50 どうして?
1月4日、日曜日。
明日から仕事が始まる。
今日はお正月の最後のお休み。
スキーで始まった9連休も今日で終わる。
不安だったスキーは、龍之介のおかげでとても楽しかった。
帰りに秋月さんの家で夕飯を食べたことも。
秋月さん・・・とは、ちょっとだけ進んだかも。
あたしが秋月さんの気持ちと正面から向き合えるようになった分だけ。
でも、これからどうなるのかは、自分でもよくわからない。
ただ・・・、やっぱりわからないな。
今日はいいお天気。
このお正月は、元旦からずっと穏やかな日が続いている。
もったいないから、お散歩でもしてみようかな?
・・・・そういえば、あの公園。
去年、龍之介が夜景を見に連れて行ってくれたところ。
歩いて行ける?
携帯のナビで確認・・・これかな?
どれくらいの距離だろう?
30分以内で行けるなら、一時間くらいの散歩コースでちょうどよさそうだけど。
まあ、無理そうだったら、途中で引き返せばいいか。行ってみよう。
軽めの上着とスニーカーを選び、小さいキャンバス地のバッグに最低限のものを入れて出発。
通い慣れた駅への道とは反対方向へと曲がって。
日差しは弱いけど、風がなくて暖かい。
のんびりと見回すと、門の門松のほかに、周囲の家の庭木にはいろいろな色の実がなっている。
黄色い夏蜜柑、ゆず、オレンジ色の金柑、赤い千両。
プランターや花壇には青や黄色や赤紫のパンジーに、薄桃色と淡い緑の葉ボタン。
冬だけど、にぎやか。
ナビで確認した曲がり角を数えながら前を向いたら、坂の入り口に赤い鳥居が道路に向かって立っていた。
その向こうに続く林の中の階段を、年配のご夫婦が下りてくる。
神社があるんだ・・・。
行ってみる?
ナビでは、目的の公園はその林の向こう側。神社を抜けて行けば近いかも知れない。
でも、林が薄暗いし、あんまり人が歩いてないみたいだし・・・やめよう。
林を迂回して上る道。
あの日、龍之介の車で通ったのは、きっとこの道。
龍之介、どうしてる?
家はこのあたりだって言ってたけど・・・。
坂道を上るのって意外にキツい。
最近、そういうことって全然やってなかったもんね。
自宅と駅、駅から会社までの平らな道を往復してるだけ。
いつもより歩くのは、デパートやショッピングセンターへ行くときだけ。
坂道って、ほぼ無縁。
――― 着いた。
ちょっと息が切れたな。
ここまでで25分。
小さい公園だ。
すべり台とブランコと砂場。ベンチが一つ。
こんなに小さいのに駐車場があるのは、併設のテニスコートのためなのかな?
龍之介と一緒に景色をながめたのは・・・あの辺?
行ってみると、今日は白っぽい灰色のような景色が広がっている。
あれが、龍之介と二人で出かけた一回目だった。
車の中でアップルパイを食べて。
「ふふ。」
あたしはアップルパイのことを何て言われるか心配で、叫び出したいくらいだったっけ。
もう一度、夜の景色を見たな。工場の明かりだって。
あの日はたいへんだった。
龍之介にはすごく面倒をかけちゃって。
ほっぺにキスくらいじゃ、お礼は足りなかったかも。
そうだよね。
あたしは龍之介にたくさんお世話になってる。
スキーだって、ずっと見捨てないで付いていてくれた。
お酒を飲んだあとも、必ず送ってくれる。
・・・あれ? ここまで25分?
あたしはのんびり歩いて来たし、龍之介は歩幅があたしよりも大きいだろうけど・・・近くはない。
“あたりまえ” って思っちゃいけないんじゃないだろうか?
・・・龍之介。今、何してる?
そろそろ帰ろう。
家に着くころにはちょうどお昼。
お汁粉でも食べよう。
道路へ出ようと振り向くと、公園にはいつのまにか人が。
黒いジャージ姿でストレッチをしている。ジョギングの途中?
一人でぼんやりしてるところを見られたかな?
変な人だと思われたら困る。早く立ち去ろう。
顔を伏せ、急ぎ足で公園と駐車場の間を通り抜ける・・・と。
「紫苑?」
呼ばれた?
こんなところで呼ばれるってことは・・・龍之介?
もしかして、あのジャージの人?
やっぱり。
――― 会えた。
浮かんだ言葉にドキッとする。
“会えた” なんて・・・まるで、会いたがっていたみたい。
そのために、ここまで来たみたい。
その解釈にますます鼓動が強くなる。
近付いて来る龍之介の顔をまっすぐ見られない。
「あ、あの、あけましておめでとうございます。」
顔を見ないで済むように頭を下げる。
「あ、そうだな。あけましておめでとう。」
龍之介も律義に返してくれて。
「どうしたんだ、こんなところで?」
「ええと、ちょっとお散歩。体がなまっちゃって。」
視線を合わせないように、奥に広がる景色を見るふり。
「ああ、俺も。年末年始で食って寝てたら3Kgも増えた。」
「そうか。だからジョギング?」
会話が進みだしてほっとする。
振り向いて龍之介を・・・見ようとしたけど、顔を上げられずに視線が泳ぐ。
龍之介は少しの間、静かに立っていた。
それから。
「紫苑。」
「はい?」
「アップルパイは、もういいよ。」
え?
驚いて龍之介の顔を見た。
静かな表情。
穏やかで、何もない・・・。
「アップルパイ? でも、あれは・・・。」
「この前もらったので十分。うまかったから。約束は完了。」
「そう・・・なの?」
どうして、急に?
「それだけ。じゃあな。気を付けて帰れよ。」
龍之介が去っていく。動けないままのあたしを残して。
もういい。
約束は完了。
それだけ。
それだけ・・・。
この、胸の中の重たいものはなんだろう?
約束から解放されたのに、心が軽くならないのは何故だろう?
・・・風が冷たい。
帰ろう。
ここには居たくない。
日差しの暖かさも、生け垣や花壇の色も、なんだか薄れてしまったみたい。
やっぱり、冬は冬。
寒くて、冷たい。
スニーカーなんか履いて来るんじゃなかった。
足が冷たいよ。
手袋をしている手も指先が冷える。
風が強くなった?
髪がなびくと、耳が寒い。
坂道を上って汗をかいたんだろうか?
背中が冷たいような気がする。肩も寒い。
風邪をひいたら困るな・・・。
龍之介。
どうして、急にあんなこと・・・。
気にするのはやめよう。
美味しかったから十分だって言った。
要するに、あたしの実力を認めたってこと。
ね?
そうだよね、龍之介?