28 クリスマス・イブの前に
忘年会が一通り終わって、年末までの日々はあっという間に過ぎて行く。
平日は残業、土日は簡単な大掃除や片付け(そして昼寝)で終わってしまう。
今年は26日の金曜日が仕事の最終日。
うちの会社は29日からが通常のお休みだけど、その前に土日がくっついて、例年よりも2日早く仕事が終わる。
休みの初日の早朝にスキーに出発だから、最後の日には残業はしたくない。
24日も、美乃里ちゃんたちと出かけるから、とにかく計画的に仕事を進めないとね。
24日のお店は、美乃里ちゃんが探して予約してくれた。
「パエリヤかパスタかで迷ってるんです〜。」
と悩んだ末、パエリヤが勝って、スペイン料理中心のダイニング・バーらしい。
美乃里ちゃんと美歩が、どんな服を着て行くかの相談をしている姿を何度も見かける。
そんなに楽しみにしてるのか・・・。
秋月さんは、朝会うと、疲れた顔をしていることが多い。
いつものようににこにこしてはいるけれど、元気がない。寝癖が残っていたり。
そんな秋月さんを見ていたら、何かしてあげたくなってきた。
でも、あたしにできることって、何だろう?
・・・・新しいお菓子・・・じゃ、だめかな?
アップルパイは “試作品” という名のとおり、龍之介に作る “ついで” だもんね。
秋月さんのために何か作ってあげてもいいよね?
形はどうあれ、最初から美味しくできたおかげで、今ではバイブルのような気がするレシピ本をめくってみる。
材料を買いに行く時間があんまりとれないから、簡単に手に入るもので作れるのは?
簡単に手に入るか、少ない種類の材料でできるもの。
これは?
クルミを散らしたキャラメルソースのタルト。
タルトは初めてだけど・・・やってみよう。
材料はスーパーで手に入りそうなものばかり。タルト型は最初に買ってある。
ハンドミキサーを使う部分があるけど、アップルパイみたいに手で形を整える必要がないし。
作るのは23日の祝日。
ちゃんとできたら、24日の朝に渡せるように、秋月さんに連絡しなくちゃ。
喜んでくれるかな・・・?
でも、失敗すると困るから、できあがるまでは秋月さんには黙っていなくちゃね。
それに、クリスマス・イブの日に渡すのに、キャラメルのタルトってどうなんだろう?
・・・まあ、いいか。
クリスマスプレゼントっていうわけじゃないんだから。
そして。
気合いを入れた23日。
朝9時ごろからキッチンに立つ。
やるぞ!
本を見ながら手順を確認。
まずは必要な道具を出して、材料を量って、並べる。
下準備。
先に生地を作って型に入れて焼く。
そこに鍋で作ったキャラメルソースとクルミを入れて、もう一度焼いたら出来上がり。
うん。
難しくない・・・ような気がする。
がんばるぞー!
・・・出だしはよかったんだけど。
どうしよう?!
わからない!
本のこの解説と、このボールの中のものは同じ状態なの?
これはもっとかき混ぜるべき? それともやり過ぎちゃってるの?
手順は間違ってない。
何度も読み直した。
でも、どう見ても、同じには見えない。
写真とは色が違うし、混ざり具合も違う。
このまま進めてもいいのか、すでに失敗しているのか・・・?
どうしよう?!
ああ、もう!
一人で初めてのものを作ったりするんじゃなかった!
本当に、どうしたらいいんだろう・・・?
そうだ!
真由!
真由に電話しよう!
・・・・・出ない?
あ! 仕事中か!
そうだった。
真由はケーキ屋勤めだもん。クリスマス前のこの時期は忙しいんだよ!
ああ・・・、もう無理かも。
捨てるしかないのかな・・・。
がっくりしながらダイニングの椅子に座る。
調理台には、まだ使われていない粉やクルミなどの材料が並んだまま。
ボウルの中のねとねとのものと、あちこちに飛び散ったバターや手つかずで並んだ材料を見ていたら、なんだか悲しくなってきた。
やっぱりあたしには、お菓子作りなんて無理なんだ・・・。
ちりりりりりりん、ちりりりりりりん・・・・。
携帯の着信に使っている黒電話の音。
真由?! 気付いてくれた?!
大急ぎで携帯をつかんでよく見ないままボタンを押して叫ぶ。
「真由〜〜〜〜! たいへんなの〜〜〜〜!」
ところが。
「あのう・・・。」
と聞こえたのは男の人の声?!
「あれっ? やだ! ごめんなさい!」
ひゃ〜!
もう! どうしよう?!
そそっかしくて困っちゃう!
顔が熱い。
見えなくてよかった〜!
「あのっ、すみません、どちらさま・・・?」
「ええと、秋月です。あの、大丈夫?」
うわ。こんなときに・・・。
「あの・・・。」
「今、『たいへん』って・・・。」
ああ・・・。
やっぱり聞こえたよね・・・。
「あの、はい、まあ、なんとか。」
「何かやってる途中だった?」
う・・・。
途中も途中、ものすごい途中だよ。
失敗か、まだ失敗していないかの分かれ目なんだもん。
ふう・・・っとため息が出てしまった。
「紫苑さん? 本当に大丈夫? 僕じゃ相談にのれないこと?」
秋月さんの優しい声を聞いたら気持ちが落ち着いてきて、自然と言葉が出てきた。
「・・・今ね、タルトを作ってて。」
「ああ、そうだったんだ。」
秋月さんの声が、ほっとしたような明るい声に変わる。
「それでどうしたの? 火傷でもした?」
優しいよね・・・。こんなに心配してくれるなんて。
「違う。あのね、途中でわからなくなっちゃって・・・。本と自分のが同じかどうか、分からないの。」
「ああ、そうか。」
そんな言葉一つでも、気持ちが安らぐ。
もう大丈夫。
「すぐに見に行ってあげたいけど、仕事の途中で無理だから・・・。」
「あ・・・ごめんなさい! 忙しいのに。」
「ああ、大丈夫。休日出勤で来ているだけだし、もうお昼にするところなんだ。」
お昼? ホントだ!
もうこんな時間。
あたしって、やっぱり要領が悪いんだな・・・。
「紫苑さんが見てるのは僕が選んであげた本?」
「あ、うん、そう。」
「どこが分からないの?」
「生地を作るところ。バターと砂糖と卵を混ぜてみたんだけど、本の写真と色も混ざり具合も違うみたいなの。」
「ええと・・・そこだと、次は粉を入れるところ?」
「うん。」
しばらくの沈黙のあと、秋月さんの明るい声がした。
「たぶん、色が違うのは卵の黄身の色とか、何かそういう材料のせいかもしれないよ。混ざり具合って・・・?」
「“なめらかに” っていうのが分からなくて。自分が作ったのはなんだかボトボトしてるみたいな感じで。」
「うーん・・・。卵がそのまま残っていないなら、粉を入れてみたらどうかな?」
「粉? 大丈夫かな?」
「もし失敗していたら粉も無駄になっちゃうけど、そのままあきらめちゃうよりはいいんじゃない?」
「ああ・・・、そうか。」
なんだか気持ちが前向きになってきた。
「わかった。やってみる。」
「うん、そうだよ。そんなに厳密に本と同じじゃなくても、なんとなく “こんなもんかな?” っていう感じでやってごらんよ。」
「それでいいの?」
「うん。失敗したらしたで、次のときにうまくできればいいんじゃないかな。」
そうか!
なにも、今日、完璧にできなくてもいいんだよね!
「そうだね! ありがとう、秋月さん。もうちょっとやってみる。」
「よかった。元気が出たみたいで。」
秋月さんの笑顔が見えるよう。
「うん。ありがとう。」
「じゃあ・・・。」
「あ、待って。何か用事があったんじゃ・・・?」
「え? ああ、いいんだ、べつに。ちょっと疲れたから、紫苑さんと話したら元気が出るかと思って。」
「ああ・・・、それなのに、あたしの方が励ましてもらっちゃって・・・。」
申し訳ありません!
「あはは! いいんだよ! 紫苑さんの役に立てたら嬉しいから。それに、紫苑さんがちょうど困ってるときに電話したなんて、まるで僕に特殊能力があるみたいだよね。」
そういえば、秋月さんとはタイミングが合うことが多いな。いろんなところで。
服がお揃いだった、なんてこともあったし。
なんだか面白い。
「秋月さんも元気出た?」
「うん、もちろん。じゃあ、今は切るね。時間ができたらまた電話してみるよ。」
「ありがとう。仕事、頑張ってね。」
なんか・・・ほっとした。
あきらめないで、やってみよう。
秋月さんに言われたように次の手順に進んだら・・・うまくいった! まるで奇跡のよう!
タルトの生地はうまくまとまって、本に載っている次の写真とほぼ同じような状態になった。
本当に、 “こんなもんかな?” でいいのかもしれない・・・。
そのあとも、ところどころ不安な部分はあったものの、秋月さんの “こんなもんかな?” という言葉を、お守りのように心の中で繰り返し続けて。
生地を型に敷き込もうとしたら、何故かぼろぼろして、あちこち欠けてしまった。
けど、残った生地で補強しちゃおう!
クルミを炒るって・・・まあ、このくらいでいいか!
キャラメルソースのキャラメル色ってどのくらいなの?
そうだ。きっと、お菓子会社ごとに違うよね?
じゃあ、あたし的にはこれくらいでいいかな。
というわけで、下焼きしたタルト生地にクルミとキャラメルソースを流し込んでオーブンへ。
何分か経ってのぞいたら・・・これって、いい感じじゃない?
型の中で、キャラメルソースがぶくぶく煮立ってる。
キャラメルの甘い香りが部屋に漂ってきた。
もしかしたら成功してるのかも!
焼き上がって出てきたタルトは生地の一部に亀裂が入って中身が染み出ていたけれど、あたしが初めて作ったにしては上出来といえる状態だった。
それに、なによりもこのいい匂い!
絶対に美味しいに違いない。
嬉しい!
キャラメル味のタルトの作り方は、前回のアップルパイと同じく『ニューヨークスタイルのパイとタルト、ケーキの本』(平野顕子著 2008 主婦と生活社)を参考にさせていただきました。