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第6話 緊張してる

 扉がノックされる音が聞こえた。


「千鈴さん、入ってもよろしいですか?」

「う、うん。いいよ」

「お邪魔します」


 入ってきた晴乃さんは相も変わらずメイド服だった。お風呂上りなのか髪は半乾き状態のまま、頭に乗せたタオルで今もまだ拭いてる。

 私は既にパジャマへ着替え、髪も乾かしきっている。長袖だが薄手のパジャマ、十分に暖かくなったこの頃の夜にはちょうどいい。


「遅くなりました。思ったよりも時間がかかってしまいました」

「ううん、大丈夫。髪も乾かしてからでもよかったのに」


 もっとゆっくりでもいいよとフォローするつもりだったのだけど、晴のさんはきまりの悪そうな顔をする。


「見苦しい姿ですみません。千鈴さんは明日も学校ですので、夜更かしにならないようにと気が急ぎ過ぎました」

「せ、責めてるわけじゃないよ!……もしよければだけど私が乾かそうか?ドライヤーもあるし」


 この提案をしたのは晴乃さんのためを思ってでもあるけど、少しばかりの下心もある。


「そんな、悪いですよ。使用人の立場でもありますし……」

「もう今日のお仕事は終わったんでしょ?今の晴乃さんは私の献属としての立場。パートナーが風邪でも引いたら悲しいかな」

「それはそうですが……」

「それにね、実はまだ心の準備というか……もう少しお喋りしたい気分なんだけどダメかな?」


 逆にこちらからお願いすると困った顔で笑ってくれた。気を使わせないための方便だと思われたのかもしれない。実際は嘘偽りない本音なのだけど。


「それではお言葉に甘えます」

「うん! こっちに来て座って」


 部屋にはカーペットが敷かれていて、直接床へ座ることができる。ガラス張りの小さな座卓テーブルの前へ晴乃さんを座らせる。棚に閉まってあったヘアドライヤーを取り出し彼女の後ろへ回り込んだ。


「私、実は他人の髪を乾かすの得意なの。昔はよく舞里にしてあげたし」

「意外とお姉さんしていたんですね」

「私も小さいころにお姉さまにしてもらってたから。だから妹には私がやってあげるんだって決めてたの」


 髪に触れると水気はだいぶ無くなっているけど、濡れてしっとりた感触が伝わる。優しく持ち上げるようにして、温風を当て始めた。


「熱くない?」

「大丈夫です。心地いいですよ」

「短いからすぐに乾きそうだね。ちょっとうらやましいかも」

「千鈴さんには長髪がよく似合ってますよ。私はただ手入れが面倒なので短くしてるんですよ。家政婦をするようになってからは特に短髪で助かってます」


 確かに長い髪は手入れが大変だ。面倒で髪型を決めてると言ってるが、私も晴乃さんのその髪型はよく似合ってると思う。涼やかな目つきと相まって清涼感がある。


「家政婦で思い出したけど、なんでメイド服なの? やっぱり急な事で着替えとかないなら、貸した方がいい?」

「いえ、これは司さんの指示なんです。何でもこの服は吸血にとても都合がいいのだとか。皺がつきにくく、汚れが良く落ち、脱がせ易いらしいんですよ。あっ、これは働いていた時のとは別の洗濯済みの物ですよ」

「へー、……ぬっ、脱が!? ……何て?」


 髪が渇き始めた頃合いで、そろそろ冷風に変えようかなと考えていた時だった。


 理解の外の単語に聞き間違いかなと思ってしまう。脱ぎ易さだったかもしれない。吸血に関係あるかはわからないけど、それなら服の評価としては無くない。


「脱がせ易さです」

「……脱がせるの? 誰が?」

「それは吸血する側の人がです。この場合、千鈴さんが」

「そんなことしないよ!?」

「しないんですか? まあ私から脱いでもいいんですが」


 何故前提のように話すのだろうか。晴乃さんも吸血された経験など無いはずなんだけど。私との保健室での一件なんかは回数に入らない。


「何をそんなに驚いているのですか?」

「脱ぐ必要が分からないよ……」

「そうですか? 司さんからは、吸血人の方は首筋から吸うことを好まれると伺ってますよ。私としても骨だらけの手とかよりも、肉の有る首や肩からの方がいいのでは思いました」

「そ、そうかな……そうかも」


 正直吸い方なんてまるで考えてなかった。漠然とした認識しかなくて具体的なイメージなんかまるでない。


 そういえば聞き流していたけど、司さんが晴乃さんへレクチャーしたって言ってたっけ。どうせなら私にも教えてくれたらよかったのに。心の中で見当違いな難癖をつける。


「どうですか、そろそろいいんじゃないですか?」

「うえぇっ、もう!?」


 まだ全然覚悟が決まってない。もうしなければいけないのか。驚きすぎてドライヤーを落としそうになった私をクスクスと笑う晴乃さん。


「違いますよ、髪の話です。仰っていた通りお上手でした」

「あぁ……うん。そうだねもういいかも」


 気づかぬ内に既に髪は乾ききってた。サラサラとした感触が手に当りこそばゆいけど心地いい。触り心地を楽しむように後ろ髪を持ち上げると、白いうなじが目に入った。


 先ほど首の話題が出ていただけに、どうしても意識してしまう。決して細すぎない柔らかそうで健康的な首筋、そこに私が嚙みつくことを想像すると何とも言い知れない奇妙な感情が芽生えた。


「どうしました?」


 投げかけられた言葉で我に返り、慌てて髪から手を離した。すると首だけ振り返った晴乃さんの横顔、流し目と視線が合う。


「……気になるものでもありましたか?」


 何気ない問いかけだけど、よく見ると口角が僅かに上がってる。これはきっと理解した上で聞いているんだろう。もしかしたら私の想像までお見通しなのかもしれない。


 見られているだけで堪らなく恥ずかしくなってくるけど、からかうような横顔は嫌いじゃない。だけどここははっきりとからかったことを抗議せねばなるまい。


「……分かってて聞いてる……いじわる」

「ごめんなさい、あまりにも分かり易くて、つい。でもそんなところも可愛らしいですね」


 ここでの可愛らしいは単純な誉め言葉じゃない。状況と人が違えば私も嫌な気持ちになったかもしれない。


 ただ、今はまるで気にならない。むしろ揶揄われたことも、可愛らしいと言われたことにも少し嬉しく思ってしまった。まだたった一週間しか経っていないのに、憧れだった人と仲が縮まっている実感がある。


「どうですか、肩の力は抜けたように感じますが、そろそろどうでしょう?」


 今度のこれは髪の話じゃない。心の準備が出来たかと聞いてるんだ。


 正直に言うとまだ出来てない。だが恐らくいつまで経っても準備は出来ないんだろう。私にそこまでの思い切りの良さは無い。


 気まずそうに目をそらすと晴乃さんの表情が、「仕方がないな」というような困り顔へ変わる。


「まだ、みたいですね。ですが先にも言った通り夜更かしは良くありません。ここは勢いでやってみませんか?」

「勢いで?」

「はい、実を言いますと私も緊張しているんですよね。見えませんか?」


 自分の事ばかりで、彼女の感情など気にしてなかったせいか、まるで気づかなかった。


「なんで緊張してるの?」

「それはもう、司さんから聞いた吸血のデメリットの事ですよ」


 それは私も一緒に聞いてた。それを知ったうえで契約してくれたんだから、受け入れてくれているんだと思っていた。


 吸血人は血を吸う際、異常に昂ぶるらしい。そうして我を忘れ欲求のままに振舞う人もいるとのことだ。


 ここで言う欲求とは吸血人が人間を捕食する本能の事だ。

 それは狩猟本能とでも表せばいいのか、捕らえた獲物の反応を楽しみ味わうかのような、嗜虐的な振る舞いを見せる。勿論個人差が大きく、まるで兆候の無い人や理性で抑え込める範疇の人も少なくないらしい。


 ただ弄ばれるように血を吸われることもあるため、献属になると吸血人の玩具にされると考えるマイナスイメージがつき、一部では「餌」との別称が存在するみたいだ。

 当然ながら過度の傷害は犯罪に当るし、今までにでも吸血行為の中で大怪我を負わせるような事件は起きてない。


 だが実際に行為の中で嗜虐的な言動を見せることは確かなようだ。


「どんなことをされるのか、不安がまるで無いわけではないですよ。もっとも千鈴さんが酷いことをするはずがないとも思っていますが」

「し、しないよ!」

「ふふっ、そうですよね。では後はそうですね……やはり初めてのことだから緊張してます」

「……ほんとに?」


 あまりそうは見えない。私と違って初めての事でも楽しむタイプに見える。


「本当ですよ。なので初々しい二人だからこそ、考え込まず勢いまかせの方が良いと思いませんか?」


 スッと自然に、私の片手を両手で下から包むようにして握ってくれた。肌の温度は同じくらいだ。

 しっかりとは握らず、私が握り返すのを待っているような触り方。十分に気持ちは伝わってくる。ちょっとズルいなと思いつつも返事をした。


「……うん、わかった。頑張ってみる」


 彼女の手を、私からも握り返した。




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