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10 木枯らしの吹く日(3)


「楽しかったねえ。」


電車を降りて、龍之介と二人で改札口に向かう。

飲み会のあとの、いつもと同じ帰り道。


「原田さんも、秋月さんも、面白い人だねえ。」


龍之介の顔をのぞき込むようにして言うと、龍之介が笑いながら尋ねてきた。


「紫苑。いつもよりたくさん飲んだ?」


「え? そんなことないよ。」


そんなふうに見えるのかな?


「あのねえ、ワインはちょっと酔い方が違うんだよ。頭がふわふわするっていうか。」


「ふうん。」


「だけど、ちゃんと歩いてるでしょ?」


「うん。」


「だったら、大丈夫。飲み過ぎじゃないもん。」


うふふ、と笑ったら、龍之介も笑って


「そうだな。」


と言った。


そうだよ。





改札口を抜けて外に出ると、木枯らしがひゅうっと吹きつけてくる。冷たい風が火照った頬に気持ちいい。

龍之介がボタンをはめずに着ていた黒いトレンチコートが、強い風にバタバタとはためく。

暗闇の中、その黒いコートがマントのように見えて、背の高い龍之介はまるで・・・。


「龍之介。吸血鬼みたい。」


くすくす笑いながら言うと、龍之介が可笑しいのに笑いをこらえているような顔をする。


あたし、変なこと言った?

だって、面白いんだもん! 黙ってたら、もったいないよ!


「やっぱり、けっこう寒いな。」


もう一度冷たい風が吹くと、龍之介が首をすくめてつぶやいて、コートのボタンを留め始めた。

その様子を隣で見ながら、2つ目のボタンを留めているときに、ふと気付く。


「ねえ。持っててあげる。カバン。」


手を出すと、龍之介はちょっと驚いた顔をしてから微笑むと、あたしにカバンを差し出した。


「ありがとう。」


自分のバッグを左の肩にかけ、右手に持った龍之介のカバンをぶらんぶらんと前後に振りながらのんびりと歩く。

相変わらず木枯らしが吹いて、道路わきの小さな公園の木から落ちた枯れ葉がカラカラと音を立てる。

あたしはコートの上からショールを巻いているから、冷たい風も気にならない。

空は黒くて、その真ん中に欠けはじめた月が明るく輝いている。

その月をかすめながら、薄い雲が風に乗って流れていく。 ・・・月を見るのは好きだな。



そういえば、あのボタンって、いくつあるのかな?

女性用のコートだと5個くらいだよね。

龍之介は背が高いから、もっとたくさんついてるのかな?


・・・訊いてみなくちゃ。


龍之介の前に出てくるりと振り返り、後ろ向きに歩きながら尋ねてみる。


「ねえ。それって、いくつあるの?」


「え?」


「そのボタン。」


「・・・7個くらいかな。」


「ふうん。」


やっぱり、いっぱいあるね。


「ありがとう。」と言って手を差し出した龍之介にカバンを返して、そのままコートを観察する。


「ねえ。そのコートって、着るの大変そうだね。」


「そんなことないけど?」


「だって、ボタンがたくさんついてるよ。ほら。」


一つずつ指差して教えてあげる。


「肩でしょ、ポケットでしょ、それにここ・・・。あと、後ろにもあるよ。」


龍之介はパタッと立ち止まって、あたしをまじまじと見た。

それから、さっと拳を口元に当てると一度あたしから目をそらし、咳払いをしてからこっちを向いた。


「全部、飾りだよ。」


「でも、酔っ払ってると、間違えちゃうかもよ。」


龍之介がくすくす笑ってる。


「酔っ払ってるって、今の紫苑みたいに?」


「あたしは酔っ払ってないもん。ちゃんと歩けるんだから。」


「・・・そうか。」


「うん。そうだよ。」


あたしは自分でちゃーんと飲む量を管理できるんだから!




あたしの住むマンションまでは7、8分。のんびりてくてく歩くのが心地いい。

道路の端に積もった落ち葉を踏んでみたら、カサカサと音がする。

蹴散らしてみようとしたら、靴が脱げそうになってやめた。


「もう2年、だな。」


「んー?」


つぶやくような龍之介の言葉に、素早く反応ができない。


「こうやって紫苑を送るようになってから、2年経ったんだな、と思って。」


「ああ・・・そうだよね。」


本当に、早いものだよね。


「いつもありがとうございます。お陰さまで、毎回、安心してお酒が飲めます。」


深々と頭を下げてから、起き上がって龍之介を見たら、またくすくす笑ってる。

龍之介、楽しいんだね。

あたしも楽しくなって、一緒にふふふ、と笑ってしまう。


「いいよ、どうせ帰り道だから。・・・でも、たまには違うお礼があってもいいかもな。言葉じゃなくて。」


「ああ、そうだよね。何か欲しいものはある?」


「べつに、特別な物が欲しいわけじゃないけど。」


龍之介が喜ぶものって何だろう?

何か、龍之介にピッタリのもの。


「うーん、何がいいかな?」


今みたいにふわふわした頭じゃ、あんまりよく考えられないや。


「今度、考えておくね。」


横から龍之介の顔をのぞき込んで言うと、龍之介はまたくすくすと笑ってうなずいた。


龍之介がもらったらすごく嬉しいものって、何だろうね?




「さむ・・・。」


相変わらずひゅうひゅうと吹き付ける風に、龍之介がいかにも寒そうに首を縮める。

短いツンツン頭は、耳も首も本当に寒そう。

風邪を引いたりしないといいけど。


じっと見ていたあたしと目が合うと、龍之介は、今度は笑わずに目をそらして前を向いた。

それから。


「こういうときって、普通、『寒いからコーヒーでも。』とか言ったりするらしいよ。」


こういうとき?


ああ。

寒い日に送ってもらったときってこと?

一般的に、そういうことになってるの?

知らなかった・・・。


「そんなことしたら、帰るのが遅くなっちゃうのにねえ?」


龍之介がぱっとあたしを見た。

その顔は・・・困ってる? 驚いてる? でなければ、何か情けない・・・?

それから、笑った。

とても楽しそうに。


「うん、そうだな。」


話している間に、そこはあたしのマンションの前。

そのまま立ち止まって、龍之介と向かい合うように立って、顔を見上げる。


「それに、早く帰ってあったかいお風呂にでも入る方がいいよね?」


「うん。たしかにそうだよな。」


龍之介のこういう笑いを見るのは好きだ。

あたしも楽しいよ。


立ち止まっているあたしたちに、また木枯らしが吹き付けて、龍之介がまた寒そうに首を縮める。


ああ、そうだった。

龍之介はいつも、あたしが中に入るまで見ていてくれる。

あたしがいつまでもここで話をしていたら、龍之介は帰ることができないんだ。


「じゃあ、またね。いつもありがとう。気を付けて帰ってね。」


手を振って、急いで玄関の一つめのガラスのドアを通り抜ける。

そこで振り返ったら、玄関のあかりが届くぎりぎりのあたりでポケットに手を突っ込んで立って、こっちを見ている龍之介。・・・やっぱり寒そう。


そうだ!


すぐにドアを開けて引き返し、不思議そうな顔をしている龍之介を見上げる。


「龍之介。ちょっとちっちゃくなって。」


言いながら、自分の肩に掛けていた白黒の千鳥格子のショールをはずす。

それを、かがんだ龍之介の頭に、えいっと被せた。


「え? いいよ。」


恥ずかしがって体を引こうとする龍之介を、「いいから。」と、被せたショールの左右を握って阻止。


「電車に乗って帰るわけじゃないでしょ? それに、この時間だから、外を歩いてても誰にも会わないよ。」


そのままぐるぐると首にもショールを巻き付けて、はしっこを結ぶ。

出来上がった姿を見たら、そんなに変じゃなかった。


「・・・あったかい。」


恥ずかしそうな顔をしたまま、龍之介がぼそりとつぶやく。


「でしょ?」


ほらね。

あたしだって、龍之介の役に立てるんだから。


嬉しくなって思わず笑顔になると、龍之介も笑顔になった。

そのまま、龍之介はすっと屈んであたしと間近に顔を見合わせると・・・コツン、とおでことおでこがぶつかる。


「?!」


頭突きされた?!

なんで?!


「痛いよ。」


驚いて文句を言うあたしを、立ち上がった龍之介が笑ってる。

意味分かんない!


「ありがとう、紫苑。」


もう一度屈んでささやくようにそう言うと、龍之介はくるりと背を向けて、軽く手を上げて歩き出す。


「うん。じゃあね。」


その背の高い後ろ姿を見送って、あたしもマンションの玄関へ。


・・・でも。


エレベーターを待ちながら、何となく、違う、と思った。


なんだろう?

バッグはちゃんと持ってるし。


エレベーターが到着して、扉が開き始めたとき、視界の隅で何かが動く気配。

つられて入り口の方を見たら・・・龍之介がにこにこと手を上げて合図した。

あたしが被せてあげたショールは頭からは取り払われて、首と肩だけにしか掛かっていなかったけれど。


あたしも龍之介に手を振る。



そうだ。

これだ。


これが正解。


あたしと龍之介のバイバイは、いつもこうだよね!







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