48 新しい関係は戸惑いとともに(3)
あたしが作るサンドイッチは、薄切りの食パンにマヨネーズとマスタードを塗って、薄切りのハムときゅうりとチーズを挟むだけ。超簡単。
でも、切ると、具の色がピンクと黄色と緑だからきれいだし、きゅうりのぱりぱりした食感が気に入っている。
いつもあたしの手料理をけなす妹と弟でも喜ぶ、数少ないメニューの一つ。
「トマトをはさむ人もいるみたいだけど、水分が出るから、うちではこれだけなの。」
今日は小さめに4つに切ったサンドイッチを、秋月さんがすばやく口に入れる。
「あ、美味しい。紫苑さん、料理が不得意だなんて、謙遜しすぎだよ。」
そう言いながら、きれいにお皿に並べてくれた。
それだけで、いつもよりも美味しそうに見える。
「そう・・・かな?」
褒められた。
・・・嬉しい。
「うん。明日の朝食にもう一度食べ・・・」
「ちょっと待って!」
「え?」
「今日、作り置いて、という意味?」
「違うよ。明日の朝。」
やっぱり。
「作りません。明日の朝は自宅にいます。」
「だめか・・・。」
あたりまえ!
「うーーーん、白ワインでも開けたいけど、紫苑さんを送って行かなくちゃいけないからなあ。」
いちごが山盛りに載ったケーキとサンドイッチ、それにサラダが並んだこたつにあたりながら、秋月さんが言う。
「そうそう。今日は我慢してね。」
「もし、間違えて飲んじゃったら?」
「電車かタクシーで帰れるよ。駅って、昼間行ったスーパーのところでしょう?」
秋月さんの言うことをあしらうのも、だんだん上手くなってきた気がする。
あたしがダメって言うことが分かっているから、秋月さんも安心してあれこれ言うんじゃないだろうか?
要するに、これは言葉のゲーム。
恋人候補の男の人と、そのつれない相手役を二人で演じて楽しんでるんだ。
「ああ、その手があるか。残念。」
大袈裟にため息をついてみせる秋月さん。
まったくね・・・。
「あ、でも、ダメだよ、それじゃ。」
「どうして?」
「紫苑さんが無事に帰り着いたかどうか分からないから。」
「じゃあ、どうするの? 秋月さんも一緒に来てくれるの?」
「うん。一緒に行って、帰るのを見届ける。」
「どうもありがとう。」
「だけど、それだと遅くなっちゃうな。電車が終わっちゃうかも。」
「ああ、ちょっと遠いもんね。仕方がないから」
「泊めてくれる?」
ほら来た。
「違います。帰りのタクシー代を出そうと思って。いくらなんでも、お酒を飲んだ男の人を泊めるわけにはいかないもの。」
残念でした!
「あ、飲んでなければいいの?」
「飲んでないなら、車で送ってね。」
「・・・・負けた。」
勝った!
ケーキはスポンジがかなり甘かった。
まあ、全体としてはそこそこの味だったし、作るのを楽しんだから十分だったけど。
「半分は割り当てだからね。」
取り分けた分を食べながら、秋月さんが言う。
「半分食べなくちゃ、帰れないのかな?」
もしそう言うなら、意地でも食べなくちゃ。
「あ、紫苑さん、もしかしてそれを口実に、うちに泊まろうと・・・。」
「違います。」
「僕は『持って帰って』って言おうと思ったのに、紫苑さんて意外に積極的・・・。」
「違うってば!」
もう!
そんな色っぽい目つきで見ないでよ!
「あははは! 紫苑さんをからかうとおもしろいよ。はい、あ〜ん。」
フォークに刺した大きないちごを顔の前に差し出されて。
「・・・ふん。」
横を向いても、いちごはそのまま。
秋月さんは上機嫌。
・・・食べるしかないじゃないの。
しょうがない。
一回だけ。
パクリとひとくち。
「・・・・紫苑さん。」
フォークを引っ込めながら、秋月さんが笑いをこらえてるのがわかる。
なんでしょう?
いちごが大きくて返事ができないんですけど。
「大きな口。」
何も言えなかったので、テーブルにあった紙ナプキンを投げつけてやった。
そんな調子で、秋月さんとあたしはおかしな攻防と笑いを繰り返しながら楽しく過ごした。
秋月さんはサンドイッチをとても気に入ってくれて、たくさん褒めてくれた。
「マヨネーズが多すぎないところがいいね。きゅうりも上品な感じがするし。」
家族はただ「美味しい」としか言ってくれなかったから、こんなコメントもとても嬉しい。
「いつか、朝、会ったときに、『はい、お弁当。』とか言って渡してくれないかなあ。」
リクエスト?
そんなに気に入ってくれたんだ・・・。
でも。
「朝は忙しいから無理かな。」
それに・・・まだ、そういうことをするほど親しい関係じゃない。 ・・・つもりなんだけど。
今日はあたしがお皿を洗い、秋月さんが拭きながら片付ける。
学校時代のことや仕事や家族の話、いろいろな話題でたくさん笑いながら。
こうやっていると、ほんとうに楽しい。
隣に立たれて、最初は緊張していたけれど、笑っているうちに忘れてしまった。
いつもこうだったら安心なんだけどな・・・。
あたしのマンションまで30〜40分くらいだろうと見込んで、8時半過ぎに秋月さんの家を出ることにした。
上着を着ながら、前回の秋月さんの行動を思い出して、思わず身構えてしまう。
警戒していれば、びっくりしないで対処できるはず・・・だよね?
そんな心配を知ってか知らずか、秋月さんは自分も仕度をして、ガスやコンセントを見回っている。
そのまま一緒に玄関を出て、鍵を閉めて。
よかった・・・。
これでもう警戒する必要はないね。
後ろのドアに近付く途中で、後ろには乗れないことを思い出した。
助手席に乗り込みながら、ぼんやりと考える。
あたしはこれから、ほかの人の車の助手席に乗るだろうか?
龍之介の車では?
龍之介の車では、あの席が好きだ。
運転席の後ろ。
バックミラー越しに話したり、龍之介の後ろから話しかけたりするのが好き・・・。
「紫苑さん、・・・疲れた?」
「あ、ううん。」
ちょっとぼんやりしちゃった?
「・・・いや、やっぱりちょっと疲れたかな? 笑い過ぎかも。ふふ。」
「緊張して疲れてるんじゃない? 僕の・・・冗談に警戒しなくちゃいけないから。」
「ああ、あれ? なんだか慣れちゃったよ。」
「気にならない?」
「うーん・・・、秋月さんはそういう人だって分かったから大丈夫。」
「 “そういう人” ?」
「言葉ではいろいろ言うけど、・・・それに、ちょっと行動にも出すけど、一定のラインを引いてくれるって。」
そう。
秋月さんは信じていい人。
「あたしを傷つけるようなことはしないはずだって。」
秋月さんはちょっとのあいだ、じっと前だけを見ていた。
それから。
「うん。僕は紫苑さんのことを傷つけたりしない。絶対に。」
うん。
だから、あたしも秋月さんのことをちゃんと考える。
でも・・・もしも・・・。
「秋月さん。あたし、まだ、」
「紫苑さん。」
赤信号で止まった車の中で、秋月さんがあたしを見て優しく微笑む。
「急いで決めなくていいよ。それに・・・覚悟もできているから。」
覚悟?
秋月さんの覚悟を見つめ過ぎないようにしたいけど・・・。
こんなに優しい秋月さんの気持ちに応えられればいいのだけれど・・・。
今は何も言えない。
秋月さんが好き?
好き・・・だと思う。
一緒にいると楽しいし。
でも・・・わからない、と思ってしまう。
「紫苑さん。」
「・・・はい。」
「今度、一緒に飲みに行こうよ。」
「お酒?」
「うん。」
そういえば。
「龍之介が、秋月さんはどんなお酒でも飲めるって言ってたよ。強いの?」
「そうだなあ、けっこうたくさん飲めるよ。」
「酔っ払うとどんな?」
「誰にでもキスしちゃう。」
「うそっ?!」
絶対に飲み過ぎないようにさせなくちゃ!
「うそだよ。あはははは! 飲んでも変わらないって言われる。」
「びっくりした・・・。」
やりそうなウソっていうのが、また・・・。
「大丈夫。ちゃんと紫苑さんを送って行けるくらいにするから。」
「うん、いいよ。いつごろ?」
「そうだなあ・・・、来週の金曜日は?」
「そのころなら仕事も落ち着いてるかな。いいよ。」
そうやって一緒の時間をたくさん過ごしたら、あたしの気持ちもはっきりするかも知れない・・・。
マンションの前で止まると、あたしと一緒に秋月さんも車を降りた。
まさか、部屋まで・・・?
「ええと、秋月さん、ここで・・・。」
慌てて断ろうとするあたしを秋月さんが笑う。
「はいはい、分かってるよ。」
よかった・・・。
では。
「今日はお邪魔しました。送ってくれてありがとう。」
深々とお辞儀をして、頭を上げた・・・ら。
肩に手が、そして、おでこに秋月さんの唇が。
また〜〜〜?!!
しかも、外だよ?!
「おやすみ、紫苑さん。」
文句を言おうと口を開いている間に、秋月さんは車に乗りこんでドアを閉めてしまった。
あたしは文句を言う相手を失い、口をパクパクするばかり。
秋月さんがにこやかに手を振り、赤い車が走り出す。
・・・やられた。
うっかり警戒を解いたのがいけなかった。
よし。
次は最後まで気を抜かないぞ!
2枚のガラス扉を抜け、エレベーターのボタンを押して外を見る。
・・・誰もいない。
一人で帰って来たときと同じ。
秋月さんとの新しい関係。
誰かを好きになることが怖くなくなった。
助手席に乗れるようになった。
秋月さんのおかげ?
秋月さんだから?
いったいあたしは・・・どうなるんだろう?