11 お菓子作りの本
仕事帰りに大きな本屋さんに来た。
お菓子作りの本を探すため。
先週、秋月さんたちと会ったとき、龍之介と約束した・・・っていうか、意地になって挑戦を受けて立ってしまったケーキ作り。
黙っていたら龍之介も忘れてしまうかな、と思っていたのに、きのう、わざわざ言われてしまった。
にやっと笑って、
「3か月以内の約束だからな。」
って。
高校のとき、家庭科部で作ったことはある。
文化祭で部の出し物として売ったし。
だけど・・・あたしの作ったものを売るわけにはいかなかった。
スポンジケーキやシューの皮はふくらまないし、クッキーの上に絵をかいたりすることすら上手くできなかった。
不器用なのと、泡だてたり、かき混ぜたりするときのちょうどよい “今だ!” が、よくわからないのだ。
だから、文化祭用のお菓子を作るのはほかの部員の役目で、あたしは売り子専門だった。
料理の方はまだいい。
味付けは分量を間違えなければいいのだし、切り方が多少不揃いでも、盛りつけてしまえばどうにかなるから。
それに、大学生のときにお母さんの代わりをして経験値がアップしているから、今では自分でちゃんと自炊できる。・・・きちんとした料理は作れないけど。
だけど、今回は・・・。
自信はない。
でも、意地がある。
龍之介の挑発に乗った自分は愚かだったと思うけど、それを受けて立ってしまったからには負けたくない。
もしかしたら、料理が少しできるようになっている分、お菓子だって上手くできるようになっているのかもしれないし!
自分を励ましながら、お菓子の本のコーナーへと毅然とした足取りで向かう。
何事もやってみなくちゃわからない。
実用書のコーナーを、案内板を見ながらいくつか通り過ぎ、『料理・菓子』と表示のある棚へ通路を入る。
4人ほどの人が棚の前でカラー写真の載った本を見ている。1人は男の人だ。
書棚の手前側にはお惣菜の本が並んでいる。お菓子の本はもっと奥かな。
その人たちと後ろの棚を見ている人の間を通り抜けながら、棚を順にながめて進む。
“ケーキ” というキーワードが背表紙に並ぶ場所を見つけて、先に本を見ていた人たちの間で立ち止まり、本のタイトルを順に追ってみる。
シフォンケーキ、パウンドケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、シュークリーム、パンケーキ、スポンジケーキ、カップケーキ・・・・。
ケーキの種類だけでも選ぶのが大変!
しかも、それに “おいしい” 、 “簡単にできる” 、 “レンジでできる” 、 “混ぜるだけ!” 、 “初めて作る” なんて、いろいろな枕詞がついている。
どうしたらいいの?!
とりあえず、高校のときに作ったことがあるスポンジケーキの本を取り出してみる。
中を開いて・・・・・ため息が出た。
スポンジケーキは飾り付けが重要だ。
不器用なあたしには、とてもじゃないけど、他人に見せられるようなものが出来上がるとは思えない。
シュークリームは飾り付けはいらない・・・けど、膨らまないとすべてが無駄になることを思い出してやめる。
カップケーキ?
簡単そうだけど、泡立て器で混ぜている写真を見て嫌になった。
“レンジでできる” は、何となく龍之介に自慢ができない気がする。
お店でセットになって売っているものを利用したことはあるけど、結局は泡立てるのが大変だったし、やっぱり龍之介が手抜きだとか言いそうだ。
どうしよう・・・?
「はあ・・・・・。」
また、ため息が出た。
隣にいた男の人が、あたしの方を見た気配。
そんなに大きなため息をついたつもりじゃなかったけど、聞こえちゃったかな・・・。
あーあ。情けないな・・・。
「・・・紫苑さん?」
ん?
この声は。
見上げると・・・やっぱり、秋月さん。
こんなところでため息をついているのを見られるなんて。
・・・っていうか、秋月さん、お菓子の本?
秋月さんが見ていた本をちらりと覗くと、やっぱりお菓子の本。
「秋月さん、お菓子作るんですか?」
お仕事は・・・設計士さんだったよね?
「就職してからの趣味なんです。簡単なものしか作りませんけど。」
にこにこと穏やかに、でも少し恥ずかしそうな笑顔で答える秋月さん。
簡単なものって言ってるけど・・・。もしかして、ここは頼ってみるべき?
「あの、どんなものを作るんですか?」
「飾り付けがいらないものがいいな、と思って、オーブンで焼いたら終わりっていうのが中心で・・・、」
おお!
まさに、あたしが探しているものかも?!
「チョコレートケーキとかアップルパイとか・・・。」
それって・・・どうなんだろう?
「あのう・・・、あたしでもできると思いますか?」
「え?」
「ええと、その、この前、龍之介と約束した・・・。」
「ああ! あのとき。」
「はい。わたし、不器用で、デコレーションとか泡立てるとか、そういうところが無理なんです。」
秋月さんが少し考えてから言った。
「それだったら、僕が作っているみたいなものがいいかもしれないですね。オーブンに入れたら、あとは待つだけですから。」
「その前の部分は・・・?」
「僕の印象としては、分量を量って並べた段階で半分終わった感じがしますね。」
分量を量っただけで半分終わり・・・。
それって、すごいような気がする。
「あの、そのレシピって、ここにある本の中にありますか?」
秋月さんはにこっと微笑んでから、棚を見てくれた。
「ああ、これです。」
差し出された本は、アップルパイと、ナッツを使ったタルト、それにチョコレートを使った焼き菓子が載っている本だった。
写真はどれも美味しそうだし、手順の途中の写真も載っている。
さらに、レシピの最後が「○○度のオーブンで○○分焼く。」で終わっているものが多い。
これならどうにかなりそう?
「これからはりんごが美味しい季節だから、アップルパイがいいかも知れないですね。」
アップルパイか・・・。
「あたしでもできるかな・・・?」
「一度で成功させる必要はないんじゃないのかな?」
「え?」
「たしか3か月って言ってましたよね? だから、練習すればいいんです。」
「そうか! そうですよね? 」
休日にやってみればいいんだ。
「ありがとうございます。そうします。教えていただいて、助かりました。」
「いいえ。お役にたててよかった。」
優しい笑顔でさわやかにそう言うと、腕時計を見て、「じゃあ、お先に。」と、秋月さんが去っていく。
その後ろ姿に、心の中でもう一度お礼を言う。
さて。
まずは家に帰って、じっくりとこの本を見てみよう。
作るものを考えなくちゃいけないけど、とりあえず、この本の写真を見ているだけでも満足しそうな気がする。
もう一度、本の中を見ると・・・うん、美味しそう。
これなら龍之介も文句のつけようがないよね。・・・成功すれば。
帰ってから、夕飯の支度をしながら、早速、本を開いてみる。
アップルパイ3種、チェリーパイ、ナッツ類のタルト2種、チョコレートケーキとブラウニー。
どれも写真が美しい。
見ているだけで、幸せな気分になってくる。
こういうのを誰かが作ってくれたらいいよね・・・。
ふと、秋月さんが作ってる姿が目に浮かぶ。
カフェエプロンをかけて、ボウルと泡立て器を持って・・ふふ、似合いそう。
ああ・・・そうじゃなくて、今回はあたしが作らなくちゃいけないんだっけ。
どれどれ。
パイは何層にも重なったパイ生地ではなく、めん棒で丸くのばした生地をパイ皿に広げて作るようになっている。
中に切って下味をつけたりんごを入れて焼いたら終わり。
うん、いいね。
タルトは生地を焼いて型を作り、その中にキャラメル味やブラウンシュガーのソースとナッツを入れて焼く。
チョコレートケーキとブラウニーは、材料を混ぜて、焼く。
うん。
たしかに、全部 “焼いたら終わり” だ。
粉砂糖をかけるくらいはあるけど。
とりあえず、今度の土日にやってみようかな?
夕食とお風呂を済ませて、どれを作るかじっくりと検討してみる。
秋月さんが、りんごが美味しい季節だからアップルパイがいいって言ってたっけ。
材料は?
・・・・あれ?
よく考えたら、食材も必要だけど、それ以前に道具がないよ!
ボウルだって一人暮らしだから小さいのしかないし、粉ふるいとか、パイ皿とか、めん棒とか・・・。
まずは、こっちを買いに行かないと。
意外にお金がかかりそう?
もう!
龍之介があんなこと言い出すから!
・・・違うか。
拒否すればよかったんだよね。
べつに、龍之介を感心させる必要なんてないんだから。
それとも、あたし、秋月さんたちの前で、少しは女らしいところを見せたかったのかな・・・?
仕方ない。
土曜日に買いに行くか・・・。