53 どうしても、その話題?
仕事が始まって2週目の水曜日、同期の友人たちとの新年会があった。
「土井のヤツ、彼女と別れたんだって。」
中盤になってそれなりにお酒が入ったところで、向かいに座っている野中くんが、一応控え目な声であたしたちに話し始めた。
「いい人なのにね。どうしてだろう?」
見た目だって普通なのに。
「相手が二股かけてたらしい。前から怪しかったらしいけど、正月に会ったときにもう一人から電話がかかってきたとかで。」
へえ・・・。二股。
たった一人を好きになれるかどうかで悩んでいるあたしには、まったく未知の世界だ。
世の中にはすごい人がいるものだね。
「谷村。そんなに感心した顔するなよ。」
野中くんが言い、まわりのみんなが笑う。
「そんな顔してた? でも、身近にそういう話を聞くと、びっくりしちゃうよ。」
「紫苑は最近どうなの?」
「あ、ときどき見かけるぞ。朝、一緒に歩いてるだろう?」
隣にいた聡美のことばに、野中くんが思い出したらしい。
「え、そうなの? 高木くんで決まりなのかと思ってたのに。」
ズキン、と胸が痛む。
まだ慣れない?
龍之介は遠くの席に座ってる。
今まであんなに遠くの席があるとは思わなかった・・・って、思うくらい遠く。
「龍之介とはずっと友達付き合いだったし。」
そう。
龍之介とはずっと仲良しの友達だった。
・・・あたし、普通の笑顔だよね?
「朝の人は・・・まだ決まったわけじゃないから・・・。」
普通だったら、秋月さんのことをこんなふうに言われたら、顔を赤らめたりするものなんじゃないのかな?
どうしてそうならないの・・・?
「え? 谷村、まだフリーなの? じゃあ、俺、頑張っちゃおうかなー♪」
え?
北村くん?
「やだなあ、北村くん、飲み過ぎてるよ。」
酔っ払うと誰でも口説く人だったっけ?
「ちがーう! 今までは龍之介が邪魔で、谷村には近付けなかったんだぞ。」
「ああ、そう思ってあきらめた人、けっこういたみたいね。」
「聡美まで、何言ってんの?」
そんなこと言ったら、龍之介に悪いよ。
龍之介には誰かもっと・・・。
「北村くんて、いつも誰かを好きだって言ってない?」
お願い。
話題、変わって!
「あ、そうそう。去年の夏ごろは、新人の誰かのことを言ってたよね?」
「そうだっけ? 俺、可愛い子はみーんな好きなの。」
「そんなふうに見た目だけで好きだって言ってると、美歩が怒るよ。」
「え? 石川?」
「そう。うちの課の金子美乃里ちゃんと、その話で荒れてたもん。」
「あ、金子さんって、超可愛いよな! そのうち用事作って話しかけようと思ってるんだけど。」
「だから、美乃里ちゃんも、見た目で判断する男は嫌いだって。」
「北村にいくらそんなこと言っても無駄だよ。」
「そうなの?」
「北村にとっては、女の子全部が綺麗か可愛いんだから。」
「あ、じゃあ、わたしも?」
「もちろん! ・・・ええと、名前、何だっけ?」
「川田聡美! 失礼なヤツ! だからモテないんだ!」
「ちがうよ〜。こうやって笑いをとって、相手に印象付けてるんだよ〜。」
よかった。
こういう軽い話題なら、いくらでも笑えるもんね・・・。
お店を出て、みんなでガヤガヤ話しているときに、龍之介が近付いて来た。
「紫苑。俺、二次会に行くから。」
わざわざ、送れないって言いに来てくれたの?
そんなに気を遣ってくれなくてもいいのに。
「うん、大丈夫だよ。楽しんできてね。バイバイ。」
バイバイ、龍之介。
「谷村〜、もう帰るのか? 一緒にカラオケ行こうぜ〜。」
北村くん?
まだやってるの?
「今日は帰るよ。またね。」
大袈裟にがっくりしてみせる北村くんを、龍之介がつかまえて引きずって行く。
「帰るグループ、行くぞ〜。」
失恋した(という噂の)土井くんが、なんとなく淋しそうに声をかけている。
「紫苑。今日は龍之介くんと一緒じゃないの?」
美歩・・・。
また言われちゃうんだ・・・。
「まだ早いし、一人でも大丈夫だよ。」
それに、龍之介はあたしのお守じゃない。
龍之介には龍之介の道があるんだから。
「そろそろ帰ってるかと思って。」
携帯から秋月さんの明るい声。
きっと、今も笑顔なんだろうな。
「うん。今日は一軒目で帰って来たから。」
「龍之介はちゃんと送ってくれた?」
また龍之介?
「ううん。龍之介はカラオケに行ったよ。」
「え? じゃあ、一人?」
「そうだよ。あの時間なら大丈夫だもん。それに、同じ電車で帰る子もいたし。」
「そう・・・。」
そうだよ。
あたし、龍之介から卒業しなくちゃいけないの。
「平気だよ。残業とかほかの宴会で、一人で帰ることもあるんだから。」
「うん。そうだね。・・・あ、龍之介で思い出したよ。そろそろアップルパイを作る? ちょっといいシナモンが・・・、」
「あ・・・あの、秋月さん。」
「・・・どうしたの?」
「あの、龍之介が、ええと、アップルパイはもういいって。」
あれ?
なんで泣きそうになってるのかな。
「え? じゃあ、何か違うものってこと?」
「ううん、違う。もう、あの話はおしまいでいいって。」
深呼吸一つ、・・・二つ。
「おしまい?」
「うん、そう・・・。あの、この前のが美味しかったからだって! あたしの実力、認めてくれたんだよ。」
「そう・・・、よかったね、紫苑さん。」
「うん! すごいよね? せっかくだから、何か新しいものに挑戦しようかな? 秋月さん、リクエストはある?」
そうだよ。
龍之介のためじゃなく、秋月さんのためになにか。
あたしは秋月さんのことを考えてみなくちゃいけないんだから。
「そうだなあ・・・、あ。うーん、ちょっと言いにくいんだけど・・・。」
あら。
珍しく控え目な態度。
「なあに?」
「来月、誕生日があって・・・。」
「誕生日? 秋月さんの?」
「うん。」
「いつ?」
「2月14日。バレンタインデイ。」
「バレンタインデイ?! その日なの?!」
「うん。」
あと一か月。
「そうか・・・。で、何がいいの?」
「チョコレートケーキ・・・とか?」
「チョコレートケーキ?! もしかして、前に秋月さんが作って来たやつ?!」
「うん・・・まあ、あれじゃなくてもいいけど。」
美味しかったけど、あたしに作れるのかな・・・?
でも、そうだ。
アップルパイだって、タルトだって、やってみたらできたもんね。
チョコレートケーキだって、練習すればきっと・・・。
「わかった。やってみるよ。」
「無理しなくてもいいよ。」
「うん。でも、やってみる。さっそく、今度の土日に練習してみるね。」
「ありがとう。楽しみにしてる。もし失敗しても、そのままちょうだい。」
「失敗することが前提なんだ?」
「あ! そんなことないよ! 紫苑さんが作ったものなら、何でも食べたいっていう意味で。」
「あはは! そんなことしてたら、秋月さん、だんだん味音痴になっちゃうよ。」
「紫苑さんは料理のことになると謙遜しすぎなんだよ・・・。」
「そうかな?」
「そうだよ。この前のサンドイッチだって、すごく美味しかったのに。」
「ああ。でも、あれは料理っていうほどのものじゃないもん。」
ああ・・・こういう話ばかりだったらいいのに。
龍之介のことから離れて・・・。