22 アップルパイの行方
月曜日の朝。
アップルパイを3切れ持った。
一箱に入らなくて、2切れと1切れに分けて。
龍之介に渡すかどうかは、まだ決めていない。
秋月さんには褒められたけど、それは、持って行くときに、形がちゃんとしている部分を選んだから。
丸いパイの周囲7割は、なんとも頼りない形をしている。
他人に堂々と渡せるような状態ではない。
でも。
このパイ型は大きい。
8等分にしても、一切れあれば、朝食には十分。
昨日と今日で、朝食2回。
昨日の夜に一切れ。
そして、秋月さんに一切れあげた。
でも、まだ半分残っている。
というわけで、お昼に金子さんと一緒に食べようと思って、持って行くことに決めた。
3切れにしたのは、物好きな同僚が味見をする気になるかもしれない、と思って。
それに、もしかしたら・・・この前みたいに、龍之介がふらりと現れるかも知れない。
もしも食べてるときに龍之介が来たら、あげなくちゃね。
どんな顔をして食べてくれるかな?
「美味い!」って言ってくれるかな?
それとも、形だけを見て「下手だな!」って言われちゃう?
前回のは真由が作ったと言ってしまったから、今回は念のため、一番形がいびつな場所を選んで箱に入れた。
わざわざ下手にできている部分を持って行くなんて、なんだか矛盾してるよね。
下手でも龍之介にあげたら、もう終わり?
なんだかそれじゃ、物足りない気がする。
秋月さんにあげたときみたいに、 “試作品” ってことにすれば、挽回のチャンスはあるかな?
「紫苑さん、おはよう。」
駅の改札を出たところで、秋月さんのいつもどおりの爽やかな声。
ビジネスコートを着た秋月さんを見て、 “ああ、こういう感じだっけ” と思う。
それくらい、私服姿と雰囲気が違う。 ・・・けど、似合わないわけじゃない。
きのうは夜になってから、そういえば、おとといは誘われたとき心配してたんだよね・・・なんて思い出した。
でも、秋月さんの態度にはどこにも不安になるようなところがなくて、ただ楽しかった。
今朝も、いつもと変わらない秋月さんのまま。
つまり、今のところは何も考えないでいいってこと・・・だよね?
「きのうはごちそうさま。ケーキ、本当に美味しかった。」
お礼を言うと、秋月さんは照れた顔をした。
それから、
「龍之介に渡すことにした?」
と。
「持って来たけど、迷ってるの。見た目がイマイチだから。」
「それほどでもなかったと思うけど?」
「昨日は特に上手にできた場所を選んで持って行ったんだよ。大部分は本当に情けない状態で。」
その中でも特に情けないものを選んできたし。
「秋月さんと同じように、食べきれないから同僚に食べてもらおうと思って持って来たんだけど、自慢げに他人にあげられるような出来じゃないからなあ・・・。」
はあ・・・、と、ため息が出た。
「どうしたらいいと思う?」
「僕の意見?」
「そう。龍之介にあげても大丈夫かどうか。」
「・・・・・。」
あたしの質問に、秋月さんは無言になってしまった。
変なこと訊いちゃったかな。
・・・そうだよね。
それは、あたしが自分で判断しなきゃいけないよね。あたしが作ったアップルパイなんだから。
あたしがした約束なんだから。
「あの、」
「僕は、」
同時に相手を見て声が重なった。
秋月さんが微笑んでいないことに気付いて、急に不安になる。
もしかしたら怒ってる?
くだらないことを訊いちゃったから・・・。
どうしよう?
「僕は・・・僕も紫苑さんにアドバイスできない。」
「そ、そうだよね。ごめんね、変なこと訊いちゃって。」
慌てて弁解すると、秋月さんは何秒間かあたしの顔を見つめてから、ふっと表情をゆるめて微笑んだ。
そのやさしい笑顔にほっとする。 ・・・怒ってない?
「紫苑さん、今、僕が怒ったんじゃないかと思って心配した?」
「え・・・? うん・・・。」
そんなに分かりやすいのかな、あたし・・・?
「じゃあ、 “龍之介にあげるのは、紫苑さんが納得できるまで練習してからでいいと思う” って、アドバイスする。」
?
『じゃあ』って、どうして?
不思議に思って首をひねっているあたしの横で、秋月さんがくすくす笑ってる。
「そんなに面白い?」
今朝の秋月さんはよくわからない。
「ごめん・・・。なんだか、自分がこんなに単純なのかって思ったら可笑しくて。」
「単純?」
「紫苑さん。」
「・・・はい。」
なんとなく改まった様子に、あたしもつられて返事がかしこまる。
「本当は、紫苑さんにはさっさと龍之介との約束は完了させてほしい。」
・・・『させてほしい。』?
「紫苑さんが、いつまでも龍之介のことを考えてアップルパイを作るっていうことが・・・悔しいから。」
ん?
あれれれ?
ちょっと、話の方向が、なんだか・・・?
突然、周囲を通勤途中の人たちが歩いていることが気になり出す。
ええと、こういうところで平気な話・・・なのかな?
「でも、」
そう言ってこっちを向いた秋月さんは、ちょっと恥ずかしそうだけど、にこにこと嬉しそうで・・・。
「紫苑さんが、僕を怒らせたんじゃないかって心配した顔を見たら、ちょっと自信が持てた。」
ええ〜〜〜〜?!
なんか、それって、それって・・・。
「だから、紫苑さんが納得できるまで、龍之介のために頑張ってもいいやって思った。」
「それは、あの、あの・・・?」
あたしは何て返事をすればいいんでしょうか?
「あ、紫苑さんは気にしないで。単に僕の問題だから。」
気にしなくていい?!
そうなの?!
でも、あたしも関係あるみたいだよ?!
「まさか、自分が龍之介にやきもちを焼く羽目に陥るなんて思わなかったよ。あははは。」
やきもちって?!
やっぱり、あたしも関係あるよね?!
だけど、そんな、『あははは。』って・・・?
「ねえ、紫苑さん。」
「はい?」
「これからも、試作品は全部、僕に試食させてね。」
「う、・・・うん。わかった。それは構わないけど・・・。」
「じゃあね。」
いつの間にかうちの会社の前だった。
軽やかに走り去っていく秋月さんの後ろ姿を見ながら唖然としてしまう。
あたし・・・告白されたんだろうか?
あれはそういうもの?
なんだかよくわからない。
あんなに爽やかに言うからびっくりしすぎて、胸が苦しいとか手が震えるとか言ってる余裕がなかった。
うーん・・・、わからない。
どうしたらいいんだろう?
・・・いい・・のかな?
秋月さんも『気にしないで。』って言ってたし。
真由も『成り行きにまかせて』って言ってたし。
ふふ。
なんだろう?
なんとなく楽しいような気がしてきた。
でも・・・大丈夫なのかな?
「紫苑。あれ、優斗?」
「うわ!」
龍之介?!
いつの間に?!
「お、おはよう。あの、うん。よく電車が一緒になるの。」
「ふうん。」
入り口に向かって一緒に歩き出す。
「龍之介って、いつもはどの電車?」
「俺? もっと早いぞ。今日はコンビニで時間がかかった。・・・なあ、紫苑、それ。」
「え?」
「その紙袋、なに?」
「これ?」
どうしよう・・・。
「あ・・・、ええと、その・・・、アップルパイ・・・」
「やっぱり! 月曜だし、もしかしたらって思ったんだよ!」
そう言いながら、ガッツポーズをする龍之介。
「の、試作品。まだあげられるようなものじゃ・・・。」
「いい、いい。サンキュー!」
龍之介がものすごく嬉しそうな顔で、紙袋に手を・・・って、袋ごと?!
「あの、全部?」
「あれ? 誰かにあげる予定か?」
「いや、決まってはいないけど・・・。でも、試作品だよ? ちゃんとできてないよ?」
「味見してないのか?」
「食べたよ。」
「食べられたんならいい。もらう。」
“食べられたんなら” って、ハードル低いな・・・。
「あのう・・・、形が。」
「そんなの気にすんなって!」
・・・そうですか。
「あー、楽しみー♪ あ、代わりにこれやる。」
龍之介がコンビニの袋から取り出したのは、大きなプリン。
「あ・・・りがとう。」
「じゃあな〜。」
なんとなく納得できないでいるあたしを残して、大股で階段をどんどん上って行ってしまった。
・・・これでよかったんだろうか?
約束を果たしたことになるの?
でも、 “試作品” って言っちゃったし・・・。
ああ・・・またしても、よくわからない。
秋月さんも、龍之介も、二人とも『気にするな』って言ったよ。
あたしもそんなに繊細な心の持ち主じゃないけど、二人ともそうとう大雑把な性格だよね・・・。
ああ・・・もういいや。
本当に気にするのはよそう。
考えても、なにも解決しそうにないしね。