表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

舞~平助と真子~

掲載日:2026/03/18

時は幕末——。

新選組に、とある秘密を抱えた剣士が入隊する。その名も「三浦護」。

藤堂平助を中心に、今、新選組の日常が始まる――。


【登場人物】

藤堂平助

三浦護

三浦常次郎

三浦恒太郎

永倉新八

(沖田総司)

瑠璃

真之介

(伊東甲子太郎)


( )の所は名前のみ登場している

 初めてあの子と言葉を交わしたのは、菜の花が満開の時期だった。


 時は幕末——。ある日の朝、突然あいつが現れたのは慶応(けいおう)2年の冬だった。


 ある日の朝のこと。西本願寺(にしほんがんじ)の門の前でボロボロの姿で寝ていた者がいた。その名は「三浦護(みうらまもる)」と言う。数年前に新選組(しんせんぐみ)に入隊していた三浦常次郎(つねじろう)と三浦恒太朗(こうたろう)の親戚であり、とある事情を抱えながら相模(さがみ)からやって来たそうだ。怪しげな身なりであったにも関わらず二人の親戚だと確認が取れた理由は、(まもる)新選組(しんせんぐみ)から直接送った手紙と三浦恒太郎(こうたろう)が手掛けた刀を持っていたから。こうして、(まもる)新選組(しんせんぐみ)に迎え入れることとなった。

 三浦護(みうらまもる)は努力家で冷静沈着(れいせいちんちゃく)な性格であり、他の隊士と何も変わらない見た目をしているが、たった一つだけ問題がある。それは口が聞けないこと。そう、(まもる)は人と話すことができなかった。恐らく、自分自身で抱えきれない(ほど)の強い衝撃(しょうげき)を受けたことによる精神的なことが原因で、一切の言葉を話すことができなくなっていたと考えられていた。

 新選組(しんせんぐみ)には、生まれた時から剣士になることを約束された若者や、そもそも農民育ちで刀を一切持ったことのない者まで様々な人間が集結している。それこそ平助自身も農民出身だが、幼い頃から北辰(ほくしん)一刀流の道場に通っていた。免許を皆伝(かいでん)する目前、偶然にも新選組(しんせんぐみ)の隊士募集の貼り紙を目にした平助は、道場へ通うことをあっさりと辞めて、新選組(しんせんぐみ)に入隊した。そして数々の戦闘(せんとう)では、平助は自ら先陣(せんじん)を切り、常に誰よりも真っ先に敵に突っ込んだ。こうして、新選組(しんせんぐみ)の中で五本指に入るほど強いとされた彼は、隊士から「(さきがけ)先生」や「藤堂先生」と呼ばれるようになった。

 さて、新しくメンバーを追加したのは良いが、もし(まもる)が全く剣を持ったことがないとすると、(いち)から(きた)えなければならない。しかも、その稽古(けいこ)をしなければならないのは、決まって藤堂平助(とうどうへいすけ)沖田総司(おきたそうじ)だ。年齢が近いと言う理由で…。

 どうやら、(まもる)は道場の家系に生まれたこともあり、基本的な剣術は身についていたようだ。三浦常次郎(つねじろう)の親戚ということもあって、舞風(まいかぜ)派一刀流という剣術の出身であるそうだが、平助はそのような剣術を聞いたことがなかった。もしかすると、どこか有名な流派から派生した剣術なのかもしれない。

 それはそうと、舞風(まいかぜ)派一刀流という剣術は平助が想像していた以上に素晴らしいものだった。桜吹雪と共に舞っているようで、それが巫女(みこ)()いを見ているように優雅(ゆうが)だった。まるで、(つぼみ)から花を咲かせたような、そんな可憐(かれん)さを感じた。


 その日の夜。(まもる)をどこの隊に所属させるか緊急会議が行われた。当時、三浦常次郎(つねじろう)永倉新八(ながくらしんぱち)が率いる二番隊に配属されていたため、(まもる)も二番隊に配属させるはずだった。しかし、新八(しんぱち)の部隊と沖田総司(おきたそうじ)が隊長の一番隊は他の部隊と違って、少し危険な仕事を任せるときに最前線で戦うことが多く、入隊したばかりの(まもる)ではその責任が重すぎるのではないかと考えた。その結局、隊長の中で最も年齢が近い平助の八番隊に配属することになった。

 (まもる)は声が出せないこともあり、他の隊士と連携が取れないことを考慮して、(まもる)には呼子笛(よびこぶえ)が支給された。護は呼子笛(よびこぶえ)を手に入れたその日から笛を吹く練習をしていた。刀剣を大事に手入れするかのように、その呼子笛(よびこぶえ)も一切の傷を付けまいと、使ったその日には必ず手入れを行うようになった。


 いつものように数人がかりで京都の町を見廻(みまわ)りをしていくのが、今回は八番隊をさらに二手に分けて見廻(みまわ)りをすることになった。とある旅館で、日本刀などの骨董品(こっとうひん)を違法な値段で外国に取引されているとの情報が入った。そのため時間をかけて一つひとつ旅館を探していくよりも、効率が良いと判断したためである。そして、(まもる)は藤堂平助隊長と同じ班になった。

 その日は(まもる)にとって初めての死番(しばん)だった。死番(しばん)とは、死番(しばん)に当たった隊士は、その日は全て危険な場所へ一番初めに突撃しなければならない制度である。ただ、本来なら研修期間を終えた者から次々に死番(しばん)を交代していくのだが、ここ最近は死番(しばん)を担当する隊士が病気のため欠席者が目立つようになった。実際は仮病だが。

 仕方がないので、その日は平助が死番(しばん)を務めるはずだった。しかし、(まもる)の場合は剣術の経験が豊富であるため、誰よりも早く入隊の許可が下りた。そして、死番(しばん)(まもる)が務めることになった。

 (まもる)は勢いよく扉を開けた。案の定、(おそ)かってくる剣士がいたが、彼は全ての剣を()けた。そして、躊躇(ためら)うこともなく次々と容赦(ようしゃ)なく切り伏せていく。実践の経験は全く無いと聞いていたのだが……。


 もちろん、毎日が稽古(けいこ)の訓練や京都の徘徊(はいかい)で終わるわけでない。死番(しばん)と同じように、給仕(きゅうじ)係や掃除係も交代制である。

 ある日の早朝のこと。その日、護は給仕係だった。朝食の時間は必ず朝五つ※と決めていたので、護たちはそれよりも早く起床し、朝食の準備を始めた。今日の朝食の献立(こんだて)は、白いご飯に屯所(とんしょ)の庭で採れた大根の漬物、汁物は小松菜と豆腐の味噌汁(みそしる)の三品である。


 グツグツ、コトコト、トントン


 護は出汁(だし)を取るための小魚を鍋から取り出し、手際(てぎわ)()く小松菜や(ねぎ)、豆腐を切ると、沸々(ふつふつ)とお湯が()く鍋の中へと材料を入れた。そして、ちょっと贅沢(ぜいたく)白味噌(しろみそ)赤味噌(あかみそ)を溶くと、熱々の味噌汁(みそしる)が完成した。ちょうどその頃、ご飯も()き上がったみたいなので、それぞれ皿に盛り付ける。最後の仕上げに大根の漬物を添えると、朝食が完成した。作りたてのご飯は食欲をそそる。(まもる)たちは他の隊士が起きてくる前に、一足先に朝食を楽しんだ。

 朝五つ※を知らせる(かね)が鳴り、寝起きの隊士たちがぞろぞろと朝食を食べに大広間に集まる中、なぜか平助は来なかった。しばらく待ち、次々と隊士たちがご飯を食べ終え台所へ向かっていく食器を洗う者もいたが、平助は一向に部屋から出てこなかった。仕方なく、(まもる)は平助を迎えに行った。

 (まもる)は隊士を呼ぶときに、今までは小鼓(こつづみ)太鼓(たいこ)をたたいて知らせていた。それから部屋で作業をしていた隊士には、「ご飯の時間です」と書いた半紙を持っていった。


「昨日は、久しぶりに借りてきた小説を読んでいたら夢中になっちゃって、気がついた頃には寝る時間をとっくに過ぎていたんだ…。悪いけど、あとちょっと寝かせて。」


 そう言って平助はミノムシのように布団にもぐり込んだ。

 (まもる)は少しの間考えて、あることを思い付いた。呼子笛(よびこぶえ)を取り出すと、平助の掛け布団をひっぺ返し、耳元で呼子笛(よびこぶえ)を鳴らした。「飯の時間だ。さっさと起きろ。」とでも言うかのように。


「み、耳が壊れる……。今、行くから勘弁して…。」


 その日から食事の時間になると、(まもる)が給仕係のときは、寝起きの平助や西本願寺(にしほんがんじ)の中庭でいつまでも稽古(けいこ)している隊士など、時間になっても大広間に来ない隊士たちを呼子笛(よびこぶえ)で呼ぶようになった。隊士たちの間では絶対に護を怒らせてはならないという暗黙(あんもく)のルールが広まり、いつしか(かね)が鳴った瞬間には必ず全員が大広間に集合するようになった。


――季節は巡り、気が付けば春になっていた。慶応(けいおう)3年の午後のこと。

 その日は、たまたま平助も(まもる)も非番だったため、(まもる)を京都の町へ散歩に連れ出すことにした。(まもる)稽古(けいこ)の時間以外にもたった一人で稽古(けいこ)していることが多く、ほとんど京都へ出かけようとしなかった。

 無理に連れ出すのは骨が折れるが、きっと(まもる)には良い機会になると平助は考えた。せめて花や景色を堪能(たんのう)してもらいたいのだが、かなり嫌そうな表情をしていた。このままでは連れ出すどころか機嫌が悪くなる一方だと思い、平助はあることを提案した。


「……久しぶりに、手合わせするか。」


 (わず)かに護の口角の端が上がった。見間違えだろうか。京都の町へ連れ出すのは、きっと成功なのだろう。

 道端に生えるタンポポに、ほんのり暖かくなった風。冬が明けて暖かくなった街並みは、いつもより店が繫盛(はんじょう)しているようにも見えた。屋台で買った三色団子を片手に、(まもる)と一緒に日当たりの良さげな石造りの階段に腰かけた。


(まもる)、その団子、うまいだろ。この町で一番うまくて有名な老舗(しにせ)甘味処(かんみどころ)の団子なんだ。今日は遠慮せずに食べろ。」


 (まもる)は恐るおそる三色団子を口にすると、今までにない程の笑みを浮かばせた。


「うまい。」


 ……勘違いだろうか。護がしゃべったような気がしたが…?


 その時だった。突然、どこからか子供の泣き声や大人のざわざわした騒ぎ声が聞こえてきた。声の源へ向かうと、そこにいたのは道の脇に倒れている男の姿と、泣きながら男の肩を揺さぶる小さな女の子だった。親子なのかもしれない。


「っお父さん!お父さん…………‼」


 必死で女の子は、父に呼びかけるも男に反応がなかった。恐らく()くなっているのだろう。隣りにいた護に振り返ると、なぜか(かす)かに(ふる)えていた。(まもる)は必死に自身の腕を押さえつけていたが、どう見ても動揺(どうよう)が隠しきれていなかった。様々な戦闘(せんとう)遺体(いたい)は見慣れているはずなのだが?

 なぜこのような惨状(さんじょう)になってしまったのか。一部始終を見ていた人たちの話によると、身なりからして、かなり位の高そうな身分の(さむらい)は馬車で移動していたのだが、その進行通路を(ふさ)ぐように立っていたのがその子供だった。けれど、ここは京都の町。大通りを出ないかぎり、狭い通路が続いていくのは当然で、特にこの辺りは道が入り組んでいる地帯だった。通路を(ふさ)いでしまったのは仕方のないことではあるが、その(さむらい)にとっては許せなかったようで、その子供に向けて刃を下ろした。その子供の父親が慌てて子供を庇うが、斬られてしまったのだと言う。

 その名を「()()御免(ごめん)」という。まさか実際に使っている奴がいたとは…。

 このように、身に覚えのない罪や(なす)り付けられた冤罪(えんざい)のせいで命を落とすことがある。そして、このような被害者を生み出さないように取り締まるのが新選組(しんせんぐみ)である。だから、その問題の(さむらい)たちを追跡し捕えるため、見廻(みまわ)りに来ているはずの新選組(しんせんぐみ)を呼ぶよう(まもる)に指示を出した。(まもる)呼子笛(よびこぶえ)を取り出すと、力いっぱい吹いた。その呼子笛(よびこぶえ)は町中に響いた。

 平助は一刻も早く探し出すために、目撃者が話してくれた(さむらい)の特徴を一人ひとり確認していく。ほどなくして、その(さむらい)を見つけ出すことができたが、厄介なことに従事者らしき者や熟練な剣士も何人か混ざっていた。一人ひとり捕えるのは骨が折れそうなので、仕方なくその場にいた全員の息の根を止めた。

 しばらくして、沖田総司(おきたそうじ)が率いる一番隊が駆けつけ、それぞれ隊士は侍たちの遺体の処理や目撃者の証言を集め始めた。ふと、平助は(まもる)の姿がどこにもないことに気付いた。


「そういえば、(まもる)はどこに行ったんだ?」

「それなら、父親の遺体を寺へ担いでいきましたよ。女の子も一緒に。」

「そうか…。」


 仕事を終わらせて、平助は(まもる)と女の子がいる寺へ向かった。寺へ着いた頃には夕七つ※を過ぎていた。寺の中庭には住職と(まもる)、女の子がいて、その側で煙が上がっていた。しばらくの間、平助はもくもくと上がる煙と3人の背中を眺めていた。


「ここでは火葬にするんだね。」

「うん。火葬だけど骨は少し残ると思う。父親の骨を一部、さっきの女の子に持たせた。」

「なぜ、あんなことをしたの?」

「あの子、肉親は父親しかいないみたい。一人ぼっちにならないようにしてあげたかった。」

「そっか。そんなことまで考えていたのか…。」


 平助はどうしても聞きたいことがあった。さきほどの状況を見て動揺(どうよう)していたことが、少し気掛かりだった。もしかしたら、親子が影響しているのかもしれない。

すると、(まもる)が口を開いた。


「藤堂先生、言わなければならないことがあって…。」


 だけど、(まもる)は話すことを少し躊躇(ためら)っているようにも見えた。だから平助は、あることを提案する。


「無理して話した所で内容がまとまらないだろうから、話すのは後で構わない。それより先に連れていきたい場所がある。良いかな?」


 町を離れて坂を上った先に、満開に咲き誇る金色の光が見えてきた。菜の花畑だった。


「どうしても、(まもる)にこの景色を見てほしかったんだ。住み慣れた場所から、突然知らない土地で暮らすのはかなり辛いと思う。私も京都に来たばかりはそうだった。だから少しは気分転換になるかなって思って、(まもる)に見てほしかったんだ。」


 平助の思惑(おもわく)通り、(まもる)は目をキラキラさせて菜の花畑を眺めていた。連れてきたかいがあったみたいだ。

しばらくして、(まもる)は話す決心がついたようだ。


「話せば長くなるけれど、藤堂先生なら話します。どうか秘密を守ってくれますか?」


◇◇◇◇◇


――元治(げんじ)1年の春。

 三浦恒太朗(こうたろう)など、複数人の刀鍛冶(かたなかじ)が新選組の専属として迎えられた。ほどなくして、三浦常次郎(つねじろう)と名乗る剣客も入隊した。しかし、病弱であった恒太朗(こうたろう)を心配して、後から兄弟と名乗る常次郎(つねじろう)が駆けつけたのだ。

 恒太朗(こうたろう)の作る刀剣はどれも一級品で、熟練の剣士が扱えば一生壊れることなく持ち主を守ってくれるという…。その分、値も上がってしまうのだが。それはさておき、新選組(しんせんぐみ)の隊士の一人がこの情報を聞きつけ、恒太朗(こうたろう)に入隊してもらえないかどうかを話し合った。その結果、常次郎(つねじろう)も入隊させることを条件に二人は新選組(しんせんぐみ)の一員となったのだ。

 凄腕の刀鍛冶として一躍名声を挙げた恒太朗(こうたろう)ではあったが、若くしてこの世を去ってしまった。その後、後を追うようにして常次郎(つねじろう)も亡くなった。二人とも、結核が原因だった。

 ただ、屯所(とんしょ)の奥の部屋で療養していた恒太朗(こうたろう)と違って、常次郎(つねじろう)は結核と判断された後、行方が分からなくなってしまった。

 恒太朗(こうたろう)が亡くなった後、彼が残した(わず)かな刀剣はまたたく間に値が上がり、その価値として、一本で数百両※まで上がった。それでも、誰もが喉から手が出る程欲しがった。中には闇市で違法に取引されたり、恒太朗(こうたろう)常次郎(つねじろう)の実家である(まもる)たちの道場まで押しかけたりする者まで現れた。危機感を察知した護の母、瑠璃(るり)は、闇市で売買されてしまった刀剣を除き、全ての刀剣を蔵の中で保管することにした。


 時は巡り、慶応(けいおう)2年になっていた。冬だった。

 いつものように、(まもる)瑠璃(るり)は食材を買いに出掛けた。その日は一段と寒かったため、晩ご飯は体の芯から温まる鍋にしようと白菜や大根など、様々な食材を買い込んだ。その帰り道のことだった。(かど)を曲がった所に道場が見えてくるのだが、その一歩手前で見知らぬ黒ずくめの男たち立ち止まっていた。


「お前たちは、三浦恒太朗(みうらこうたろう)の刀を持っていると聞いた。間違いないか。」


 どこで仕入れた情報なのか検討もつかなかったが、間違いなく恒太朗(こうたろう)の刀を狙っていたことだけは瞬時に理解できた。その瞬間、背後から刀を抜く音が聞こえた。瑠璃(るり)は太刀打ちすることもできず背中をばっさり()られ、その場に倒れた。あまりにも一瞬の出来事であったため、護は思考が追いつけなかった。


「か、母さん……?」


 どれだけ体を揺らしても、呼びかけても瑠璃(るり)は目を覚ますことはなかった。


「ねえ、起きてよ…!お願い、誰か助けて……」


 男たちは瑠璃(るり)が息をしていないことを確認すると、一人の(さむらい)が自身の腕を斬った。その間にお奉行(ぶきょう)さんを呼んでいたようだった。自身の刀傷をその町奉行(まちぶぎょう)たちに見せ、信じられないような言葉を口にした。


「この子供がわしの刀を奪って()り付けてきた。その証拠に刀傷がある。」


 (まもる)は数人のお奉行(ぶぎょう)さんに取り押さえられ、気が付いた時には牢屋に入れられていた。(まもる)の父、真之介(しんのすけ)が異変に気付いた時には、(まもる)は既に奉行所(ぶぎょうしょ)に連れていかれた後だった。

 近所の目撃者の話しを頼りに真之介(しんのすけ)は道場に戻って、とある手紙と瑠璃(るり)の大事にしていた刀剣を持ち、(まもる)が捕らわれている奉行所(ぶぎょうしょ)へと全速力で走った。


(どうか、間に合ってくれ。)


 彼らの証言によると、(まもる)は母親の(かたき)()つために(さむらい)を襲ったのかもしれないと話していた。しかし、真之介(しんのすけ)はそんなことをするはずがないと確信していた。なぜなら、(まもる)が幼少期の頃から、「刀は人を守るもので、人を斬るためのものではない。」と教えてきたから。

 一方、(まもる)(さむらい)の命を狙った罪、実際には冤罪(えんざい)だが死刑に値するとされ、他の囚人(しゅうじん)とは違う牢屋に入れられていた。実行は今日(こんにち)真夜九つ※。一時※も残されていなかった。

 

 牢屋に入れられてから間もなく、扉の開く音がした。きっと刑場に連れていかれるのだろう。その時、頭の中で声が響いた。


どうか、生きて……。


 なぜ、こんな時に?

 それでも、生きることを諦めかけていた(まもる)に一筋の光が届いた。冤罪(えんざい)なんかで死ぬべきではない。私にはやらなければないことが残っている、と。(まもる)はお奉行(ぶぎょう)さんたちの手を振り切って、必死で奉行所(ぶぎょうしょ)から抜け出した。建物の影に隠れながら道場へ向かうと、その先にいたのは真之介(しんのすけ)だった。真之介(しんのすけ)(まもる)の姿を発見すると、必死で(まもる)を呼び、ある物を渡した。


「この刀剣は母さんの大切にしていたもので、これは恒太朗(こうたろう)さんが()くなったことを知らせた手紙だ。これを持って、京都へ行きなさい。」

「でも、これ大事な物なんじゃ…。」

「これさえあれば、三浦家の親戚であることを証明できるはず。いいかい?新選組(しんせんぐみ)(かくま)ってもらうためには、名前を捨てて新しい人生を進むこと。ここで生きていくよりずっと安全だけれど、今よりも過酷(かこく)な生活を強いられることになるかもしれない。それでもどうか、生き延びてほしい。約束できるね。」

「分かった。」

「さあ、行きなさい。」


 それが、父との別れだった。

 (まもる)はできるだけ人との接触を避け、日が暮れても宿には泊まらずに野宿を繰り返した。もちろん、お金を持っていたわけではなかったため、全て山草や川で釣った魚などを焼いて食いつないでいた。そして、やっとの思いで西本願寺(にしほんがんじ)に到着した。


◇◇◇◇◇


 全てを話し終えた(まもる)に、平助はある言葉を口にした。


新選組(しんせんぐみ)はいつも死と隣り合わせで、それでも最前線で戦わなければならない。だけど君は生きることを選んだ。私は、そんな(まもる)を尊敬しているよ。それこそ性別さえ偽っていたとは気づかなかったけれど。」

「すまない。」

「良いんだ。それより私は安心したんだ。君なら新選組(しんせんぐみ)を任せられるって。」


 (まもる)の頭にクエスチョンマークが浮かんでいた。分からなくて当然だろう。今から話すのだから。


「私は新選組(しんせんぐみ)を離脱する。そして、新しく結成した御陵衛士(ごりょうえじ)に入隊する。」


 いつか話さなければならないと思っていたが、ずるずると今日まで引きずってしまった。予想通り、(まもる)は目を大きく見開いて驚いていた。

 だけどこれ以上話してしまったら、新選組(しんせんぐみ)を抜け出せなくて本気で離脱できなくなってしまうだろう。できることなら新選組(しんせんぐみ)を離れたくない。

 だから、あえて話をさえぎって別の話題に変えることにした。


「偽名で新選組に入隊したんだよね。(まもる)の本当の名前を教えてくれないかな?」

真子(まこ)。真に子どもの子。」

「真の名に子と書いて真子(まこ)…。良い名前だね。」

「ぜひ、両親を褒めてくれたまえ。」

「そうする。それから、本当の名前を教えてくれてありがとう。さようなら」


 さようら。と言いかけた時には平助の姿は無かった。菜の花畑に溶け込んでしまったかのように。

 辺りはすっかり日が暮れて、夜の静寂だけと真子(まこ)だけが残されたのだった。


――慶應(けいおう)3年11月18日。ついに、その日がやって来てしまった。


 帰宅途中、伊東甲子太郎(いとうかしたろう)は待ち伏せしていた新選組(しんせんぐみ)の隊士たちに襲われ、亡くなった。その日のうちに、御陵衛士(ごりょうえじ)のもとに甲子太郎(かしたろう)の遺体が路上で放置されているとの知らせが届いた。

 夜八つ※の頃、平助たちは彼の遺体を回収するため、現場へ向かった。甲子太郎(かしたろう)の遺体を運ぼうとしたとき、銃声が鳴り響いた。建物の影に隠れていた新選組(しんせんぐみ)の隊士たちが次々と飛び出していった。その中にはかつての仲間たち、弟子の真子(まこ)、そして壬生浪士組を結成した時からずっと側にいてくれた永倉新八(ながくらしんぱち)もいた。新八(しんぱち)は、平助だけは逃がすように極秘で命じられていた。そのため、新選組(しんせんぐみ)御陵衛士(ごりょうえじ)の隊士が戦っている中、新八(しんぱち)は平助の姿を必死で探した。平助の後姿を発見すると、新八(しんぱち)は名前を呼んだ。


「平助‼こっちへ来い‼」


 けれど平助は首を横に振った。それはできない、と言うかのように。平助は争いの中に溶け込んだ。新八(しんぱち)は隊士たちの剣を避け、必死で平助を探すが、どこにもいなかった。


「ダメだ、そっちへ()くな!平助……」


 一方、平助は真子(まこ)を探していた。その時、真子(まこ)は惨状から逃げ切った御陵衛士(ごりょうえじ)の残党狩りをするため、少し離れた場所で待機していた。平助に気が付いた真子(まこ)は、思わずポツリと(つぶや)いた。


「藤堂先生……。」

「久しぶりだね、真子(まこ)。あれからもっと剣の腕前は上達したのかな。あんなに稽古していたからさ。」

「前置きはいらない。本題に入って。」

「……約束したのに、手合わせできなかったことを覚えているかな?」

「菜の花畑を見せてくれた日?」

「そう。よく覚えていたね。時間があまり残されてないから一本勝負にしよう。抜刀術(ばっとうじゅつ)で良いかな。」


 抜刀術(ばっとうじゅつ)。それは相手に剣術を悟られずに、素早く刀を抜いて一撃を与えると言うものだった。平助が最も得意とする技の一つだった。

 平助は自分が持っていた刀を(さや)に戻し、構えた。真子(まこ)も同じように刀をしまい、構えた。夜の静寂の中、二人の息の音と葉が風に揺れる音だけが響いた。

 鯉口(こいくち)を切る音がした。その音を聞き逃さなかった真子(まこ)は刀を抜き、刀を力いっぱい振った。


ズバッ!


……赤い戦慄(せんりつ)が走った。血しぶきが花のように舞った。平助は鯉口(こいくち)を切っただけで、刀を抜かなかった。平助は血を吹き出し、その場に倒れ込んだ。


真子(まこ)、刀を抜くとき少し躊躇(ためら)っていたぞ。だけど、太刀筋(たちすじ)は悪くなかった………。」


 それを言い残すと、平助は目を閉じた。その後、真子(まこ)がどれだけ体を揺すっても呼びかけても平助は目を開けることは無かった。その場で、泣き叫ぶ声だけが残された。



 あの日、初めて真子(まこ)と言葉を交わしたのは菜の花が満開の時期だった。


【用語説明】

一時…約2時間


朝五つ(辰の刻)…7:00~9:00

夕七つ(申の刻)…15:00~17:00

真夜九つ(子の刻)…23:00~1:00

夜八つ(丑の刻)…1:00~3:00


元治1年…1864年

慶応1年…1865年

慶応2年…1866年

慶応3年…1867年


ちなみに、真子が誕生したのは1849(嘉永2)年であり、新選組に入隊したときの年齢は17歳である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ