なの。


「ありがとうございました。」


もう一度、あたしがお礼を言うと、金木犀さんは「いえいえ。」と爽やかに笑った。

目尻に笑い皺ができるその笑顔に親近感を覚えて、心の中がほっこりする。


前方の信号が点滅するのを見て、金木犀さんは「じゃあ、お先に。」と、横断歩道を走って渡って行った。

その後ろ姿を見ながら、なんとなく楽しい気分になっている自分に気付く。

何人かの頭を越えて宙を舞う水色のパスケースが目に浮かんで、笑いそうになった。


本当に、なんていう偶然!



職場に着いてから、金子さんに「今朝ね、」と、いつもの失敗談を話すのと同じように話し始めてから気が付いた。

彼女のことだから、また “運命の出会い” を持ち出すに違いない。

でも、金木犀さんのことは、そんな風に言われたくない。


だから、拾ってくれたのは知らない男の人ってことにした。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




傘を持って出歩くのは得意じゃない。

階段でひっかけたり、お買い物をするときに、傘を気にして小銭を落としたりしてしまう。


他人の傘も気になる。

たまに傘を横向きに握って持っている人がいて、階段でそういう人の後ろを歩いていて、顔をつつかれそうになることがあるから。

それに、混んでいる電車の中で、隣の人が床に立てたつもりの傘が、あたしの足の上だったっていうこともあった。

すぐに謝ってくれたけど、パンプスを履いていて、足が靴に覆われていない部分だったから、ものすごく痛かった!


だから、傘を持ち歩かなくちゃいけない日は嫌い。




雨のお昼休み。

金子さんと外でお昼を食べたあと、一人で銀行のATMコーナーに寄った。


いつものとおり、やっぱり傘の扱いがギクシャクして、操作する間、ATMに立て掛けておいた傘が倒れそうになったりする。

お財布にお金を入れるのに気を取られて忘れた傘を、次に並んでいた人に呼び止められて渡された。


あーあ、もう。

雨の日に、銀行になんか寄るんじゃなかった。


濡れている床で滑って転びそうになったことを思い出して、足元を見ながら慎重に出入口に向かう。


と。


数歩前に立っていた人のスーツの足元に、はらはらと一万円札が何枚か・・・。


あれ?

あたしみたいな人って、ほかにもいるんだ。


その人はすぐにしゃがんでお札に手を伸ばす・・・と、今度はしゃがんだせいで、腕にかけていた傘がはずれて倒れた。あたしの前に。


あらら、気の毒に。

こういうことって、よくあるよね。

こっちを気にしてると、あっちがダメ、ってね。


自分と重ね合わせながら、転ばないように気を付けて、倒れた傘を拾い上げる。


「あ、すみません。」


という声でその人に目を向けたら、


「「あ。」」


・・・金木犀さんだった。


お互いに顔を見合わせて、少し驚きながら立ち上がる。

またしても、こんな偶然。


「あの、どうぞ先にお金をしまってください。」


「あ、はい。」


金木犀さんが大きな封筒を腕にはさんで一万円札をお財布に入れながら、


「傘を持ってると、どうもうまく動けなくて。」


なんて、恥ずかしそうに言い訳してる。それから荷物を持ち直して、


「ありがとうございました。」


と、あたしから傘を受け取った。


「わたしも雨の日は、よくお金を落としそうになります。スーパーで小銭をまき散らしたこともあるし。」


金木犀さんの照れた様子に楽しい気分になり、ポンと、そんな言葉が出てしまう。

言ってしまってから、こんな風に話をするような間柄じゃないんだっけと思ったけれど、もう遅い。

かと言って、今さら気まずい顔をするのも変だよね? このまま無邪気な顔をしていた方がいい・・・?

ほんの一瞬の間に、そんな思いが駆け巡る。


「そうなんですか。僕だけじゃないんですね。」


金木犀さんの言葉は、あたしの心配を簡単に払いのけるような楽しげな笑顔と一緒。


よかった、気にしないでくれて・・・。


ほっとしたら、昼休みの残り時間が気になって。


「じゃあ、失礼します。」


小走りに職場に向かいながら、自分が微笑んでいることに気付く。

こんなに偶然が続くなんて、なんだかちょっと面白い!

でも、近くの会社に勤めているなら、こういうのって普通のことか。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今日は朝から何もかもが順調だった気がする。

資料作りも、打ち合わせもサクサク進んだし、課長からケーキの差し入れまであった。


6時過ぎに、ロッカーで一緒になった同期の知佳(ちか)ちゃんと美歩(みほ)と一緒に外に出たら、ビルの間の暗い空で、満月まであと少し足りない月が明るく輝いていた。


「あ。月が。」


「ああ。今日って、十三夜のお月見だったよね。」


物知りの知佳ちゃんが教えてくれた。


「満月じゃなくても、お月見ってあるんだね。」


知らなかった。

でも、本当にくっきりと明るい月。

きれい。


「よう。お疲れさま!」


後ろから追いついてきた龍之介の元気な声。

風流とはまったく縁がなさそうだよね。


「あ、高木くん。お疲れさま。」


知佳ちゃんは龍之介のことを「高木くん」と呼ぶ。美歩は「龍之介くん」だ。

この呼び方を聞くたびに、二人の性格がよく出ているなと思ってしまう。


知佳ちゃんは何事も節度をわきまえている人で、職場では良好な人間関係を築き、お酒の席でも乱れることがない。

だからと言って、ただ真面目なのかというとそうではなく、あたしたち気を許し合っている間ではけっこう毒舌だ。

ただ、その毒舌も、他人への恨みや妬みがこもっていないから、笑って聞き流せるところがいい。


美歩はグラマーな美人で、男の子にちやほやされるのが好き。

だけど、自分から誰かに色目を使うわけじゃなくて、単に男の人に褒められるのが嬉しいのだ。

美人だから合コンの誘いはたくさん来るし、たくさん参加している。

でも、決まった彼氏はいない。



そのまま4人で話しながら駅へと向かう。龍之介の隣に美歩、その後ろから知佳ちゃんとあたしが並んで、女の子3人が龍之介を取り囲むような状態で。

あっという間に、お月さまの話題はどこかへ追いやられ、噂話や美味しいものの話で盛り上がる。

気さくな龍之介は、女子3人の中に入っても全然平気。

龍之介の少しハスキーな低い声に女の子たちの笑い声が重なって、けっこう賑やかな集団だ。


「あ、もう来てるな。」


改札口が見える場所まで来たとき、龍之介がつぶやいた。


「待ち合わせ?」


「ああ、うん。」


ん?

なんとなく上の空に見えるのは、もしかして?


「ねえ、彼女?」


どの人だろう?

待ち合わせっぽい人はたくさんいるけど。


「違うよ。まったく、すぐにそういうことを言うんだから。」


呆れた顔をされて、あたしたち3人とも “なーんだ” と目で囁きながら顔を見合わせる。

その横で龍之介が笑いながら言った。


「大学の友達。なかなかイケメンだけど、紹介してほしいか?」


「え? イケメン? 龍之介くんの友達なのに?」


美歩が遠慮なく突っ込む。


「俺の友達はイケメンぞろいだぞ。俺を含めて。」


そんなやりとりをしているうちに、すでにその相手の前まで来ていたらしい。


「女の子に囲まれて登場なんて、派手だなあ、龍之介は。」


笑いを含んだテノールで話しかけて来た人。

龍之介のうしろから覗いたら・・・あらら、本当にかっこいいかも。


龍之介と同じくらい背が高くて(ってことは185cmくらい?)、濃いグレイのスーツ。ネクタイは黄色に何か小さな模様。

きちんと整った髪に黒縁のメガネは頭が良さそうで、姿勢がいいせいか、持って生まれたものか、上品でお金持ちっぽい雰囲気。

医者とか弁護士とか・・・そういうお仕事の人?

顔が、とかいう問題じゃなくて、全体がひとまとまりにかっこいい人。


知佳ちゃんと美歩が驚いて黙った。

あたしも、龍之介とはまったくイメージが違うお友達の登場に驚いた。


「龍之介は大学でも、よく女子に囲まれてたじゃないか。」


あれ? この声・・・?


「こっちのメガネが原田(りょう)で、もう一人が秋月優斗(ゆうと)だよ。」


龍之介があたしたちに友達を紹介してくれている。


もう一人? ・・・と思いながら、さっきの声で浮かんだ引き絞った弓のイメージに、鼓動が大きくなっている。


まさか、だよね?

いくらなんでも、そんな偶然・・・。


あるわけないよ!


と、龍之介のうしろから出て、声の方を見る。


「あれ? 紫苑さん?」


見つめ合った相手は・・・・・やっぱり金木犀さん。



秋月優斗さんっていう名前なんだ・・・。







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