37 クリスマスの夜に行く店は
「ちょっと汚い店でもいいか?」
そう言って龍之介が連れて行ってくれたのは、乗り換えで使う駅から7、8分歩いた裏通りにある小さな小料理屋・・・って言うんだろうか?
入り口の看板には『月うさぎ』。かわいらしい名前。
「大学時代にバイトしてた店なんだ。」
へえ。
こういうお店でバイトか。
ちょっと似合ってるかも。
のれんをくぐって引き戸を開けると、左側のカウンターに沿って席が8つほど、通路を挟んで右側の座敷に4つのテーブルが縦に並んでいる。
席は半分くらい埋まっていて、お客さんは30〜50代くらいのサラリーマン風な人ばかり。女性は2人?
「いらっしゃい! あれ? 龍之介?」
「信一さん、こんちは。」
カウンターの中には藍染めの服と帽子の板前さんらしき若い男の人。
龍之介の口調だと何才か年上みたいだけど、こんなに若くてお店を切り盛りしてるなんて、すごいな。
「あら、龍ちゃん! いらっしゃい。」
奥からお盆に料理を運んで出て来たのは、朱色の和服に紺の襷をかけた、ふっくらした優しげな女性。
お母さんくらいの年代かな?
こちらも龍之介と仲良さそう。
「千代子さん、こんばんは。」
「クリスマスなのに、うちの店なんか・・・あら、お嬢さん連れなの?」
あ!
あたしもあいさつしなくちゃ!
「え・・・と、こんばんは。」
慌てて頭を下げる。
隣で龍之介があたしのことを説明しようとしてどもっているのを聞きながら。
「あ、ええと、同じ会社の・・・谷村、さん。」
やだな。
龍之介に “谷村さん” なんて言われたの、何年振り?
ものすごく変な感じ!
また恥ずかしくなっちゃう。
「いらっしゃい。龍ちゃん、いつものとおり、カウンターでいいの?」
千代子さん(と呼ぶようにご本人に言われた。)の言葉にうなずいて、リラックスした様子でコートを脱ぎ始める龍之介。
本当に常連さんなんだ・・・。
「紫苑、コート。」
声をかけられてあわてて脱いだコートとマフラーを、龍之介がさっさと持って行ってハンガーに掛けてくれた。
こういうお店は初めてで、どうしたらいいのかちょっと迷う。
カウンター席のまん中あたりに並んで座ると、千代子さんがおしぼりと一緒にビールとグラスを出してくれて、
「今日はクリスマスだから、1本サービスなの。」
と微笑む。
「みなさん、こんなお店じゃなくて、もっときれいで豪勢なところに行かれるでしょう? そんなときに、わざわざうちに足を運んでいただいたお礼なの。ほほほ。」
笑い声が可愛らしい。 “鈴を振るような” っていうのは、きっとこういう声のことを言うんだろうな。
お店はたしかに古い感じだけど、きちんと整った雰囲気が気持ちいい。
千代子さんも板前の信一さんも、親しみやすい人たちで。
「千代子さん。俺たち会社から直接来たんです。腹減ってるから、早くできるものがいいんですけど。」
龍之介が千代子さんと相談しながら料理と “いつもの” 冷酒を注文し、お酒に詳しくないあたしは、よくわからないときに頼むことにしている梅酒をお願いする。
「クリスマスなのに残業か? 忙しいんだな。」
カウンターの中でテキパキと手を動かしながら、信一さんが龍之介に話しかける。
龍之介がビールを2つのグラスに注ぎながらそれに答えて。
「今年は仕事納めが早いから。」
乾杯。
いただきます。
「そうか。それでデートなのにこんな店しかないってわけだな。」
デート?!
あやうく吹き出しそうになったビールを思いっきり飲み込んだ。
・・・う。胸が痛い・・・。
比喩じゃなく、リアルに。
塊が食道を通り抜けて行く・・・。
「し・・・、信一さん、違います。こいつは、」
「まあまあ、いいから。龍之介が女性を連れてくるなんて、初めてだもんなあ。」
「いや、べつに、その、」
うう・・・苦しい。
早く通り抜けて・・・。
「あら、龍ちゃん。連れの女性に興味がないなんて言うのは失礼よ。ねえ?」
お酒とつみれ汁をお盆に載せて来た千代子さんが、あたしに向かってにっこりする。
「はあ・・・。」
苦しかった・・・。
ようやく痛みが治まって、ため息とも返事とも言えるような声でうなずく。
龍之介の様子をうかがうと、困った顔。
今日はこんな顔ばっかりしてるね。せっかく一緒に来たのに。
しょうがないな。
「失礼だって、龍之介。今日はあたしのこと、たくさん褒めなさいよ。」
あたしの言葉に、龍之介が目を見開く。
どうして驚くの?
だって、あたしたちって、いつもお互いに遠慮なく言い合ってきたじゃない?
そりゃあ、最近はちょっとだけ、いつもと違うこともあるけど。
「お。はきはきしたお嬢さんだねえ。」
信一さんが笑う。
「“はきはきした” なんて、信一さん、こいつの場合、気が強いだけなんですから。」
「ほら、それが失礼なの。」
あたしの指摘に千代子さんと信一さんが楽しそうに笑い、龍之介は複雑な顔をした。
龍之介。
そんな顔しないで、楽しく過ごそうよ。
今日はクリスマスなんだから。
お料理はどれも美味しい。
イワシのダシと生姜が効いたつみれ汁。
すり身から全部自家製という、揚げたてのさつま揚げ。
焼きたてでふわふわの厚焼き卵。
ぶりの照り焼き。野菜の串揚げ。海老だんごの葛餡がけ。生姜の混ぜご飯。
一品出てくるたびに、美味しさに感嘆の声を上げてしまう。
信一さんと千代子さんが、それを聞いてにこにこする。
千代子さんは信一さんはお母さんなのだそうだ。
「俺がバイトしていたころは親父さんが仕切ってて、信一さんはよその店に修行に出てたんだよ。」
龍之介が教えてくれた。
「2年前に親父さんが急に亡くなって、信一さんがあとを継いだんだ。」
「まだ未熟者だけどね。」
信一さんは恥ずかしそうに笑った。
「ねえ。龍之介もああいう格好でカウンターにいたの?」
見た感じ、似合いそうだけど。
「まさか! それは親父さんだけだよ。俺は向こうの端で皿洗ったりテーブル片付けたりしてただけ。」
そりゃそうか。
食べ物に合わせてお酒もすすむ。
梅酒を2杯飲んだあと、リストに並んだ名前が楽しくて、いつもは飲まない焼酎の飲み比べのセットを頼んでみた。
面白かったので2セット目を頼もうとしたら、
「平気か?」
と心配そうに龍之介が訊く。
「大丈夫だよ、さっきのも美味しかったし。苦手な味だったら、龍之介に飲んでもらうから。」
と答えると、
「飲み過ぎじゃないかって訊いてるんだよ。」
と呆れた顔をする。
「大丈夫。」
どうしてそんなこと言うのかな?
お酒を飲むってこんなに楽しいよ。
それなのに、龍之介は疑わしそうな顔。
もう!
「だって、龍之介が送ってくれるもん。」
「龍ちゃんが送ってくれるなら安心ねえ。」
カウンターから千代子さんが合の手を入れてくれる。
「そうなんです。龍之介がいれば、いつも安全に。」
「俺はセキュリティ・サービスか?」
「うーん・・・セキュリティって言うより、番犬? あ、ねえ、さっきの見せて。」
「え?」
「ほら、さっきあげたやつ。」
龍之介がバッグから小さな紙袋を出す。
革製のシェパードは、やっぱり龍之介にそっくり!
「千代子さん、これ、龍之介にそっくりだと思いませんか?」
「あら、ほんとね。ふふ。」
「さっき、龍之介にあげたんですけど、返してもらおうかなあ・・・。」
「どうして? プレゼントじゃないの?」
「番犬として持っていようかと思って。」
「紫苑。」
「なに?」
「それは俺がもらっておく。」
「どうして?」
「首輪に鎖がついているその犬を紫苑に持たれてるのは、何となくイヤだ。」
「ぷ。」
「くくく。」
カウンターの中で千代子さんと信一さんが笑いを噛み殺している。
「えー。すごく効果がありそうなのにー。龍之介のケチ。」
「紫苑には俺がちゃんとついてるからいいんだよ。」
うーん。
「わかった。よろしくお願いしますよ、高木セキュリティ・サービスさん。」
「了解。」
「ほんとに仲良しさんねえ。」
千代子さんがにこにこと、龍之介とあたしにお酒を渡してくれる。
「そうなんです! 龍之介とあたしは仲良しなんで〜す♪ かんぱーい。」
カウンターの中で笑っている千代子さんと信一さんに、さつま揚げをもう一皿注文したら、龍之介がため息をついた。
「龍之介。もしかして、お金の心配してるの?」
「はあ?」
「あたしが飲んだり食べたりし過ぎだって思ってるんでしょう?」
「違うよ。」
「いや、その顔は心配してる顔だ。」
「・・・紫苑。やっぱり飲み過ぎだ。」
「ほら、やっぱりお金の心配してる。大丈夫だよ、あたし、ちゃんとお金持って来たもん。」
「俺の話、通じてないな。」
そんなことないもーん。
「あれ? 龍ちゃん?」
やって来た顔の赤いおじさまたち3人は、どうやら2軒目の人たちらしい。
「あ、沼田さん。お久しぶりです。」
「おー。なんだ、龍ちゃんか。」
「こんちは。」
3人とも龍之介の知り合い?
昔の話をしているってことは、龍之介のバイト時代からのお客さんってことだよね?
うーん、無視して食べたり飲んだりしているのも悪いかなあ。
「あれえ、こちらはの人は?」
「龍ちゃんの彼女?」
「ああ! クリスマスだもんなあ。」
あーらら。
やっぱりそうなっちゃうんだねえ。
「いや、あの、」
龍之介ってば。
酔っ払いのおじさまたちに、真面目に説明しようとしても無駄だよ。
それとも、そんなに嫌なの?
・・・それは許せない気がする。
「こんばんはー。初めまして。」
にこやかにごあいさつ。
酔っ払いのおじさまたちには、こういう感じが一番受けがいい。
「・・・紫苑?」
龍之介がうろたえる。
うーーーん、頭を下げたら、ちょっとぐるぐるする。
隣で龍之介があたしを支えようと身構えた。
もしかしたら、あたしもちょっと酔っ払いか・・・?
「いやあ、可愛いねえ。」
「お邪魔しちゃ悪いから、おじさんたちはあっち行くねー。」
「バイバイ、龍ちゃん。」
おじさまたちに応えて手を振ってカウンターに向き直ると、龍之介がまた困ったような顔であたしを見ている。
まったくもう。
「どうしてそんな顔してるの? あたしが彼女って言われるのがそんなにイヤなわけ?」
脅す調子で小声で言うと、龍之介がまばたきをして動き出した。
「い、いや、そんなこと・・・ないけど。」
「そう? どうせ説明しても信じてくれないよ。千代子さんたちだってそうだよ。面倒だから、誤解されたままでもいいじゃない?」
「・・・紫苑がかまわないなら。」
素直だね。
あたし、よっぽど怖い顔してた?
素直な龍之介なんて、めったに見られないよね!
おもしろい!
「いいよ〜。今日だけ龍之介の彼女になってあげる〜♪」
「・・・そりゃどうも。」
ほら、龍之介。
笑ってないで、飲もうよ。