36 クリスマスに出かけよう
隣の課に龍之介が来ている。
仕事中は普通にしているけれど、体が大きいから目立つ。声も大きいし。
お昼休みのこと ―― あたしと秋月さんのことよりも、美歩たちから聞いた龍之介の態度 ―― を、自分の中でどう片付けたらいいのか迷っているあたしとしては、龍之介とは顔を合わせにくい。
年末で仕事が忙しいってこともあるし、気付かないふりをしていよう・・・と思ったのに、龍之介がこっちに来る。
どうか、あたしに用事じゃありませんように!
「紫苑。ちょっと。」
ああ・・・。
「なに?」
座ったままくるりと椅子を回して、龍之介を見上げる。
ここだったら、龍之介だって言いがかりをつけたりできないはず。
「ちょっと、いい?」
そう言って、廊下の方を視線で示されてしまった。
今までこんなことなかったのに。
美乃里ちゃんが気を遣っている様子が感じられて、このままでは無理か、とあきらめた。
龍之介のあとについて行きながら、何を言われるのかとびくびくしてしまう。まるで、先生に呼び出された中学生みたい?
・・・けど、あたし、何も悪いことしてないよね?
「紫苑、今日、飲みに行こう。」
「は?」
お昼のことを何か言われるのではないかと警戒していたから、違うことを言われて、一瞬まごついた。
「今日の夜、予定あるか?」
「明日は定時に帰りたいから、今日のうちに少し残って仕事しようかと・・・。」
「じゃあ、そのあと。俺も残業するから、終わったら連絡しろ。」
「・・・なんで急に?」
あたしの問いに、龍之介が視線を逸らす。
「・・・ちょっと。飲みたい気分だから。」
・・・普通だ。
当たり前の答え。
なーんだ。
心配して損しちゃった。
そうだよね。
龍之介は、昨日みたいな日に出かけられなかったんだもんね。
「いいよ。行こう。」
あたしの返事に龍之介はほっとした顔。
「その様子だと、何か嫌なことでもあったんでしょう? 仕事で失敗した?」
ニヤニヤしながら言うと、龍之介もニヤッと笑った。
「わかるか?」
「わかるよ。」
もう3年近くの付き合いなんだから。
「たぶん7時過ぎには出られると思う。」
「わかった。じゃあな。」
龍之介が階段を駆け上がって行く。
いつも仲がいい真鍋さんにも言えないこともあるんだね。
二人で飲みに行くのは初めてだけど、あたしと龍之介は友達だもん。今までそういうことがなかったことの方が不思議なんじゃない?
席に戻ると美乃里ちゃんが心配そうにしているので、一応、「龍之介と飲みに行くの。」と話しておいた。
それを聞いても、美乃里ちゃんは相変わらず心配そう。
もしかしたら、あたしが龍之介からランチのことで何か言われるんじゃないかと思ってるのかも。
龍之介は、そんなこと全然覚えてないみたいだったのにね。
7時過ぎ。
そろそろ終わるとメールをしたら、龍之介からあたしのいる階のエレベーター前で待つという返事。
少し急いで仕度をして、廊下の角を曲がると、エレベーターの前にもう龍之介がいた。
朝と同じ黒づくめの服装で、エレベーターの横にある大きな窓から暗い景色をながめて。
一瞬前までは元気に動いていた足が、その後ろ姿が目に入ったとたんに止まる。
言おうとした「お待たせ。」という言葉が、口の中で行き場を失って、ぽん、と消えてしまった。
――― なんか、恥ずかしいな。
・・・あれ?
うそ?
あたしが?
龍之介に?
龍之介が振り向く。
リラックスしたいつもの笑顔で。
どうしよう?
緊張して来ちゃった。
なんだかドキドキする・・・。
龍之介の後ろの窓ガラスには、暗い外の景色の中に、キャメル色のコートを着たあたしが映ってる。
その距離では、自分がどんな表情をしているかはよくわからない。
「お疲れ。行くか。」
かけられた言葉にこくりと頷く。
どうか、声が出ないことに気付かれませんように!
どうか、顔が赤くなっていませんように!
自信のないちょこまか歩きで龍之介の隣に並んだけれど、どうにも恥ずかしくて顔を上げることができない。
どうして?
相手は龍之介だよ?!
今までにも帰りに一緒になったことは何度もあったよ。
しょっちゅう、帰りに送ってもらってるよ。
でも。
こんなふうに待ち合わせてって・・・初めてなんだもん。
なんだか、いつもと違うよ・・・。
困ったよ〜。
ドス。
うわ!
「照れてんじゃねえよ。」
肘で押されて、ちょっとよろける。
驚いて龍之介を見たら、ニヤッと笑った龍之介と目が合った。・・・と、思ったら逸らされた。
・・・もしかして、龍之介もちょっと照れてる?
なんだか、ちょっとだけ安心した。
「ポーン」と音がして、エレベーターが到着。
扉が開くと、先客が3人。上の方の階に入っている会社の社員さんだろうか。
乗ったら、今度は隣に立った龍之介と肩が触れているのが気になってしまう。
けど、離れたら、 “龍之介のことを意識しています” って言っているみたいだよね? それともやっぱり近過ぎる?
離れたほうがいい? いや、やっぱり・・・。
そんなことを考えている間に、エレベーターはたちまち1階に。
「ふぅ・・・。」
気付かれないように深呼吸。
たったこれだけで緊張してしまうなんて、いったい今日のあたしはどうしちゃったんだろう?
通用口の守衛さんにあいさつしながら外に出たら、冷たい空気が気持ち良かった。
頭が冷える。落ち着く。
隣を歩く龍之介を見上げてみる。
就職してからずっと仲良しだった龍之介。
安心して一緒にいられるお友達。
・・・そう。
誰が何を言っても、龍之介はあたしの大事な友達だ。
ずっと、ずーっと・・・。
「なんだよ?」
視線に気付いた?
もしかして、また照れてる?
「龍之介といると安心だなあ、と思って。」
「安心?」
「うん。龍之介と一緒にいれば・・・きのうみたいに変な人に絡まれたりすることなんか絶対にないもんね。」
ちょっとだけ、話をすり替えて。
だって・・・本当のことを言うのは照れくさい。
「俺は魔除けか。」
「うん、そう。怖い顔が役に立ってくれて、本当に有難いよ。」
「ふん。どうせ優斗みたいな顔じゃないよ。」
秋月さん?
龍之介ったら、秋月さんの外見に対してコンプレックスでも持ってるわけ?
知らなかった!
「龍之介、秋月さんのこと、気になるんだ?」
可笑しい。
龍之介と秋月さんは、まったく違うのに。
「ふん。」
拗ねた顔をして前を向いている龍之介。
あらら・・・。
「ねえ?」
横から顔を覗くように見上げて。
「龍之介は秋月さんとは違うのに。龍之介はかっこいいって、あたし、言わなかったっけ?」
なだめるように言うと、龍之介がちらりとあたしを見た。
でも、すぐに向こうを向いてしまう。
・・・もう。
自分で秋月さんの話題を出しておいて、自分で拗ねちゃうなんて。
困ったもんだ!
駅の入り口で、テーブルを並べてケーキやアクセサリーを売っている人たちがいる。
その前を通りながら、最後のテーブルの上の一つが目に留まった。
「ねえ、ちょっと待って。」
どんどん歩いて行きそうになっている龍之介の腕に手をかけて引き留める。
「なんだよ?」
テーブルに並んだ革製の動物たち。
その中の一つが龍之介にそっくりだ。
「これ。」
うす茶色で、背中と尻尾と鼻の先がこげ茶色のシェパード。
店番のお姉さんにことわって手にとってながめてみる。
立体的に作ってあって、きりりとした凛々しい立ち姿がかっこいい。
赤い首輪から鎖でキーホルダーの金属の輪につながっている。
「・・・欲しいのか?」
あ。
あたしがおねだりしてると思った?
そうじゃない。
逆だよ。
「違う。あたしが買うの。」
くすくす笑いながらお姉さんにお金を払い、値札をはずしてもらう。
可愛らしい紙袋に入れてもらったキーホルダーを受け取って、改札口に向かって歩き出す。
龍之介、まだ拗ねてるのかな?
そうっと横からのぞいて見ても、無表情でよくわからない。
でも、 “無表情” ってこと自体が、機嫌が悪い証拠じゃないだろうか?
「りゅーうーのーすーけ?」
改札口を抜けたところで立ち塞がるように立って、ちょっとふざけて呼んでみる。
「・・・なに?」
「これ。クリスマスプレゼント。」
さっきの紙袋を差し出すと、龍之介が困ったような顔をしてあたしを見た。
でも、ちょっと嬉しそう?
いきなり嬉しい顔をするのが恥ずかしいから、困った顔をしてみせているだけだね、きっと。
「いらない?」
「・・・いる。」
そう言って、紙袋を受け取った。
「それね、龍之介にそっくり。」
「・・・犬?」
キーホルダーをぶらぶらさせて左右から覗き込むように見たあと、疑り深い目をあたしに向ける。
何か面白いことを言った方がいいのかな? ・・・ううん、違うね。
今日はクリスマスだもの。
「龍之介ってシェパードのイメージがあるよ。強くて、きりっとしてて、でも優しい感じ。」
褒め言葉の大盤振る舞いだよ。
これで機嫌を直してくれる?
「・・・ふん。」
また横を向いちゃうの?
「・・・サンキュ。」
まったく。
世話が焼けるよね?




