25 ≪候補者≫
紫苑。
今日は一日、お疲れさま。
朝から晩までいろんなことがあって、きっと大変だったよね。
今日の龍之介、すごく頑張ったよね?
朝、龍之介が寄ったコンビニで、レジに並んだ人が時間がかかるようにちょっと細工したんだよ。
紫苑が優斗と一緒にいるところを龍之介に見せるために。
お金を落とさせたり、レシートを詰まらせたり、3人も邪魔をするのはちょっと大変だったけど、うまく行ったから僕は満足。
朝、龍之介は楽しそうに、ロッカー室でこっそりとパイの箱を覗いてた。たぶん、すぐに食べてしまうつもりだったんじゃないかな?
でも、紫苑のパイを見たとたん、真面目な顔つきで、そうっと箱のふたを閉めてしまったんだ。
お昼休みも、午後に出かけるときも、ロッカーを開けるたびに箱を覗いていたけど、いつも優しい顔をしてた。
紫苑があれを作るのにどれくらい頑張ったのか、考えていたんだと思う。
僕が龍之介を選んだのは、紫苑たちが就職して少し経ったころだった。
あのときはまだ桜井先生のことから時間が経っていなかったから、紫苑に必要なのは辛抱強く待てる人間だと僕は考えていた。
大学を出たばかりの龍之介は、ただの元気いっぱいのふざけ屋に見えた。
でも、大学までずっと運動部だった彼は、下積みの努力の大切さを知っていたし、後輩の指導をする中で心の大きさも育っていた。
何よりも、僕が手を貸す前から、紫苑のことを気に入っていたしね。
それで僕は、龍之介なら、長い時間がかかっても、紫苑のことを守りながら待ってくれると思ったんだよ。
紫苑が一人で暮らすことになって部屋を探しているとき、僕は龍之介の家の近くの物件が目に付きやすいようにした。
と言っても、情報誌のページをめくっておくくらいのことしかできなかったけど。
僕の思惑に天の助けが加わったのか、紫苑はこのマンションを選んだ。
それから2年。
龍之介は予想どおり、辛抱強く、ずっと持ち場を守ってきた。
予想どおりというよりも、予想以上、だな。
紫苑に一番近い場所にいつも自分がいるように、龍之介がどれほど気を配って来たか知らないだろう?
彼は紫苑が誰かを好きになることを怖がっていることに気付いていて、それが消えるまで待とうと決心している。
この2年で龍之介は、就職したころよりずっと思慮深くて優しくなった。少し慎重すぎるほどに。
その慎重さのせいで、紫苑は龍之介の気持ちに全然気付かない。
龍之介が近くにいることが当たり前になってしまった。
初めて出会ったころの龍之介のままだと信じて。
そして、相変わらず “恋なんかしない” って言い続けて。
そして僕は・・・だんだん紫苑と別れることを考えるのがつらくなってきた。
途中で念のためと思って、2人ほどほかの候補者を試してみたけど、お互いに気付かないまま終わってしまった。
優斗が紫苑の行動範囲の中に現れたとき、僕はすぐに決心した。優斗と紫苑を出合わせようって。
優斗の笑顔と柔らかさなら、紫苑の意固地な決心を溶かすことができると思ったから。
紫苑が怖がってノーと言う前に、自然に紫苑の心に入りこめると思ったから。
・・・それとね、紫苑、もう一つ。
優斗の名前が僕と似ているから。
紫苑が幸せになる相手は絶対に僕ではない。
紫苑が声に出して、僕の名前を呼ぶことは絶対にない。
だけど、紫苑が優斗を選んだら・・・。
僕は消えてしまうけど、僕の名前だけは紫苑のそばにいられるような気がして。
優斗はちゃんと紫苑のことを気に入ってくれて、彼独特の天真爛漫さと優しさで、一途に紫苑に恋してる。
もちろん、2年以上ずっと紫苑を守っている龍之介のことだって、応援してはいるんだよ。
もう無理かも知れないと思ってもいたけれど、これをきっかけに二人の関係が動き出す可能性もあるかも知れないとも思った。
紫苑の「金木犀さん」が優斗だってわかったとき、龍之介の動揺はかなりのものだったよ。紫苑が知ったらきっと驚くくらいに。
だから今朝だって・・・。
二人を同時に候補者にするなんて、恋風として無責任かな?
でも、二人ともいい人間だし、見ている僕はけっこう楽しいよ。
優斗も龍之介も、紫苑に無理なことを言ったり、困らせたりはしないはず。
二人のうちどちらを選んでも、紫苑は幸せになるよ。
紫苑は高校生のころと同じように、恋愛関係のことには鈍感で不器用なまま。
でも、それでいい。
真由が言ったとおり、誰かを好きになるのは自然な心の動きだから。
紫苑に駆け引きは似合わない。
怖がらないで、紫苑。
紫苑を傷つけるような人間は誰もいないから。
おやすみ、紫苑。
忙しくて、いつもとちょっと違っていた一日が、紫苑に安らかな眠りをもたらしますように。