23 アップルパイのお味は?
何か言ってくるんだろうか・・・?
お昼になって、龍之介がアップルパイを持って行ったことを思い出した。
朝は “まあ、いいか。” と思ったものの、もしかしたらお昼に食べるのかも・・・と気付いて、急に恐ろしくなってくる。
気に入るだろうか?
それとも、見たとたんに笑われる?
文句を言われるにしても、褒められるにしても、 “ここ” ではイヤ。なんだか困る。
ああ・・・やっぱり、どこでもイヤかも。
どうしよう?
ドキドキして来ちゃった。
外でお昼を食べれば、とりあえず昼休みは龍之介に会わなくて済む?
午後、仕事中に来たりしないよね?
ああ、でも、用があったら仕方ないけど・・・顔を合わせるのが怖い!
こんなことなら、持って来たって言わなければよかった・・・。
「谷村さん、お昼はどうします?」
ぐるぐるとキリがない後悔に浸っているあたしに、金子さんがにこやかに話しかける。
「外。外に行こう。」
そうだ。
まずは、今。
逃げちゃおう。
お昼休みを無事にやり過ごし、午後の仕事。
12月は例年どおり忙しくて、パソコンのキーをたたくスピードも普段よりもアップする。
うっかりすると、入力しながらブツブツと声に出して読んでいることも。
何度も見直したつもりなのに、プリントアウトした資料には入力ミスが、なんてこともときどき。
自分がドジなのはわかっているから、気を散らさないようにいつも気を付けている。
だけど。
今日はそれが難しい。
もしも龍之介が来たらどうしよう?
あたしはどんな顔をしていたらいいの?
龍之介が来たとしても、仕事中にアップルパイの話はしないだろうと95%くらいは信じているけれど、残りの5%のために、うちの課に誰かがやってくるたびに、ハッとしてそちらを見てしまう。
向かいに座っている春山さんに、
「今日の谷村さん、目つきが鋭いよ。ずいぶん忙しいんだね。」
と、笑われた。
金子さんもときどき、こっそりと不思議そうに見ている。
ああ、もう!
これじゃあ、みんなに “何かある” って知らせているようなものじゃない!
そう思ったら、頬がかあっと熱くなってしまった。
もう限界・・・。
「トイレのついでにお茶でも買ってくる。」
金子さんにことわって席を立つ。
少し頭を冷やさなくちゃ。
あーあ、こんなこと、体に悪いよ・・・。
エレベーター前にある自販機へと廊下を歩きながらぐずぐずと考える。
疲れて落ち込んで、視線は足元へ。
こんなに大変な思いをするんだったら、最初から龍之介の挑発に乗るんじゃなかった・・・。
そう。
自分が悪いんだ。
「やあ、紫苑ちゃん。元気ないね。忙しいの?」
ま、真鍋さん!?
「すみません、気付かなくて。ええ、ちょっと・・・。」
どうしよう、どうしよう、どうしよう?
龍之介と同じ職場だもんね。もしかしたら、お昼にあれを見たか食べたか・・・。
「顔が赤いよ。大丈夫? 熱でもあるんじゃないの?」
「いえ! あの、ちょっと暖房が効き過ぎてるのかも。あたし、暑がりなので。」
「ああ、それならいいけど。金曜日は忘年会だから、それまでは体調万全でね。」
「は、はい。」
行っちゃった・・・。
アップルパイのことは知らなかったみたい。
同じ職場で仲良しの真鍋さんが知らないってことは、龍之介はお昼には食べてない可能性が大きいね。
この建物の中で一人でこっそりなんていう場所はそうそうないし。
・・・いや、一人でこっそりなんて、龍之介には当てはまりそうにない。
社内で食べるなら、堂々とみんなの前で開けている ――― そして、あたしをコケにしているはずだ。
つまり。
龍之介は、まだ食べてない。
そこまで考えて、ようやく落ち着いた。
自販機で冷たいお茶を買って、それからあとは、いつものとおり、集中して仕事ができた。
結局、帰る時間になっても、龍之介からは何もなかった。
仕事の忙しさと昼間の不安で身も心も疲れ果てて、どうでもいい気分になって帰ってきた。
心配事には疲れるのが一番効くみたい。
本当に疲れちゃったよ・・・。
コートだけ脱いで、ソファ代わりの大きなビーズクッションに半分寄りかかりながら体を伸ばす。
8時半か。
お腹は空いてるけど、夕飯を作るのも面倒。
買い物をするのも億劫で、スーパーにも寄って来なかった。
レトルトのカレー? それとも冷凍グラタン?
ああ、そうだ。
明日はうちの課の忘年会だっけ・・・。
ぼんやりしていると、関連のないことが次々と浮かんでくる。
職場のパソコン、最近、動きが遅いような気がする。
洗濯物をたたまなくちゃ。
ショートブーツが一足欲しいな。
仕事納めまで、あと何日?
ブブブブブブブ・・・・。
テーブルに投げ出しておいた携帯が振動してる。
まさか・・・。
恐るおそる覗き込むと、『高木龍之介』の文字が。
やっぱり・・・。
一気に昼間の気分がよみがえる。
携帯を持った手が震えているのに気付いて、ますます緊張してしまう。
「・・・はい。」
『あ、紫苑?』
あれ?
龍之介・・・だよね?
なんだか、いつもと違うような気が・・・。
「うん。」
『もう帰ってる?』
「うん。」
『今から出られるか?』
「は?」
出る?
「出るって・・・出かけるってこと?」
『そう。車で迎えに行くから。』
「はあ? 今から? なんで?」
『もう風呂入っちゃった?』
「いや、まだだけど・・・。」
それ、女の子にする質問? ・・・なのかな?
『じゃあ、大丈夫だな。5分で着くから。』
・・・切れたよ。
何なんだろう、あれは?
なんて考えてる場合じゃないよ!
支度しなくちゃ!
部屋着に着替えてなくてよかったよ〜!
通勤用のバッグから、鍵やお財布や必要なものだけを小さいバッグに入れ替える。
お化粧は・・・一応、直して行くか。どうせ暗くてよく見えないだろうけど。
セーターを厚手のものにして、コートもたっぷりしたものを選ぶ。
うわ、もう5分経ってるよ。
ベランダから下を見ると、黒っぽい小型車が玄関の前に止まるところ。
あれかな?
龍之介が小型車っていうところがなんとなく不思議な気がするけど。
ブーツを履いて、鍵を閉めて、手袋をはめながら、エレベーターは時間がかかりそうだったから階段を駆け下りる。
玄関のガラスの向こうに、車に寄りかかってにこにこしながら立っている・・・龍之介?
一瞬、人違いだったらどうしよう? と思って足を止めた。
いつものスーツ姿と全然違っていたから。
黒の細身のダウンジャケットに茶色のパンツ、グリーンや白や茶色やいろんな色の細い縞模様のマフラーをぐるぐると巻いて。
でも、ツンツン頭と切れ長の目の精悍な顔はやっぱり龍之介だ。
脚が長い。知らなかった・・・。
それに・・・。
「お待たせ。」
とは言ったものの、なんとなく気後れして、歩くのがためらいがちになってしまう。
だって、なんだか、いつもの龍之介と違う。
ほんの数歩で龍之介はこっちへ来て、のろのろしているあたしの腕をつかむ。
「悪いな、夜なのに。あったかくして来た?」
しゃべったら、いつもの龍之介でほっとした。
「うん。」
「すぐだから。そっち側、ドア開きそうか?」
「あ、あたし、後ろに乗るから大丈夫。」
「え? 助手席に・・・」
「いいの、後ろで。いつもそうだから。」
いつも。
あたしが助手席に座ったことがあるのは桜井先生の車だけ。
だから、思い出さないように、助手席には座らない。
「・・・そうか。」
同じ側の前後のドアから乗り込んで、前を向いたら、龍之介がバックミラー越しにニヤッと笑った。
その笑顔で元気が戻って、運転席の背もたれにつかまって、龍之介に話しかける。
「ねえ、どこに行くの?」
「すぐ近く。」
そのまますぐに出発。
教えてくれるつもりはないらしい。
まあ、いいか。
すぐ着くって言ってるし。
「あたし、さっき帰ったばっかりなの。」
「仕事か?」
「うん。だから、まだ着替える前で、すぐに出て来られたんだよ。」
「なんだ。もうちょっと遅かったら、紫苑の色っぽい普段着が・・・。」
「何言ってんの?! こんな寒い時期に、そんな格好してるわけないでしょ!」
「うわ! そんなに耳のそばで怒鳴るなよ。あ、この先だ。まず一つ目の見どころ。」
「え? なあに?」
「いいから、前を見てろ。」
前?
ゆるやかにカーブした道の先は・・・イルミネーション?
道の両側にずっと続いてる。
「うわ・・・すごいね。」
「このあたりの家、毎年少しずつクリスマスの飾りが増えてきて、今年は特にすごいんだ。」
「一般の家なの?」
「うん。新しい住宅街だから、みんなお洒落なんだな。」
本当にすごい。
門の前にある木にも、生け垣にも、壁にも、ベランダにも、色とりどりのライトやサンタクロースや雪だるま。
屋根からレースのようにライトが下がっている家もある。
庭で光のトナカイが首を動かしている家も。
「すごいね。」
クリスマスらしい雰囲気にウキウキしてくる。
バックミラーを見たら、やっぱり楽しそうな龍之介と目が合った。
そして、気付いた。
あたし、龍之介と電話で話したのって初めてだ。
二人で出かけるのも、私服の龍之介を見るのも。
なんだか・・・楽しいね。