39 スキーに行こう!
12月26日、金曜日。
今年の仕事は今日で終わり。
年明けも、例年は4日から仕事だけど、今回は1月4日が日曜日に当たっているから、年末年始で9連休。
こんなに長い休暇はめったにない。すごく嬉しい!
秋月さんに会うのも、しばらくはお休み。
だから、
「紫苑さん、明日からの準備で忙しいのは分かってるけど、今日、夕飯食べに行こうよ!」
と、頼まれるように言われたら、断れなかった。
「年末年始の予定は?」
秋月さんがサラダをフォークでつつきながら尋ねる。
早く帰らなくちゃいけないあたしのために、秋月さんは駅前のパスタ屋を選んでくれた。
「ええと、明日から29日まではスキーでしょ。次の日から実家に帰ってお正月の支度の手伝い。年明けは2日か3日に戻って来ようと思ってるの。」
「忙しいね。じゃあ、こっちに戻ったら初詣に行こうよ。」
「初詣か。そうだね。」
「そうそう。年末は龍之介と出かけるんだから、お正月は僕が優先。」
秋月さんたら、また龍之介と張り合うつもりだ。けど、楽しそう。
「秋月さん。」
「なに?」
いつものカワイイ笑顔。
こうやって、秋月さんは自分の気持ちを真っ直ぐに伝えてくれる。
あたしはそれを見ないようにしていたけれど、もう、そんなことはやめようと思う。
「あたし、まだ自分の気持ちがよく分からなくて、何も決められないの。秋月さんの気持ちに応えることができるかどうか分からない。それでもいいの・・・かな?」
秋月さんの笑顔がもっと・・・静かでいたわるような微笑みに変わる。
「紫苑さん。正直に言ってくれてありがとう。僕はそれでいいよ。」
「何も約束はできなくても?」
「うん。構わない。今は紫苑さんが僕のことを友達だって思って、一緒に出かけるのもいいなって思ってくれるだけでも十分。だって、まだ会ってから2か月ちょっとだよ? うーん・・・そう考えると、僕の方が変?」
「え? いえ、そんなことないけど。」
「あはは。前から言ってるよね、『気にしないで。』って。僕はこういう性格だから、たまにそれをプレッシャーに感じる人もいるって分かってる。でも、紫苑さんは、」
「あたしだってびっくりしたよ。でも、秋月さんはいい人だから。」
秋月さんがまたにっこりした。
「そうやって、僕全部を見ようとしてくれる。そして、僕に対して自分の正直な気持ちを伝えてくれた。・・・内緒だけど、」
秋月さんがすっと身を乗り出したので、つられてあたしも顔を寄せる。
「ますます紫苑さんのことが好きになっちゃったよ。」
秋月さん?!
どこが、誰に内緒なの?!
驚いて何も言えないあたしを見て、秋月さんが笑ってる。
「あははは! 紫苑さんのそういうところ、ほんとうに可愛いよねえ。」
もう・・・やだ! 恥ずかしい!
絶対、顔が赤くなってる!
「あ、でも、一つだけ約束して。」
「な・・・何を?」
真面目な顔。
やっぱり何か?
ちょっと怖い。
そんなに都合よくはいかないよね・・・。
「お正月は僕と初詣に行くって。」
は?
初詣?
「そんなこと? もう! 何を言われるのかと思って緊張しちゃったよ!」
「あははは! OK?」
「もちろん。それはOKです。」
「約束だよ。龍之介より先に、僕と会うって。」
「え? そういう意味なの?」
「そうだよ。」
「うん・・・わかった。」
もしかしたら秋月さんって、あたしのことよりも、龍之介と張り合うことが楽しいんじゃないだろうか・・・?
「あ、そうだ、もう一つ。」
「なあに?」
「僕のことを重荷に感じたら、遠慮なくことわってほしい。紫苑さんが僕のせいでつらかったりするのは悲しいから。」
「秋月さん・・・。」
やだ。涙が・・・。
秋月さんの優しい笑顔が、涙で揺れている。
こぼれないように、慌ててまばたきを繰り返す。
「うん・・・、わかった。」
秋月さん。
ほんとうにありがとう。
12月27日。
メールの着信音で目が覚めた。
・・・・4時23分?! うそ?! 二度寝した?!
お迎えは4時半って言ってたよね?!
メール? 龍之介?
『今から出る。』
まずい!
とりあえずトイレ!
最後に詰めるもの、なんだっけ?
充電器。ドライヤー。化粧品。それから・・・?
ああ・・・顔を洗わなくちゃ。・・・うわ、寝ぐせが! やだ、もう!
もう4時半?
着いてる? 前のときは5分くらいで来たんだから。
ちょっと見てみよう。
来てたら、とにかく起きてる合図だけでも。
急いでベランダに出て・・・寒い! って、パジャマで裸足だったよ!
まあ、暗いし、どうせ肩から上しか見えないよね?
・・・いた。
まだ暗い道路に、屋根の上にスキー板を積んだ小型車。
ああ、ごめん、龍之介!
と思ったら、運転席の窓が開いて、頭を出した龍之介が上を見上げた。
(ごめん!)
身振りで伝えて、急いで引っ込む。
着替え着替え・・・。
必要最低限の身支度で、とにかく忘れちゃいけない荷物を確認して部屋を出たのは4時40分。
寝ぐせはスキー用に買った帽子をかぶってごまかすことにした。
起きてから15分ちょっとで出られたなんて、自分でもすごいと思う。
キャリーバッグを引いてエレベーターを降りたあたしを見て、龍之介が車から出てくる。
「おはよう。お待たせしてごめんなさい。」
申し訳なくて小さな声で言うと、龍之介はキャリーバッグに手をかけながらニヤリと笑った。
「何時に起きたんだよ?」
「・・・龍之介のメールが来たとき。」
「えぇ? ついさっきじゃないか。それでパジャマ姿だったんだな。」
後ろの荷台を開けてバッグを積み込みながら、龍之介が呆れた顔をする。
「あ、わかった? 暗くて見えないと思ったのに。」
「部屋の光でわかったよ。写真に撮ろうとしたらすぐに引っ込んじゃって・・・。」
「当たり前でしょ! ・・・龍之介、朝ご飯は? 途中で買う?」
「そのつもりだけど。もしかして、腹減ってんのか?」
龍之介が運転席に乗り込むのと同時に、あたしはその後ろの席へ。
「うん。昨日、夕飯が早かったら。」
「わかった。全員そろってからコンビニに寄るつもりだったけど、最初のコンビニで朝めしを仕入れよう。」
「ありがとう。」
出発したとたんに、龍之介の携帯が鳴る。
龍之介が運転席のドアポケットに入っていた携帯をちらりと見て、肩越しに差し出しながら言った。
「紫苑、出て。真鍋さんから。」
鳴り続ける音に焦りながら応答ボタンを押す。
「もしもし。」
あれ? このあと、何て言ったらいいのかな?
「ええと、龍之介の携帯です。」
ワハハ、と龍之介が笑った。
電話の向こうでも、同じような笑い声。
『紫苑ちゃん? もう出発したんだね。』
ああ・・・笑われた。朝から。
「はい。おはようございます。」
寝坊はするし、変なこと言うし、ダメだよね・・・。
秋月さんは、よくあたしのことを気に入ってくれたよね。
『俺は今から家を出るところなんだ。高木にそう伝えてくれる?』
「はい。」
『あと、高速に乗れそうな時間がわかったら連絡をくれるようにって。最初のパーキングエリアで合流する予定だから。』
「わかりました。」
『じゃあ、またあとで。』
「はい。気を付けていらしてくださいね。」
『ありがとう。』
電話を切って顔を上げると、バックミラーで龍之介と目が合った。
「紫苑、真鍋さんには優しいんだな。」
「え?」
なんでいきなりそんなこと?
「そうだった?」
そんなにしゃべってないけど・・・。
「そうだった。」
そうなのか・・・。
「真鍋さんて、優しいもんね。」
廊下で会うといつも爽やかに声をかけてくれるし、いろんなことをよく気付いてくれる。
美乃里ちゃんを名前で呼ぶことだって、うまく収めてくれたし。
そういう真鍋さんと話してると、こっちも優しい気持ちになるのかも。
・・・・?
そういえば、返事がない。
あ。
もしかして、また拗ねてるの?
龍之介って、どれだけコンプレックスのかたまりなんだろう?
今まで全然気付かなかった。
車のスピードが落ちて、前を見たらコンビニに入るところ。
不機嫌になりながらも、ちゃんとこういうことを覚えててくれる。
龍之介のこと、信用して、頼りにしてるのにね。
駐車場に車を入れている途中で、真鍋さんからの伝言を伝える。
「わかった。」
ひと言で終わり? そんなに拗ねてるの?
もう!
それほど気にするようなことじゃないでしょう?
「もういいよ、龍之介。」
「え? 何が?」
ブレーキをかけてエンジンを切り、運転席と助手席の間から龍之介が振り向く。
「あたし、龍之介にスキーを教えてもらうのやめる。」
「なんで?」
「だって、そうやってすぐ不機嫌になるんだもん。無理だよ。」
「無理って、」
「だって、きっと無理だもん。できないとすぐに怒るに決まってる。」
「そんなことないよ。」
「絶対そうなる! だから、教えてくれなくていい!」
「紫苑。」
「一人でスクールに入って教わるからいいの!」
しゃべっているうちに気持ちが昂ってきて、自分で泣きそうになってしまう。
初めはそんなつもりじゃなかったのに。
日の出前で、まだ暗いのが有難い。
シートに寄りかかり、顔を見られないように外を向いて、口をきゅっと結び、深呼吸。
「紫苑・・・、ごめん・・・。」
今ごろ反省しても遅いよ。
急に笑えるわけないじゃない。
「龍之介なんて嫌い。」
あ。
「紫苑。」
龍之介、悲しい声?
違う。
「ごめん! 違うの、龍之介。ごめん。」
両手で口を覆っても、すでに出た言葉は消せない。
「ごめん・・・、あたし、そんなつもりじゃなくて・・・。」
「紫苑。わかってる。俺が悪かった。ごめん。」
龍之介が右手を伸ばして、あたしの頬に触れる。
大きくて温かい手。
「もう不機嫌になったりしないから、一緒に練習しよう。な?」
そうっと視線を上げたら、心配そうな龍之介が見えた。
コクン、とうなずく。
それからおずおずと笑って。
「お腹空いた。朝ごはん、買おう。」
龍之介も笑ってうなずいた。
コンビニに入りながら、一つ心に誓った。
もう絶対に “嫌い” なんて言葉は使わない。
相手と一緒に自分も傷つけるほど嫌な言葉だったなんて。