第42話 本音をぶつけるね
晴ちゃんのお部屋は思った通りだった。
浴室、トイレやクローゼット等の収納部を除いた6畳ワンルームの個室は、家具はほとんど置かれておらず私物らしい物も少ない。家具は一人用のベッドに備え付けっぽい勉強机、後は小さな何も入っていない棚があるだけである。
ベッドには飾り気のない簡素な布団。床には何も敷かれず、フローリングのまま。唯一生活感があるのは机の上だろうか。置時計に箱ティッシュ、ノートや参考書の類、スマホの充電器と小さなガラス蓋の小箱が一つだけ飾られていた。
初めて晴ちゃんのお部屋に入れてもらったのだが、想像以上に何の感慨も湧かない。ほとんど滞在することが無いのか、彼女自身の匂いさえも希薄に感じる。仮に家探しをしたとしても、多分これ以上の情報は何も出てこなさそうだ。ちょっと残念だが、こうなっている気はしていた。
私は早々に部屋の観賞に見切りをつけた。晴ちゃんをベッドの淵に座らせて、自分も肩が触れ合う距離で隣に座る。彼女にもたれかかりながらハグをして、大きく深呼吸をすると彼女の心地よい匂いが感じられた。
暫く無言のまま廊下でしたのと同じように体をこすりつけ、全身で彼女を堪能する。三日前を最後に禁晴ちゃんをしてたからか、より鮮明に彼女の機微が感じ取れた。今の彼女は緊張しているのか少し体が硬い。それに心臓の鼓動も早く、息も浅い。自分の部屋なのに落ち着かなげにモジモジとしている。
そんな彼女をリラックスさせるために、背中を撫でてあげる。普段は私が撫でられることが多いのだけど、撫でる方も悪くない。新しい発見だ。でも、晴ちゃんはあまりお気に召さなかったらしい。落ち着くどころか、余計にそわそわとしだした。
沈黙した雰囲気についに耐えられなくなったのか、彼女の方から口が開かれた。
「あの、話があるんではないのですか?」
もう少しこうしていたかったのだけど、一旦それもお預け。これから大事なお話しをしなくちゃいけない。一旦晴ちゃんを楽しむのを止めて、ちょっとだけ体を離す。あくまで目を合わせるためであり、完全に離すことはしない。
「うん。だけど何から話そうかな……」
話したいことは沢山あるはずだ。聞きたいことも、言いたいことも、両方とも沢山ある。でも上手く私の中で纏まらない。大きく膨らんだまま、胸の中でつかえている。晴ちゃんも急かさず待ってくれる雰囲気をしているので、少しだけ時間をもらって考えてみた。
やっぱり、まずは言わなければいけないことがあるだろう。
「あのね、最初に謝らせて欲しいの。お姉様から、晴ちゃんのこと、聞いちゃった……ごめんね」
本当であれば秘密なんてものは、その本人以外からは聞くべきではない。でも私は聞いてしまった。お姉様の語り口に丸め込まれたと言うのもあるけれど、最終的に聞く判断をしたのは私だ。晴ちゃん悪いことをしてしまった。だから初めに懺悔させて欲しい。
それを聞いた彼女はたちまち渋い顔になる。だけど怒っている風ではなく、困った感じの渋面だ。
相変わらず優しいね。ここは怒って当然だと思うけどな。
「あー、結花さんに何かを吹き込まれたようですが、きっとそれはデマですよ。完全な事実無根です。騙されないで下さい。……だから謝る必要は全くありません」
ちょっと早口で否定する晴ちゃん。でも聞いた話の内容も聞かないで否定するのは、おかしくないかな。それだと、しらばっくれているようにしか聞こえないけど。
ああ、そっか、そう言うことにして欲しいってことなんだね。
晴ちゃんにしてみれば、どこまでどんな風に伝わったかもわからないから、藪蛇を突かないように変に弁明することを止めたんだ。半ば認めつつも、この一件は無かったことにして欲しいみたい。
私の考え過ぎな可能性もあるけれど、バツの悪そうな顔を見ていると、そうだという確信が出てくる。
どうするべきだろうか。
無難なのは晴ちゃんの希望通り、お姉様から聞いたことを全て忘れて、今まで通りの関係を続けていくこと。お姉様は肩透かしを食らうかもしれないけど、別にそれで何かを思うことはないはずだ。きっと私達の選択だと理解してくれる。
これなら波風は立たず、全てが丸く収まると思う。
でも、今の私はその選択をしたくない。
私の中で膨らみ切った感情を、飲み込むことになるからだ。吐き出すことが正しいことかはわからない。もしかしたら酷い結果が訪れるかもしれない。それでも、この感情の勢いを借りてなら、一歩前へ出れる気がした。
「……わ、私との吸血を、は、晴ちゃんは、楽しんでるって、本当?」
震えて、か細くて、詰まり気味の声。だけど、言い切った。一歩は踏み出せた。
「……そんな人がいると思いますか? 傷をつけられ、血を奪われる行為を楽しめるとでも?」
聞いたことが無いような冷たい声。それに彼女が吸血に関して、これほどまでに否定的な言葉を発したのは初めてだ。拒絶的な雰囲気に、つい怯みそうになる。けれど、ここで引いては何も残らない。
彼女の拒絶は雰囲気だけだ。「楽しんでいるわけがない」と断言すればいいだけのことを、きつい言い方で誤魔化している。明言を避け、此方が勝手に言葉の裏を読むことを期待しているのだろう。
ここへきても晴ちゃんは嘘はつけないんだね。
「誤魔化さないで、はっきりと教えて晴ちゃん。私との吸血は嫌い?」
「……嫌ではないですよ」
「じゃあ、好き?」
「嫌いじゃない、では答えになりませんか?」
先ほどのピリピリとした雰囲気から一転、今度は困ったような弱々しい表情を見せる。それはまるで懇願だった。「嫌いじゃない」でこの場を収めてくれないか、そうお願いをしてきてる。
つい揺さぶられそうになるけど、グッと堪えて彼女を更に追い詰める。
「ならないよ。ハッキリしてほしいな。晴ちゃんは傷つけられて、血を奪われることが好きなの? ……教えて?」
じっと彼女の顔を見つめるけど、目は逸らされた。投げたボールが帰ってくるまで、私はいつまででも待つつもりだ。お構いなしに見つめ続ける。
彼女は口を開いては噤むを繰り返したり、ギュッとしかめ面を作っては緩めたりして百面相をする。彼女が決断を下すまで、時計の針音が聞こえる程の静寂が部屋の中を満たした。
やがて晴ちゃんは何かを諦めたような表情をして、私をチラリと盗み見る。数度モゴモゴと口を動かした後に、蚊の鳴くような声が聞こえてきた。
「……好き……です。……だったら、どうだと……言うんですか」
羞恥で頬どころか耳まで朱に染めて、若干開き直ったようにムスッとしながらの告白。
あまりの愛らしさに、言葉が出なかった。
数瞬、呆けてしまった。意識まで持っていかれそうだった。遅れてずっと抑え込んでいた感情に火が付き、心の中で大爆発が起きる。理性だとか、知性だとか、そんなものは吹き飛ばして条件反射のまま体が動く。
抱きしめたまま、晴ちゃんをベッドに押し倒した。
驚いて目をパチクリとさせている彼女の顔を両手で包み込み、吐息がかかる距離まで顔を寄せて覗き込む。羞恥に耐えて告白してくれた彼女へ、今すぐ応えなくてはならない。
「あのねっ! 私ねっ! 晴ちゃんがそんな変態だって聞いて――」
心臓がバクバクと音を立てて、全身へ熱を運ぶ。体が火照り、頭がクラクラしてきた。それでも私も言わなければいけないことがある。
「――すっっっごく、興奮した!!」
きっと彼女の顔と同じくらい、いやそれ以上に私の顔も真っ赤になっていることだろう。急に叫んだから、息が荒くなる。呼吸と心臓がうるさく音を立てる中、一時的な互いに見つめ合う間ができた。
「ふっ」
そんな間に突如、空気を吹きだすような音が響く。晴ちゃんからだ。
「ふはっ、何ですか、それ。んふっ」
苦笑に近くはあるけど、彼女は可笑しそうに笑ってくれる。口に手を当てて抑えようとしても、漏れだし続ける。
流石にちょっと笑い過ぎじゃないかな。今度は私が恥ずかしくなってきたので、彼女を抱きしめて顔を見られないようにした。
「晴ちゃんが吸血を楽しんでるって聞いて嬉しかったの。私が与えられているばかりだと思ってたから。それに私との行為を求めてくれてるってことでもあるでしょ? あの晴ちゃんが私をって思ったら、もうとってもドキドキしちゃって。もっと求めて欲しいし、欲望があるなら私にぶつけて欲しいの。私の手で晴ちゃんを喜ばせることが出来るなら、何だってしてあげる。むしろ何で今まで言ってくれなかったの? 隠れて自分だけ楽しんでいるなんてズルいよ。言ってくれたら私だって、晴ちゃんがいいように頑張ってあげたのに……」
感情のままに言葉を吐き出し続けていると、自分でも何を言いたいのかさえ分からなくなってくる。最後の方はなんか文句を言ってしまった気もするし。
でも伝えたいことは何となく伝わったようだ。感情の羅列を止めるように、晴ちゃんが私の背中を優しく叩いてくる。
「わかりました。わかりましたから」
「本当にわかってくれた?」
「ええ、よーく理解しました。……千鈴さんも変態さんなんですね」
思ったのとは違う反応だった。私が何だと?
頭の中で2回、3回と咀嚼してようやく飲み込む。
「もうっ! 何でそんな結論になるの?」
「だって、そうではないですか。異常な性癖を気色悪がるどころか、喜んで受け入れるのは変態と言って差し支えないのでは?」
「むう……」
不満は残るが、一理ある様に思ってしまう。それに彼女が面白そうに同類だと言ってくれるのは、悪い気はしなかった。
「反論、しないんですか? 本当に受け入れてくれるのですね」
「……うん、晴ちゃんも吸血人の私の欲求を、何でも受け入れてくれたでしょ?」
「私のは変態的な嗜好ですよ?」
「晴ちゃんは変態でも良いって私に言ってくれたよ」
「もしかしたら、これから我儘に要求しだすかもしれませんよ?」
「我儘でいいって、遠慮しなくていいって教えて貰った」
全部、彼女から与えてもらったことだ。ならば、私も彼女へ返したい。上体を起こして再び彼女の瞳を捉える。トロンと半ば溶けたような瞳が私には蠱惑的に思えた。
「私を甘やかす分、甘えてくれていいんだよ?」
「それだと、更に私が返したらループしませんか?」
「……それじゃダメかな?」
「ふふっ、いえ、それもいいかもしれませんね」
また笑いだした。楽しそうなので茶々を入れずに見守る。
彼女はひとしきり笑うと「では」と言って、Tシャツの襟に手をかけるとグイっと引き延ばした。
「……早速、お願いしても、いいですか?」
まるで見せつけるかのように露わになる肩と首。
それに今日はメイド服じゃないからか、いつもの黒いインナーは見えず、水色の何かの肩紐が見えた。
誘うかのような、いや、確実に誘っている妖艶な笑みに、私は殴られたような衝撃を受ける。
「は、晴ちゃん……」
私に覆い被さられた状態でのその言葉と仕草は、つまりそう言うことなのか。私もしたいと思っていたけど、禁止されているので諦めるつもりでいたのに。
鎮まりかけていた心臓が再活性し、噴き出しそうなほどの熱を頭に集め出す。覚束ない手をゆっくりと伸ばすと、晴ちゃんの手が迎えに来て肩へ導いてくれた。すべすべとした触感とは裏腹に、彼女の体もまた熱い。
先ほどとは比べものにはならない程に、心臓が跳ねまわる。甘えて欲しいとは言ったが、急にこんないじらしいおねだりをされると、耐え切れない愛おしさで頭が噴火しそうだ。
それでも彼女に応えなくてはならない。むしろ応えさせて欲しい。荒い息を吐きながら、ゆっくりと顔も首筋へ寄せていく―――
「えっ、あっ、ち、千鈴さん!」
彼女の慌てたような声を聞いた瞬間、Tシャツの上に何かがしたたり落ちる。目を向けると、そこには二つの赤い染みができていた。
「血が出てますよ!」
どうやら私はこの肝心な時に、鼻血を出してしまったようだ。




