63 タイミングが by 龍之介
今日こそ伝えたい。
あれから2日。
あの日は俺も紫苑も頭の中がいろいろなことでいっぱいだったし、言おうとしてもタイミングが合わなかったりして、そのまま別れた。
でも、やっぱり早く伝えたい。
紫苑が淋しい思いをしないように。
もう二度と紫苑を失うことがないように。
きのうから、朝の電車を紫苑と同じ時間に変えた。
一度、駅で会ったことがあるから、紫苑が乗る場所もだいたい分かっていた。
少し早めに着いて、紫苑がホームに現れるのを待ちながら、どうやって伝えようかと考えた。
出た結論は。
いくら早くって言ったって、朝や昼休みの限られた時間じゃ無理だってこと。
できないこともないだろう。
・・・伝えるだけなら。
だけど、そこで紫苑がそれを受け止める余裕がないと、
「龍之介ったら冗談ばっかり。」
とか、
「え?! 急にそんなこと言われても!」
とか言われて、返事をしないまま忘れ去られてしまうかも知れない。なにしろ、紫苑にとって俺はただの “友達” なんだから。
それでは意味がない。
やっぱり、仕事の帰りに誘うしかない。
・・・というわけで、今日。
どうか、俺に運が回ってきますように!
ホームにやってきた紫苑を見つけて、あいさつと軽い会話のあと、話を切りだす。
「今日の帰り、飯でも食いに行かないか?」
まずは、無理をしないこと。
・・・っていうのは、中学生のころに年上のいとこから何度も聞かされた、申し込むときの鉄則だ。
変に格好つけて自分の守備範囲を出てしまうと失敗するって。
「今日? 今日は大丈夫かな・・・。」
よし!
まずは第一関門通過。
「何か食べたいものは? 洋食? 和食?」
「そうだなあ・・・。あ。『月うさぎ』にしない?」
え?
「あの店?」
たしかに守備範囲ではある。
でも、俺の目的にはちょっと馴染まない気が・・・。
「うん。ほら、この前のこと、千代子さんが心配してるんじゃないかと思って。」
「ああ・・・、そうだったな。」
たしかに。
そう言われると、早めに顔を出さないと悪い。
千代子さんも、信一さんも、あれは単なる痴話げんかだと思っているだろうけど。
「じゃあ、そうするか。」
「うん。何かお土産を買って行こうかな?」
「ああ、それなら和菓子がいいよ。千代子さんは栗むし羊羹が好きなんだ。」
あれは俺が悪かったんだから、羊羹は俺が買おう。
想像してみたら、手土産を持って行くって、なんとなく新婚の夫婦が世話になった人にあいさつに行くみたいだ。
ちょっと照れくさい気がする。
・・・って言う前に、紫苑に申し込まないと。
うーん。
あの店でそれができるのか?
まあ、今日はカウンターじゃなくて、座敷の席にしてもらえばなんとかなるかな?
「あら、いらっしゃい、紫苑ちゃん、龍ちゃん。」
『月うさぎ』の戸を開けると、千代子さんの楽しげな声に迎えられた。
「おとといはご心配をおかけしました。」
「すみませんでした。」
紫苑と一緒に頭を下げる。
やっぱり新婚の夫婦みたいで恥ずかしい。
紫苑は全然平気なのか?
「ほほほ。いいのよ、ちゃんと仲直りしたなら。あら、お土産? ありがとう。」
紫苑が千代子さんと話しながらカウンター席に向かう。
「あ、紫苑、今日は座敷の方に・・・。」
「え? どうして? あたし、千代子さんと話したいの。信一さんがお料理を作るところも見たいし。」
「まあ、ありがとう。でも、龍ちゃんがそう言うなら、今日はお座敷にしたら? 一番奥が空いてるわよ。」
「えー? せっかく来たのに。おとといはちょっとだけしか居られなかったから・・・。」
ああ・・・そうだった。
朝、紫苑と話したときに、こうなることは予想できたはずだ。
「わかった。カウンターにしよう。」
まだ帰り道がある!
絶対に邪魔が入らない帰り道が!
「龍之介、ありがとう。」
マンションへ向かう道で、紫苑があらたまった様子で言った。
そろそろ用件を切り出してもいいかと思っていたところだったから、ちょっと焦る。
俺が伝えようと思っている内容を知っていて、牽制されているわけでは・・・?
「ええと、何が・・・?」
「あたしが落ち込んでると思って、誘ってくれたんでしょう?」
よかった。
違うらしい。
でも、落ち込んで・・・たのか?
優斗のことで・・・か?
「ああ・・・、まあ・・・。」
そうだよな。
やっぱり、断ることって気を遣うし、自分にも重たい部分があるよな・・・。
ごめん、紫苑。
俺、そんなこと全然考えてなかったよ。
俺自身のことで精一杯で・・・。
「優斗は・・・大丈夫だ。」
俺が言い切ると、紫苑が顔を上げて微笑んだ。
「うん。あたしもそう思う。秋月さんは強い人だと思うから。」
「うん。あんなにヘラヘラしてるけどな。」
「“ヘラヘラ” って、龍之介、そんなこと言ったら悪いよ。あれが秋月さんの強いところなのに。」
「そう思うか?」
「うん。あたしも見習いたい。」
紫苑が優斗みたいに・・・?
うーん。
「いつもにこにこしてる紫苑なんて、ちょっと警戒したくなるなあ。」
「失礼だな! 職場では “いつも笑顔で、職場が明るくなる” って言われてるんだよ。」
「ははは! たしかに元気なのは認める。」
ああ・・・俺は何を言ってるんだ?
もう少し、次につながるような言葉は出て来ないのか?
もういいや!
俺にはそんな気の利いたことは無理だ!
さっさと言ってしまおう!
マンションの玄関はすぐそこに迫ってるし!
「紫苑。」
立ち止まって呼びかけると、振り向いた紫苑が下を向いてくすくす笑い出した。
「どうした?」
その楽しげな様子は嬉しい。
いい兆候のような気がする。
だけど・・・気分が出ない!
「秋月さんってね、」
また優斗?!
その話題はさっき終わったつもりだったのに!
どうして紫苑はいつも、こういうところで優斗のことを言い出すんだよ?!
「優斗が、なに?」
ちょっと不機嫌な言い方になっているのは大目に見てくれよ。
「いい人なんだけど、油断ができないんだよ。」
・・・・え?
な・・・なんだ、その話は?
油断って・・・、油断って・・・?
「紫苑・・・、いったい何を・・・?」
鼓動が速くなって、目の前がチラチラするような・・・。
紫苑。
何を話そうとしてる?
優斗との・・・その・・・。
「うっかりしてると、すぐに・・・やっぱり、いいや。恥ずかしいから言わない。」
恥ずかしいって・・・そんな顔をして・・・。
それはいったいどんなことなんだ?!!
「紫・・・紫苑。そこまでで止められたら気になるけど?」
声が裏返りそうになる。
もしかして、あれか?
優斗が言ってた “共同作業” ・・・?
『紫苑さんに訊いてごらん。俺のおかげで上手くできたって言うはずだよ。』
優斗の声がよみがえる。
いや!
紫苑がそんなことを自分から口にするなんて・・・でも?
「紫苑。優斗の友人として、優斗が紫苑に何かしたんなら謝りたい。だから話してもらった方が・・・。」
・・・もしかしたら、知らない方がいいのか?
「・・・そう、かな?」
首をかしげて考える紫苑。
あ〜〜〜〜・・・、“そうだ” とも “違う” とも言い切れない!!
ちょっとの間、紫苑は考えてから、片手を口元にあてて背伸びをした。・・・内緒ばなし?
少しかがんで耳を寄せる。
「あのね。」
落ち着け落ち着け落ち着け。
「秋月さんて、すぐに手を握るんだよ。」
「手?!」
手だけ?!
そこまでで終わりなのか?!
立ち上がって紫苑を見たら、まだ途中らしい。
まだあるのか? 心臓に悪い・・・。
「あとね、」
やっぱりその先が・・・。
「おでこに・・・。」
そこまで言って、紫苑は背伸びをやめてしまう。
そのまま下を向いて・・・。
「やっぱりいいや。おしまい。」
おでこ。
おでこ・・・ね。
くるりと向きを変えて歩き出す紫苑。
その後ろ姿を見ながら、全身の緊張が解けて行く。
そこまで、なんだな?
優斗のやつ、最後にあんなことで仕返ししやがって・・・。
うつむき加減でてくてくと歩いていく紫苑のあとを追い、マンションの玄関前で追いついた。
そのまま前にまわって、紫苑をつかまえる。
「つまり、こういうこと?」
優斗じゃなくて、俺のことを見てくれよ。
紫苑の隣にいるのは俺なんだよ。
いきなり抱き寄せられて、驚いて俺を見上げた紫苑のおでこに素早くキス。
「りゅ・・・龍之介っ?!」
早く言わなくちゃ。
また邪魔が入らないうちに。
「紫苑。」