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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

舞~平助と真子~

掲載日:2026/03/18

時は幕末——。

新選組に、とある秘密を抱えた剣士が入隊する。その名も「三浦護」。

藤堂平助を中心に、今、新選組の日常が始まる――。

 始めてあの子と会話を交わしたのは、菜の花が満開の時期だった。


 時は幕末——。ある日の朝、突然あいつが現れたのは慶応2年の冬だった。


 ある日の朝のこと。西本願寺(にしほんがんじ)の門の前でボロボロの姿で寝ていた者がいた。その名は「三浦護(みうらまもる)」と言う。数年前に入隊していた三浦常次郎(つねじろう)と三浦恒太朗(こうたろう)の親戚であり、とある事情を抱えながら相模(さがみ)からやって来たそうだ。永倉新八(ながくらしんぱち)近藤勇(こんどういさみ)を除いて、その事情を知る者はいなかった。

 三浦護は努力家で冷静沈着な性格であり、他の隊士と何も変わらない見た目をしているが、たった一つだけ問題がある。それは口が聞けないこと。そう、彼は人と話すことができなかった。新八が言うには、彼には自分自身で抱えきれない程の強い衝撃を受けたことが原因で、一切の言葉を話すことができなくなっていたそう。

 新選組には、生まれた時から剣士になることを約束された若者や、そもそも農民育ちで刀を一切持ったことのない者まで様々な人間が集結している。それこそ平助自身も農民出身だが、幼い頃から北辰(ほくしん)一刀流の道場に通っていた。さて、新しくメンバーを追加したのは良いが、もし護がまったく剣を持ったことがないとすると、(いち)から鍛えなければならない。しかも、その稽古をしなければならないのは、決まって藤堂平助(とうどうへいすけ)沖田総司(おきたそうじ)だ。年齢が近いと言う理由で…。

 どうやら、護は道場の家系に生まれたこともあり、基本的な剣術は身についていたようだ。三浦常次郎の親戚ということもあって、舞風(まいかぜ)派一刀流という剣術の出身であるそうだが、平助はそのような剣術を聞いたことがなかった。もしかすると、どこか有名な流派から派生した剣術なのかもしれない。

 それはそうと、舞風派一刀流という剣術は平助が想像していた以上に素晴らしいものだった。桜吹雪と共に舞っているようで、それが巫女の舞踊を見ているように優雅だった。まるで、蕾から花を咲かせたような、そんな可憐さを感じた。


 土方歳三(ひじかたとしぞう)や近藤勇たちは護をどこの隊に配置するか話し合った。三浦常次郎はその当時、新八が率いる二番隊に配属されていたため、護も二番隊に配属させるはずだった。しかし、新八の部隊と沖田総司が隊長の一番隊は他の部隊と違って、少し危険な仕事を任せるときに最前線で戦うことが多く、入隊したばかりの護ではその責任が重すぎるのではないかと考えた。その結局、隊長の中で最も年齢が近い平助の八番隊に配属することになった。

 護は声が出せないこともあり、他の隊士と連携が取れないことを考慮して、護には呼子笛(よびこぶえ)が支給された。護は呼子笛を手に入れたその日から笛を吹く練習をしていた。刀剣を大事に手入れするかのように、その呼子笛も一切の傷を付けまいと、使ったその日には必ず手入れを行うようになった。

 いつものように数人がかりで京都の町を見廻りをしていくのが、今回は八番隊をさらに二手に分けて見廻りをすることになった。とある旅館で、日本刀などの骨董品を違法な値段で外国に取引されているとの情報が入った。そのため時間をかけて一つひとつ旅館をつぶしていくよりも、効率が良いと判断したためである。そして、護は藤堂平助隊長と同じ班になった。

 その日は護にとって初めての死番(しばん)だった。死番とは、死番に当たった隊士は、その日は全て危険な場所へ一番初めに突撃しなければならない制度である。ただ、本来なら研修期間を終えた者から次々に死番を交代していくのだが、ここ最近は死番を担当する隊士が病気のため欠席者が目立つようになった。実際は仮病だが。

 仕方がないので、その日は平助が死番を務めるはずだった。しかし、護の場合は剣術の経験が豊富であるため、誰よりも早く入隊の許可が下りた。そして、死番は護が務めることになった。

 護は勢いよく扉を開けた。案の定、襲い掛かってくる剣士がいたが、彼は全ての剣を避けた。そして、躊躇(ためら)うこともなく次々と容赦なく切り伏せていく。実践の経験は全く無いと聞いていたのだが……。


 もちろん、毎日が稽古の訓練や京都の徘徊で終わるわけでない。死番と同じように、給仕係や掃除係も交代制である。

 ある日の早朝のこと。その日、護は給仕係だった。朝食の時間は必ず朝五つ※と決めていたので、護たちはそれよりも早く起床し、朝食の準備を始めた。今日の朝食の献立は、炊きたてのご飯に屯所の庭で採れた大根の漬物、汁物は小松菜と豆腐の味噌汁の3品である。


 グツグツ、コトコト、トントン


 護は出汁を取るための小魚を鍋から取り出し、手際良く小松菜や(ねぎ)、豆腐を切ると、沸々とお湯が沸く鍋の中へと材料を入れた。そして、ちょっと贅沢に白味噌と赤味噌を溶くと、熱々の味噌汁が完成した。ちょうどその頃、ご飯も炊き上がったみたいなので、それぞれ皿に盛り付ける。最後の仕上げに大根の漬物を添えると、朝食が完成した。作りたてのご飯は食欲をそそる。護たちは他の隊士が起きてくる前に、一足先に朝食を楽しんだ。

 朝五つを知らせる鐘が鳴り、寝起きの隊士たちがぞろぞろと朝食を食べに大広間に集まる中、なぜか平助は来なかった。しばらく待ち、次々と隊士たちがご飯を食べ終え台所へ向かっていく食器を洗う者もいたが、平助は一向に部屋から出てこなかった。仕方なく、護は平助を迎えに行った。

 護は隊士を呼ぶときに、今までは小鼓や太鼓をたたいて知らせていた。それから部屋で作業をしていた隊士には、「ご飯の時間です」と書いた半紙を持っていった。


「昨日は、久しぶりに借りてきた小説を読んでいたら夢中になっちゃって、気がついた頃には寝る時間をとっくに過ぎていたんだ…。悪いけど、あとちょっと寝かせて。」


 そう言って平助はミノムシのように布団にもぐり込んだ。

 護は少しの間考えて、あることを思い付いた。呼子笛を取り出すと、平助の掛け布団をひっぺ返し、耳元で呼子笛を鳴らした。「飯の時間だ。さっさと起きろ。」とでも言うかのように。


「み、耳が壊れる……。今、行くから勘弁して…。」


 その日から食事の時間になると、護が給仕係のときは、寝起きの平助や西本願寺の中庭でいつまでも稽古している隊士など、時間になっても大広間に来ない隊士たちを呼子笛で呼ぶようになった。隊士たちの間では絶対に護を怒らせてはならないという暗黙のルールが広まり、いつしか鐘が鳴った瞬間には必ず全員が大広間に集合するようになった。


――季節は巡り、気が付けば春になっていた。慶応3年の午後のこと。

 その日は、たまたま平助も護も非番だったため、護を京都の町へ散歩に連れ出すことにした。護は稽古の時間以外にもたった一人で稽古していることが多く、ほとんど京都へ出かけようとしなかった。

 無理に連れ出すのは骨が折れるが、きっと護には良い機会になると平助は考えた。せめて花や景色を堪能してもらいたいのだが、かなり嫌そうな表情をしていた。このままでは連れ出すどころか機嫌が悪くなる一方だと思い、平助はあることを提案した。


「……久しぶりに、手合わせするか。」


 僅かに護の口角の端が上がった。見間違えだろうか。京都の町へ連れ出すのは、きっと成功なのだろう。

 道端に生えるタンポポに、ほんのり暖かくなった風。冬が明けて暖かくなった街並みは、いつもより屋台が繫盛しているようにも見えた。屋台で買った三色団子を片手に、護と一緒に日当たりの良さげな石造りの階段に腰かけた。


「護、その団子、うまいだろ。この町で一番うまくて有名な老舗の甘味処の団子なんだ。今日は遠慮せずに食べろ。」


 護は恐るおそる三色団子を口にすると、今までにない程の笑みを浮かばせた。


「うまい。」


 ……勘違いだろうか。護がしゃべったような気がしたが…?

 その時だった。突然、どこからか子供の泣き声や大人のざわざわした騒ぎ声が聞こえてきた。声の源へ向かうと、そこにいたのは道の脇に倒れている男の姿と、泣きながら男の肩を揺さぶる小さな女の子だった。親子なのかもしれない。


「っお父さん!お父さん…………‼」


 必死で女の子は、父に呼びかけるも男に反応がなかった。恐らく既に亡くなっているのだろう。隣りにいた護に振り返ると、なぜか微かに震えていた。必死に護は腕を押さえつけていたが動揺が隠しきれていなかった。様々な戦闘で遺体は見慣れているはずなのだが?

 なぜこのような惨状になってしまったのか。一部始終を見ていた人たちの話によると、身なりからしてかなり位の高そうな身分の侍は馬車で移動していたのだが、その進行通路を塞ぐように立っていたのがその子供だった。けれど、ここは京都の町。大通りを出ないかぎり、狭い通路が続いていくのは当然で、特にこの辺りは道が入り組んでいる地帯だった。通路を塞いでしまったのは仕方のないことではあるが、その侍にとっては許せなかったようで、その子供に向けて刃を下ろした。その子供の父親が慌てて子供を庇うが、斬られてしまったのだと言う。

 その名を「()()御免(ごめん)」という。まさか実際に使っている奴がいたとは…。

 このように、身に覚えのない罪や擦り付けられた冤罪のせいで命を落とすことがある。そして、このような被害者を生み出さないように取り締まるのが新選組である。だからその問題の侍を追跡し捕えるため、護に他の見廻り隊を呼ぶよう指示を出した。護は呼子笛を取り出すと、力いっぱい吹いた。その呼子笛は町中に響いた。

 平助は一刻も早く探し出すために、目撃者が話してくれた侍の特徴を一人ひとり確認していく。ほどなくして、その侍を見つけ出すことができたが、厄介なことに従事者らしき者や熟練な剣士も何人か混ざっていた。一人ひとり捕えるのは骨が折れそうなので、仕方なくその場にいた全員の息の根を止めた。

 しばらくして沖田総司が率いる一番隊が駆けつけ、それぞれ隊士は侍たちの遺体の処理や目撃者の証言を集め始めた。ふと、平助は護の姿がどこにもないことに気付いた。


「そういえば、護はどこに行ったんだ?」

「それなら、父親の遺体を寺へ担いでいきましたよ。女の子も一緒に。」

「そうか…。」


 仕事を終わらせて、平助は護と女の子がいる寺へ向かった。寺へ着いた頃には夕七つ※を過ぎていた。寺の中庭には住職と護、女の子がいて、その側で煙が上がっていた。しばらくの間、平助はもくもくと上がる煙と3人の背中を眺めていた。


「ここでは火葬にするんだね。」

「うん。火葬しても骨は少し残ると思う。父親の骨を一部、さっきの女の子に持たせた。」

「なぜ、あんなことをしたの?」

「あの子、肉親は父親しかいないみたい。一人ぼっちにならないようにしてあげたかった。」

「そっか。そんなことまで考えていたのか…。」


 平助はどうしても聞きたいことがあった。さきほどの状況を見て動揺していたことが、少し気掛かりだった。もしかしたら、親子が影響しているのかもしれない。

すると、護が口を開いた。


「藤堂先生、言わなければならないことがあって…。」


 だけど、護は話すことを少し躊躇っているようにも見えた。だから平助は、あることを提案する。


「無理して話した所で内容がまとまらないだろうから、話すのは後で構わない。それより先に連れていきたい場所がある。良いかな?」


 町を離れて坂を上った先に、満開に咲き誇る金色の光が見えてきた。菜の花畑だった。


「どうしても、護にこの景色を見てほしかったんだ。住み慣れた場所から、突然知らない土地で暮らすのはかなり辛いと思う。私も京都に来たばかりはそうだった。だから少しは気分転換になるかなって思って、護に見てほしかったんだ。」


 平助の思惑通り、護は目をキラキラさせて菜の花畑を眺めていた。連れてきたかいがあったみたいだ。

しばらくして、護は話す決心がついたようだ。


「話せば長くなるけれど、藤堂先生なら話します。どうか秘密を守ってくれますか?」


◇◇◇◇◇


――元治1年の春。

 三浦恒太朗(こうたろう)など、複数人の刀鍛冶(かたなかじ)が新選組の専属として迎えられた。ほどなくして、三浦常次郎(つねじろう)と名乗る剣客も入隊した。この二人は兄弟であり、病弱な恒太朗を心配して、後から常次郎が駆けつけたのだ。

 恒太朗の作る刀剣はどれも一級品で、熟練の剣士が扱えば一生壊れることなく持ち主を守ってくれるという…。その分、値も上がってしまうのだが。それはさておき、新選組の隊士の一人がこの情報を聞きつけ、恒太朗に入隊してもらえないかどうかを話し合った。その結果、常次郎も入隊させることを条件に二人は新選組の一員となったのだ。

 一流の刀鍛冶として名声を挙げた恒太朗ではあったが、若くしてこの世を去ってしまった。その後、後を追うようにして常次郎も亡くなった。二人とも、結核が原因だった。

 ただ、屯所の奥の部屋で療養していた恒太朗と違って、常次郎は結核と判断された後、行方が分からなくなってしまった。

 恒太朗が亡くなった後、彼が残した僅かな刀剣は誰もが喉から手が出る程欲しがった。中には闇市で違法に取引されたり、恒太朗や常次郎の実家である護たちの道場まで押しかけたりする者まで現れた。危機感を察知した護の母、瑠璃(るり)は、闇市で売買されてしまった刀剣を除き、全ての刀剣を蔵の中で保管することにした。


 時は巡り、慶応2年になっていた。冬だった。

 いつものように、護と瑠璃は食材を買いに出掛けた。その日は一段と寒かったため、晩ご飯は体の芯から温まる鍋にしようと白菜や大根など、様々な食材を買い込んだ。その帰り道のことだった。角を曲がった所に道場が見えてくるのだが、その一歩手前で見知らぬ黒ずくめの男たち立ち止まっていた。


「お前たちは、三浦恒太朗の刀を持っていると聞いた。間違いないか。」


 どこで仕入れた情報なのか検討もつかなかったが、間違いなく恒太朗の刀を狙っていたことだけは瞬時に理解できた。その瞬間、背後から刀を抜く音が聞こえた。瑠璃は太刀打ちすることもできず背中をばっさり斬られ、その場に倒れた。あまりにも一瞬の出来事であったため、護は思考が追いつけなかった。


「か、母さん……?」


 どれだけ体を揺らしても、呼びかけても瑠璃は目を覚ますことはなかった。


「ねえ、起きてよ…!お願い、誰か助けて……」


 男たちは瑠璃が息をしていないことを確認すると、一人の侍が自身の腕を斬った。その間に町奉行(まちぶきょう)を呼んでいたようだった。自身の刀傷を町奉行に見せると、信じられないような言葉を口にした。


「この子供がわしの刀を奪って斬り付けてきた。その証拠に刀傷がある。」


 護は数人の町奉行に取り押さえられ、気が付いた時には牢屋に入れられていた。護の父、真之介(しんのすけ)が異変に気付いた時には、護は既に奉行所に連れていかれた後だった。

 近所の目撃者の話しを頼りに真之介は道場に戻って、とある手紙と瑠璃の大事にしていた刀剣を持ち、護が捕らわれている奉行所へと全速力で走った。


(どうか、間に合ってくれ。)


 彼らの証言によると、母親の仇を討つために侍を襲ったのかもしれないと話していた。しかし、真之介はそんなことをするはずがないと確信していた。なぜなら、護が幼少期の頃から、「刀は人を守るもので、人を斬るためのものではない。」と教えてきたから。

 一方、護は侍の命を狙った罪、実際には冤罪(えんざい)だが死刑に値するとされ、他の囚人とは違う牢屋に入れられていた。実行は今日(こんにち)真夜九つ※。一時※も残されていなかった。

 

 牢屋に入れられてから間もなく、扉の開く音がした。きっと刑場に連れていかれるのだろう。その時、頭の中で声が響いた。


どうか、生きて……。


 なぜ、こんな時に?

 それでも、生きることを諦めかけていた護に一筋の光が届いた。冤罪なんかで死ぬべきではない。私にはやらなければないことが残っている、と。護は、町奉行の手を振り切って必死で奉行所から抜け出した。その先にいたのは真之介だった。真之介は護の姿を発見すると、必死で護の名前を呼んだ。二人は建物の陰に隠れて、真之介は護にある物を渡した。


「この刀剣は瑠璃の大切にしていたもので、これは恒太朗さんが亡くなったことを知らせた手紙だ。これを持って、京都へ行きなさい。」

「でも、これ大事な物なんじゃ…。」

「これだけあれば、三浦恒太朗の親戚であることを証明できるはず。いいかい?新選組に入隊したいことだけを伝えるんだ。それから名前も捨てなさい。何があっても生き続けること、約束できるね。」

「分かった。」

「さあ、行きなさい。」


 それが、家族との別れだった。

 護はできるだけ人との接触を避け、日が暮れても宿には泊まらずに野宿を繰り返した。もちろん、お金を持っていたわけではなかったため、全て山草や川で釣った魚などを焼いて食いつないでいた。そして、やっとの思いで西本願寺に到着した。


◇◇◇◇◇


 全てを話し終えた護に、平助はある言葉を口にした。


「新選組はいつも死と隣り合わせで、それでも最前線で戦わなければならない。だけど君は生きることを選んだ。私は、そんな護を尊敬しているよ。それこそ性別さえ偽っていたとは気づかなかったけれど。」

「すまない。」

「良いんだ。それより私は安心したんだ。君なら新選組を任せられるって。」


 護の頭にクエスチョンマークが浮かんでいた。分からなくて当然だろう。今から話すのだから。


「私は新選組を離脱する。そして、新しく結成した御陵衛士(ごりょうえじ)に入隊する。」


 いつか話さなければならないと思っていたが、ずるずると今日まで引きずってしまった。予想通り、護は目を大きく見開いて驚いていた。

 だけどこれ以上話してしまったら、新選組を抜けたくなくなって本気で離脱できなくなってしまうだろう。できることなら新選組を離れたくない。

 だから、あえて話をさえぎって別の話題に変えることにした。


「偽名で新選組に入隊したんだよね。護の本当の名前を教えてくれないかな?」

真子(まこ)。真に子どもの子。」

「真の名に子と書いて真子…。良い名前だね。」

「ぜひ、両親を褒めてくれたまえ。」

「そうする。それから、本当の名前を教えてくれてありがとう。さようなら」


 さようら。と言いかけた時には平助の姿は無かった。菜の花畑に溶け込んでしまったかのように。

 辺りはすっかり日が暮れて、夜の静寂だけと真子だけが残されたのだった。


――慶應3年11月18日。ついに、その日がやって来てしまった。


 帰宅途中、伊東甲子太郎(いとうかしたろう)は待ち伏せしていた新選組の隊士たちに襲われ、亡くなった。その日のうちに、御陵衛士のもとに甲子太郎の遺体が路上で放置されているとの知らせが届いた。

 夜八つ※の頃、平助たちは彼の遺体を回収するため、現場へ向かった。甲子太郎の遺体を運ぼうとしたとき、銃声が鳴り響いた。建物の影に隠れていた新選組の隊士たちが次々と飛び出していった。その中には真子や新八もいた。新八は近藤勇に平助だけは逃がすように極秘で命じられていた。新選組と御陵衛士の隊士が戦っている中、新八は平助の姿を発見し、名前を呼んだ。


「平助‼こっちへ来い‼」


 けれど平助は首を横に振った。それはできない、と言うかのように。平助は戦いの中に溶け込んだ。新八は隊士たちの剣を避け、必死で平助を探すがどこにもいなかった。


「ダメだ、そっちへ逝くな!平助……」


 平助は真子を探した。真子は惨状から逃げ切った御陵衛士の残党狩りをするため、少し離れた場所で待機していた。


「藤堂先生……。」

「久しぶりだね、真子。あれからもっと剣の腕前は上達したのかな。あんなに稽古していたからさ。」

「前置きはいらない。本題に入って。」

「……約束したのに、手合わせできなかったことを覚えているかな?」

「菜の花畑を見せてくれた日?」

「そう。よく覚えていたね。時間があまり残されてないから一本勝負にしよう。抜刀術(ばっとうじゅつ)で良いかな。」


 そして平助は自分が持っていた刀を鞘に戻し、構えた。真子も同じように刀をしまい、構えた。夜の静寂の中、二人の息の音と葉が風に揺れる音だけが響いた。

 鯉口(こいくち)を切る音がした。その音を聞き逃さなかった真子は刀を抜き、刀を力いっぱい振った。


ズバッ!


……赤い戦慄が走った。血しぶきが花のように舞った。平助は鯉口を切っただけで、刀を取り出さなかったのだ。平助は血を吹き出し、その場に倒れ込んだ。


「真子、刀を抜くとき少し躊躇っていたぞ。だけど、太刀筋は悪くなかった………。」


 それを言い残すと、平助は目を閉じた。その後、どれだけ体を揺すっても呼びかけても平助は目を開けることは無かった。その場で、泣き叫ぶ声だけが響いた。



 あの日、始めて真子と会話を交わしたのは菜の花が満開の時期だった。


【用語説明】

一時…約2時間


朝五つ(辰の刻)…7:00~9:00

夕七つ(申の刻)…15:00~17:00

真夜九つ(子の刻)…23:00~1:00

夜八つ(丑の刻)…1:00~3:00


元治1年…1864年

慶応1年…1865年

慶応2年…1866年

慶応3年…1867年


ちなみに、真子が誕生したのは1849(嘉永2)年であり、新選組に入隊したときの年齢は17歳である。

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